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連載

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」 vol.6

この武士は甘党で、アスパラガスを炒めるのは上手くない。榎田ユウリ「武士とジェントルマン」#2-1

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」


前回のあらすじ

日本の大学で教えるため来日した英国人・アンソニー。日本での居候先をイギリスの恩師が手配してくれたが、空港に迎えに来た青年に出会ってびっくり、彼はキモノに力タナ、チョンマゲの武士だった! 現代日本に武士がいたのか⋯⋯!? その彼・隼人(伊能長左衛門隼人)が言うには、「地域防犯への奉仕ならびに伝統文化の保持を目的とする新しい武家制度」として現代の武士は存在するらしい。英国紳士と青年武士の不思議な同居生活が始まった。

詳しくは 「この連載の一覧
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1.花は桜木 人は(  )

 へえ、イギリスにも桜があるんですね。
 ……いったい何人の日本人に、このセリフを言われたことだろうか。
 そのうち数人は、発言のあとすぐに「あ、そりゃそうか。桜ってチェリーだもんね」と気がついて照れ笑いを見せる。そう、サクラ、つまりCherry Treeは北半球の温帯地域に広く分布する落葉広葉樹であり、とりわけ珍しい植物ではない。英国でも春には、様々な桜が順を追って開花していく。私もよくKew Gardensの桜の下を歩いたものだ。一部の日本人が桜を日本特有の植物と勘違いしてしまうのは、それだけ桜を愛しているからなのだろう。その心情はわかるが、桜は珍しくないのだ。
 だが、桜にかける情熱……具体的に言えば『今年の桜はまだか、開花日を知りたい、ぜひとも知りたい、いや、知らねばならぬ!』と言わんばかりの国民的欲求は珍しい。私が来日したのが三月下旬、その頃から既に天気予報のキャスターたちは、熱心な口調で桜のつぼみの膨らみ具合を解説していた。
「なぜ日本の桜は、みな同時期に咲くんでしょう?」
 モーニング・ティーが好みの濃さになるのを待ちながら、私は隼人はやとに聞いてみた。
「いえ。同時期には咲きませぬ」
 濃いブルーの着流し(はかまをつけないキモノスタイルをこう呼ぶそうだ)姿の隼人が、真面目な声音で答える。まだ朝の七時なのだが、総髪というまげスタイルはピシリと整い、背中もシャンと伸びている。
「日本列島は気温差がありますゆえ、桜は暖かい南から、北に向かって咲き始めます」
「ああ、はい、それは理解しています。さっき天気予報で言っていたサクラ・ゼンセンですね。なんとも趣深い言葉です。ですが私の質問は、同じ東京の中でも、ほとんどの桜が一気に咲くのはなぜなのか、という意味です。桜といっても色々な品種があり、開花時期がずれると思うのですが」
「いかにも、品種が違えばそうなりまする」
 隼人は厚切りのトーストにバターを塗りながら話している。トーストの端まできっちりと塗り、パンの耳のエッジでバターナイフの角度を変える。実に彼らしい、丁寧な塗りっぷりだ。ちなみに私はトーストは薄切り派なので、別々に焼く。
「実のところ、同じ品種なのです。桜前線でいう桜とは、そめよしなる品種をさしております。確か、もともと一本の桜からぎ木で増やしたものだったかと」
「なるほど……同じ遺伝子geneを持っている桜でしたか。それなら同時に咲くのも納得です。上野の有名な公園にある桜も、染井吉野なのですね」
「左様。おそらく、あと数日で見頃になるかと……アンソニー殿が行かれたいと仰せならば、それがし、ご案内いたしまするが」
「ありがとう。でも結構です。桜は美しいですが、花見の人混みはちょっと」
 つい昨日、ニュース番組でその様子を観たばかりなのである。日本における花見は酒宴を兼ねている場合が多いようで、桜の下、所狭しと人々が集う。にぎやかで楽しそうではあるが、私にはネクタイをヘアバンドのように巻きつけ、「カンパーイ!」と叫ぶ酔狂さはない。
「わかりまする。それがしも得意ではありませぬ」
「では、ハヤトは花見はしないのですか」
「宴会という意味の花見ならば、おさおさいたしませぬな。不調法者ゆえ」
「ブチョーホー?」
 マグカップの上に乗せた豆皿を取りながら、私は語尾を上げた。こうすればティーバッグの紅茶でも蒸らすことができるし、ティーバッグを引き上げたあとは豆皿の上に置ける。豆皿は藍色の小紋模様で、江戸時代後期のアンティークだという。派手さはないが、生活用品として過不足ない美しさをたたえている。
「不調法とは……つまり、気が利かぬということです。また、酒が飲めない者のことも不調法者と申します。それがしはいずれもです。気も利かぬし、酒も飲めませぬ。ですから宴会からはつい足が遠のきまする」
「でも、桜の花は好きなのでしょう?」
「はい。静かに眺める桜は誠によきものかと。そういえば、こんな言葉がござりましてな。花は桜木、人は……んっ……?」
 言葉が途中で止まったのは、隼人の手にしているチューブのせいだった。トーストの上になにかかけようとしているのだが、チューブの中身がほとんど尽きていて、いくら力を込めても絞り出せないらしい。
「……むぅ……出ぬ……」
 悔しげにうめき、眉間にしわを刻んだ。
「それ、よくかけてますけど、なんなんです?」
「練乳と申すものです。英語では、コンデンスミルクかと」
「ああ、condensed milkでしたか。日本ではトーストにかけて食べるのが一般的なんでしょうか?」
「はて、いかがなものか……。他家については存じませぬが、それがしは幼き頃からこれが好きでして。母がよく……」
 また言葉が止まる。今度は意識的に止めたのだとわかったので、私もまた意識的に話題を変えてみることにした。
「英国にbanoffi pieという菓子がありましてね。バナナとトフィー、生クリームのパイです。トフィーはわかりますか?」
「確か……あめのようなものかと」
「はい。キャラメルのほうがより近いですね。banoffi pieに使うトフィーはコンデンスミルクから作るんです。英国では、コンデンスミルクはだいたい缶に入っています。その缶をお湯の中で煮るんです」
「缶を?」
「ええ。中身が入ったまま、フタも開けず、そのまま煮ます。二、三時間してフタを開けると、白かったコンデンスミルクはキャラメル色のトフィーになっています。開けた瞬間、その甘い匂いがキッチンに広がるのです」
 バナナとトフィー、その上にさらに生クリームが乗り、我が家では削ったチョコレートをかけてできあがりだった。土台は本来ショートクラスト・ペイストリーなのだが、砕いた全粒粉のビスケットで手軽に作ってもいいし、私はそちらのほうが好きである。バナナとトフィーのねっとりした食感、それぞれの風味、滑らかなクリームのコクと、サクサクのビスケット……いささか甘すぎるデザートだが、時々無性に食べたくなる。
 隼人にそんな説明をすると「実に……しそうですな」と唇を引き締めた。banoffi pieを想像し、緩みそうになる口元を無理に引き締めているようにも見える。最近、ほんの少しずつではあるが、隼人の表情が解読できるようになってきた。
 伊能いのう隼人は武士である。
 フルネームは伊能長左衛門ちようざえもんはやひと
 私がこの純日本家屋で暮らすようになって、十日ほど経過した。
 まだ短い同居生活ではあるが、いくつかわかってきたこともある。隼人が両親の話を避けているというのもそのひとつだ。数年前に亡くなった祖父の話はしばしば出るのだが、両親については健在なのかすらも語られない。そういったデリケートな話題のほかにも、隼人が甘党だということ、とくにプリンが好きなこと、とても早起きなこと、庭にやってくるすす色の猫をわいがっていること、でも可愛がっている姿は隠そうとすること──などがわかってきた。
 明治維新によって消えた武士が復活したのは、一九六四年の東京オリンピックが契機だった。現代では、地域防犯などの奉仕活動、および日本の伝統を保持する目的で武家、及び武士が存在している。──という経緯は隼人から聞いたわけだが、来日して日の浅い私にとって、現代武士はいまだ謎が多く、興味深い存在だ。
 なので、つい観察してしまう。
 隼人に限って言えば、非常に規則正しくストイックな生活スタイルだ。起床は五時半。近所を軽くランニングした後、庭で剣道のけいをする。ここまではトレーニングウェアなので洋装だ。それからシャワーを浴び、和装の身支度をし、先祖のまつられている仏壇の前で手を合わせる。朝食は七時半。私も七時には起きているので、一緒に食べる。朝食をるのは、キッチンにつながる家事室の小さなテーブルだ。パンを焼いたり紅茶を入れたりするにはこの部屋が都合がいい。
 朝食の後、隼人は洗濯や掃除などの家事をひととおりする。その様子を見るにつけ、丁寧な仕事ぶりに感心する。廊下の雑巾掛けなどは、以前動画で観た禅寺の修行僧を思い出させる。炊事だけはあまり得意ではないらしく、週に二回、家政婦のえいが通ってくる。非常に有能なハウスキーパーだ。
 隼人は決まった仕事に就いていない。
 それでも彼の日々は多忙だ。町内会の防犯活動や、独居高齢者宅への訪問。地域の警察署からは不定期に交番応援の要請が入り、地元の小中学校では剣道部のコーチも引き受けている。それらのほとんどが無償の活動であり、物価の高い東京で暮らしていくのは大変なのではと思うが、さすがに伊能家の経済状況に口を出すのは無礼なので差し控えている。ただひとつ言えるのは……。
 と、玄関の呼び鈴が鳴った。
 そのあとで「若さぁん」と呼ぶ声がする。コンデンスミルクを諦めてバタートーストをかじっていた隼人が顔を上げ、席を立った。
「おはよぉ、早くにごめんねぇ」
 ご近所のひらさんの声だ。
 来日した翌日、私は隼人に連れられてご近所に挨拶回りをした。日本では『向こう三軒両隣』という表現があり、近所づきあいを大事にするのだと隼人は説明してくれたが、その説明を横で聞き「若さんったら、今時の人はそんな言葉知らないわよ」と笑っていたのが平野さんである。斜め向かいに住む六十代のご婦人だ。ちなみに若さんというのはご近所の方がよく使う隼人の愛称である。
「これね、昨日北海道の親戚がどっさり送ってきたの。おすそわけ~」
「アスパラガスですな。かたじけのうござります」
「栄子さんが美味しく作ってくれると思うけど、簡単にバターソテーにするだけでもいいのよ。あらあら、若さんったらおべんとつけて。ふふ」
「あ」
 隼人が少し慌てたような声を出した。
 ここは玄関に近いので話し声はよく聞こえるのだが……オベントツケテ、とはどういう意味なのだろうか。お弁当、ならば私も知っている。いわゆるランチボックスだが、日本のそれはまるで箱庭アートのように凝っていて美しい。だが隼人はお弁当など持っていなかったはずだし……。
 考えているうちに隼人が戻ってきて「アスパラガスを頂戴いたした」と見せてくれた。みずみずしい穂先と鮮やかな緑が、新鮮さを表している。
「美味しそうですね。ちょうど朝食ですし、少しバターソテーにして食べませんか」
「はい。バターでいためるだけならば、それがしにも可能かと」
「私がしましょうか」
「いえ。アンソニー殿はどうぞそのまま」
 若き武士が表情もキリリと言い張るので、私はおとなしく待つことにした。
 理想の濃さまでもう一歩の紅茶をすすりながら、キッチンにあるサイドボードを見る。そこにはたまねぎとジャガイモが山積みにされたとうかご、朝日を受けて光るたっぷりの蜂蜜が瓶で二本、プラムの塩漬けウメボシがみっちり詰まったつぼも置かれている。これらはみな、この数日で伊能家に届けられたものだ。届けられたといっても宅配便がやってくるのではなく、ご近所の皆さんが持ってくる。隼人が近隣住民に好かれている証拠だろう。栄子いわく、これらの贈り物は伊能家の食材費をかなり助けているらしい。
 ジュッ。バターがフライパンの上で溶ける音がする。
 家の前の通りで、誰かが誰かに「おはよう」と言う声がする。
 いい朝だ。
 この家に流れる時間は、私にとってとても快い。
 正直なところ、私はさして日本びいではなかった。東洋美術史の一環として、浮世絵や陶磁器、仏像などについては学んだものの、それらのほとんどは過去の産物であり、現代日本についての見識はたいしてない。日本人である叔母のことは敬愛しているが、それは彼女が日本人だからではなく、パーソナリティが好ましいからだ。そもそも、彼女も数十年英国暮らしなので最近の日本事情には疎い。
 かくして過剰な期待もなく、フラットな気持ちでこのFarEastに足を踏み入れ──いきなり武士との遭遇である。
 こういった意外性を最近の日本語で『予想の斜め上』と言うらしい。先日、職場となる大学へ挨拶に赴いたが、そこでも「えっ、武家に下宿?」と驚かれた。
 折り目正しい武士との生活は、ちようめんな私と相性がいい。
 初日の風呂には戸惑ったものの、その後はコンパクトだが清潔なバスルームを使わせてもらっているし、栄子の料理はどれも美味しく、野菜が多いので健康的だ。日本に来て、以前より野菜が好きになった気がする。さっきのアスパラガスもきっと……おや、バターの香ばしいかおりが……いや、香ばしいというか……そこを通り越して、これはもはや…………。
「おびの言葉もござりませぬ……」
 意気消沈の隼人が焦げたアスパラガスを持ってきた。
「大丈夫、これくらいなら食べられます」
 そう言った私だが、焦げたバターは苦いし、塩も多すぎた。
 責任を感じているのだろう、隼人は黙々とアスパラガスを口に運ぶ。美味しくはないが食べられないわけでもない、ギリギリのアスパラガスを食べる顔は険しく、あまりに真剣すぎて、私はなんだか急にしくなってしまった。かと言って笑うわけにもいかず、せき払いなどしながらこらえ、焦げたアスパラガスにフォークを刺す。
 やはり苦かったけれど、私はもう一度「食べられますよ」と言った。

 土曜日の午後は、剣道教室がある。
 地域の子供たちに向けたボランティア活動だそうだ。隼人からそれを聞いた私は見学を申し入れた。東洋の武道からは独特の美学を感じており、以前から興味があったのだ。『柔よく剛を制す』という言葉で知られる柔道は世界的にポピュラーで、私の知人にも経験者が何人かいる。カンフーなら映画でおみだし、ヨーガにまってインドで暮らしている旧友もいる。
「しかしながら、初心者の子供を対象にした稽古ゆえ、さほど本格的な打ち合いはありませぬが」
「それぐらいでちょうどいいのです。私も剣道のことはほとんど知りませんので」
「ではご一緒いたしましょう。指導を手伝ってくれる武士仲間が来るので、ご紹介いたしまする」
「楽しみです」
 剣道教室は小学校の体育館で行われる。
 私は大学でのミーティングがあったため、少し遅れて学校に着いた。体育館へ続く道にはちょっとした桜並木があり、満開を過ぎて散り始めている。舞い降りる花びらを捕まえようと、小さな子供たちがジャンプしながらはしゃいでいた。
 体育館は土足禁止と聞いていたので、持参のスリッパに履き替える。ホールに繫がるドアの一部が開いていて、「いち、にっ、さんっ」という元気な声が聞こえてきた。
 フロア内に足を踏み入れようとした時、
「礼をしないと」
 緊張気味の、高い声が言った。
 振り返ると、十歳前後の子が私を見上げ、びっくりした顔になる。声をかけたはいいが、外国人だと思わなかったのだろう。紺色の剣道ユニフォームを着た可愛い子で、眼鏡の下の大きな目がぱっちりしていた。一瞬男の子か女の子か判断に迷う。
「そっ、そーりー……」
「謝らなくていいですよ」
 そう返すと、パチパチまたたいて「日本語、わかるの?」と聞いた。
「大丈夫。礼をしないと、とはどういう意味ですか?」
 そう尋ねると「えっと」と、一度下を向き、それから再びキッと上を向いて、
「礼に始まり、礼に終わるから」
 きらきらしたまなしでそう語る。ふだん子供と接する機会のない私にはまぶしいほどの純真さだ。
「剣道は、礼がなにより大事って、先生が」
「イノウハヤヒト先生?」
 小さな剣士はコクンとうなずく。
「強い人はみんな、礼儀正しいって。心をきたえることは、身体からだをきたえるより難しいから、なんだって。だからぼく……剣道始めたんだ。ほら、ぼく、小さいから。でも心をきたえるなら、小さくても関係ないと思うし」
「その通りですね。……身体は、これから大きくなるかもしれませんし」
 だといいけど、と下を見てつぶやいた。ぼく、と言っているので男の子だろう。
「それでね、道場に入る前は……ここは、ほんとは体育館だけど、今は道場として使ってるでしょ? だから、ぼくたちは、一礼をして入らなきゃいけないんです」
 最後はきちんと丁寧な言い方をして、再び私を見上げる。
「では教えてくれますか?」
「うん。これくらい、曲げます」
 お手本を示してくれたあと、小さな声が「せえの」と言った。私もそれに合わせて頭を下げる。ふたりで礼をすると、子供は満足そうに「じゃあ、行くね」と走りだす。素振りを指導している隼人のところまで辿たどり着き、なにか言ってさらに深く頭を下げた。どうやら、遅れたことを詫びているようだ。
 私はホール内をまわす。来ている子供たちは八歳くらいから、上は中学生くらいだろうか。全部で二十人ほどで、今の子のように、着物と袴の剣道ユニフォームの子もいれば、普通のトレーニングウェアの子もいる。
「おっ? アンソニーさん?」
 かけられた声に振り返ると、道着をつけ、竹刀を手にした若い男が私を見ていた。隼人は子供たちを指導中で、まだこちらに気がついていない。
「ええ。アンソニー・ハワードです」
 もしや隼人の武士仲間ですか……とは聞かなかった。隼人とほぼ同世代に見えたので、その可能性もあったのだが、彼は違う気がする。
 なぜなら、金髪なのだ。

>>#2-2へつづく ※11/12(火)公開
◎第2回全文「カドブンノベル」2019年11月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年11月号

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