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連載

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」 vol.22

【連載小説】武士をやめた青年の洋服を買いに、一緒に街に出かけた英国紳士。二人でじっくり話したのは……。榎田ユウリ「武士とジェントルマン」#5-5

榎田ユウリ「武士とジェントルマン」

※本記事は連載小説です。

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3.ユニクロを着た武士

「洋服を買いに行きたいのですが、おつきあい願えませぬか」
 隼人が突然、そんなことを言った。
 八月、今日も熱中症予報はしやくねつ色だ。天気予報のキャスターは「暦の上ではもう秋です」と言っていたが、まったくそうは思えない陽気である。ルリは栄子と一緒にプールへと出かけた。泳ぎが苦手なので教わるそうだ。水着は栄子が用意していて、ルリをとても可愛がっているのがわかる。
「洋服ですか」
「はい。手持ちが少ないので揃えませぬと……」
「もちろんおつきあいできますが、私は日本のファッションについて詳しくありませんよ? ヨリタカのほうが適任なのでは?」
「あやつは、ああだこうだとうるさいのです」
 その返答に思わず笑ってしまった。確かに頼孝は和装の時でもかなりしや者なので、洋服にもこだわりがありそうだ。反して隼人は清潔で簡素が一番というタイプである。
 かくして、私たちは街に繰り出した。
 街といっても地下鉄で数駅移動しただけの、ターミナル駅にあるファストファッション店である。今日の隼人はじんべい姿で、実のところ彼にとってこれは部屋着だ。外出着として使うことにためらいがあったようだが、最近では夏祭りの折など、若者のファッションアイテムとして利用されてもいるので、ことさらおかしくもないだろう。
「ユニクロでいいんですか?」
 駅ビルのエスカレーターに乗り、私は隼人に聞く。
「手頃な値段で揃うし、質も悪くないと聞いております」
「確かに。それで、どんなアイテムを揃えればいいのでしょう」
「残暑から秋にかけての分、上から下まですべて必要かと。それがし、トレーニングウェアくらいしか持っておりませぬので」
「またそれがしって言いましたよ」
「あ」
 隼人がキュウと眉を寄せる。武士ランゲッジから抜け出そうと訓練中なのである。同輩に対しては比較的「俺」がすんなり出るようだが、相手が目上だとつい「それがし」にになってしまうようだ。
 武士をやめる宣言から、五日が経っていた。
 武士登録を解除する申請もすでに提出したそうだ。直接事務所に行けば、引き止められることは明らかなので、書面は頼孝に託したと話してくれた。正式に受理されるまで一週間ほどかかるとのことである。
「武士ではなくなると、地域への奉仕活動もなくなるのですね」
「さよ……はい。ですが、地域住民であることには変わらないので町内会の手伝いはしようと思っております」
「以前エイコが、武士の税制面での優遇について教えてくれたのですが……」
「目下のところ問題はそれです。祖父から土地と家を相続した時の優遇分を返還しなければなりませぬ。栄子殿が税理士を紹介してくれるので、相談いたします」
「そうですか……あの、私の家賃を上げていただいても大丈夫ですよ?」
 私が隼人に納めている額は本当に少なく、ほとんど光熱費程度である。今は補助金がてんされているはずだが、武士登録がなくなればそれもカットされる。しかし隼人は「とんでもない」と首を横に振った。
「武家だという前提で、当家を選んでくださったというのに、こちらの勝手で武士をやめるからといって、家賃を上げるなどできませぬ。むしろおびを申し上げなければならぬところです」
「いえ、そもそも手配をしてくれたのは、私の恩師ですし……。実際に住んでみて、居心地は最高ですし、できるだけ長くいたいのです。ただ家賃がこのままでは、あまりに安すぎて、私の気持ちが落ち着きません」
「……そのようにお気を遣わせてしまい、かたじけのうございます……」
 しおれてしまった隼人を見て、余計なことを言っただろうかと少し後悔した。隼人は他者を助けることは得意だが、他者に助けられるのはどうにも不得手である。遠慮が美徳という日本文化の影響、あるいは弱みを見せない武士の矜持きようじ……いや、それよりも性格なのだろうか。悪いことではないが、もう少し頼ってくれてもいいのになと思う。
 だが、とりあえず服選びでは私を頼ってくれたのだ。その点は喜ばしい。
 ファッションに関していえば、私は保守的である。いや、正直に言おう。色々考えるのは面倒くさいものの、センスがないと言われるのもしやく……となると、保守的でいるのが楽なのだ。そうすると服はプレーンかつベーシックなセレクトになってくる。
「隼人は、どんなカラーが好きなのですか?」
 店内を見渡しながらそう聞いた。広いフロアに、服が色の波を作っている。夏のセールが始まっていて、明るい色みが豊富だ。
「……薄墨や、こんねずあたりが落ち着きまする」
 要するにグレーと、インディゴがかったグレーである。人のことは言えないが、地味な趣味だ。隼人は比較的色白なので、もっと鮮やかな色が似合いそうなのだが……。ためしにロイヤルブルーのサマーニットを当ててみたら、顔色がパッと映える。隼人はぼそりと「派手かと……」と呟いていたが、なかば無理やりに持たせておく。
 ピーコックはどうだろう。いや、ターコイズのほうがしっくりくる。グリーンは? ミリタリーっぽくくすんでいるのは着せたくないが、ミントグリーンならば明るくていい。かといって真っ白は強すぎる。アイボリーは合う。隼人が暗いグレーを手に取ったが、それはだめ。ペールグレーならば似合うし、使い回しがきく。
「これ、合わせてみてください」
「はあ」
「こっちも」
「……あの、適当でよいので……」
 日本語の適当にはよい意味と悪い意味があるが、隼人は今後者で使った。つまり、そんなに真剣にやらなくていい、という意味だ。
「いいえ、ちゃんと選ばなければ!」
「……アンソニー殿?」
「ボロは着てても心はニシキ……エイコに教わりました。言わんとしていることはわかりますが、なにやらルサンチマンも感じます。外見をおそろか……いや、おろそかにしてはいけません。『葉隠はがくれ』にも身だしなみは大事とありましたよ? なにより、結局人は見た目で相手を判断するものです!」
 思わず熱く語った私に、隼人は「は、はぁ」とやや引き気味だ。
 なんということだ……服選びがこんなに楽しいとは。自分のだと面倒だが、人のならば楽しい。あるいは、隼人の服だから楽しいのだろうか?
 Tシャツ、開襟シャツ、ポロ。ボトムスは万能な紺とベージュ。スニーカーは潔い白。靴下だけ遊びの色を入れるのもいい。隼人は姿勢がいいし、頭も小さいからなんでも似合う。裾合わせを見てくれている女性スタッフが、小さな声で「脚、長っ」と呟いていた。
「家で着るものだけでいいんですか?」
「日常着と……あとは、武士をやめるにあたり、ご挨拶に向かわねばならぬところが何カ所かございますので、それ用に。ネクタイまでは必要ありませぬ」
 ならば、きちんとしたシャツに、センタープレスのあるトラウザーズか。隼人の年頃ならばノータックでもいいかもしれない。……ああ、そういえば銀座にHackettがあったではないか……あそこでスーツをオーダーしてしまえば……武士卒業のお祝いとして私がプレゼントを……いやいや、隼人が受け取るわけがない。それでもつい妄想してしまう。細身のあつらえに身を包んだ隼人は、どれほど見映えがよいことだろう。
「……こんなに買ったのは初めてでござりまする…………」
 同じビルの中に入っていたカフェで、ぐったりした隼人が呟く。彼の隣の椅子には、ユニクロの大きな袋が載っており、私の横の椅子も同様だ。トップス七点、ボトムス三点、靴下など小物が五点、靴二足を購入した。私までつられてパジャマを買った。
 隼人は試着したものをそのまままとっている。綺麗なブルーのTシャツに、淡いグレーのシャツを羽織り、ベージュのチノパン、白いスニーカーという爽やかな出で立ちだ。そのほうが荷物を減らせるという合理的な理由からだが、私は自分のコーディネートを早速にお披露目できて満足である。
「これで当面、困ることはないと思います」
「お時間を取らせ、かたじけのうございました」
「いえいえ、楽しかったので。ところでまた武士語が出ていますよ」
「あ。失礼つかまつっ……すみません」
 自分が古めかしい言葉を使った時はなるべく教えてくれと、隼人から頼まれていたのでこのように言っているが、すべてを指摘しているときりがないため、実際には聞き流しているぶんも多い。
「そんなに急いで直さなくても」
「いえ、少しでも早く普通になりたいのです」
 アイスコーヒーのストローをいじりながら隼人は言った。彼にとって武士は普通ではなかったということなのか。多数派を普通と呼ぶのならば、確かにそういうことになろう。けれど私の見ている限り、武士だった隼人はとても自然だった。自然であることもまた普通と言っていいのではないだろうか。
 とはいえ、どうあるべきか選ぶのは本人である。本人がやめると決心したのだから私はそれに協力しよう。
「それでは少し長く喋ってください。一般的な二十代男子として」
「わかりました。では………………」
 そこから先の沈黙は、妙に長かった。もともと無口な上、今までの口調を封じて喋るとなると、ハードルが高いのだろう。思いつめた表情で固まっている隼人に、「ではこちらからテーマを」とつい助け舟を出してしまう。
「どんなテーマがいいかな……。そうだ、夏休み前、学生たちにも聞いたのですが『座右の銘』にしましょう。英語だとモットーですね。ハヤトの座右の銘はなんですか?」
「……これといってござ……ない、かな、です」
 なにやら日本語のあやしい外国人みたいだ。私は笑い出したいのを堪えながら、
「今までもなかったのですか? ほら、武士に二言はないとか、武士は食わねどたかようとか……」
「よう……よく、ご存じですね」
「実はこのあいだ、ルリに聞いたんです。あの子は色々知ってますね」
 種明かしすると隼人は少し笑う。
「武士としての節度を守ることは心がけていましたが、それを一言で表すような座右の銘はござ……ありませんでした」
 ゆっくりとそう語り、さらに続けて「アンソニーど……さん、は?」と尋ねる。
「昔はいくつかありましたね。若い頃は哲学に傾倒していたので、名言には事欠かなかったのです。けれど、ある日父親にこう言われてしまって」
 ──他人の言葉に頼って生きるなど、情けない。
「今でも覚えてますね。家族で食事をしていて、私は東洋の哲学者の深遠な言葉について話していたんです。これをモットーにしたいみたいなことも話したのかな……とにかく、父親に否定されてしまい、もちろんテーブルはとてもサムい雰囲気になりました」
 あえて軽い調子で話したのだが、隼人は自分がつねられたような顔になってしまう。
「それ以来、人の話や書物から素晴らしいフレーズを見つけても、いつも父の顔がちらついてしまって、素直に受け取るのが難しくなり……父を恨みました。まあ、彼も悪気があったわけじゃないんでしょう。父は手広くビジネスをやっていて、息子である私に強いリーダーシップを求めていたんです。『格言を作る側の立場になれ』みたいなことを言いたかったのかも。とはいえ、人には向き不向きがありますから」
 私はまったくもって、ビジネス向きではなかった。かといって象牙の塔に閉じ籠もっていてもそれはそれで息苦しく、今はこうして極東の地にいるわけだ。
「……では、それ以来座右の銘はないのですね」
「ありますよ」
「え」
「人の意見に左右されるな」
 隼人がきょとんとした顔になる。この表情をどこかで見たことがあるなと思い、私はすぐに気がついた。ルリも時々こんなふうに私を見るのだ。
「父にそう言われてから数年したある日、急に気がついたんです。あれはただの個人的な意見に過ぎないと。なのにまるで魔王の呪いのように感じていたのは、私自身がまだ未熟だったからなんでしょうね。父の小言など気にせず、好きなように本を読んでいいんです。自分に与えられた自由を享受すべきです。だから私の座右の銘は」
 私は隼人を見た。
「……人の意見に左右されるな」
 隼人がセリフの続きを引き取ってくれて、私は微笑む。隼人も少し笑い、ガムシロップを多めに入れたアイスコーヒーを美味しそうに飲む。
「それから、ひとつお詫びしなければ。今まで散々、ハヤトやヨリタカに武士の定義を迫っていたわけですが……そう簡単ではないことが、よくわかりました」
 軽く頭を下げると、隼人は意外そうに「どうしたのですか」と聞く。
「少し前、ルリに聞かれたのです。紳士とはなにか、と」
「紳士」
「ええ。ちっともうまく答えられませんでしたよ。その時、やっと気がついたんです。『定義』とは動かないもの。けれど『人』は常に揺れ動き、変化していく。現代武士は、まさしく今を生きる『人』ですからね。それを定義しようというのは、そもそも無茶なのです。なんでも定義づけたがるのは私の悪い癖で……。そうしないと、不安なんでしょう」
「不安?」
「この世の中は、わからないことが多すぎますから」
 アイスコーヒーは甘いが、私の笑みはいささか苦い。
「わからないことに名前をつけたところで、それを知ったことにはなりません。それでも多少は安心できるんです。名前が決まってしばらくすると、また不安になって、今度は詳しく定義づけたくなる。私も若い頃はそんな理屈ばかりを追いかけて、疲れ果ててましたからねえ。とっつきにくく、情緒不安定で、嫌な奴でしたよ」
「アンソニー殿が情緒不安定……想像しにくうございますな」
「そうですか?」
「いつも落ち着いて見えますので」
「ははは。見栄っ張りなのです」
「確かに、世の中にはわからぬ……いことが、多いです。しかし」
 カラカラと、隼人がグラスの氷を混ぜる。
「私は、己のことが一番わかりませぬ」
 もうアイスコーヒーの残っていないグラスを見つめて、隼人はなにかを諦めたような……けれどそれを悟られまいと隠す笑みを浮かべて、そんなふうに言った。

 甘いアイスコーヒーに癒されたあと、荷物を抱えて私たちは帰途についた。
 駅から伊能家に向かって歩いていると、後ろから誰かの「えっ、あれっ、若さん?」という声がする。振り返ると、自転車で近づいてくるのは近隣の派出所に勤務している顔見知りの若い警察官だ。たしか名前は……。
鹿しま殿」
 そう、鹿島くん。そらのおじいさんが姿を消した時も、なにかと力になってくれた青年だ。最近知ったのだが、隼人と同じ中学の出身で、ひとつ先輩らしい。
「やっぱり若さんだった。そんな恰好してるからわからなかったよ。アンソニーさんが一緒に歩いていたから、もしかしてとは思ったんだけど」
「それ……お……わ……俺に、なにか?」
 隼人が一人称に迷いながら聞くと、だいぶ慌てた様子で「今、家に行こうと思ってたんだ。若さんの携帯繫がらなかったから」と言う。隼人がスマホを出してみると、よくあることだが電池切れになっていた。
「今すぐ、一緒に駅前の郵便局に行ってくれないかな。せきさんが詐欺に遭いかかってる」
「小関さんが?」
「うん、まず間違いなく特殊詐欺だと思う。でも小関さん、相手の言うこと信じ込んじゃってて、どうしてもお金を下ろすって聞かないんだ。窓口担当も止めようとしたんだけど、すっかり興奮してて……血圧も高いのに、心配だよ。でも、若さんの話ならきっと聞いてくれるんじゃないかって」
 小関さんという名前だけは聞いたことがあった。九十に近い高齢のご婦人で、ひとりで暮らしているそうだ。足腰はまだ問題ないが、認知機能に衰えが出ているらしい。もともと頑固で好き嫌いの激しい性格だったようで、時折近隣トラブルが起きる。そうなると派出所から、隼人に出動要請が入るわけだ。若く凜々しい武士は、古関さんのお気に入りなのである。
「そ……俺は、もう武士をやめたのです」
「へっ?」
「二日前に、協会に脱退の書類を出しました」
「えっ、じゃあもう俺たち、若さんになんか頼んじゃダメなの? 今一緒に小関さんを助けに行くっていうのもまずいわけ?」
 焦った様子の鹿島が、なぜか私に救いを求める目を向ける。確かに隼人が武士をやめた以上、現代武家制度で定められた、地域警察への協力義務はなくなるはずだ。派出所の留守番役などもできないだろう。けれど今回の場合は……。
「武士であるかはさておき、住民として、犯罪を未然に防ぐのはよいことなのでは」
 私が言うと、鹿島が「ですよね!」と激しく頷く。
「一緒に行ってもらえないかなあ。今の、その、同じ地域の住民としての協力っていうか、そういう形で。うん、そうだよ、べつに武士じゃなくていいんだし!」
 鹿島は自転車をスタンドで固定すると、奪うように隼人の荷物を持った。
「武士じゃなくて……いい?」
「いい、いい。ぜんぜん問題なし! 若さんならいいんだ。小関さん、このままじゃ犯罪者に送金しちゃうよ。すぐに相手口座を凍結したとしても、どうせ犯人たちの名義じゃないし、もし犯人が捕まってもお金が返る保証なんかない。緊急だから、このチャリ乗ってって!」
「……わかり申した」
 隼人が自転車のハンドルをグッと摑む。
「地域住民として、協力いたす」
「お願いします!」
 荷物を抱えた鹿島が頭を下げる。
 隼人は自転車のスタンドを蹴り上げ、サドルにまたががった。力強く踏み込むと、こちらを振り返ることなく、風のように走っていく。どんどん小さくなるその姿を、私は見送った。自分のやるべきことを見つけた時、隼人はさながら一陣の風だ。その迷いのなさはとても美しい。
「ああ、よかった……」
 鹿島はあんしながら言い、
「それにしても、買いましたねえ」
 ユニクロの袋をガサガサ抱え直しながら、そう続けたのだった。
 三時間ほどして帰ってきた隼人の報告によれば、小関さんは詐欺被害に遭わずにすんだそうだ。それを聞いて私も胸を撫で下ろす。
「よかったですねえ」
「もう長く会っていないおいっ子をかたる電話があったようです。なかなか手が込んでいて、すっかり騙されてしまったご様子」
「あの手の詐欺はどんどん巧みになっているらしいですね。でも、小関さんが隼人の説得に応じてくれてよかった」
「説得といいますか……」
 小関さんは、まず隼人の洋装を見てかなり驚いたらしい。
 どうしたんだい、と聞かれた隼人は、武士をやめることにしたと答えた。小関さんはますます驚き、理由を聞いたそうだ。隼人は小関さんをATMの前から、郵便局の長椅子に誘い、正直に打ち明けたそうだ。
 ──実のところ、自分が武士でいる意味がわからなくなり申した。
 ──だってあんたは、ちいちゃい時から侍だろう?
 ──そうなのです。幼き頃からそうでしたので……長じた今、己がそうである必要が、さっぱりわからなくなってしまい……。
 小関さんは、落ちくぼんだそうぼうで、隼人をじっと見つめたという。可哀想な子供を見るような目だったそうだ。
 ──私はあんたのじいさんのことを、昔から知ってた。一途でないい人だったけれど……あんたへの躾けはちょっと行きすぎなんじゃないかと思ってた。本当のことを言えばずっとそう思ってた。だからばあさんに、言ったこともあるんだよ。ほどほどにしたほうがいいんじゃないかって。だけどあの人はおとなしい女だったから……じいさんには逆らえなかったんだねえ……。
 そんなことを話し始めたという。
 ──あんたはよく、泣きながら素振りをさせられてた。つらそうだったよ。きっといつか、侍なんかにならないって、言い出すだろうって思ってた。でもあんたはずっと頑張ってたね……父親も母親もいなくなっても頑張ってた。いなくなったから頑張ってたのかもしれない。そうだとしたら可哀想なことだ。本当に可哀想なことをした……ごめんよ、ごめんよ……。
 謝られて隼人は慌てたという。そして、自分が幼い頃、小関さんが時々家にやってきたことを思い出したそうだ。祖母とお茶を飲んでいただけだったが……様子を見に来てくれていたのかもしれない。
 ──やめていいよ。もうやめていい。
 涙ぐみながら小関さんは言った。
 ──あんたが侍じゃなくなっても、たまにうちに来てくれるかい。
 ──もちろんです。
 ──ありがとう。あんたはいい子だ。侍じゃなくったっていい子だ。
 隼人たちがそんな会話をしてる間に、郵便局職員たちの尽力によって、古関さんの本物の甥と連絡が取れた。小関さんは甥と電話で話したが、その頃には自分が詐欺に遭いかけていたことも半分忘れていたようだ。記憶力の弱った高齢者を狙う詐欺は、実に許しがたい。
 隼人は小関さんを家まで送り、固定電話の留守番機能をセットし、使い方を紙に書いて、電話機の横に貼ってきたそうである。
「……我が家も、以前そうしていたのです。祖父が最近の電話は不親切だと怒りだしたので……」
 懐かしむような声に、微かな笑みを浮かべて隼人は言った。
 けれど、その笑みは数秒も持たずに消えてしまう。懐かしい思い出を、つらい思い出がねじ伏せてしまったかのように──すぐに消えてしまったのだ。

#5-6へつづく
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