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連載

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」 vol.23

宮部みゆき毎日連載!「〈みっちゃん〉を忘れられない夫や義母、義妹に……」『ぼんぼん彩句』全6篇を無料公開中。「鶏頭」#4

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」

宮部みゆきさんから、外出自粛で書店に行くこともままならない読者の皆様のためにサプライズプレゼント! 月刊「俳句」で不定期連載している『ぼんぼん彩句』という短編6作品をWEB上で期間限定で無料公開します。俳句をモチーフに宮部さんが創造した物語たちは、物語が終わった後に、再度モチーフとなった俳句を読むと最初とはガラリと印象が変わるという仕掛け付き。毎日連載でお届けしますので、ぜひ「STAY HOME」週間を楽しんでくださいね。



>>「鶏頭」第3回へ

 今日は本当に驚いた。
 智之君の奥さんに、まさかこんな形で会うことになるとは。
「突然お訪ねして、失礼は重々承知しております。申し訳ありませんが、どうしても滝口さんにお目にかかり、教えていただきたいことがありまして」
 きちんとスーツを着て、使い込んだ大きな革のバッグを持っていた。どこかに勤めているんだ、智之さんのところは共働きなんだなと思ったら、司法書士だとは。
 名刺を出しながら、落ち着いた口調で話してくれた。
「今は野方知花ですが、これから離婚の手続きに入りますので、すぐ旧姓に戻る予定です。子供はわたしが引き取って、今はこちらの市内に住んでいる両親も一緒に、東京へ帰るつもりでいるんです」
 知花さんのご両親はもともと東京の方で、こちらには、彼女が高校生のとき、お父さんの転勤で移ってきて、そのまま住みついたのだそうだ。
「父がこちらの支社長になって落ち着き、わたしも地元の大学に進んだので、ずっと暮らしてきました。この町の雰囲気は今でも好きなのですが、もう未練はありません」
 わたしは智之君の結婚式に招待されなかったし(そもそも結婚式を挙げたかどうかも知らない)、何かしら野方家から挨拶があったわけでもない。知花さんとは初対面なのに、いきなり離婚の話をされて、目を白黒するばかりだった。どうしよう、この人も秋美さんみたいだったらちょっと困る――
 でも、幸いなことに知花さんは常識人だった。わたしの困惑をちゃんとわかっていて、しきりと謝罪しながら、順を追って話してくれた。
 智之君とはこの町で知り合い、その実直な人柄に惹かれて、知花さんは結婚した。
「最初のころは、何も気づかなかったんです。自分の方に貯金がないから、結婚式は挙げられない、親族顔合わせの食事会で我慢してくれと頭を下げられたときも、見栄を張らない正直な人だと思いました」
 結婚して最初の夏休み、つまりお盆だ。智之さんの実家へ二人で行き、家事を手伝ったりするうちに、知花さんには不審に思えるやりとりが始まった。
「夫も、野方の両親も義妹も、しきりと〈みっちゃん〉という人の話をするんです」
 お盆だからみっちゃんも帰ってくる。みっちゃんの好きなマスカットを買ってきた。みっちゃんがお祭りに浴衣を着たときの写真を出しておこう――
「あんまり懐かしそうに話しているので、わたしが知らされていないだけで、夫には亡くなった姉か妹がいるのかと思いました」
 そこまで聞いただけで、わたしには事情が吞み込めてきた。
「それ、うちの娘のことです」と、わたしは言った。
「名前はみちると申します。智之さんの同級生でね。あのころは今ほど人口が多くなかったから、子供も少なくて。幼稚園も小学校も中学校も、みんな同じところへ行ったから」
 同級生になった。ただそれだけの話だ。
「高校一年の六月に、通学の途中で飲酒運転の車にはねられて、娘は亡くなったんですけれども」
 高校は智之さんとは別々だった。妹の秋美さんは、みちるが受かった高校を目指すと言っていたけれど、不登校になって、受験さえしなかったようだ。
「うちとしては、親のわたしも娘本人も、それほど野方さんと親密だった覚えはありません。でも、あちらの受け止め方は違っているようで。特に秋美さんがね。みちるを惜しんで、懐かしんでくださる気持ちは有り難いのですが、なんだか時間を止めてしまっているようで、申し訳ないような心配なような」
 知花さんは身を乗り出してきた。
「やっぱり、滝口さんのおうちでは、それくらいの認識だったんですね」
 やっぱりと言う語気が荒い。食いついてくるようだ。
「智之さんとみちるさんが付き合っていたとか、将来的には結婚を約束していたとか、そんな事実はないんですね?」
 まさか。わたしは強く否定した。
「ありません。ただの同級生ですよ。高校に入ってから、娘は気になる男の子ができたと話していましたし、智之さんとは何もありませんでした」
 わたしたちは仲良し母娘で、いつも夫にうるさがられるほどよくおしゃべりをしていた。娘の気持ちなら、わたしがいちばんよく知っていた。
「でも、野方の家ではそういうことになっているんです」
 知花さんは言って、真っ直ぐにわたしの目を見た。怖いほど真剣な眼差しだ。
「夫も義母も義妹も、今でもみちるさんのことばかり考えているんです。折々に思い出を語り合い、みっちゃんならああしたろう、こうしたろうと、楽しそうにさえずっています。わたしや息子の前でも、本当はみっちゃんの花嫁姿を見たかった、みっちゃんの子供なら可愛かっただろうなんて、平気で言うくらいですよ」
 まあ、何てこと。
 わたしは言葉に詰まってしまった。
 娘を失った悲しみに、わたしたち夫婦は長いこと打ちひしがれて、立ち直ることができなかった。夫婦仲も危うくなり、夫が家を出ていた時期もあったほどだ。わたしも、友人たちに励まされて書道教室を続け、弟子や生徒さんたちに囲まれる日々を送っていなかったら、どこかで気力が尽きて、みちるの後を追っていたんじゃないかと思う。
 夫とわたしにとって、亡き娘の思い出はかけがえのない宝物だ。夫婦二人でそれを大切に守ることで、どうにかこうにか支え合って生きてきた。親戚ですらない赤の他人をかまっている余裕などなかったから、たまに妙な噂を耳にしても、それで忠告してくれる人がいても、深くは気にとめなかった。
 ――野方さんの家では、今でもみっちゃんみっちゃんって、みちるちゃんの話をしてるみたいよ。
 ――そんなに仲良かったっけ? 特にあの妹さん、引きこもりみたいになっちゃったし、ちょっと変な感じがする。

(つづく)

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