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連載

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」 vol.1

宮部みゆきの小説を毎日連載! 俳句と短編小説の異色コラボ『ぼんぼん彩句』全6篇を30日間無料公開!「枯れ向日葵」#1

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」

宮部みゆきさんから、外出自粛で書店に行くこともままならない読者の皆様のためにサプライズプレゼント! 月刊「俳句」で不定期連載している『ぼんぼん彩句』という短編6作品をWEB上で期間限定で無料公開します。俳句をモチーフに宮部さんが創造した物語たちは、物語が終わった後に、再度モチーフとなった俳句を読むと最初とはガラリと印象が変わるという仕掛け付き。毎日連載でお届けしますので、ぜひ「STAY HOME」週間を楽しんでくださいね。

宮部みゆきさんからのメッセージ

電子書籍版『ぼんぼん彩句』 特別配信のご挨拶を申し上げます

 初めまして、宮部みゆきと申します。時代小説やミステリーを書いている作家です。電子書籍の世界ではほとんど作品を配信しておりませんので、このたび初めてお目もじする皆様も大勢いらっしゃると思います。どうぞよろしくお見知りおきのほどをお願いいたします。
 いつも紙の本の拙著をご愛読いただいている読者の皆様、こんにちは! 今日はウェブ上でお会いすることになりました。紙の本の新刊も準備中なのですが、この配信では、そちらとは別のシリーズ『ぼんぼん彩句』の短編6作をお目にかけたいと思います。

『ぼんぼん彩句』ができるまで
 エンタテイメント小説以外の文芸作品にはほとんど目を向けることのなかった私が、思いがけず俳句に興味を抱くようになったのは、倉阪鬼一郎さんが編まれた俳句アンソロジー『怖い俳句』(幻冬舎新書 平成24年9月)がきっかけです。「俳句という形式で語られる怪異」が目を瞠るほど新鮮で、強く心を揺さぶられました。
自分も俳句を作ってみたい。そう思って、仕事で長いこと親しくしている方たちに相談してみますと、それは楽しそうだ、句会をやってみましょうと、たちまち話がまとまりました。私がいちばんの素人で、実は編集者さんたちには経験者が多く、最初からいろいろ教えてもらうことができたのは、とても恵まれていたと思います。
こうして、3ヵ月に1度ぐらいのペースで句会(と打ち上げの楽しい宴会)を開いていたのですが、一生懸命(ヘボな)怖い俳句や怖くない俳句をひねり続けているうちに、私はもう一つ欲が出てきました。
 俳句を素材に短編小説を書きたい。
 俳句は、言葉で一瞬の情景を切り取ります。言葉による写真と言ってもいいでしょう。
 1枚の写真を題材に短編小説を書くように、一つの俳句を素材に短編小説を書けないか。
 というわけで、句会のメンバーの皆さんの作品を頂戴し、書き始めたのがこの『ぼんぼん彩句』という短編シリーズなのです。
 ちなみに、タイトル『ぼんぼん』は、俳句作りには素人、凡手の私たちのこと。『彩句』には、それでも彩り豊かな句をひねりたいと努力しています、という意味を込めました。
 今回ご披露する6つの短編は、初出としては、角川文化振興財団発行の月刊誌『俳句』に掲載されました。この歴史と伝統ある雑誌の購読者の皆様に歓迎していただいたことで、私はいっそう欲が出てしまい、春夏秋冬の季語が入った句をタイトルにして12本の短編小説を集め、単行本化を目指しています。
 とはいえ、そこまではまだまだ時間がかかる。ならば、雑誌とは違う形で今一度、多くの読者の皆様に、『ぼんぼん彩句』をご披露してみたい。私のわがままな思いつきを、KADOKAWAの担当部署の皆さんがかなえてくださいました。
 今年は、いつもとはまったく違うゴールデンウィークになりました。俳句と短編小説のコラボが作り出す小さな世界が、皆様にちょっとした気分転換をお届けできるとしたら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
 どうぞ、ゆっくりとお楽しみくださいませ。
 STAY HOME SAVE LIFE

 2020年5月1日 宮部みゆき



1 枯れ向日葵

枯れ向日葵呼んで振り向く奴がいる

 経路図を見もせずに、アツコは来たバスに乗った。ハローワークのすぐ近くにある、いつもは傍らを通り過ぎるだけだったバス停から、車体の横っ腹に赤い二本線の入ったバスに乗った。馴染みのない整理券・後払い方式で、前方にある料金表示パネルには二百円から千八百円までの数字が並んでいた。
 九月の第一金曜日、午後二時を過ぎたばかりだった。雲は多いのに、その隙間から照りつけてくる日差しは真夏のそれだ。赤信号で停車した交差点にガソリンスタンドがあって、軽油、レギュラー、ハイオクの本日の値段の掲示の下に、現在の気温が表示されているのが見えた。三十三度二分だった。
 バスはいていた。乗客はぱらぱらと散って座っている。最後列の左端に腰掛けて窓ガラスに額を押しつけると、車体の震動で頭が揺れた。エアコンが利いていて汗が引き、すぐに肌寒いほどになった。
 仕事を辞めたのは二月半ばのことだ。花束をもらい、皆の笑顔と拍手で送り出してもらったあの日は霙が降っていた。外に出ると、バラとかすみ草のアレンジメントを包んだ透明なシートに氷雨があたって軽い音をたてた。タクシー乗り場まで傘をさしてきてくれた同僚が、ジューンブライドは素敵だけど梅雨時だから挙式の日も雨かもしれない、ガーデンウエディングはやめといてねと言って笑った。
 うん、ちゃんと考えてるよと返してアツコも笑った。それから一ヶ月ほど後、婚約者が訪ねてきてアツコの目を見て、結婚を取りやめにしたいと言ったのだった。
 車内に流れるアナウンスは女性の声だった。アツコが毎朝見ているNHKの天気予報コーナーに出てくる気象予報士の声に似ていた。本人が副業をしているのかもしれないと思うほどにそっくりだった。気象予報士はNHKの職員ではないのだろうから、副業をしても問題はあるまい。というかそもそも副業ではないのか。どちらもギャラの発生する本業なのか。
 乗客は少ないのに、バスは停留所を一つも飛ばさず、いちいち停まってドアを開閉した。誰かが降りるときもあれば、誰かが乗ってくるときもある。狭い市道で対向車線のバスとすれ違うと、運転手は白手袋をはめた手をあげて挨拶を交わし合う。アツコは両手の人差し指が長く、ウエディングドレスはすぐ決まったのに、白手袋だけはなかなかぴったりするものが見つからなかった。バスの運転手もそんなことで困ったりしないのだろうか。世間のあらゆる〈白手袋をはめる職業〉の人々は、そんなことで困ったりしないのだろうか。
 婚約者とは三年間交際していた。アツコが自分はきっとこの人と結婚すると感じたのは、その二年目の末のことだった。残業が終わって連絡すると、彼もちょうど日帰り出張から戻って駅に着いたところだというので、遅い夕食を一緒にとるために待ち合わせをした。行きつけのレストランで、洒落たウエイティングバーがあった。
 アツコの方が着くのが遅かったので、窓ガラスの向こうにカウンターのスツールに座った彼の姿が見えた。シェリーのグラスを前に、大真面目な顔で、スツールの足かけに両足を揃えて乗せていた。一生懸命大人のふりをして丈の高いスツールにとまっている小学生の男の子のように見えた。そうしてアツコはこの人が本当に小学生の男の子だったころのことを知らないのだと気づき、この先の人生ではこの人のことを全部知りたいと思った。
 それからまもなくプロポーズされて承諾した。彼もあの夜、バーカウンターのスツールで、アツコと結婚しようと考えていたのだと話してくれた。だから大真面目な顔をしていたのね。そうじゃなくて断られたらどうしようと思っていたんだ。
 どちらも実家が遠いので、まずはそれぞれの両親に挨拶を済ませ、慌ただしく挙式の準備を始めた。結婚後の生活設計については真剣に話し合った。早く子供がほしい、二人はほしいよねと意見が一致すると、自然と選択肢はしぼられてきた。婚約者の仕事は激務だし転勤もあるけれど、福利厚生が手厚い。アツコはキャリア志向がなく、薄給だし、仕事も特別なスキルを要するものではなかった。彼が会社から受けられる各種手当ての恩恵に比べたら、アツコが今の会社に勤め続けることに拘る理由は見つからなかったから、寿退社しようと決めた。二人の暮らしが落ち着いたらパートを探し、妊娠出産まで働けばいいと話し合った。
 何度も見かけていたはずのバスなのに、ちゃんと表示を見たことがなかった。乗ったときも確認しなかった。このバスはどこ行きなのだろう。市道から国道へ出ると、高速道路の入口を示す表示板が見えてきた。路線バスで千八百円の料金を払うと、どれぐらい遠くまで連れていってくれるのだろうか。アツコがもう戻ってこなくてもいいところまで運んでいってくれるだろうか。
 婚約者の実家は南国の観光地にあって、両親は地元の食材を用いた料理屋を営んでいた。彼は次男で、長兄とその妻が店を手伝っていた。大学から東京に出て名の通った企業に就職した次男坊を両親は自慢にしており、プロの技に裏打ちされた家庭料理でアツコをもてなしてくれた。長兄夫婦も最初から愛想がよく、婚約者の子供時代の思い出話をたくさん聞かせてくれた。
 アツコの両親への挨拶もつつがなく済んだ。顔合わせの場では、彼よりも両親の方が緊張していた。アツコの父親はすぐに彼を気に入ったようで、さかんに酒を勧めて飲ませ、自分が先に酔って潰れてしまった。アツコは一人娘なので、結婚話は嬉しいけれどやっぱり寂しいのだと、母親が目をうるませていた。

(つづく)

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