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連載

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」 vol.20

宮部みゆき毎日連載! 5作品目「鶏頭(けいとう)」#1スタート。書籍未収録の『ぼんぼん彩句』全6篇を無料公開中

宮部みゆき「ぼんぼん彩句」

宮部みゆきさんから、外出自粛で書店に行くこともままならない読者の皆様のためにサプライズプレゼント! 月刊「俳句」で不定期連載している『ぼんぼん彩句』という短編6作品をWEB上で期間限定で無料公開します。俳句をモチーフに宮部さんが創造した物語たちは、物語が終わった後に、再度モチーフとなった俳句を読むと最初とはガラリと印象が変わるという仕掛け付き。毎日連載でお届けしますので、ぜひ「STAY HOME」週間を楽しんでくださいね。

>>「枯れ向日葵」
>>「蜥蜴の子」
>>「月」
>>「薔薇」



5.鶏頭(けいとう)

鋏利し庭の鶏頭刎ね尽くす

 正午過ぎ、仕事先から事務所に戻る途中で、夫の実家の前を通った。つば広の帽子の上から手ぬぐいを巻きつけ、両手に長手袋をはめるという恰好で、義母が庭いじりをしているのが見えた。縁側に置いたポータブルラジオから、NHK第一放送の「ひるのいこい」のテーマ曲が流れている。
 義母はわたしの車に気づかず、わたしもスピードを緩めずに、そのまま通り過ぎた。
 義母はガーデニングが趣味である。夏休みに入ったばかりのこの時期、庭には日々草やアマリリスが咲いている。けっこうな広さのあるこの庭は、夫が子供のころは駐車場兼農具置き場だったのだそうだ。二十年ほど前、夫の実家が農業をやめ、義父が駅前の繁華街で居酒屋を営むようになってから、義母が少しずつ庭造りを始めて、今のような美しい眺めをつくりあげた。
 八年前、わたしが夫に連れられて初めてこの家を訪ねたのは四月の半ばで、庭には芝桜と沈丁花が咲いていた。その美しい景色とかぐわしい香りに、当時は頭のなかにも花を咲かせていたわたしは、義母の手入れしている花々がわたしたちの幸せな結婚を祝福してくれているような気がして、胸がいっぱいになったものだ。
 それは悲しい勘違いだった。
 夫とわたしは、夫の友人の紹介で知り合った。夫は地元の機械メーカーのサラリーマン。当時のわたしは、今も勤めている事務所で時間給の事務員として働きながら、司法書士の資格を得るために勉強していた。
 当時も今も、夫は真面目でおとなしい人だ。骨惜しみせずに働き、めったにグチもこぼさない。お酒は付き合い程度で、ギャンブルは嫌い。あまり身の回りにかまわず、もさっとしている。付き合い始めてすぐに、彼が生まれてこのかた理容室にも美容院にも行ったことがなく、髪は母親にカットしてもらっていると聞いて、正直わたしはちょっと引いてしまい、これからは少しお洒落をしてよと勧めた。一緒に買物に行き、よさそうな理容室を見つけて連れて行ったりもした。
 交際二年で結婚し、一年足らずで息子を授かった。わたしが育児に気をとられているうちに、夫はまた身の回りにかまわなくなり、義母に髪のカットを頼むようになった。それっきり、二度と理容室に行くことはなかった。
 たったそれだけのことだけれど、わたしたちの結婚生活の齟齬が、ここによく表れていると思う。
 代々の家業だった農業については、そもそも義父は継ぎたくなかったそうで、やめるときに揉めることはなかった。宅地開発が進んでいるところなので農地もすぐ買い手がついたし、義父の念願だった居酒屋の経営も順調だから、問題はない。親戚筋にはうるさい年配者もいたようだが、今ではみんな鬼籍に入っている。義父母は好きなように暮らし、人生を楽しんでいる。
 いわゆる嫁いびりをされたことはない。いびってやろうというほどに、義父母はわたしに関心を持っていないのだ。孫であるわたしたちの一人息子についても、疎んじることはないが可愛がってもくれない。
 夫にはずっと好きな女の子がいて、義父母も、夫の二歳下の妹――わたしにとっては小姑である義妹も、その女の子と夫が結婚することを望んでいたなんて、わたしには知るよしもなかった。結婚前も結婚後も、夫の家族との付き合いのなかで、わたしがその女の子の名前をちゃんと耳にすることはなかったし、いまだに写真さえ見せられたことがない。
 それは夫の一家四人だけの秘密だった。わたしにはその一端を窺わせる必要などない夢と理想だ。わたしと息子は、それを打ち消す身も蓋もない現実でしかない。
 それならなぜ、夫はその女の子と付き合い、結婚しなかったのか。
 答えは簡単だ。彼女は十五歳のときに交通事故で亡くなっているからである。

 今日はみっちゃんの月命日だ。
 みっちゃんはミモザの花が好きだった。うちの庭にもお母さんが植えているけれど、あれは春の花だから、この季節にはみっちゃんに供えることができない。
 今朝、庭からアマリリスを何本か伐ってもらって、お店に行く前に、みっちゃんのうちを訪ねた。みっちゃんのお母さんは、今も自宅で書道教室をしている。夏休みなので午前中から生徒たちが来るから、邪魔にならないよう朝のうちに行ったのだけれど、ちょっと早すぎたのか、みっちゃんのお母さんはまだ寝ぼけたような顔をして玄関に出てきた。
「秋美さんは、毎朝こんな早くにお店に出るの?」
「ランチタイムの定食の仕込みがありますから」
「そう。お店は評判がよくて、このあいだテレビで取り上げられたんですってね」
「ケーブルテレビだから、大したことありませんよ」
 みっちゃんのうちにはちゃんとした仏間があって、立派な仏壇が据えてある。そこにアマリリスを供えて手を合わせ、麦茶をいただいて、みっちゃんのお母さんと少しおしゃべりをした。
「おうちの皆さんはお変わりないですか」
「はい、みんな元気です」
「智之君の子供さんも大きくなったでしょう。今年から学校だったかしら」
 お兄ちゃんの子にはお正月しか会わないので、あたしはよく知らない。人見知りな子で、可愛げもないのだ。今年の元日にうちへ来たときも、ずっと義姉の背中に隠れていて、ろくに口もきかなかった。
 お兄ちゃんがみっちゃんと結婚して、可愛い子供ができていたなら、あたしもいい叔母さんになれたはずだった。みっちゃんが死んでしまって、いろんな夢が全部壊れた。
 義姉は司法書士で、県内でも指折りの大きな事務所で働いている。お兄ちゃんがいなくたってちっとも困らないんだろうに、どうして早く離婚しないんだろう。そもそもお兄ちゃんも、どうしてあんな女と結婚したのか気が知れない。
 話を逸らしたかったから、あたしは仏壇の写真に目をやった。
 みっちゃんのお母さんは、みっちゃんの遺影のほかに、いろいろなスナップ写真を小さな額に入れて、仏壇のなかに飾っている。写真はときどき入れ替わる。
「これ、四年生の遠足のときですよね」
 バスで郊外のキャンプ地へ行き、飯ごうでご飯を炊いて、大鍋でカレーを作ってみんなで食べた。この写真はみっちゃんのところだけトリミングしてあるけれど、隣にはお兄ちゃんが写っているはずだ。うちのアルバムにも同じ写真が貼ってある。
「そうなの。楽しそうな顔してるわよね」 
 おしゃべりしているうちに、みっちゃんのお父さんが仏間に顔を出した。あたしが挨拶すると、朝刊を手に持ったままどこかに行ってしまった。
「それじゃ、うちもこれから朝ご飯にするのでね。お参りしてくれてありがとう」
 みっちゃんのお母さんに玄関まで見送ってもらい、あたしは自転車をこいでお父さんの店に出勤した。お父さんはまだ寝ていたので、一人で掃除に取りかかった。
 あたしとみっちゃんは、幼稚園のときからの仲良しだった。みっちゃんはあたしを妹みたいに可愛がってくれたし、あたしもみっちゃんが姉さんだといいなあと思っていた。
「いつか智之がみっちゃんと結婚すれば、あんたたちは本当の姉妹になるよ」
 うちのお母さんも、もう思い出せないくらい昔からそう言ってたんだ。
 なのに、酔っ払い運転のバカ男のせいで、みっちゃんは死んでしまった。今年で十九年目になる。あたしは一日だってみっちゃんのことを忘れた日はないし、お兄ちゃんもそうだ。命日や月命日はいっそう辛い。床のモップがけをしているうちに、涙が出てきた。

(つづく)

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