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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.57

【連載57回】東田直樹の絆創膏日記「僕のもやもや」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載56回】東田直樹の絆創膏日記「「これくらい」ってどれくらい」

 人が考えつかないアイデアは、どこから湧いて来るのだろう。
 頭のいい人が、すごいアイデアを持っているとは限らない。なぜなら、アイデアというのは、ひらめきによって思いつくものだからだ。今までに、誰にも思い浮かばなかったひらめきが、すばらしいアイデアとなり、人々から賞賛を得る。
 アイデアがひらめくために必要な条件は、何かを熱心に勉強することだけではないような気がする。
 確かにアイデアは、考えることによって生み出されるものだが、その思考に影響を与えるものは、これまでの経験ではないだろうか。
 自分だからこそ出来た体験が、誰にでもある。自分自身の五感を通して蓄積された知識や感性が、ある時、花開く。
 花は、いつ咲くのかわからない。アイデアも、いつ浮かんで来るのか予想出来るものではない。
 アイデアの種そのものは、頭の中に、たくさん埋まっているものだと思う。
 すぐにいいアイデアが浮かばないからといって、がっかりしなくても大丈夫。
 お日様の光を浴び、栄養満点の食事をして、自分を大事に育てていけば、きっと、花咲く日は来るだろう。
 うまくいくか、いかないかは結果なのだ。
 花びらが開花する時、音はしない。花は、咲くべき時に咲くのである。
 アイデアは、いつひらめくか、わからないところに夢がある。
「だめだ、だめだ」と思っていた次の瞬間に、ぱっとアイデアの花は開くに違いない。

「静かにしなさい」と僕はよく怒られる。
 静かに出来ない僕が、こんなことを言っては何だが、周りの人も結構うるさいと思う。
 会話が苦手な僕と比べ、みんなはぺらぺらと際限なく喋り続けていることがほとんどである。
 言葉にどれだけ自分の思いを込めているのか、それは、言葉数ではわからない。そして、会話から得られるものは、喜びだけではない。話すことによって、日々人は傷つき、人を傷つけているからだ。
 僕は、奇声を上げたり、意味不明な言葉遊びを繰り返したりして、みんなに迷惑をかけてしまう。でも僕だって、少なからず周りの人の会話に我慢しているのである。
 自己主張の上手な人だけが、偉いわけではないと思う。聞きたくもない話から逃げることも出来ず、意見も言えず、ただそこにいることしか出来ない人の気持ちは、「言えばいいのに」と批判する人には、理解してもらうことは難しいだろう。
 言葉を自由自在に操れる人などいないのだ。言葉は無限に存在するうえ、捉え方もさまざまだ。とてもひとりの人間が思い通りに出来るものではない。
 みんな人の話を聞いているようで、聞いてはいない。聞き流さなければ、大量の言葉を脳が処理できないためだろう。
 僕の声は大きいし、脈絡もない単語が突然口から飛び出す。だから、みんなはいらいらするのだが、みんなの話の内容も聞いていて矛盾だらけで、僕をいつも、もやもやさせている。

 日中の時間の短い冬の日。日照時間の短い日のことを「短日」と言うらしい。同様の言い回しであれば、春は「日永」、秋は「夜長」、夏は「短夜」と表現する。
 僕の住む地方でも、この時期は、夕方5時くらいに日が暮れる。
 夜の時間が長ければ、僕が家にいる時間も自然と長くなる。外が暗くなって出歩く習慣があまりないからだ。子どもみたいだと思われるかも知れないが、子どもっぽいというよりは、夜は出歩かないという大昔から人に備わっている習性が、僕には強く残っているためではないだろうか。
 日が昇れば外で活動し、日が沈めば家に帰る。それが、人の本来の生活なのだと思う。
 夜のとばりが下りる時、僕の一日も終わる。
 同世代の若者たちの中には、夜を徹して仕事をしている人たちや遊んでいる人たちもいるけれど、僕には、とても真似できない。僕の脳と体が、どんな時も規則正しい生活を優先しようとするせいである。
 僕はやりたいことを我慢しているわけではないのだ。夜活動することに、普通の人以上にストレスを感じてしまう。それ故、自宅でいつもの毎日を過ごす方が、気持ちが落ち着くのである。
 冬の夜は長い。一日は24時間だということは変わらないにもかかわらず、何故か少し寂しい気分になる。あれもこれもしていないとやきもきする。そんな心境は、僕も同じである。
 気になりつつも、日暮れと共に今日という日を終了する。それが、僕にとっての自然な一日の営みだからだ。

 自分らしく生きていくためには、どうすればいいのか、悩んだことはないだろうか。
 そんな時には、どうして自分らしく生きたいのか、そう考えるようになったきっかけを、もう一度思い出してほしい。おそらく現状に不満があり、何かを改善したいか、または、よりよい自分になりたいかのどちらかに違いない。
 だとするなら、可能な限り環境を整える、出来るだけ自分自身が向上する、などの努力をすればいいのだと思う。
「自分らしく」という言葉を使うと、自分にしか出来ないことに挑戦しなければならないイメージがある。けれど、この世の中にある仕事や作業の多くは、誰がやっても大きな違いはないものが多い。逆に言えば、代わりの人が、いくらでもいるからこそ、社会は成り立っているのだ。
 では、自分らしくあることには、どのような意義があるのだろう。
 それを考えるために、結果が与える有効性という視点に着目してはどうか。
 そうすれば、自分だからこそ出来ることが、おのずと見えて来るような気がするのだ。
 自分らしくいることで、幸せになる人は誰なのか。
 僕の頭には、自分自身と家族の顔が思い浮かぶ。
 今、幸せな毎日を送れているなら、もう十分自分らしく生きていると断言してもいいのかもしれない。
「自分らしく生きる」とは、自分だけにしかわからない幸せを、身に沁みて感じることだと思うから。


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