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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.48

【連載第48回】東田直樹の絆創膏日記「長袖の不自由」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第47回】東田直樹の絆創膏日記「雨音と雨粒の関係」

 悪口を言う。
 自分が嫌な思いをしたり、何らかの被害にあったりすると、つい愚痴のように、誰かの悪口が出てしまう。悪口を言うことで、自分の気を晴らしたいのだろう。多かれ少なかれ、みんなが経験することだと思う。この反対に、誰かに悪口を言われることだってある。
 自分と関係のない人への悪口は、社会に対する批判や意見の表出なのかもしれない。悪口を言って他の人の反応を見る。自分と同じような意見があれば安心するし、なければがっかりする。
 悪口というのは、気持ちのはけ口なのだ。
「人の悪口を言ってはいけない」と学校で教えられたが、悪口ではなく批判なら、注意は受けない。だが、そうなると、批判された人も黙ってはいない。意見の違いは戦ってこそ生きて来る。ただし、戦っている内に、批判か悪口か、区別がつかなくなる場合も少なくない。
 悪口に対する対応は難しい。
 悪口を言われた人は、反撃すべきなのか、我慢すべきなのか。
 学校の先生は悪口を言う人を叱ってくれたが、悪口を言われた人が、どうすべきかは教えてくれなかった。
 大人になったら、悪口を言う人を叱ってくれる先生は、もういない。自分で何とかするしかないのだ。
 子どもの時、学ぶべきことは、悪口に対して、どのように対処すべきかを知ることだったのではないだろうか。
 生きるためには処世術が必要なのに、それを学ぶ場は、実社会にしか用意されていない。

 物事にくよくよしないで、いつも明るい方に考えられる人は、楽天的だと言われる。楽天的の反対語は、厭世的(えんせいてき)である。人生や世の中をはかなむ傾向にあるという意味らしい。
 楽天的な人は、考え方に柔軟性があるのだろう。
 普通なら行き詰りそうな場面でも、逃げ道を探せる。自分を逃がすための抜け道だ。
 生きていれば、さまざまな場面に遭遇する。
 もう、どうにもならないと思う瞬間は、人によって違う。
 楽天的な人は、どんな時にも余裕があるように見える。困難な状況も、楽しむだけの心のゆとりがあるのだと思う。
 僕自身は、あまり楽天的ではないような気がする。どちらかというと、いつも、いっぱいいっぱいである。
 気がつけば、周囲は全部壁だらけ。途方に暮れていると、どこからか手が差し伸べられる。僕は懸命にしがみつく。すると、いつの間にか、元いたところに戻っている感じなのである。
 どうやって戻ったのかは記憶にない。
 本当に必死になっている際には、それほど鮮明な記憶は残らないのではないだろうか。
 直面した現実が重過ぎると、記憶に残す労力さえ惜しくなるからかもしれない。
 今日も生きている。
 それは、自分ひとりの力ではない。誰かのおかげで、僕の道は続いているのだ。

 そろそろ衣替えをしなければいけない。
 すでに秋だというのに、ずっと暑かったけれど、ようやく日中でも肌寒く感じる気温になって来た。
 僕は、長袖が好きではない。元々暑がりなせいもあるかもしれないが、服を着ることそのものに違和感がある。
 長袖だと余計にである。腕の長さが縮んだように感じるからだ。
 僕は自分の手が身体のどの部分についていて、どんな長さなのか、よくわかっていない。
 長袖を着ると、手首まで服に覆われる。すると、手首を強く意識するためか、肩の下に手首がついているみたいな感覚になるのだ。
 僕の腕は、どこにいったのだろう。
 思うように手が使えなくなった感じがして、少しいらいらする。
 こんな時、自分の意思で腕を伸ばして物を取っているのに、誰かに取ってもらったような錯覚に陥ることがある。
「あれが欲しい」と思っている内、それはいつの間にか僕の手元にあるのだ。
 自分で取った自覚があまりない。手が短く感じる分、不自由さが増したような気分がして、もどかしい。
 だから、僕は半袖の方が好きなのである。
 腕は伸ばしたり、曲げたり、自由自在に操作できる。意識して動かすというよりは、無意識の内に動いてくれる。
 無意識に働きかけるには、意識的な訓練が必要なのだろうか。無意識とは、意識の先にあるものなのか。

 僕は興奮している時、わいわいと騒いでしまう。
 大きな声が出る。あちこち動いて止まらなくなる。歩き回りながら跳びはねたり、手を叩いたり、とにかく、じっとしていられないのだ。
 まるで、野生の猿である。自分が何をしたらいいのか、どこにいればいいのかを探しあぐね、結局は元いた場所に戻って来る。
 パニックになっているわけではない。
 パニックと興奮は少し違う。僕の場合、自分がわからなくなるほど不安定になっているのがパニックで、自分を見失ってはいないが、落ち着くことが出来ない状態が興奮だ。
 僕は扇風機の風に当たったり、タオルを噛んだりして気持ちを落ち着かせる。
 興奮し過ぎると、体温がどんどん上昇して、ますます不穏になってしまう。風船が破裂する前みたいに気持ちがぱんぱんに膨らむので、感情が爆発しないよう、僕はタオルを噛むのである。
「イーッ」「グウー」とうなり声を上げタオルを噛み続けると、風船の空気がもれるように、抑えがたかった気持ちが、じわじわと抜けていく。
 落ち着いて来ると、ここにいても大丈夫だと自分に言い聞かせる。
 ぐるりと周囲に目を配る。僕の知っているものばかりだ。安心して立ち止まり、椅子に腰掛ける。騒いでいたのも嘘のように、いつもの僕に戻る。
「どうしてあんなに大騒ぎしたのだろう」とは考えない。その疑問に対する答えを、自分自身は持っていないことを知っているからだ。
 興奮しても、やがて収まる。収まるまでの間、どんな風に時間を過ごすかが、僕の課題である。


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