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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.43

【連載第43回】東田直樹の絆創膏日記「心に新しい空気」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす26歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第42回】東田直樹の絆創膏日記「英語でリセット」

 台風21号が大変な被害をもたらしている。北海道では大きな地震が起きてしまった。どれほどの災害なのか、まだ全容はつかめていない。自然災害が、こんなにも恐ろしいということを、改めて思い知らされた。
 亡くなられた方は、本当にお気の毒だと思う。怪我をされた方々のご回復と、元の生活に戻るための復旧が早く進むことを願うばかりだ。
 瞬時にさまざまな情報が飛び交う時代となり、離れたところに住んでいる人たちにも、すぐに連絡できるようになったにもかかわらず、電気が使えなくなった被災地では、自分が置かれている状況が十分に把握できない。自分の身に一体何が起きているのか、わからないなんて、どんなにか不安だろう。被害の様子が少しずつつかめて来ても、自分が知りたい情報が得られるとは限らない。
 簡単に知りたいことを調べることが出来る状態の方が、特別なのかもしれない。情報は、やりとり出来る環境が整い、発信してくれる人がいて初めて手に入れられるものなのだ。
 一刻も早く助けたい、心配している人々は、その場所に駆けつけたいと心の底から思っている。
 先の見えない恐怖と戦っている人たちにとっての一秒は、想像できないくらいの長い時間であろう。
「まずは、安全を第一に行動してください」
 繰り返しニュースから流れる声が、胸に迫る。
 今の自分に出来ることは何か、それぞれが己に問う。

 昔、よく見ていたコマーシャルをYouTubeで見ることがある。
 懐かしいという感覚はなく、今もどきどき、わくわくしながら、僕は見ている。コマーシャルの内容を全部覚えていても、楽しくてたまらないのだ。
 コマーシャルは、短い時間で強く印象に残るようつくられた宣伝である。たくさんの人が、その映像に惹きつけられるのは当たり前だ。
 どんなコマーシャルに魅力を感じるかは、人によって違う。僕の場合は、これといった好みの系統があるわけではない。最初、目にした時に気に入ると、何度も見たくなるのだ。
 好きだったコマーシャルに、森永製菓のチョコボールのCMがある。
 「クエッ、クエッ、クエッ、チョコボール」というフレーズが、おもしろかった。「クエッ」という音を聞くだけで、僕は笑ってしまう。
「クエッ」という音が「食え」にも聞こえるし、キャラクターであるキョロちゃんの鳴き声にも聞こえる。
 キョロちゃんは鳥なのに、飛んでいる様子を見たことがない。それでも楽しそうに踊っているのが愉快だった。
 チョコボールのキョロちゃんは、かわいい。飛べなくても、チョコボールをみんなに食べてもらうために、いつも明るく跳びはねている。
 キョロちゃんの声と姿から、僕は元気をもらっている。

 もう二度とこんなことはしないと誓っても、また同じような過ちを犯してしまう。人とは、愚かでどうしようもない生き物だと思うことがある。僕だってそうだ。自分が嫌になるような失敗を、何度も繰り返す。
 そんな時、立ち直るためにすることはひとつ。落ち込む自分を見放さないことである。
 本当の孤独とは、自分で自分を見捨てることではないのか。
 真っ暗な闇の中で、ずっと下を向き、感情にふたをして、生きていることそのものを否定し続けるようになれば、そこに、未来という言葉は存在しないだろう。
 自分で自分を見放しては、立ち直るきっかけさえつかめなくなる。
 自分を許すことの出来る人は、気持ちの強い人だ。
「ひとり」は、状況を表しているのに、「ぼっち」がついたとたん、かわいそうで寂しい人というイメージになる。
 自分を支えられるだけの精神力があれば、「ひとり」でも「ひとりぼっち」にはならないはずだ。心がしゅんとしぼんだ時にも、すぐに新しい空気を入れる。すると元通り、普通に呼吸が出来るに違いない。
 新鮮な空気を与えてくれる人がいないなら、自分で自分の心に空気を送り込めばいい。
「大丈夫、大丈夫!」
 大好きな人を励ますみたいにつぶやき、膝を抱えながら、僕は自分を抱きしめる。大きく息を吐き、吸い込む。
 お気に入りの音楽を聴いて、ちょっとだけ泣く。顔を上げると、蛍光灯がスポットライトのように僕の姿を照らしていた。

 トイレが終わった後、水を流す。僕は、便器に流れる水を見るのが好きだ、そんなことを言うと変わった人だと思われるかもしれない。
 便器の水の行方を目で追う。どこから出て来て、どこへ流れていくのか、目が離せない、気になってしかたないのだ。
 水に対する関心の示し方にも、いろいろある。公園で噴水に見とれている人は、ロマンチストで、トイレで便器の水をじっと見ている人は変人だと判断されると心外である。両方とも流水だし、その流れは美しい。
 確かに噴水は、芸術的とも言える線がみごとだ。でも便器の水には、庶民的な親しみを持った楽しさがある。僕にとっては、どちらの水の流れも魅力的に映る。
 噴水も便器の水も、流れる水の速さに決まったリズムがあるうえ、ザーッ、ゴーという音は、さも水が流れているかのような響きがして、爽快さを感じる。
 噴水は、ただ見ることしか出来ないが、トイレの水は、僕が操作出来るのがいい。
 トイレの水を流す行為は、自分で運転する遊園地のゴーカートに似ていると思う。
 僕が便器のレバーを引くとスタート、水が一斉に走り出す。急な坂道も、うねるカーブも問題なく進む。ゴールは、排水のための穴であるトラップだ。そこまで水を見送れば、僕は満足。便器のふたを閉じて操作は終了。
 どのような水も、僕の心を躍らせる。


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