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連載

東田直樹の絆創膏日記 vol.16

【連載第16回】東田直樹の絆創膏日記「思考しすぎる脳」

東田直樹の絆創膏日記

自閉症の僕が 跳びはねる理由』の作家・東田直樹さん。人とは違うこだわりや困難を持ちながら過ごす25歳の日常生活で、気づいたことや感じたことを、初の公開日記で綴ります。思いがけない発想に目からウロコ…!?
>>【連載第15回】「言うことを聞かない体」

 人によって物事に対する捉え方は違う。
 僕自身は、起きた出来事そのものより、そこでの会話が気になる。誰が言い出した話なのか、得をする人は誰かを考える。それから自分に与える影響を分析するのである。まずは、この話を知った自分が、今どういう精神状態になっているかを観察する。心のどこかで喜んでいるならその理由を、悲しんでいるならその訳を、僕は頭の中で文章にしてみる。けれど、どれだけ考えても、自分の気持ちにぴったり合う言葉が見つからないことがあるのだ。
 言葉で表現できない思いこそ、本当の気持ちだと思う。
 僕は、その時の心理状態に近い言葉を、次々に当てはめてみる。でも、見つからない。そのうち、あきらめて、考えることを放り出してしまう。時々気になっては、また言葉を探す。何度も何度も、こうして言葉探しを繰り返すうちに、ある日、これだと思う言葉を発見するのである。
 自分は、こう思っていたのかとわかると、すっきりする。
 気持ちを言語化できると、目の前の霧が晴れたような気分になる。自分が大きな謎を解決した名探偵みたいに思えて来る。
 一番大事なのは、自分の気持ちである。自分の気持ちがわかれば、相手の気持ちも推察しやすい。自分がどう思っているかわからなければ、感情的になるばかりで、建設的に物事を捉えられないと思う。
 自分の気持ちを中心に据え、起きた出来事について再度振り返る。すると、問題点がはっきりして来る。僕が取るべき行動が明確になるのだ。
 心の中がもやもやするという状態が、一番良くない。

 自分の体が疲れているかどうかを、僕はあまり意識できない。顔色が悪いとか、熱っぽいとか周りから言われて、これが疲れている状態だということを知るが、それでも自覚することはない。
 一方で脳が疲れているかどうかは、すぐわかる。
 僕は思考し過ぎる癖があるので、そうなると頭の中が金縛りにあったみたいに動かなくなる。考えようとしても、考えられなくなるのだ。悲しいことがあっても何が悲しいのか、嬉しいことがあっても何が嬉しいのか、よくわからなくなるのである。それは、鬱病と似ていると言う人がいるかもしれない。けれど、体の元気や食欲は失われてはいない。ただ、周りで起きている出来事に対して、思考がついていかなくなるだけである。
 今いる風景の中で、自分だけ消えてしまったみたいに物事が進んでいく。透明人間になった僕は、その時間、別次元にワープしたかのように、自分という人間の実体さえ、どこにあるのかだんだんと認識できなくなって来る。脳に休息が必要だ。
 脳が回復するまでの時間は、数分で済む時もあれば、一晩かかる場合もある。そんな夜は、夢も見ずに、こんこんと眠り続ける。治すために一番効果的な方法は、眠ることだからだ。脳が回復すると、もう一度思考を始める。目が覚めれば、僕は再び自分の姿を、はっきりと感じ取れる。
 僕の脳は、いつもお祭り騒ぎをしている。何をするにもやり過ぎてしまう。些細な刺激に反応したり、これ以上ないくらい舞い踊ったりする。考えることに対しても制限を設けない。だから限界が来ると、脳は外界を遮断して、脳そのものを守ろうとするのだろう。
 僕が自分を守るより先に、脳が僕を守ってくれる。考えてみれば、有り難い話である。

 金メダルを取った選手が、「ここから見える景色が見たかった」と語っているのを、何度か聞いたことがある。
 金メダルを取った後の心境を表現しているのはわかっている。オリンピックという最高の舞台で頂点に上り詰めた勝者だけが味わうことの出来る世界に、みんなは憧れる。
 これ以上にないくらいの達成感。気分は高揚し、何もかもが輝いて見えるだろう。この瞬間が、どれほどの幸福か、僕たちには想像も出来ない。
 人は、生きているうちに何かを成し遂げたいと願う。
 自分が出来なくても、他の人が素晴らしい成果を上げた姿を見た時、心からの賞賛の言葉と拍手を送る。人が人を讃える、美しい光景だ。
 金メダルを取った選手は、とてもいい顔をしている。ようやくここに立つことが出来たとみんなに感謝し、自分ひとりの力では頑張ることが出来なかったとお礼の気持ちを言葉にする。
 金メダルはその人のものだが、自分のことのように喜ぶ人も多い。それは、これほど努力する人が、同じ時代にいてくれることの満足感からではないだろうか。
 生きる勇気は、感動から生まれる。
 一番高い表彰台に上がった選手の目には、何が映っているのだろう。
 大きな山のてっぺんからは、きっと次の山の頂が見えているに違いない。
 頂上からしか手に入れることの出来ない世界、そこは、力を出し切った覇者が休むひと時の安らぎと、次の目標となる新たな希望が抱けることを約束された場所だと思う。

 自分で自分を励ます人は、本当は臆病なのかもしれない。普通、励ますという行為は、誰かにしたり、されたりするものである。誰からも励ましてもらえない状況の時、自分で自分を励ますことはあるだろう。けれど、人から励ましてもらっているにもかかわらず、さらに自分で自分を励まさなければいけない心境とは、どのようなものなのか。
 こんなに頑張っているのに、誰もわかってくれないという思いが強いのかもしれない。どれだけ周りの人に認めてもらっても、気にかけてもらっても、足りないのだ。そのために、一番自分のことを知っている自分が、自分を励ますのである。私は十分頑張って来た、私ほどかわいそうな人はいない、私は悪くない、あらゆる言葉で自分を肯定する。私は、もっと頑張れるし、頑張らなくてはいけないと、自分で自分の背中を押す。
 それは、悪いことではない。むしろ、いいことではないだろうか。自分で自分を励ますことが出来れば、どんな環境でも生きていけるからだ。
 僕自身は、自分を励ますことは、あまりないように思う。励ますくらいでは、自分の気持ちに変化がないことを、僕自身が一番よく知っているからである。
 私は絶対にやり遂げる、頑張れと自分を励ますことで前に進める。行動を強い意志で動かしている証拠だろう。弱い自分では失敗するとわかっているのだ。きっと、失敗した後のことも容易に想像がつくに違いない。その時の自分の姿を考えることすら恐ろしいのだと思う。だから、常に自分で自分を励まさなければならない。臆病な自分は自分ではないと強がることで、今の自分を維持しているように見える。
 
 
第17回は3月14日の更新予定です。


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