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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.11

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#8-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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 責任を取る立場でありながら、のほほんと高みの見物を決め込んでいたと謝罪しろ。
「経理部の立場から、もっともっとアドバイスなり警告を発するべきでした」
「今年度も赤字になると実質は六期連続になる。金融庁が早期警戒制度を発動すれば、立ち入り検査の可能性も出てくる。本業が赤字の我が行には財務の健全性が損なわれているという大義名分で色々言ってくるだろうが、下手をすれば業務改善どころか経営統合さえ言い出しかねない」
「まさか、そこまで」
「最近もスルガ銀行がシェアハウス投資関連で不正融資をしていた事件が大きく報道され、金融庁もナーバスになっている。そういう時には、しばしばまさかが現実になる」
「心得ています」
「箱銀がこれ以上苦境に陥らないためには何をすればいいと思う」
 部下に対しての命令を当の部下から言わせる。決して上司からの強制ではなく、自分で口に出した時点で自発的な言動となり責任がし掛かってくる。
 冷静沈着、強羅一族でありながら最も民主的とうたわれる雄一頭取の正体がこれだ。言行が民主的なのは本当だが、結局は沈黙という武器で強権を発動させているに過ぎない。燎原行員の件にしてもそうだ。話の上では彼一人の責任にしようと春日居部長が説得したことになっているが、雄一頭取の人となりを知る者はそれが表向きのストーリーであるのを知っている。春日居部長が説得したのではない。雄一頭取が説得させるように仕向けたのだ。
 雄一頭取の方は春日居部長からの提案ということで罪悪感が薄れている。一方春日居部長の方でも無理に言わされたという意識があるので、やはり罪悪感が後退する。行員一人を犠牲にしておきながら首謀者たちの良心がさほど痛まないのが、この手管の秀逸な点といえた。
 だがいくら秀逸な手管であっても、自分に向けて行使されれば話は別だ。無茶な話に乗せられれば自分で自分の首を絞める結果になりかねない。だが雄一頭取が放つ圧力は強大で、巻台の抵抗力を根こそぎ奪う。
「どうした、経理部長」
「……面目ありませんが、この場ではなかなか妙案を思いつけません」
「この場で発案しろとは言っていない。だが今月末までに金融庁からのヒアリングが実施されるのは承知しているだろう」
 巻台はうなれてみせる。
 金融庁は各金融機関の財務会計情報について定期的にヒアリングを行っている。当該金融機関の統合リスク管理、信用リスク、市場リスク、流動性リスク等について報告を求め、経営の健全性について状況を把握するためだ。
①決算ヒアリング 半期ごとに決算状況や財務上の課題についてヒアリングする。
②総合的なヒアリング 収益管理体制の整備や業務再構築に向けた取り組み状況、経営管理の状況、資本政策の状況等につき年二回(九月および三月を目途)実施。
③リスク管理ヒアリング 銀行のリスク管理の現状、課題、方向性について年一回(十月頃を目途)実施。その際、経営陣の認識、関与状況についてもヒアリングすることとする。尚、市場動向を踏まえ必要に応じて随時ヒアリングを実施する。
④内部監査ヒアリング 銀行のリスク管理やコンプライアンスの状況等について、銀行の内部監査部門から年一回(四月頃を目途)実施。その際、銀行の内部監査部門の役割、内部監査の実施状況(監査結果に基づく改善状況を含む)、今後の課題等についてもヒアリングすることとする。
「この試算表と損益計算書をヒアリング時に提示したら何をどう指摘されるか、今から目に見えるようだ。ヒアリング直後に立ち入り検査が行われたとしても、わたしは特に驚かない。最悪の場合、表面上は五期連続赤字でなくとも業務改善命令を出されるかもしれない」
 雄一頭取は淡々と恐ろしい言葉を口にする。もちろん目の前にいる巻台に圧し掛かるプレッシャーを充分計算した上での発言だ。
「いったん、これは戻しておこう。経理部長の仕事を疑う訳ではないが、たまさか数値が違う場合がないとも限らない。ヒアリング時までに数字を見直す必要もあるだろう」
 雄一頭取は、そう言ってデスクの上に投げていた決算資料をこちらに突き返してきた。巻台はこうべを垂れたまま受け取るしかない。
 相手のもくは火を見るよりも明らかだ。数字を見直せというのは、この場合二重の意味を持つ。だが巻台にはあらがすべがない。
「失礼します」
 深く一礼し、巻台は頭取室を出る。
 ドアを閉めた直後、両肩にずしりと重みを感じた。重みは膝下にまで及び、まるで人一人を背負っているように錯覚する。緊張が解けた瞬間にしていた感覚が戻ったからだろう。
 ふと巻台は廊下の窓から外の景色を眺める。本店ビルの最上階からは箱根町が一望できる。温泉街の土産物屋と飲食店が建ち並び、いつもの平穏さを醸しているが、それを見下ろす巻台の胸のうちは平穏とは程遠いところにある。
 数字を見直せ、というのは雄一頭取と巻台だけに通じるちようのようなものだ。他人にも分かるように翻訳するなら〈粉飾〉だ。
 箱銀の赤字体質は今に始まったことではない。雄一頭取の指摘通り、五期連続で赤字を計上している。表に出なかったのは経理部が各決算書類に細工をほどこしていたからだ。
 細工といっても特段に込み入ったからくりではない。要は真正の決算書と金融庁に提出する決算書の二種類を用意するだけのことだ。元々は、銀行からの融資を望む一般企業が銀行提出用の決算報告書をねつぞうすることが少なくなく、部分を見極めているうちに、銀行側が企業以上のノウハウを蓄積してしまった経緯がある。つまり取りが木乃伊になるのことわざ通りになった次第で、皮肉なことこの上ないが、あいにく巻台は笑ってばかりもいられない。最初は二億程度の赤字を誤魔化す程度だったが年を追うごとに減収がひどくなり、累計二十億に達した段階で白旗を挙げた。その結果に編み出されたのが燎原行員の横領という筋書きだったという訳だ。
 おかげで偽の決算書類を作成する手管には精通した。経理に携わる者として到底自慢できる話ではないが、金融庁の役人が一読しただけでは粉飾を見抜かれない自信もついた。
 問題は、粉飾に慣れつつある巻台と箱銀の体質にある。人間は安楽を求める生き物なので、目を背けるのに慣れてしまうと醜い部分を正視しようとしなくなる。今の役員連中がまさにその状態で、各部門の実績を把握しているのなら粉飾決算に気づかないはずがない。それでも決算発表時に疑義を唱えないのは雄一頭取にそんたくしているか、箱銀の体質改善をすっかり諦めているかのどちらかだった。
 粉飾決算は一種の時限爆弾のようなものだと巻台は考えている。今すぐにではないが、いつか必ず爆発する爆弾。その爆弾の真上に箱銀の役員連中が胡坐あぐらをかいて座っている図が思い浮かぶ。かく言う巻台もそのうちの一人だが、具合の悪いことに爆発の規模にもタイミングにも一番詳しい。爆発の瞬間を誰よりも先に知るのは自分だろうという妙な自負がある。
 階下にある己の執務室に戻っても巻台のしゆんじゆんは続いた。突き返された決算書類をデスクの上に放り投げ、本革張りの椅子に深々と身を沈める。粉飾決算に気がとがめるのは、入行以来経理畑ひと筋に歩いてきたきようが邪魔をするからだ。いっそ流されてしまえば楽なのは分かっているが、割り切ってしまえるほどの度胸も持ち合わせていない。
 先刻の雄一頭取の言動を鑑みれば、今日中にでも粉飾用の決算書類を作成しなければならない。それも自分一人でだ。
 中途半端な小悪党ほどみっともないものはないな──巻台は自嘲気味につぶやくと、気が進まぬまま決算書類の修正に着手した。まずは机上のパソコンの決算書類関係から試算表の勘定科目を眺め、どれが修正しやすいかを検討する。経理屋の悲しさで、一度数字の入れ替えを始めると作業に没頭した。

 しばらく数字をいじっていると、卓上の電話が鳴った。受付嬢からの内線電話だった。
「はい、巻台」
『経理部長にご来客です。アポイントはないとのことですが』
「予定のない客とは会わない」
 数字で一杯の頭は突然の来客に対応する余裕を持っていない。
 途端に受付嬢の声が緊張した。
『金融庁のいのまた様という方です』
 金融庁、という言葉で我に返った。
「しばらくお待ちいただいて」
 巻台はいったん電話を切り、すぐさま内線で雄一頭取を呼び出す。
うわさをすれば何とやらか』
 近々にやってくるのは分かっていたので慌てた様子はないが、それでも声には緊張が聞き取れる。
『経理部長を指名したとすれば、いきなりわたしと面談するつもりはないらしい。どのみち門前払いをする訳にはいくまい。話の流れが危うくなったら、中断して連絡を入れるように』
かしこまりました」
 とにかく最初の防波堤になれという命令だ。こちらにも相応の覚悟がある。巻台は作業中に緩めていたネクタイを締め直し、執務室を飛び出した。
 一階フロア受付の前で初対面の男が待っていた。
「初めまして。猪俣と申します」
「経理部の巻台です」
 渡された名刺には〈金融庁監督局銀行第二課課長補佐〉の肩書がある。中肉中背、温和な顔立ちで笑えば人懐っこそうな印象を受けた。
「そろそろヒアリングの時期だと承知していましたが、前回は別の方が来られましたね。異動ですか」
「いえ、本日伺ったのは定期ヒアリングではありません。無関係とは言いませんが、わたしは担当者ではありません」
「ちょっと話が見えないのですが」
「中間決算について、是非とも経理部長と話しておきたいことがあります。もちろん非公式にです」
 持って回った言い方ながら、猪俣の口調には事情を察しろという響きが込められている。
「では、とにかく別室にご案内しましょう」
 巻台は猪俣を自分の執務室へといざなう。
 エレベーターに乗った際、それとなく猪俣を観察する。真っぐ正面を見て口元を引き締めている。やや気まずい沈黙の中でも自分からしやべろうとしない。事務的な感じはしないものの、万事にそつがない役人特有の物腰だった。
 執務室に猪俣を招き入れ、応接セットのソファに座らせる。自身の城に招き入れたはずなのに威圧感を覚えるのは、やはり猪俣の肩書のせいだろう。
「冷たい飲み物と温かい飲み物とどちらがよろしいですか」
「お構いなく。余人を交えたくありません。できるなら、わたしがこちらに伺った事実さえ記録から消去してほしいくらいです」
「なるほど、それではわたしが取ってきましょう」
「恐れ入ります。それではホットコーヒーがあれば」

#8-3へつづく
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