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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.4

嵌められた親友の仇を討つ、知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#5-4

中山七里「バンクハザードにようこそ」

 異変が生じたのはそれから三日後のことだった。
 春日居が決裁書類に目を通していると内線で窓口から連絡が入ったのだ。
『神奈川証券のもちづき様と二宮修太郎様がご面会したいと窓口におでです』
 春日居は途端に動揺する。三日前に未公開株の受け渡しをしたばかりで会うのは危険だと、平岩を通じて伝えたはずなのに。
 望月とは以前に顔を合わせたことがある。平岩の上司で、彼女が着任する前はずっと望月が箱銀の担当者だった。彼が同行しているなら面会しない訳にはいかないだろう。
 窓口に二人を通すように伝えると、数分後に望月と修太郎が部屋に入ってきた。
「久しぶりですね、望月さん」
 わざと修太郎を無視して話し掛けたにもかかわらず、当の本人がつかみかかってきた。
「おい、あんた。いったい何をしてくれた」
 ホテルで会った時とはまるで違う態度に、春日居は混乱する。
「い、いきなり何ですか。乱暴な」
「いきなりはそっちの方だろう。俺の株を返せ。今すぐ返しやがれ」
「返すって、あれはあなたと取……」
 言いかけてやめたのは、彼の後ろに望月がいたからだ。何とか繕わなければならない──ろうばいしていると、望月の方から声を掛けてきた。
「どうやら春日居さんにも事情がおありのようですね。二宮サイバーセキュリティは手前どもが幹事をしているお得意様ですので、是非ともお話を伺いたく存じます」
「待ってください。わたしにも何が何やら」
「昨日、二宮様の株式保管状況を確認しておりましたら修太郎様の持ち株が全て箱銀本店営業部に売却されておりました。幹事証券である手前どもには何の連絡もないので修太郎様に確認したところ、全く身に覚えがないと」
 何だって。
「幸か不幸か手前どもの口座にも修太郎様の口座にも売買代金は入金されていなかったので、錯誤を理由に本日取消処理をしました」
 混乱の度合いが増し、春日居は何が何だか分からなくなった。もう未公開株の売買についてとくしておく余裕もない。
「望月さん、聞いてくれ。元々これは二宮修太郎氏から持ち掛けられた話なんです」
 春日居は覚悟を決め、平岩に相談を持ち掛けられてからヒルトン小田原で修太郎と株式売買の意思確認をしたところまでをとうとうと説明した。
 逆上したのは修太郎だった。
「いつ、俺がそんな意思確認をしたよ」
「え。いや、しかしホテルのラウンジで本当は十五億円がご希望なのだけれどわたしが十億円しか無理ということで金額交渉を」
「売買の金額交渉じゃねえし。あれは融資金額の交渉だった」
「融資金額」
「平岩さんから聞いていたはずだ。予想される新型ウイルス対策のために大規模な先行投資が必要だって。これはセキュリティ契約上の問題からすぐにでも着手しなきゃならない。だけどウチの株式公開は来年一月でとてもじゃないけど待っていられない。それで短期でいいから融資が必要だった。平岩さんに相談すると、箱銀本店のあんたを紹介するからと言われてヒルトン小田原に出向いてやったんだ」
 不意にまいを覚えた。まるで地震が起きたように足元が揺れている。
「そんな……わたしは神奈川証券さんの口座に確かに十億円を送金しました」
「送金先の口座は記録に残っていますか」
 望月の問い掛けに応えて、春日居はパソコンの送金履歴を開く。送金日時と金額、そして送金先の口座番号を見つめていた望月はやがて気の毒そうな顔をこちらに向けた。
「残念ですが春日居さん、この口座番号は手前どもの口座ではありません。名義こそ似通っていますが、これは〈神奈川証券部〉となっています。ウチへの送金履歴がないのも当然です」
「じゃあ」
「ええ、あなたはウチと全く関係のない口座に十億円を送金してしまったんです。手前どもの口座に入金がない以上、いったん約定した取引は錯誤で処理せざるを得ません」
「平岩さんに会わせてくださいっ」
「それがですね、彼女は未公開株の移動があった翌日に、突然退職してしまったんですよ。修太郎様から話を聞き、もしやと思ってケータイに連絡したんですが、既に番号は使われていませんでした。現在に至っても連絡が取れない状況です」
 突然、床が崩落したような感覚に襲われ、春日居はその場にへなへなと腰を落とした。

      4

「本当にありがとうございました」
 平岩はそう言うなりしののめに深々と頭を下げた。こちらが止めなければ土下座すらしそうな勢いだった。
 頭を下げられる直前、平岩の銀行口座には一億円を送金していた。自分名義の預金通帳を眺めながら平岩は興奮を抑えきれない様子だった。
「証券会社にお勤めだったら億超えの預金残高なんて見慣れているでしょう」
「あくまで他人様の預金通帳ですもの。自分の通帳で見るのとでは雲泥の差があります。ありがとうございます。ありがとうございます」
 平岩は通帳を抱き締めて、ひとしきり感謝の言葉を続けた。
 市は多重債務に苦しむ市民のため月に一度の割合で無料相談の日を設けている。司法書士の東雲も相談員としてメンバーに名を連ねていた。
 ある時、隣の席に座ったのが平岩だった。聞くとはなしに話を耳に入れていたら勤め先は何と神奈川証券だという。相談員の弁護士はカネにならないとさじを投げたが、東雲は違った。勤務先から出てくる平岩を数日間尾行し、彼女が行きつけにしていたせんべろの店で偶然を装い接触した。
 後は馬鹿らしいほど簡単だった。未公開株の売却話をでっち上げ、平岩を介して二宮修太郎と春日居の両者を同時に騙す。修太郎にはあくまで箱銀からの融資、春日居には未公開株売却の話と偽り、ヒルトン小田原での会合時には必要最低限の言葉しか交わさせない。お互いを信用させた後、平岩は支店の端末を操作し箱銀本店営業部の証券口座に未公開株を出庫する。一方で春日居には神奈川証券と名義の酷似した預金口座に十億円を送金させ、あたかも取引が成立したように見せかける。それもこれも株券が電子化され、現物は誰も確認できないという有難いシステムのおかげだった。
「身の回りの清算は終わっていますよね」
「ええ、独り身なので引っ越し業者も使わずに済みました。架空口座も解約したし、神奈川証券や箱銀がわたしを追跡するすべはないはずです」
「これで借金を完済できた上に、平岩さんには新天地が待っている。でも、お願いしたことを忘れないでくださいよ」
「忘れていません。最低二年は表に出ません。セミの幼虫みたいに地下に潜ってじっとしています」
 帰り際も平岩は何度も頭を下げていった。聞けば転出先は遠い海外らしい。彼女を手駒に使った東雲にしてみれば願ったりかなったりだが、せめて向こうではギャンブルに手を出さないようにとくぎを刺しておいた。平岩も神妙に頷いてはいたが、こればかりは追跡する訳にもいかないしするつもりもない。三十を過ぎたのなら、手前の不始末の責任は手前で取るべきだ。
 平岩を送り出すと、タイミングを見計らったように奥の部屋から当麻ときようが顔を出した。
「終わってみれば呆気ないものでしたね」
 当麻は感心したようにつぶやく。
「結局、未公開株は手付かずのままで、箱銀本店営業部は十億円をドブに捨ててしまった。平岩さんが高飛びを自ら言い出したのは幸いでしたね。実際、警察が動き出したらいくら国内を逃げ回ってもいずれは捕まる」
「いや、多分警察は動かない」
「何故ですか」
「未公開株の売買自体がインサイダー取引に抵触しそうなケースだし、第一春日居は本店の承認も得ないまま勝手に取引を行った。箱銀はまたもや十億円を騙し取られた訳だが、話の取っ掛かり自体春日居いては箱銀に落ち度がある。二百億円の横領、十億円の不動産詐欺に続いてこの有様だ。俺が箱銀トップの立場だったら、総帥強羅莞爾に知られたくないから被害届は出すなと命令する。箱銀本店だって恥の上塗りを世間にさらすようなは避けたいだろう」
「しかし、それは希望的観測ですよね」
「当麻ちゃんさ、箱銀行員として聞くけど、こんな場合上層部が俊敏な動きをして即日被害届を出すと思う?」
「……総帥への根回しやら会議やらですぐには行動できないでしょうね」
「被害届の提出を断念してくれなくても、そのタイムラグさえあれば充分なのよ。その間に平岩さんは高飛びできるし、こちらも証拠になりそうなものを処分できる。結果オーライ」
「よくも、それだけ悪知恵が回りますね」
「何言ってるのさ。今回は当麻ちゃんのサポートがあったから上手くいったんだよお。春日居から調査を依頼された時、当麻ちゃんが真摯な演技に徹してくれたからこそ春日居がワンマンプレーを決意したんだからね。今更善人面しちゃ、ダ、メ」
 天を仰いで短く嘆息した当麻の陰から、杏子がひょいと顔をのぞかせる。
「東雲さんから打ち明けられた時にはまさかと思ったんだけどさ」
「うん」
「本っ当に詐欺師だよね。それも額に入れて飾っておきたいくらいの」
「お褒めにあずかって光栄至極」
「それでさ、そろそろ……」
「そろそろ、何だよ」
「わたしもお兄の敵討ちに参加したいんだけど」
「ちゃあんと考えてる」
 東雲はいたずらっぽく笑ってみせる。
「杏子ちゃんには杏子ちゃんにしかできない仕事があるんだ」

つづく 

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※「カドブンノベル」2019年9月号収録「バンクハザードにようこそ」より


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