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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.7

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#7-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

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 やはり食いついてきた。頭取付きの秘書なら、雄一頭取の評判を上げることにはもろを挙げて賛同するはずだった。
「これは菱田さんの段階で止めてほしい、広報部の本音ですが」
 季実子は一段声を低くして、もっともらしい口調になる。
「社内報の第一義は、組織への忠誠心と帰属意識を高めることです。ご協力いただけませんでしょうか」
 一拍の沈黙の後、電話の向こうから期待していた言葉が返ってきた。
『記事の掲載と取材の趣旨は理解しました。ただし頭取の了承を得る必要があるので、可否の連絡はしばらくお待ちください』
 了承を得ると言っているが建前に過ぎないのは季実子も知っている。雄一頭取が判断を下すのは主に経営とそれに準じる事柄であり、その他のまつ事は秘書の段階で可否判断をしているのだ。
「それではよろしくお願いします」
 受話器を下ろした季実子は両手を祈るようにして組んだ。話した感触は上々、広報部からの提案としてもごく自然に聞こえたはずだ。加えて秘書室から拒絶される理由も見当たらない。これで雄一頭取のスケジュールが把握できれば、彼女と逢引きする時間も自ずと絞られてくる。たった一つの難点は雄一頭取の露出嫌いだが、それさえも秘書室が説得してくれれば渋々ながら承諾してくれるはずだと季実子は踏んでいる。
 十分後、菱田から折り返しの電話が入った。
『お待たせしました。頭取のスケジュールを公開することには了承が得られました。蓼科部長のご都合のよろしい時間に来ていただければ結構です』
「今から伺います」
 通話を終えるや否や、季実子は階上の秘書室へと向かった。

 秘書室は頭取室に隣接している。部長となった今でも入室するのは年に一回あるかないかだ。ドアをノックする際、季実子は少なからず緊張する自分が嫌になった。
「どうぞ」
 中に入ると、狭い部屋に菱田が一人で座っていた。
「わざわざご足労いただき申し訳ございません」
 菱田はいんぎんに頭を下げてみせるが、長らく頭取付きの秘書を務めた彼女が成り上がりの季実子をどう思っているかくらいは目を見れば分かる。
「こちらこそご迷惑をおかけします。頭取にはご快諾いただけたようでうれしいです」
「快諾というよりはスケジュールの公開にとどまるなら構わない、というお返事でした」
 取り澄ました表情というのは、こういう顔を言うのだろう。容姿端麗でない分、同性としては憎らしさが倍増する。
「ご自身を持ち上げることには徹底して無頓着な方なので、そちらの意図を説明するのには骨が折れました。ただ、銀行頭取という職務がこうかん言われているような華やかなものでないことを知ってもらうにはいい機会だとおつしやっていました」
 頭取が華やかな職務ではないというのは雄一頭取ならではの物言いだろう。本人には悪気がないのだろうが、辰己あたりが聞けば烈火のごとく怒り狂いそうだ。
「頭取らしいと言えばらしいですね。菱田さんもそう思いませんか」
「頭取の決定に、私ごときが論評を加えるべきではありません」
 木で鼻をくくったような返事だが、これはこれで菱田らしい反応といえる。だが、次に菱田は意外なことを口にした。
「ただ、これは私の個人的な意見ですが、頭取の多忙さを知らしめるのは悪いことではないと思います」
「頭取はあまりにも露出が少な過ぎますものね」
「そうではなく、箱銀内の綱紀粛正のために必要だと思うのです。行員の横領事件、不動産と未公開株の詐欺事件と、このところ箱銀には逆風が吹いており、行員の中には疑心暗鬼に陥った者がいるとも聞き及んでいます。そうした中、銀行トップがどれだけ多忙で、どれだけ私生活を犠牲にしているかを知らしめるのは、箱銀行員に対するカンフル剤になり得ますからね」
 季実子は少しあきれ気味に感心する。頭取の多忙さの周知が行内の綱紀粛正になるなどとは、雄一頭取によほど心酔していなければ決して出てこない言説だ。
「とんだ無駄話で不要な時間を割いてしまいました。まことに申し訳ありません。一応、九月中で決定しているものだけをスケジューリングしてあります」
 菱田が差し出したのはA4サイズの紙片で、見れば雄一頭取のスケジュールがタイムテーブル式に記載されている。やはりと思えたのは土日祝日も何らかの予定で埋まっていることだった。そのためスケジュール表はどこにも空白がなく、ほぼ真っ黒に埋まっている。
「薄々予想はしていましたけど、これほどご多忙だとは……一日として休みがないじゃありませんか」
「土日祝日に入っている予定は懇親会への出席や県外企業へのトップセールスですから丸々一日を費やすものではありませんけどね」
「この予定、全部秘書室が同行するんですよね」
「秘書室には私を含めて三人おりますから、秘書は交代できます。しかし頭取はお一人ですからね。頭が下がります」
「本当に」
 真っ黒に埋まったスケジュール表を見ているうちに軽い眩暈めまいを覚えた。雄一頭取には何度かしつされ、先日は罵倒に近い言葉も浴びせられたが、このスケジュールを見ていたらぐうの音も出ない。部下には厳しいが己にはもっと厳しい。これだけ日常が苛酷なら浮気の一つ二つは、かえって人間味があるのではないかとさえ思えてしまう。
 トップに君臨し続けるというのは、トップ以外には務まらない仕事を延々と続けるということだ。至極当然の理屈に思い至り、季実子はがくぜんとする。
 不意に菱田に対して罪悪感が湧く。彼女が雄一頭取のために提供してくれたスケジュール表を、自分は彼を失墜させるために利用しようとしているのだ。
「ではお借りしていきます」
 内心の動揺を気取られないよう、季実子は努めて平静を装い退室した。

>>#7-3へつづく ※10/29(火)公開
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