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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.13

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#8-4

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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     2

 九月末になっても残暑はまだまだ厳しく、しののめが事務所に戻るとシャツは汗まみれになっていた。
 また銭湯でひと風呂浴びるか──そう思いかけて、やめた。今日に限っては不快な汗に塗れている方が気が休まる。東雲は椅子に座って、窓からし込む西日を全身に浴びる。
 いつになくあまのじやになっているのは箱銀内部に足を踏み入れたのが原因だった。今までも外側から本店ビルを眺めることはあったものの二階以上のフロア、ましてや部長室にまで入り込んだのはあれが初めてだった。
 頭取室は最上階にあるという。最上階から箱根の温泉街を見下ろすのは、さぞいい気分だろう。箱銀の役員連中は毎日あの高みから預金者や融資先を眺めているのだ。
 高い場所に上りたがるのは権力志向の強い人間だと東雲は半ば本気で思っている。心理学者が聞けば失笑しそうな理屈だが、箱銀の部長たちを眺めていると満更的外れではないような気がしてくる。巻台のような小悪党でさえ、一度あの眺めを経験すれば権力の亡者になる。銀行存続のために行員一人の人生を台無しにするなど、到底まともな考えではない。ところが権力の魅力に取りつかれると、善悪の基準が狂い出す。体制の維持、権力の保持こそが最優先事項になり、人命すら軽んじられる。
 いや、そんなことはどうでもいい。たかが地方銀行の内部でどんな権力闘争が繰り広げられようが、それによって一般行員にどんなしわ寄せがあろうが自分の知ったことではない。毎年毎年赤字を計上する金融機関は外部要因とは関係なく、その経営構造自体に欠陥がある。大規模な外科手術を行わない限り遅かれ早かれ潰れるのは目に見えている。
 ただ犠牲者として燎原を選んだのは許せない。どこまでも善良でどこまでも清廉な男だった。生きることに自堕落で平穏な人生をいとう東雲が燎原と長く続いたのも、己にない資質を持つ彼に憧憬を抱いていたからだ。
 とうや巻台の話を総合すると、燎原がいけにえにされた経緯が徐々に分かってきた。提案したのは春日居だが、最終的に承諾したのは雄一頭取ということになる。自分の部下を率先して差し出した春日居も悪党だが、銀行の体裁を優先させて承認した雄一頭取は大悪党だ。
 大悪党に悪党、そして巻台のような小悪党。そういう人間たちが保身のために燎原を生贄にした。
 見ているがいい。
 燎原いさおという男を奪った報いがどれほどのものか思い知らせてやる。
 くらい感情をくすぶらせていると、ドアをノックする者がいた。入室を許可すると、顔をのぞかせたのは当麻だった。
「やっ、お疲れさん」
「そろそろ戻ってる頃だと思ってました。経理の巻台部長とは面談できましたか」
「うん。割と簡単に」
「よく偽の身分がバレませんでしたね。巻台部長って並み居る部長連中の中でもうたぐり深いので有名なんですよ」
「名刺一枚で、すぐ信用してくれた」
「名刺一枚。まさか」
「金融庁職員の名刺は以前もらっていたからひな形が作れる」
「でも在籍確認されたら一発で露見してしまうじゃないですか。訪問客の応対中、勤務先に電話するなんて当然のようにやる人ですよ」
「だからさ、そこまで慎重だったら、在籍確認取れた瞬間に信じ込んじゃうんだよ。自分で決めたルールに固執して墓穴を掘るのが、ああいうタイプ」
「でも、どうやって」
「名刺に記載された番号はダミーだよ。しかも応対はきようちゃんがしてくれた」
「……そんな単純なやり方で、よく騙せましたね」
「日頃から自分を慎重だと思い込んでいる人間ほど引っ掛かりやすい。他の人間よりも賢いと思っているヤツほど詐欺師のいいカモになっちゃうんだけど、それと一緒。そんなに賢い人間なんている訳ないのに、つい自分だけはって思うんだよなあ」
「でも何度もそこに電話を掛け続けられたらバレますよ。東雲さんと違って杏子ちゃんは素人なんだし」
「巻台部長は、もう二度とダミーの方には電話を掛けてこない。我が身も危険なことを承知しているから連絡はこれ一本になるはずだよ」
 東雲はポケットからスマートフォンを取り出した。
「スマホの名義で東雲さんが特定されるじゃないですか」
「これね、SIMフリースマホっていってさ。海外用のプリペイドSIMカードと組み合わせると飛ばしができるし、第一購入時に身分証の提示をしなくていいんだよ」
「つまり使い捨てですか」
「別に困らないよ。高いものじゃなし」
 敢えて言わないが、抽斗の中には同様のSIMフリースマホがあと七個忍ばせてある。いずれも燎原の死後に東雲が用意したものだ。
「それにしても、よく本店ビルの中に入る気になれましたね。不動産詐欺の時には、きっちり表舞台に登場しているっていうのに。本店ビルの誰かに見咎められる危険、考えなかったんですか」
「引渡し実行の席に居合わせた西さい副部長は左遷されて本店ビルにはいないじゃない。だから正々堂々と入って意気揚々と出てきた」
うれしそうですね」
「とんでもない」
 東雲は片手をひらひらと振ってみせる。
「まだ仕込み中なんだから。お楽しみはこれから」
「いったい巻台部長に何を吹き込んだんですか」
「どうせ粉飾決算するなら、もっと巧妙にやれ」
 当麻はあきれたようにこちらを見る。
「呆れてるみたいだけど」
「そりゃあ呆れますよ。少なくとも金融庁の役人が提案することじゃない」
「だから信用する。人間は意外なアイデアに飛びつきたくなる動物なの。当たり前のエサぶら下げたって誰も食いつきゃしないよ」
「自ら粉飾決算に加担して、どうしようっていうんですか」
「当面の目的は信用下落。ほら、前にも言ったじゃない。信用を失くした銀行の行く末くらい見当つくだろうって。にも角にも銀行が存在している理由は信用だよ。健全経営をしているから破綻しない。破綻しないから安心してカネを預けられるし借りることもできる。もちろん自己資本比率とか格付けの上下もあるんだけど、最終的には顧客が自分の利用している銀行を信用しているかどうか。言い換えればさ、多少自己資本比率が悪くてもそれを問題にするのは監督官庁であって、一般の預金者はあまり気にしない。自分の取引さえ滞りなく実行できれば何の文句もない。つまりどんな銀行でも最大の資産は信用なんだよ。その信用を失った銀行は資産を失った一般企業と一緒だ。あっという間に潰れる」
 言わんとすることを理解したのだろう。当麻は眉をひそめてこちらを見る。
「そんな訳で、悪いけど将来、当麻ちゃんは職にあぶれることになる」
「いずれは再就職先を探さなきゃいけませんか。痛いな。でも僕はともかく杏子ちゃんも大変ですよ。折角、箱銀に内定したのに、また就活しなきゃならない」
 杏子の行く末については東雲も気懸りだった。本人は箱銀憎しであまり語ろうとしないが、就活生が地元の銀行から内定をもらうのが困難であることくらいは東雲にも想像がつく。いくらふくしゆうのためとはいえ、彼女の生活を脅かすのは避けたいと思う。そうしなければ草葉の陰の燎原も浮かばれない。
「いっそ東雲さんの事務所で雇ったらどうですか」
「杏子ちゃんをかい」
「よければ僕も一緒に」
「あのさ。当麻ちゃんにも普段の俺を見せているから察しがついていると思うけど、ウチはそうそう仕事がある事務所じゃないから。事務員一人雇うゆとりもないんだよ」
「いえ、正規じゃない方の仕事で」
「ダメダメ」
 杏子に詐欺師の片棒を担がせるのは、今回だけと決めてある。彼女を詐欺師などにしたら燎原からどれだけ恨まれることか。
「でも杏子ちゃん、ノリノリでやってるじゃないですか」
「ノリノリでやってるようだからまずいんだって。詐欺なんて真っ当な仕事に希望を見出せなくなったろくでなしがやることなんだから。いつ捕まってもおかしくないし、最期は野垂れ死にするに決まってる」
「自分で言いますか」
「当事者だから言えるんだって。人を騙して金儲けしようとする人間が畳の上で死のうなんて虫がよ過ぎる」
「……僕は段々、東雲さんが善人なのか悪人なのか分からなくなってきました」
「分かってくれなくていいよ。どうせ期間限定のチームなんだし」
 東雲は立ち上がると、汗塗れのワイシャツを脱ぎ始めた。
「さっ、今日は店じまい。もう帰ってくれていいよ」
「また銭湯ですか」
「いいや。これからちょっと野暮用でね」

 東雲が次に訪れたのはわら警察署だった。一階受付で本名を告げる。
「燎原勲の件で、担当の刑事さんと会えませんか」
 フロアで待っていると、やがて廊下の向こう側から一人の男がやってきた。角張った顔で陰険そうな目をしていた。
「燎原勲の件で来られたとか」
「彼の友人で東雲という者です」
「事件を担当したよしずみです。本日はどんなご用ですか」
「燎原は自殺したということで片付いているんですよね。詳しい話を伺いたいと思いまして」
「詳しいも何も新聞で報じられた通りですよ。銀行で運用していた二十億円を女に貢いで、発覚しそうになったんで首をった」
「貢いだ相手は特定できましたか」
「いや、それはまだ……東雲さん、あなたは何が言いたいんですか」
「燎原とは古くからの付き合いでしてね。女に貢ぐために銀行のカネを横領するような男には思えないんですよ」
「犯人の知り合いは大抵そう思っていますよ。あんなことをしでかす人には見えなかったって」
「でも横領した二十億円の行方はまだつかめてないんじゃないですか。だったらまだ事件は終わっていませんよ」

#3-1へつづく
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