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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.17

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#10-1

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

東雲昴の親友・燎原勲が自殺した。箱根銀行課長だった燎原は20億円を横領したとされるが、東雲も燎原の妹の杏子も信じられない。燎原の遺した箱銀の粉飾決算の証拠を見つけた二人は復讐を決意する。箱銀審査部副部長から不動産売買融資詐欺で10億円を奪い取り、運用部長からも未公開株詐欺で10億円を騙し取った。人事部長と広報部長の不倫も白日の下にさらした東雲は、経理部長の巻台に近づいて粉飾決算を指南し、その内容をネットで公開した。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

 五 金もうけのために生まれたんじゃないぜ

     1

はこ銀行 粉飾決算』
 朝刊の見出しを眺めていると、舌に残るエスプレッソがにわかに苦みを増した。ごうゆういちは忌々しげに朝刊をゴミ箱に放り込み、ダイニングを後にする。背中で妻が何かを言ったようだが、耳に入らない。
 粉飾決算はネット発のニュースだった。中間決算のこの時期、何者かが実際の損益計算書と貸借対照表をネットに流出させ、ご丁寧にも操作した部分がどうかいざんされているかの解説つきだった。
 直後、雄一は金融庁監督局から呼び出しを食らった。粉飾決算は事実なのか、事実としたら頭取はそのことを知っていたのか。粉飾に関わった者は何人で、頭取としてどんな対応を考えているのか。
 それは質問のかたちをした難詰だった。中央の監督官庁が地方銀行の頭取を呼びつけ、改めて主従関係を認識させる儀礼のようでもあった。他人から頭を下げられることに慣れきっていた雄一にとって、平身低頭はひどく屈辱的な仕打ちだった。
 監督局のあさながは、処分決定までにはしばらく時間を要しますと告げた。翻訳するなら「それまで首を洗って待っていろ」、あるいは「処分決定後に経営責任を明確にせよ」だ。
 不祥事を起こした銀行に対しては勧告、業務改善命令、業務停止命令、免許取消といった処分がある。銀行にとって致命的と呼べるのは業務停止命令からだが、業務改善命令と業務停止命令の境界線は法令に抵触しているかどうかだ。
 箱銀の粉飾決算は金融機関による財産状況書類等虚偽提出罪および銀行法第六十三条に抵触しているおそれがある。抵触しているか否かの判断は金融庁に委ねられているので、業務停止命令を出すかどうかは彼らの胸三寸ということになる。雄一が平身低頭せざるを得ない理由だった。
 最悪の場合、金融庁からは業務停止命令が下る。箱銀にとっては痛手だが、それで自主廃業とまではいかないだろう。問題はその後だ。最高責任者である雄一が、そのまま頭取の地位にとどまるのは困難だ。引責辞任した後は強羅グループ内の企業に再就職が可能だろうが、一度傷ついたプライドはなかなか修復されない。
 子どもの頃から他人に頭を下げたことがあまりなく、敗北感を味わうこともなかった。強羅グループ総帥の後継者というだけで周囲の人間は気を遣ってくれたし、雄一自身も学業に秀でていたから余計な劣等感を抱かずに済んだ。仮に学校の成績が芳しくなくとも、将来は約束されていたので大して悩みもしなかっただろう。
 己の十年先が思い浮かばない。正社員になれるかどうかも分からない──そうした不安が人を疑心暗鬼に駆り立て、絶望させ、そして卑屈にさせる。生れ出た瞬間から将来を約束された雄一には無縁の感情だった。
 今まで無縁だったからこそ、今回の出来事はひどくこたえる。不始末の責任を取らされ、石もて追われる。そんな経験は初めてなので、どう折り合いをつければいいのか分からない。胸のうちには動揺とふんが渦巻き、気を許すと態度に出てしまいそうになる。雄一なりの自尊心があるので、そんな無様な姿は家族にもさらしたくない。
 腹立ち紛れという訳ではないが、まきだいには早々に自宅待機を命じた。処分については役員会議を経ての決定になるが、懲戒解雇が妥当なところだろう。逆に言えば、それより軽い処分では箱銀内部と世間が納得しない。建前上退職金を支給する訳にはいかないが、巻台には因果を含めて従ってもらうこととしよう。
 とにかく目に見えるかたちで、しかも潔く責任を取るべきだ。引き際が見事であればあるほど、けんちようらいで雄一が再び頭取の座に返り咲いても拒否反応は少ない。
 箱銀を追われて、そのままで済ませるつもりなど毛頭なかった。
 敗者復活戦というものは経験したことがなかったから、これが最初の試練になる。粉飾決算の発覚は失態に違いないが、それが原因で挫折しても経験則に換えればいいだけの話だ。
 転んでも決してただでは起きない。この失敗を教訓とバネにして、自分はもっときようじんな銀行経営者になってみせる。そのためなら、金融庁に頭を下げるくらいは忍ぶしかない。
 ところが頭を下げる相手は金融庁だけにとどまらない。今日は今日で、金融庁よりも嫌な相手に頭を下げに行かなくてはならないのだ。雄一は不意に重くなった身体からだむちを入れて廊下を進む。
 身支度を整えて玄関に向かうと、運転手のじまが後部座席のドアを開けて待っていた。
「実家までやってくれ」
かしこまりました」
 一番会いたくない相手は、しばしば一番会わなくてはならない相手であることが多い。実父であり、強羅グループ総帥である強羅かんがまさにそうだった。

 強羅莞爾の住まいは郊外の住宅街にある。人間は誰しもとしを取るとけんそういとうものらしい。いまだグループ企業を統べる立場にありながら、本人は自宅から指示を飛ばすだけだ。
 雄一の母親はずいぶん前に逝去した。働き盛りだった父親はそれから仕事を伴侶とし、雄一が箱銀頭取に就任したのを機に堂々と女を屋敷に出入りさせ始めた。再婚するつもりはないらしく、ただ生理的な欲求を処理するために連れ込んでいるようなので雄一も反対していない。
 屋敷に到着し、真っぐ莞爾の書斎へと向かう。父親にびる場所はいつも書斎だったが、五十を過ぎても身体に染みついた習性は消えないらしい。そう言えば莞爾は今年で八十三歳になる。その歳で日夜自分のベッドに女を引きずり込むのだから、英雄色を好むというのは本当なのかもしれない。
 実家ながら書斎へと続く廊下は陰鬱で空気が重い。歩を進める度に少年時代に戻っていくような感覚に陥る。
 書斎のドアは雄一を待ち構えていたように開きっぱなしになっていた。既に陽光がし込む時刻なのに、ブラインドカーテンを閉めきっているので部屋の中はほの暗い。椅子に座った主はこちらに背を向けたままだ。
「お父さん」
「入れ」
 命じられると、まるで自分の身体が操り人形になったようになる。
 一歩、二歩。
 一メートルの距離まで近づくと、椅子がゆっくりと回った。
「元気だったか」
「おかげ様で……」
「とてもそんな風には見えんがな」
 薄暗い中でも、莞爾の表情が見える。いや、ひょっとしたら雄一の記憶が見せている虚像なのかもしれない。
 莞爾は眠そうな目をしていた。各所の表情筋が緩んでいるので感情が推し量れない。急に笑い出すか、怒り出すか。予想がつかないのでなおさら恐怖が増す。
「今日は何の用だ」
「中間決算について報告したい件があって」
「それなら、もう知っている」
 莞爾は身体をずらして書斎机の上を見せる。卓上のパソコンに表示されていたのは、箱銀の粉飾決算を報じるニュースサイトだった。
 世間で報じられたニュースを莞爾が看過するはずもない。
「まさか頭取の口より先に、ニュースで知ることになるとはな」
 何度も電話で知らせようとした。しかし電話で報告すれば家に来いと言われるのは分かっている。本音を言えば、莞爾に面と向かうのは一日でも先に延ばしたかった。
「金融庁への報告と行内の処分を協議していて、つい遅れてしまいました」
「もっとこっちに寄れ。声が小さくて聞こえん」
 雄一は半歩だけ前に進み出る。
「遅れたのではなく、後回しにしたのだろう」
 かすれ気味だが、雄一をおびえさせるには充分な響きだった。
「そんなことは」
「お前は子どもの頃からそうだった。都合の悪い話は最後の最後になってから、わたしに報告した。あたかも、気づかれなければずっと黙っていようともくんでいたようにだ」
 図星だったので返す言葉もない。
 情けないことに足がすくんで動けない。少年時代に戻っていたのは記憶だけではなかったようだ。
「箱銀はわたしがたった一店舗から始めた。言わば、手塩に掛けたもう一人の子どもみたいなものだ」
 背中がぞわりとした。
 莞爾は基本的に現状と将来の展望しか口にしない。過去を振り返るような者は人の上に立てないというのが持論だった。その莞爾が過去の話をするのは、大抵人を責め立てる時と相場が決まっている。
「雨の日も風の日も預金者を増やすために戸別訪問を繰り返した。夏の射しはきつく冬の雨は冷たかったが、他行から一人また一人と客を奪い取る喜びがそれに勝った。まるでオセロゲームのように他行の店舗跡に箱銀の店舗が開店していく。二十年もするとわら市内の企業のメインバンクはウチが一番のシェアになった。もうわたしが手を放しても大丈夫だ。そう思ったからお前に次を任せたんだ」

#10-2へつづく
◎第 10 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年2月号

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