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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.8

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#7-3

中山七里「バンクハザードにようこそ」

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 雄一頭取のスケジュール表を入手した旨を伝えると、辰己は今夜にでも会おうと言い出した。辰己の申し出にあらがすべはなく、季実子は終業後にくだんのラブホテルで待ち合わせた。
「よくやった」
 顔を合わせるなり、辰己はスケジュール表を奪うように取り上げた。
「雄一のスケジュールは大体俺も把握している。俺の記憶とこのスケジュール表を照らし合わせれば、あいつが女と会う日時が特定できるかもしれん」
 辰己はラブホテルに来れば季実子の肉体を堪能することから始めるが、今日ばかりはベッドに座ってスケジュール表に見入っている。辰己が雄一頭取のスケジュール確認の場所に愛用のラブホテルを選んだのは、その行為も背徳的だと自覚しているからなのだろうか。
「しかし、こうしてみると雄一は休みなしで働いているんだな」
 スケジュール表を眺めている最中、辰己は呆れた口調でつぶやいた。あれほどし様に罵っていた異母兄でも、この仕事量の前では驚嘆するしかないに違いない。
 だが、季実子はこの男を見誤っていた。
「商工会議所との懇談会だと。あいつ、こんなものまで予定に入れてやがる。全く馬鹿じゃないのか」
「どうして馬鹿なんですか。貴重な休日を返上してまで地元企業との懇親を深めるのも大事な仕事だと思いますけど」
「地元企業の五割は箱銀がメインバンクになっている。他の三割はメガバンクで後の二割は信用金庫。メガバンクには絶大な信用力があるし、信用金庫には持ち前の営業力がある。箱銀がどれだけ頑張っても、県内のシェアをこれ以上伸ばすのは不可能に近い。地元企業との懇親を深めたところでタダ酒がめるくらいだ」
「でも、このスケジュールを見る限り、県外企業へのトップセールスも怠りないですよ」
「県内にも県外にも満遍なく、というのがいかにも雄一らしい。あいつは昔っからそうだった。与えられた仕事は無難にこなすが、皆を驚かせるような成績は残せなかった。今でもやり口は同じだから経済紙をにぎわすような実績はない。臆病なあまり大型案件には手を出そうとしない。要は腰抜けなんだ」
 では自分が頭取になったら雄一頭取以上に銀行経営をこなせるのか、とこうとしてやめた。
 人を揶揄したり侮蔑したりすることでしかりゆういんを下げられない手合いが、人の上に立って長続きするはずもない。辰己が長らく人事部長の要職に留まっていられる理由は、ひとえに辰己が強羅姓であるという特殊事情によるものだ。
 急に不安が襲ってきた。
 雄一頭取の弱味を握った辰己がどんな行動に出るかは想像に難くない。金品の強要ではない。銀行経営において自分を重用しろくらいの要求をするに違いない。
 慎重さとは無縁の、自己顕示欲に凝り固まった男が経営に口を出し始めたら箱銀がどうなるか。おそらく順風満帆よりは波乱万丈になる確率が高い。おまけに今の箱銀はメディアからも預金者からも不安がられているから、一度経営が傾けば信用度は加速度的に落ちていくのが必至だ。かんけいに加わった季実子に多少の報償があったとしても、箱銀本体に打撃があれば元も子もない。寄生虫が猛威を振るい過ぎて宿主を殺してしまうようなものではないか。
「ここの予定がどうも怪しい」
 季実子の不安をよそに、辰己が嬉しそうな声を上げた。
「見ろ、九月二十日の午後八時から十一時までの三時間。若手起業家たちとの懇親会とあるが、こんなもの俺は聞いていない」
 辰己は該当箇所を指でつつきながら唾を飛ばす。
「若手起業家とあるが参加メンバーも場所も書いていない。他の懇親会には少なくとも会場を明記しているにもかかわらずだ。車も社用車でなく自家用車を使うことになっている」
 言われて季実子もスケジュール表を眺め直す。確かに他の予定では参加者の概要や開催場所に触れているのに、辰己の指摘した予定にはそれがない。
かつに実在の団体やホテルの名前を出したら、後でうそがバレるから曖昧な記述にしたんだろう。どこまでも小心者だな」
「じゃあ、その日に雄一頭取を尾行れば現場を押さえられますね」
「ああ、後は君が首尾よく二人がラブホテルに入っていく現場を写真に収めればいい」
「そのことなんですが、ご相談があります。自分で何度かイメージトレーニングしたんですけど、素人のわたしが雄一頭取を尾行するなんて無理にも程があります」
「何だ。今になって臆病風か」
「誰もが辰己部長みたいに勇敢じゃないんです。そりゃあ最新の機材をそろえれば夜間でも手ブレなしのれいな写真が撮れると思います。一瞬だけなら二人の顔を正面から捉えるのも可能かもしれません。でも尾行は無理です。スマホ撮影みたいに日常的に慣れ親しんだことじゃないし、第一特別なスキルが必要だから刑事とか探偵とかが専門にしている訳じゃないですか」
 季実子はここを先途と言い募る。とにかく計画実行に辰己を巻き込む必要がある。良くて主犯、悪くても共犯者にしなければ季実子が捨て駒にされかねない。辰己という男は平気で人を裏切る。それは幾度も肌を合わせて身にみた教訓だった。
「尾行しないと言っている訳じゃないんです。せめて辰己部長が横で指示してくれませんか」
「俺がか」
「あんなラブホテル街を女一人でうろついていたら目立ちます。まだカップルで歩いていた方が風景に溶け込めますよ」
「いや、しかし」
「何度も言いますけど、わたし一人じゃ無理です。前に部長も言いましたよね。不倫の事実を知っている者が尾行するんだって」
「君が全幅の信頼を置く、例の内定者を引き込めばいいんじゃないのか」
「秘密を知る人間は少ない方がいいです。この場合、仲間を増やすのは得策ではないと思います」
 しばらく辰己はしゆんじゆんしているようだったが、やがて不承不承応諾した。

     4

 また駄目だ。
 報告書を読んでいても内容が頭に入ってこない。同じページを繰り返し読んでいるから、普段よりも効率が落ちている。
 九月二十日当日、季実子は三時間後の決行を前に早くも緊張していた。
 最新鋭のデジタルカメラは既に購入済みで、ずいぶん試し撮りもした。技術の進歩というのは目覚ましい。季実子のような素人が夜間に撮ってもほとんど手ブレのない完璧なショットが捉えられるようになっている。後は決定的な瞬間に巡り合えるかどうかだけだ。
 ともに尾行することを決めた辰己は、ついでに覚悟も決めたらしい。毛嫌いしている異母兄の動向に注意を払い、彼が本店ビルから出る頃合いを見逃すまいと目を光らせているらしい。雄一頭取をどこで見かけたとか何をしていたとか一時間おきに連絡してくるのだからかなりうつとうしい。
 六時の退行時刻を過ぎても、季実子は辰己からの連絡待ちで執務室にいた。銀行の仕事以外で残業するのは初めての経験だったが、妙に落ち着かない。制限時間内に仕上げる、成果を出すという縛りは同じであるはずなのに少しもこうようしない。もくんでいるのが盗み撮りという自慢できない行為だからに相違ないのだが、こうまで憂鬱になるのはやはり自分が悪事に向いていない証拠だと思いたかった。
 ところがそのことを訴えると、辰己は意地の悪そうな笑みを浮かべてこう言った。
『良心のしやくとでもいうのか。違うな。それは不慣れな仕事で不安に思っているからだ。もし二度目があれば、そんな気持ちにはなるまいよ』
 小悪党らしい物言いだったが、何やら真実を言い当てられているようで口惜しかった。季実子自身、己が完璧な善人でないことくらいは気づいている。それを他人から指摘されると、自分の尊厳がいたく傷つけられたような気になる。
 もやもやした気分のまま待機していると、七時三十分頃に最終の電話が掛かってきた。
『もうすぐ雄一が頭取室から出るらしい。先に地下駐車場で待っていてくれ』
 既に準備を終えていた季実子は己の執務室を出る。
 完璧な善人など存在しない。今この瞬間に生きているのは、どこかで他人を犠牲にしたからだ。誰でも一緒だ。何も重大な罪は犯していない。今までも、そしてこれからも。
 自分に免罪符じみた抗弁をすると、季実子はバッグの中にデジタルカメラがあるのを感触で確かめ、地下駐車場へと向かう。
 ところがエレベーターの前で意外な人物に出くわした。
「部長。お疲れ様です」
 ぺこりと頭を下げてきたのはりようげんきようだった。
「燎原さん、どうしてここに」
「人事部に用があったんです。部長はもうお帰りですか」
「うん、今日はちょっと野暮用があってね」
「お疲れ様でしたっ」
 ちょうどエレベーターが到着したので、季実子は胸の位置で手を振った。
 ドアが閉まる寸前も杏子は頭を下げていた。どこまでも礼儀正しい内定者だ。やはり自分の手元に置いておきたくなる。
 だが一方で真逆の意識も芽生えていた。
 あんなに純真な内定者を、お前の汚れた手で育てるつもりなのか。
 これから最高責任者の不倫を暴くというな仕事をしようとするお前に、人を育成するなどという大層なことができるのか。
 自己嫌悪と罪悪感にまみれて数十秒、もんもんとしているうちに地下駐車場に到着した。季実子は思いを断ち切るように頭を振り、辰己の自家用車に近づく。
 ここまで来たら、もう引き返せない。たった一度のささやかな悪事と割り切るしかない。第一これは季実子の意志ではない。辰己に命じられ、仕方なく加担しているだけなのだ。
 駐車場の壁に隠れて待っていると、ほどなくして雄一頭取が、少し遅れて辰己が姿を現した。
「行くぞ」
 辰己の合図とほぼ同時に雄一頭取を乗せたクルマが発進した。
「雄一のクルマ、助手席には誰かが乗っていたのか」
「すみません。あまり接近して怪しまれてもいけないのでチェックしませんでした。でも、雄一頭取はロックを解除して乗り込みましたよね。だったら同乗者はいないんじゃないでしょうか」
「どこかで女を拾うか、密会場所で待ち合わせているか。たしかにそっちの可能性が高いが、確認くらいはしておくものだろう」
 こんな時まで説教や指示をしたいのか。つくづく上下関係をはっきりしなければ気が済まない性格に、季実子はいらつ。
「やっぱり早川の方角に向かっているな。そこから助手席に誰か座っているかを確認できるか」
「……駄目です。暗くてよく分かりません」
 前を走るクルマの動向を探っていると、いつもとは違う緊張が漂っているのを肌で感じる。辰己のクルマに同乗するのはもっぱら情事の際に限られているが、今日に限っては尾行だ。狩人の興奮と、雄一頭取の相手がどんな女なのかという野次馬根性が同居して心をたかぶらせている。我ながら下劣と感じたのも一瞬のことで、あとは好奇心がなけなしの道徳観をぎ倒してしまった。
「こうして他人をつけ回すというのも、なかなかに新鮮だな」
 雰囲気に酔ったような物言いに嫌悪感が走る。自分と同じ気分になったのなら、これほど嫌なことはない。季実子も辰己も結局のところは五十歩百歩という意味ではないか。
「正直、雄一が浮気をしているという事実だけで驚きだったが、相手が娘ほどもとしが離れていると聞かされた時には開いた口が塞がらなかった。こうして後を尾行ている目的はもちろんあいつの弱味を握るためだが、それと同じくらいに相手の顔を見たみたいと思っている」
 車窓からの明かりで辰己の横顔が見える。浮かび上がったのはぎやくと好奇に満ちた、世にもせんな顔だった。

>>#7-4へつづく ※11/5(火)公開
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「カドブンノベル」2019年11月号

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