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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.15

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#9-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。

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「どうしましたか。何か不都合でも」
 この期に及んでちゆうちよする自分は、はたから見ればさぞこつけいに映るだろう。銀行への忠誠心とオーナー一族への恐怖でゆがんでしまった職業倫理、一方で家族や柵を捨てきれない貧乏根性。所詮、自分は英雄にも悪党にもなれない半端者なのだろう。
 半端者には決意が要る。今必要なのはぬかるみにどっぷり首まで浸かる覚悟だ。
 毒を食らわば皿までか。
「いえ、特に不都合はありません。今から予備のメモリーを調達してきましょう」
「ご心配には及びません」
 そう言うと、猪俣は上着のポケットからUSBメモリーを取り出した。記録媒体が必要になることも、こちらがデータの提供を承諾するのも全て織り込み済みという訳か。
「お願いします」
 有無を言わさぬ口調で突き出されると抗することもできない。巻台は受け取ったUSBメモリーを卓上のパソコンに接続し、決算関係のデータを次々にコピーしていく。あつないもので、全てを写し終えるのに五分も要しなかった。その間、猪俣は預かった書類を持参したカバンに詰めていく。
「書類も明日には返却できます」
「助かります」
「何度もわたしがお邪魔してはかえってご迷惑でしょうから、巻台さん宛てにお届けしますよ」
 これからはなるべく会わない方がいいと、言外に伝えているのだ。これも至極当然の提案であり、巻台はうなずくしかない。
 データを写し終えたUSBメモリーを猪俣に手渡すと、いったんパソコンをシャットダウンさせる。
「少々お待ちください」
 出金依頼書を握って同じフロアの出納係に直行する。本来であれば二百万円程度の現金は出納係に持ってこさせるのだが、執務室に猪俣がいる現場を見られたくない。
 出納係は百万二百万程度の出金では眉一つ動かさない。数分もしないうちに帯封を巻いた百万円の束を二つ、カルトンに載せて差し出してきた。
 巻台は現金が載ったカルトンを両手でささげ持ち、執務室に戻る。猪俣は全ての準備を終え、ソファに深く身を沈めていた。
「お待たせしました」
「恐れ入ります。それでは遠慮なく」
 猪俣はろくに札勘定もせず、札束を摑むとカバンに無造作に突っ込む。その仕草で二百万円は彼にとってはした金であるのが分かる。
「作業を急ぎますので、これで失礼します」
「ええ、はい」
「あ、見送りはここで結構ですからね。これ以上わたしと一緒にいるところを見られたら、あなたが迷惑します。それでは」
 猪俣はそれだけ言うと、長居は無用とばかりさっさとドアを開けて退出していく。
 後ろ手にドアが閉められると、巻台はのろのろとデスクに戻り椅子に腰を下ろす。
 不意に虚脱感に襲われ、頭の中が真っ白になった。この数十分間で自分のしたこと話したことが曖昧になる。
 銀行の機密情報となる文書ばかりか、決算に関わる全てのデータをコピーして第三者に渡した。その相手には経理部長の責任で出金した現金二百万円を支払った──。
 じわりと背中からきようが立ち上ってくる。粉飾決算だけでも大した背任行為なのに、自分の手を汚すまいとして自ら傷を広げてしまったのではないか。
 かたかたと靴が床を鳴らす。
 今更ながら膝が細かく震えてきた。だが、もう後には引けない。全ては猪俣に委ねられた。あとはあの男を信じるより他にないのだ。
 覚悟を決めたそばから後悔し始める。
 怯懦と困惑で乱れる思考の隅で、つくづく自分は小悪党なのだと実感した。



 箱銀本店を出たしののめは駐車場にめてあったプリウスに乗り込むと、ようやく猪俣の仮面を脱いだ。謹厳実直で融通の利かなさそうな仮面の下には、けいちようはくな詐欺師の顔があった。
 東雲は上着のポケットからUSBメモリーを取り出す。巻台は知らないだろうが、このUSBメモリーこそ死んだりようげんきように置手紙代わりにのこしていたものだった。もちろん燎原が独自に調べ上げた財務諸表と遺書は事前に消去しているが、彼のおもいが詰まっていることに違いはない。
 巻台を陥れる計画を立てた時から、このUSBメモリーを使うつもりだった。敵討ちに本人の遺品を用いるなど感傷に走り過ぎとも考えたが、燎原の最期を思い出すと誘惑にあらがえなかった。
 雑念を払うように頭を振ると、東雲はプリウスを発進させる。駐車場には防犯カメラが設置されているので、このクルマもナンバープレートが映っているかもしれないが気には留めない。どうせ架空の名義で借りたレンタカーだから、ナンバーから東雲に辿り着くのは不可能に近い。
 しばらく走ってからレンタカー会社の別店舗に乗り捨てていく。その店舗からわら署までは歩いて行ける距離だった。
 刑事課のよしずみは相変わらず陰険そうな目で東雲を迎えた。初対面の時には東雲の本業に気づいているのかと疑ったが、どうやら陰険そうなのが彼の普段と知って胸を撫で下ろしたものだ。
「あなたもしつこいな、東雲さん」
 吉住はうんざりといった態度を隠そうともしない。
「親しい友人だったから燎原の横領が納得できないのは分かりますよ。しかし事件から三カ月もっている。そろそろ諦めたらどうですか」
「燎原が二十億円を貢いだ相手が見つかれば諦めますよ」
「またそれですか。あのですね、わたしたちも相手を探しているんですが、自殺した男が銀行のカネを二十億も横領していてですよ。そのカネが自分にぎ込まれていると知ったら、大抵の人間は口にチャックをして身を潜めます。世間から叩かれるのは嫌だし、いったんもらったカネを返す羽目になるのはごめんですしね。身を潜めるより完璧な隠れ方もありますし」
「高飛びですか」
「ご名答。小田原市も外国人が多くなりました。燎原が外国人女性にカネを貢ぎ、事件発覚後に彼女が帰国したとしたら我々にすべはない」
「何も二十億円を取り返すとかの話じゃない。あいつが付き合っていた女を特定するだけの捜査じゃないですか」
「だけってね。小田原署の人間がヒマだとでもいうんですか」
 陰険そうに睨まれるから信じてしまう者もいるだろうが、小田原署が二十億円の行方にさほど関心を持っていないのは明らかだった。公金ならともかく、地銀が運用に回していたカネだ。預金者に直接な損害はなく、銀行や預金者が被害を訴えない限り警察が積極的に動く理由もない。事実、箱銀は横領されたとする二十億円を特別損失として計上しているので、実害は表面化しない。
 では燎原が遺した箱銀の財務諸表と遺書を見せれば、警察の動きも違ってくるのか。
 多分そうはならないだろうと東雲は予想していた。五年にわたる粉飾のツケを払わされたといくら燎原本人が主張したところで証拠がなければどうしようもない。よしんば信じる者がいたとしても自殺するのはあくまで本人の意志だから、道義的にはともかく箱銀を法的には裁けない。
 百歩譲って粉飾決算を立証できたとしても銀行法第六十三条金融機関による財産状況書類等虚偽提出罪では一年以下の懲役又は三百万円以下の罰金を科すのが精一杯であり、経理部長の巻台ら数人が責任を取らされて終わりだろう。
 一年以下の懲役又は三百万円以下の罰金だと。
 ふざけるな。
 それでは罪も罰も軽すぎるし、到底燎原が浮かばれない。
「刑事さんたちが油を売っているなんて考えたこともありません」
 東雲はなおも食い下がる。
「近しい人間があんな死に方をすると、なかなか現実を受けれられないんですよ」
「それはお察ししますよ」
「ところで燎原は司法解剖に付されたんですよね」
「ええ。大学の法医学教室に執刀してもらいました。それが何か」
「燎原の体内からは高いアルコール濃度が検知されたということですが、司法解剖したのなら当然アルコールの種類も分析されているんですよね」
「糖蜜類を原材料にした高純度のエタノールが検出されました。平たく言えば本格しようちゆうですよ。あれは正式には単式蒸留焼酎と呼ばれるもので、酒税法でアルコール度数が四十五度以下と定められている。市場に出回っているのは二十五度前後のものが多いんですが、最近じゃあ安くて度数の高い焼酎も販売されていましてね。現に彼のクルマの中には、まさに安くて度数の高い焼酎の500ミリリットル缶が転がっていました」
「燎原はそれを吞んだんですか。水で薄めもせずに」
「クルマの中で水割りを作るヤツはいないでしょ。自殺する度胸がないから、寸前に酒の力を借りるってのはよくある話なんです。だったら度数の高い酒をひと息にあおるのが当然でしょう」
 あの燎原がクルマの中で焼酎を呷る姿はどうしても頭に浮かばない。
「すみません。自殺の現場やクルマの中は徹底的に調べたんですか」
「あなたも失礼な人だな。ちゃんとウチの鑑識が採取できるものは全部採取して分析にかけた」
「お手数ですが、担当した鑑識係の人を紹介してくれませんか」
「いい加減にしなさい」
 とうとう吉住は業を煮やした様子で、こちらの願いを払いける。
「もう終わった事件です。これ以上掘り下げたとしても、出てくるのは燎原のだらしなさだけでしょう。友人のあなたはそれでいいかもしれないが、一人残された妹さんはますますつらくなるだけだ」
 訳知り顔でそう言うと、吉住は東雲を追い出してしまった。

     4

 翌日の午後には、預けた決算書類は巻台のデスクの上に戻ってきた。念のために中身をあらためてみたが遺漏はない。代わりに猪俣が作成したであろう損益計算書と貸借対照表、それに関する書類一式が加えられていた。
 巻台は一読して舌を巻いた。
 粉飾決算の手法は業態によって様々だが、大別すれば収益の架空計上と費用の圧縮にしゆうれんする。もちろん単純な帳簿上での粉飾など金融庁の検査官には容易たやすく見破られてしまうが、さすがに猪俣の手際は大胆かつ緻密だった。
 猪俣が着目したのは運用部の業績だ。実際は大きく値下がりした米国債の代わりに、伸長著しい人民元建て債券を短期で売買して利益を出した体裁にしてある。無論、債券の売買記録も整合性が取れている。
 株式運用についても抜かりはない。上半期で値幅の大きかった銘柄を巧みに織り交ぜ、裁定取引で一億近い売買益を加算している。実際は二億以上の損失を計上しているので、株式売買だけで収益はかなり違っている。
 預金も譲渡性預金も微増。貸出金は横ばいだが、これは口座数に変化がないので致し方ないところだろう。
 漏れや矛盾はないかと、金融庁の検査官になったつもりでさいに主要勘定を読み込んでみたが、どこもかしこも整合性が取れており特段に疑問は生じない。
 全ての文書に目を通し終えると、巻台は深いあんためいきいた。どこに出しても恥ずかしくない偽造。珍妙な言い方だが、それに尽きる。口止め料と合わせて二百万円というのは、激安どころか捨て値のようなものだと感心した。
 これなら雄一頭取も納得せざるを得ないだろう。巻台はとんとんと決算書類の角を整えると、頭取室へと急いだ。

「最終的には一億二千万円の中間純利益か」
 本日届いたばかりの損益計算書と貸借対照表を眺めた雄一頭取は、抑揚の乏しい声でぼそりとつぶやいた。
「一億程度でも黒字は黒字か。ひと通り目を通したが、変に数字をいじった痕跡も見当たらない。よくこの二日間で作成したものだな」
「恐れ入ります」
「経理部長としては、もう修正箇所はなしということでいいのか」
「結構です」
「では、この内容で中間決算の発表とする。追って金融庁からのヒアリングもくるだろうが、よろしく対応してくれたまえ」
 雄一頭取はついと視線を外す。用は済んだから、さっさと出ていけという合図だ。巻台にしても頭取室に長居などしたくないので願ったりかなったりだ。
「失礼しました」
 一礼して頭取室を出た途端、今まで肩に掛かっていた重圧が噓のように消滅した。心なしか身体からだも軽くなったようだ。

#9-3へつづく
◎第 9 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


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