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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.9

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#7-4

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、2020年1月10日(金)までの期間限定公開です。

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「生理的に受け付けん、という顔をしているな」
「別に」
「言っておくが、君も似たような顔をしているぞ。鏡で見てみろ」
 季実子は慌てて化粧ポーチからコンパクトを取り出そうとしたが、途端に辰己の忍び笑いが聞こえてきたので手を止めた。
「……悪趣味」
「その悪趣味な男に足を開いているのは、いったいどこの誰だ」
 辰己のにやにや笑いは止まらない。本当に不思議だと思った。少しばかり早い昇進のために、どうして自分はこんな男に身体を許してしまったのだろう。
「こうなったら打ち明けてしまうが、雄一が浮気をしていると聞いた時、俺は初めてあいつに親近感を持った。ああ、普段は謹厳実直、いしきんきちみたいに振る舞ってはいるが、ひと皮けばこいつも俺と同じ男だったんだなとな。不倫現場を押さえた瞬間には、今よりもっと親近感が湧くだろう。妙な話だが、俺はあいつと近しくなるのが嬉しくてしょうがないんだよ」
 ホテルでは何度も耳元でささやかれているから、声を聞いただけでこの男の感情の揺れが分かるようになった。
 今、辰己が吐いた言葉には明らかに親愛とあんの響きがあった。不倫という背徳でしか理解し合えない異母兄弟とは、何とさもしいことか。季実子はむなくそ悪く、そしてわずかに同情の念を禁じ得なかった。
 雄一頭取を乗せたクルマはいよいよ暗く輝くラブホテル街に進入していく。辰己と季実子は息を詰めるようにしてテールランプを追い続ける。
「どこにも立ち寄ろうとしてないし、まりもしませんね」
「相手はホテルの中で待っているのかもしれないな。時間をずらして入れば尻尾もつかまれにくいしな」
「二人別々の写真を撮っても意味がないんじゃありませんか」
「そうでもない。二人がホテルの同じ部屋に入ったのが証明できれば同じことだ。スマホだろうがデジカメだろうが時刻が表示されるだろ」
「それを写すには、わたしもホテルに入らないといけません」
「今更おじづいたのか、みっともない。俺と会う時、ホテルの部屋で待ち合わせたこともあったじゃないか」
 言い争っているうちに、雄一頭取のクルマがるホテルの門をくぐった。
 季実子は驚くしかなかった。何と自分と辰己が定宿にしているホテルではないか。杏子の話では、前回季実子たちと雄一頭取のカップルはニアミスだったらしいが、まさか使用したホテルまで一緒だったとは。
 辰己も驚いた様子だったが、表情は明るかった。
「勝手知ったるホテルだ。盗み撮りのポイントに悩まずに済む。天の配剤というヤツかな」
 駐車場で雄一頭取のクルマが停まる。辰己は少し離れた場所に停め、異母兄の動静を見守る。
 ドアを開けた雄一頭取は、しかし予想外の行動に出た。初めから辰己たちの存在を知っていたかのように、こちらに近づいてくる。
 もう疑いようもない。雄一頭取は運転席の窓をこつこつとたたいて言った。
「辰己、出ろ」
 まるで魔法の呪文だった。命令されたせつ、辰己は表情を硬直させて従順に運転席から出た。
「君もだ、蓼科部長」
 強力な魔法は季実子にも作用した。季実子は操り人形のようにのろのろと車外へ出る。
「妻帯者が行内の同僚とラブホテルか。何か弁解の言葉はあるか、辰己部長」
 千々に乱れる思考の中で一つだけはっきりと認識したのは、不倫の現場を押さえられたのは雄一頭取ではなく季実子たちだったという事実だ。
 それでも辰己は最後の抵抗を試みようとした。
「意味が分からん。俺たちは頭取が不倫しているといううわさを聞き、真実だったらいさめるべきだと思って」
「では、蓼科部長が同行している。わたしが不倫だと。馬鹿も休み休み言え。それともお前は、噓をく知恵さえ陳腐になったのか」
「何だと」
 辰己の顔色が変わったその時だった。
 いきなり三人はまばゆい閃光に包まれた。
 ばしゃっ。
 ばしゃっ。
 ばしゃっ。
 ああ、これはフラッシュをく音だと気づいた時には、既に周囲を数人の男に取り囲まれていた。
はこ銀行本店の強羅辰己部長と蓼科季実子部長ですよね。辰己部長は妻帯者と聞いておりますが」
「これって不倫ですよね。奥さんはこの件をご存じなんでしょうか」
「お付き合いは長いんですか」
「社会的責任について、どうお考えですか」
 彼らの腕にはことごとく腕章が巻いてあり、全員が報道関係者と分かる。いったいいつから物陰に潜んでいたのか。異母兄である頭取に不貞を見咎められた役員兼不肖の弟とその相手。間違いなく彼らの目にはそう映っている。
 恐慌状態に陥ったまま季実子が周囲を見渡すと、フラッシュに慣れた目が他の人間の姿も認めた。カメラやICレコーダーを携えた報道関係者ではない。携帯端末のレンズをこちらに突き出した一般人だった。
 ゆっくりと思考がかたちを成していく。報道機関への露呈、一般人によるネットでの拡散。季実子は見えない縄が自分と辰己を縛るような錯覚に陥った。
「なぜ、強羅頭取はこの場にいらっしゃるのですか」
「二人が密会しているとの噂があり、それを確かめるために参りました」
「二人の関係について何か仰りたいことはありませんか」
「プライベートに関することなのでコメントは差し控えさせていただきます」
「逃げるんですか」
「何らかの対処が必要と判断された場合、可及的速やかに公式発表します」
 雄一頭取はそれだけ言い放つと、自分のクルマに向かって歩き出した。彼を追う者と、その場に留まって辰己と季実子にICレコーダーを突き出す者とに分かれる。
 どちらもどうもうなハイエナの目をしていた。



『箱根銀行本店 内憂外患』
『箱銀 問われるモラル』
『横領・詐欺・不倫』
『箱銀信用暴落』
「まあ新聞屋さんは相変わらずだねえ。池に落ちた犬を叩く叩く」
 新聞の見出しを眺めていたしののめが軽口を叩くと、事務所の応接椅子に座っていたとうが責めるように言った。
「何言ってるんですか。一から十まで全部東雲さんが企てた癖に」
「企てると言ってもさ、二人の目の前に餌をぶら下げただけじゃん。勝手に悪用しようとしたのはあっち。欲さえかかなきゃはまるはずのない穴だった。自業自得だよ」
 うそぶいてみたが、無論こうなるのを充分予測した上でのわなだった。
 蓼科季実子広報部長のばつてきには辰己人事部長の思惑が多分に働いている──当麻からの行内情報を聞いた東雲は、そこに男女関係の臭いを嗅ぎつけた。
 まず杏子から雄一頭取が不倫をしているという偽情報を流す。不倫現場を押さえたい辰己と季実子が雄一頭取のスケジュールを把握しようとするのは当然の帰結だった。
 どうせ偽情報であり、箱銀が混乱することに東雲側は何もつうようを感じない。先回りして、箱銀の秘書室に匿名の電話を入れる。
『本店の人事部長と広報部長が結託し、頭取の不倫話をでっち上げようとしている。もし二人が頭取のスケジュールを確認しようとしたら注意した方がいい』
 電話を受けた菱田という秘書は最初半信半疑のようだったが、雄一頭取への報告は怠りなかった。当麻の人物評では、我が身に降りかかる火の粉は自分で振り払う性格ということだったから、報告を受けた雄一頭取がどんな反撃に出るかは想定内だった。
 後はもっと簡単だった。事前に報道各社に予告した上で、杏子に季実子を見張らせる。そして季実子が辰己に呼び出されたタイミングで各社を出動させる。それだけではない。ネットにも同様の情報を流し、有象無象のネット住人やユーチューバーの好奇心をあおる。この場合、百人に一人でも引っ掛かればいい。その一人が、辰己と季実子がラブホテルにいる現場を押さえてくれれば後は勝手に拡散してくれる。
 実際、新聞報道では二人の氏名は秘匿されているものの、無法地帯のネットでは実名はおろか顔までモザイクなしで映っている。地元で幅を利かせる銀行の幹部同士だから、不倫を非難する声も箱銀のモラルの欠如を嘆く声も瞬く間に広がってしまった。
「新聞だけならプライベートな問題で済んだものを、SNSで拡散されたのが致命的でした。翌朝からウチの広報では電話が鳴りっぱなし、公式ホームページは非難の書き込みで真っ黒ですよ。あれだけ市民の反感を買ったら、プライベートの問題では押し通せなくなります」
「もう具体的な処分とか取り沙汰されてるの」
「不倫だけなら風紀を乱してうんぬんで事は収まるはずなんですが、異母弟の謀略なんていう核兵器が込みですからね。雄一頭取ならびに強羅莞爾総帥は怒り心頭と聞きました。箱銀のイメージダウンも深刻なので、二人ともただでは済まないでしょう」
「人を呪わば穴二つ。ああ、怖い怖い」
 東雲は歌うように言い、眺めていた新聞を放り投げる。穴はまだまだ無数に隠してある。燎原を陥れておきながら、これで済むと思ったら大間違いだ。
「それにしても東雲さん。あの二人を失脚させるのにどんな意味があったんですか。二人は燎原先輩の死に関与していないと思うんですけど」
「箱銀のイメージ失墜にはなったでしょ。不動産と未公開株で経済的な打撃を与えたから、今度はイメージを攻撃したまで」
「どんな効果があるというんですか」
「知ってる癖に。横領事件と二つの詐欺事件。これだけでも銀行の信用はガタ落ちなのに、そこへ持ってきて今度は本店幹部同士の不祥事だからモラルも疑問視される。新聞の見出し通りの内憂外患。信用をくした銀行の行く末くらい見当はつくでしょ」
 東雲が問い掛けると、当麻はひどく座り心地悪そうに尻をもぞもぞさせた。

▶#8-1へつづく
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