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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.3

嵌められた親友の仇を討つ、知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#5-3

中山七里「バンクハザードにようこそ」

 八月二十二日、午後一時三十分。
 二宮修太郎との未公開株受け渡しを控えて、春日居は緊急部長会議の席上にいた。出社した直後に出席を命じられたため、平岩と時間調整ができないまま七階会議室に追いやられたかたちだった。
 どこも似たようなものだが、箱銀上層部は会議が大好きだった。どこかの部門が計画未達なら会議、一支店でトラブルがあれば会議、果てはグループ総帥ごうかんの誕生日が近づいたというだけで会議という有様だ。
 春日居も馬鹿ではないので、会議がただ時間を浪費するだけのセレモニーであるのを承知している。本来は組織の問題点について討論を行い、具体的かつ効果的な解決案を絞り出すのが会議の役目のはずだ。だが大抵の会議は参加者の総意を確認するにとどまり、問題を解決するはずの場は担当者への叱責と責任追及の処刑場に堕している。この日の会議がまさにそれだった。
 部長会議といっても全ての部門長がそろう訳ではない。営業部・運用部・関連事業部、そして公務金融部といった収益に関わる予算を持たされた部門の長だけが集められ、司会として経営管理部が仕切るという格好だ。
 ただしずらりと並ぶ部門長をめ回すように一番奥に座っているのは良知部長だ。同じ部門長であっても箱銀本店内での序列は彼が最上位になる。
「いったい、この体たらくは何だ」
 良知部長は会議開始から何度もその文言を繰り返していた。
「二百億の横領が発覚したかと思えば、審査部がまんまとだまされて十億円の損失。一方収益は下がる一方で、第二四半期も未達の可能性が高い。何か改善策はないのか」
 全員を叱責しているようだが、関連事業部や公務金融部は元々大きな収益を見込まれない部門なので、実質的には運用部の春日居一人を責めているようなものだ。二百億の横領については個人の犯罪として処理され、しかも本人が自殺しているので表立っての非難は影を潜めた感がある。ただしそうなると、自部署のなさに両目をつむった良知部長が非難の矛先を運用部に向けるのは自明の理だった。
「少子高齢化と若年層の低収入が口座伸長に歯止めをかけている。個人消費も伸び悩んでいてリテールバンクが活用されていない。元々小口のリテールに期待はできなかった」
 営業の不振を外部要因だけのせいにできるのは、良知部長に面と向かって発言できる者がいないからだ。良知部長が仕切る会議では営業部の意思が絶対となる。
「片や利ザヤの稼げる運用部は何をしている」
 無言を貫く訳にもいかず、春日居は無駄と知りつつ外部要因に救いを求める。
「ご承知のようにNYダウの軟調が日本の株価に圧力をかけています。国債も価格を下げ続けており」
「それは国内の金融機関全てに共通する要因だろう。それを踏まえた上で箱銀運用部は独自の解決案を持っているのかと聞いている」
 そんなものがあれば四月から苦労はしていない。
「反発する材料が不足していまして……」
「だから、いつまで外部要因のせいにしているんだ。値を下げるものがある一方では必ず値を上げるものがあるはずだ。短期でもそうしたものを回していけばいい。大体、運用部とはそういう仕事をする部署だろう」
 およそ論駁にもなっていない論駁で、良知部長がうつぷんを晴らしたいがための発言と分かる。春日居だけでなく会議に参加している全員がそのことを知っている。
「早急に対策案を出せ」
 良知部長が高らかに言う。明らかに自分の声に酔っていた。
「短期でも結果を出すのが運用部だ。最低でも審査部が空けた十億円の穴を埋めろ」
 おそらく言った本人にもその気はないだろうが、口調だけだと最後つうちようにしか聞こえない。会議の席上でそれを口にするのが様々な弊害を生むのを全く理解していない。いや、理解していながら敢えて言っているのか。
 十億という数字が思考の端に引っ掛かる。二宮サイバーセキュリティの未公開株をいタイミングで売却すれば十億円の利ザヤを稼ぐのもあながち夢ではない。いつもなら不確かな予想に基づいた発言は控えてきた春日居だったが、良知部長のしつような叱責につい自制心が緩んだ。
「十億円なら何とかできるかもしれません」
 口に出してからしまったと思ったが、もう遅かった。
 一瞬、良知部長はあつに取られたような顔をしたが、すぐにこうかつな薄笑いを浮かべた。
「期限は区切れるのか」
「今期中には必ず」
「十億円なら何とか、か。さすがに春日居部長だな。非常に心強い返事をもらった。他のみんなもしかと聞いたな」
 居並ぶ部長たちが渋々といった体で頷く。
「期中ということで期間にはかなりのスパンがあるが、それはいいだろう。部長会議の席上で明言したからには、履行できる目処があるのだろうし、履行できなかった時の出処進退も決めているに違いない。部長会議は春日居部長の意思を全面的に尊重する」
 良知部長は獲物を袋小路に追い詰めた捕食者の顔で笑っていた。

 会議が終了するなり、春日居は自室に飛び込んでデスク上のパソコンを立ち上げた。会議でるし上げを食らった上にしなくてもいい約束までしてしまい、春日居はすっかり取り乱していた。
 呼び出した画面は箱銀本店営業部名義の株式口座だ。今は大手に限らず中小の証券会社もオンラインサービスに注力している。資産の管理から売買まで、証券会社の店舗を通さずとも株取引が可能だ。午後二時きっかりに、この株式口座に二宮サイバーセキュリティ株が入庫される。そのタイミングで箱銀本店営業部から、平岩の指定した神奈川証券の口座に十億円が送金されるはずだった。
 現在、株券というものには実体がない。以前は有価証券という紙ベースで存在していたのだが、換価価値を持つ証券という性格上、紛失・盗難や偽造といったリスクを内在させていた。当然その保管にも手間や費用が掛かり、売買で頻繁に名義人の替わる株式には不都合なことが少なくなかった。
 そこで二〇〇九年から、上場している全企業の株券は電子化されることになった。つまり証券保管振替機構や証券会社などの金融機関に設定された口座を通して、電子的に売買や管理を行うようになったのだ。これは未上場企業の場合も同様で、株式会社であっても株券を発行しなくてもいいように株券不発行制度が導入されている。二宮サイバーセキュリティもまさにその制度を利用していた。十億円分の有価証券を受け取るのに物々しい警備を依頼する必要もなく、こうしてパソコンの前に陣取っていればそれでいい。
 今か今かと待っていると、午後二時五分前に平岩からの連絡が入った。
「はい、春日居です」
『平岩です。今、弊社の口座をお開きでしょうか』
「ずっとパソコンの前で待機していますよ」
『ありがとうございます。では00分きっかりに出庫処理をしますので、よろしくお願いいたします』
 電話を切ってから、春日居は画面中央の〈保管株式一覧〉と右下の現在時刻を代わる代わる見つめた。
 保管株式の一覧など見慣れているはずなのに、今日に限って心臓が早鐘を打ち始めている。
 理由は明白だ。先刻の部長会議で追い詰められたために、余裕が吹き飛んでいる。定刻になれば株券が入庫するのは分かっているのに、一瞬も画面から目を離せないでいる。
 二分前。
 未公開株が入庫された瞬間、保管株式一覧のページをプリントアウトし、良知部長の目の前に叩きつけてやろうか。部長会議での鬱憤はそれで晴れるはずだ。
 いや、いくら何でも大人げない。せめて月末の定期報告でさらりと説明を加えた方が、あの出来損ないの鼻を明かしてやれるのではないか。
 一分前。
 入庫した未公開株を来年一月の株式公開と同時に売りに出す。最初は一部を指値にして様子を見つつ、高騰の気配を確認できたら成行注文に移行するのも一つの手だ。ストップ高になったとしても欲をかいてはいけない。当面の目標はとにかく十億円以上の利ザヤを稼ぐことだ。それには当日に全株を売り切った方がいい。いくら人気銘柄といっても、今の市場動向で二日連続ストップ高になることはそうそうない。当日も、こうしてパソコンの前に張り付いていなければならないのか。いや、さすがにその際は部下に管理を任せた方がいいだろう。
 十秒前。
 五秒前。
 三。
 二。
 一。
 時刻表示が午後二時になった瞬間、保管株式一覧の中に〈二宮サイバーセキュリティ〉の名前と四桁の銘柄コードが飛び込んできた。
 よし。無事に入庫は完了した。
 春日居はひと息入れる間もなく、平岩に指定された口座への送金手続きを行う。十億円のやり取りをしているというのに動かしているのは数本の指だ。
 直後にまた平岩から連絡が入った。
『着金、こちらでも確認できました』
「お疲れ様でした。修太郎氏はお近くにいらっしゃるんですか」
『いえ、彼は自宅に待機していてわたしからの送金を心待ちにしている状況です』
「そうですか。では平岩さんからよろしく伝えておいてください。今後はあまりわたしとお会いにならない方がいいでしょうと」
『同感です。今回はお手間を取らせてまことに申し訳ありませんでした』
「あなたとは今後ともよい取引を継続したい。よろしくお願いしますよ」
『それでは失礼します』
 十億円の取引を済ませたというのに冷めた声をしている。女だてらにと言えば怒るやからもいるだろうが、平岩の冷静さは好ましく映る。今後も取引を続けたいと告げたのは決して社交辞令ではなかった。
 保管株式一覧に表示された〈二宮サイバーセキュリティ〉の文字を眺めていると、胸があんで満たされるような気分だった。

>>#5-4へつづく ※9/3(火)公開

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「カドブンノベル」2019年9月号収録「バンクハザードにようこそ」より


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