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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.14

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#9-1

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

東雲昂の親友・燎原勲が自殺した。箱根銀行課長だった燎原は20億円を横領したとされるが、東雲も燎原の妹の杏子も信じられない。燎原の遺した箱銀の粉飾決算の証拠を見つけた二人は復讐を決意する。箱銀審査部副部長から不動産売買融資詐欺で10億円を奪い取り、行員の当麻を仲間に加えて、運用部長からも未公開株詐欺で10億円を騙し取った。人事部長と広報部長の不倫も白日の下にさらした東雲は、経理部長の巻台に目をつけ、身分を偽り近づく。

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     3

 二十三日午前六時、まきだいは重い頭を振りながら上半身を起こした。眠気よりも不安が勝り、結局はまんじりともせず一夜を過ごしたことになる。
 ゆういち頭取から浴びせられた言葉の数々が神経をさいなむ。抑揚のないしやべり方だが、だからこそはいにまで響いてくる。おそらく本人もその効果を承知の上で話しているに相違なかった。
 経理部長の自分なら決算のかいざんが可能だ。表面上の中間決算を乗り切った労はねぎらわれるだろうが、どうせ半年後の決算発表の際には同じ苦境に立たされることになるだろう。何より粉飾決算が発覚した場合、巻台が詰め腹を切らされる羽目になるのは必至だ。
 だからと言って雄一頭取の無言の指示を拒絶すれば、早晩冷や飯を食わされるのも目に見えている。雄一頭取は身内にも身内以外にも容赦ない。自分の手駒に相応ふさわしくないと判断すれば時期に関係なく人事異動を発動させる。巻台の知っている限りでは異動時期の四月を過ぎた直後に降格させられた役員も存在する。九月を過ぎた時点で巻台を支店に左遷させるなど造作もないだろう。いや左遷ならまだいい方だ。下手をすれば降格の上で退職に追い込まれる可能性すらある。
 住宅ローンの完済までにはまだ十二年もある。二人の子どもは高校生と中学生で一番カネのかかる時分だ。はこぎん本店経理部長の座を降りる訳にはいかない。
 退くも地獄進むも地獄、進退窮まるというのはこういうことを言うのだろう。背任行為を続けて箱銀の暗部に首までかるのか、それとも雄一頭取の呪縛から逃れて安定した生活と引き換えに肩の荷を下ろすのか。
 じたばたしても分かっている。家族だけではない。箱銀内に断ち切りがたいしがらみもある。今の生活を放り出すことなど、どだい不可能だ。
 巻台は虚空をにらむ。試算表と損益計算書は執務室のひきだしに入れてあるが、各勘定科目の金額はすっかり頭に入っている。
 ひと晩かかって辿たどり着いたのは、やはりいのまたの助言を仰ぐという結論だった。
 最初に話を持ち掛けられた時は、金融庁の担当者が決算の粉飾を手伝うなど前代未聞だとあきれた。だがひと晩じっくり考えてみると、次第に現実味を帯びてきた。他の業界はどうだか知らないが、金融の世界には縁故や情実がまかり通っている。現に箱銀内では、どんな能無しでもごう姓ならば重用されているではないか。
 何より猪俣の人となりが巻台の琴線に触れた。公務員特有の融通の利かなさと情の厚さが同居している男は珍しい。今まで会ったことのないタイプなので余計に信用したくなるのかもしれない。
 信用したくなる理由はまだある。猪俣の肩書は銀行第二課の課長補佐だが、以前は検査部で主任検査官を務めていたのだという。検査官は実際に銀行に立ち入り書類の一切合財を精査し、行員にヒアリングさえ行う。なるほどそうした経歴の持ち主なら決算報告書の粉飾に詳しいはずだ。彼の助言はあたい千金に違いない。
 朝食の際も心ここにあらずだったらしく、巻台は何度か女房からとがめられた。
「子どもにはテレビながら食べるなって注意する癖に」
「集中して食べているんだ」
うそ。ぼーっとしていることくらい、見れば分かるわよ。こっちだって朝の貴重な時間を割いて食事の用意しているんだからね」
 お前はそうやって家事だけしていればいいが、俺は毎日胃の痛みと闘っているんだ──喉元まで出かかった反論をみ込む。前にもそれを口にしてひともんちやくがあった。この大事な時に、家の中まで居心地悪くしたくない。
 七時十五分に家を出て最寄りの駅に向かう。ホームに電車が滑り込んでくるが、窓を見ただけで満員であるのが分かる。り革につかまって揺られること十七分、箱銀本店前に辿り着いたのはいつもと同じ七時五十五分だった。
 執務室に駆け込み、抽斗からくだんの試算表と損益計算書を取り出す。数値を暗記しているから現物を見る必要はないが、目の前に置いておかないと何となく落ち着かない。
 八時ジャスト、部下に申し送りをすると、ようやく行内の通常業務が稼働し始める。このまま午後三時まで突発事が発生しない限り、執務室で自分の作業に集中できる。
 巻台はドアに近づき、内側から施錠されているのを確認する。今日ばかりは誰も訪れてほしくない。誰にも中でのやり取りを聞かせたくない。
 机に戻った巻台はスマートフォンを取り出して猪俣の番号を呼び出す。
『はい、猪俣です』
「箱銀の巻台です。昨日はご足労いただきありがとうございました」
『こちらこそ』
「早速で恐縮ですが、本日空いているお時間はありますか。できましたら、またお越しいただきお時間を頂戴したいのですが」
 勘のいい者ならこれで巻台の求めを理解するはずだ。案の定、猪俣は要件すらこうとしなかった。
『午後イチなら伺えます』
「お待ちしておりますのでよろしくお願いします」
 通話はそこで終わった。費やした時間は一分にも満たないだろう。ところが終話ボタンを押した瞬間、わきの下から大量の汗が流れてきた。どうが激しくなっているのも自分で分かる。自覚していなかったが、やはり緊張していたのだろう。スマートフォンも手汗でびっしょりとれていた。

 時間に正確な人間はそれだけで好感度が上がる。猪俣は午後一時きっかりに現れた。
 巻台は猪俣を執務室に招き入れるとソファに彼を座らせ、自らは対面に腰を据えた。
「早速お招きいただいたのは、昨日の申し出について快諾されたという解釈でよろしいですか」
「ええ。ただし、お願いする前に一つだけ確認したいことがありまして」
 巻台は相手の目を見据える。猪俣は信用の置ける人物だが、もう一つ保証が欲しかった。
「先日あなたは、恩人のご子息が勤めているから箱銀を救いたいと言われました。男気にあふれた話だし、わたしもそういう話には弱い。是非ともお願いしたい所存だが、その、何というか、業界のあかまみれていると、男気だけを信じることに危惧も感じます。早い話がどうにも不安なのですよ」
「ああ、つまり金融庁の職員たるものが善意だけで動くはずがないと疑っていらっしゃるんですね」
「いや、決して疑っている訳ではないのですが」
おつしやる意味はよく分かります。そうですね、わたしも危ない橋を渡るのですから、いくぶんは見返りを頂戴したいですね」
 見返りと聞き、巻台は胸をで下ろす。ちよくさいに言うのはえて避けていたが、背任行為に手を染める以上は共犯者となる。しかし善意で手助けをしてくれるのでは、いざという時に裏切られる可能性もないとは言い切れない。下卑た発想だが、相手も見返りを求めているというかたちにした方がより共犯関係を強固なものにできる。何のことはない、相手に自分と同様の卑俗さを求めているだけの話だ。
「結構です。わたしとしても調査料・相談料ということでしたら異存はありません。それで、調査にはおいくら必要なのでしょうか」
 いくばくかのカネを渡して共犯関係を結べると安心したのもつかの間、今度は要求額におびえる。事もあろうに金融庁の役人が背任行為の片棒を担ぐのだから、目の玉が飛び出るほどの金額を要求されても不思議ではない。
 ところが猪俣が口にした金額は予想外のものだった。
「では二百万円を希望します」
 桁違いの金額を覚悟していたので拍子抜けした。
「それでよろしいのですか」
「見返りというよりは口止め料でしょうか」
 なるほどと巻台は胸のうちで膝をたたく。二百万円というのは微妙な金額だが、口止め料と考えるのなら妥当と思える。
「口止め料は成功報酬ではないので前払いでお願いします。巻台さんもその方がご都合よろしいでしょう」
 よく相手の心理を読む男だ。実際、成功報酬が後払いでは途中で気の変わるおそれも生じる。その点、前払いならカネを受領した時点で共犯関係が確定したことになる。逆説的だが、前払いの方がこちらは安心できる。加えて二百万円程度のカネなら経理部長の裁量ですぐにでも用意できる。
「二百万円には数字を操作した決算報告書の作成代も入っています」
「えっ」
「金融庁と世間に公開するための決算報告書を作るおつもりだったのでしょうが、そのための助言を聞きながら作成していたのでは時間がもったいない。だったら最初からわたしが作成してしまった方が早いでしょう」
「それはその通りですが」
「世間に対してはともかく、金融庁の検査をくすり抜けるような操作が必要です。わたしは適任だとお思いになりませんか」
 うってつけだとは思ったものの、口にはしなかった。それに粉飾した決算報告書の作成代込みなら、二百万円は激安価格といってもいい。
「調査料は本日中にでも送金しましょう」
「いや、現金でお願いします。通帳に痕跡を残したくないので」
「……うっかりしていました」
「箱銀さんなら二百万円程度の現金はすぐ用意できると思いますが」
「もちろんです」
「取りあえず決算報告書を拝見しましょう。どのみち確認作業に時間を頂戴しますから、現金はその間にご用意いただければ結構です」
「では早速」
 巻台はデスクに取って返し、出金依頼書を作成し責任者の印鑑をす。緊急に現金の出金が必要になった時、経理部長の裁量である程度の現金は何らかの名目で捻出が可能だった。名目が記録に残せない内容でいよいよとなったら、不明金で計上すればいいだけの話だ。
 次に抽斗の中から試算表と損益計算書を取り出す。
「ご承知でしょうが、これだけでは足りません」
 書類をいちべつもしないうちに猪俣の指示が飛ぶ。
「総勘定元帳と減価償却資産台帳、それから株主総会議事録と取締役会議事録も取り寄せてください。事は決算報告だけではなく、金融庁の検査にまで関わってくることですから」
 猪俣は念のためにと前置きして、検査部局の検査手順について説明を始める。検査班の主任検査官は後に行われる監督部局への報告のために、当該銀行の現状を把握しておかなければならない。その際に報告するのは以下の内容だ。

  1. 前回検査から当該時点までの当該銀行の主な動き(他行との提携、増資、経営陣の交替等)
  2. 直近決算の分析結果
  3. リスク情報等に係るオフサイト・モニタリングに関する分析結果
  4. 各種ヒアリングの結果
  5. 監督上の措置(報告徴求、行政処分等)の発動及びフォローアップの状況
  6. 監督局として検査で重視すべきと考える点
  7. その他

 従って当該銀行の担当者は、主任検査官からのヒアリングに備えておくべきだと猪俣はいう。至極もっともな意見であり、反論の余地はない。
「これら七項目に関わる書類も必要です。すぐにご用意いただけますか」
「もちろんです」
 元より経理部には決算関連の文書もデータも全てそろっている。ただしその半数近くはデータ化されており、プリントアウトに時間を要する。
「多少の時間がかかるのは想定内です。しかし一つ一つを精査するとなると半日では到底足りません。紙ベースのものは現在用意できるだけで結構ですが、データ化されたものはUSBメモリーか何かにコピーしてお借りできませんか」
 巻台もこれには即答しかねた。発表前の文書やデータは機密書類だ。既に試算表と損益計算書を部外者に見せている段階で機密も何もあったものではないが、これ以上のろうえいはさすがに二の足を踏む。

#9-2へつづく
◎第 9 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!



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