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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.18

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#10-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。

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 次の瞬間、両目がくわっと開いた。
「それを貴様はとんだ不良銀行にしてくれたな」
「申し訳」
 言い終わる前に言葉が途切れた。
 莞爾の右足が正確にみぞおちを捉えていた。息もできず、雄一はその場に座り込む。
 懐かしい痛みとともに思い出す。昔から莞爾は神経質なまでに手先を気にしていた。商談相手に名刺を渡したり握手をしたりする際、少しでも手に傷がついていると印象が悪くなるという理由で、莞爾の仕置きは常に足蹴りだったのだ。
「謝るくらいなら失敗するな。お前は頭取という地位を何だと思っている。普通の人間なら許されるミスも頭取には許されん。そんな当然のことを学ばずに、今まで本店ビルの最上階で胡坐あぐらいておったのか。この役立たずめが」
 ひざまずいていると、二発目は胸に飛んできた。雄一は堪らず真横に倒れ込む。八十三歳の老人の力とはとても思えなかった。
「お前のことだ。経理部長あたりに詰め腹を切らせた上で、自分は早々に退任して世間の非難をかわすつもりだろう」
 またしても本音を暴かれ、雄一はひと言も抗弁できない。
「ふん。下手に責任逃れをして嵐が通り過ぎるのを待つよりはマシだが、容易たやすく元の地位に戻れるなどと勘違いするな。わたしは致命的なミスをした人間を簡単に許すような度量は持ち合わせておらん」
「わたしは……一人息子……なのに」
「もう一人の子どもをひんの目に遭わせているようなボンクラに、そんな口をたたかれる覚えはない」
 莞爾の声は終始落ち着いており、激している気配はじんもない。だからこそ息子である雄一の心胆を寒からしめる。実の息子にどんな暴力を行使してもただのしつけと認識して、むしろ誇りにさえする男だ。
「頭取を退任する前になるべく早急に記者会見を開け。こういうのは早めに当事者が頭を下げれば、叩こうとするヤツらも気勢をがれる。だが地元紙にあれこれ非難記事や憶測を書かれた後では辞める意味がない」
「承知、しました」
「粉飾決算に関わった人間は一人残らず処分しろ。今更お前が温情など見せるな。自分が舞い戻った時の居場所を確保しておこうなどと夢にも思うな。処分された役員や行員が、お前を親のかたきと思うくらいの厳しい仕打ちをしろ。身内に憎まれるくらいでなきゃ、野次馬は決して満足せん。金融庁も同じだ。かすみせきの役人どもが同情するくらいの非情さでちょうどいい」
「どうして、そこまで」
「傷口を絞りに絞って、雑菌に冒された血肉は一滴一片も残さず取り除く。うみを出しきるというのはそういうことだ」
 膿。
 長らく箱銀のために粉骨砕身働いてきた息子を膿と言い捨てるのか。
 怒りと衝撃で視界がゆがむ。だが幼少期から植えつけられた恐怖と服従は心の底に根を下ろし、決してついえることがない。
「弱り目にたたり目という言葉がある。ただのことわざだと思っていると足をすくわれるぞ」
「どういう意味ですか」
「抵抗力の落ちている時には病原菌に感染しやすい。普段なら発揮できるはずの抵抗力が発揮できなくなる」
 これ以上、悪いことなど起こりようがないではないか。胸の裡でそう考えていると、頭の上から冷たい言葉を浴びた。
「どうせ年寄りのたわ言とでも思っているのだろう。だからすうせいを見誤るような羽目になる」
 顎をつかまれ、強引に顔を上げられた。
「経営判断にミスがあった以上、どんな高級な椅子に座っていたところで貴様は悪性の膿であったことをまず自覚しろ。膿のままではどこの会社に放り込みもさせん。やすやすとグループ企業に移れると思うな。お前の好きなようにはさせん。まだ当分は尻拭いに奔走しろ」
 実の息子に対する言葉ではないが、莞爾の口から出ると本気としか思えなくなる。
「大方、潔い退任を目論んでいたのだろう。浅薄なことよ。いいか、とにかくケツ拭きに専念しろ。経済記者からインタビューされたら全部経理担当者の仕業だと責任逃れをしろ。世間から非難を浴びる度に四十五度で頭を下げ続けろ。往生際悪く振る舞い、みっともなく、惨めたらしい姿を天下に晒せ。最後は水に落ちた犬のようになって、石を投げられながら頭取の座から退け。トップの去り際が悲惨であればあるほど世間はりゆういんを下げ、それ以上箱銀を攻撃しようとはしなくなる。今まで本店ビルの最上階で散々悦に入っていたのだ。最後は箱銀のいけにえとなって己の職務をまつとうせえ」
 改めて雄一は思い知らされる。
 世間と役員連中は強羅一族の結束をたたえ恐れているが、結束の強さは血のつながりに起因するものではない。
 全ては総帥である強羅莞爾への恐怖心によるものだった。莞爾に逆らってはならない。莞爾を怒らせてはならない。そうした怯えが一族を統率してきたのだ。
「粉飾決算の関係者を処分するのはもちろんだが、それ以外にも大事な仕事が残っている。粉飾していない方の財務諸表を見たが、自己資本比率が危険水域を下回っている。このまま推移すれば期末時点で四パーセントを割り込む」
 BIS規制に抵触した銀行は免許取消の対象となる。
「箱銀を身ぎれいにし、後任が苦労せずに済むようにしてから自由にしてやる。それまではまともに息ができると思うな」
 莞爾は冷ややかないちべつを寄越すと、急に興味を失ったように椅子を回して背を向けた。
「用が済んだらさっさと出ていけ」
「……失礼しました」
 雄一はのろのろと立ち上がり、機械的に一礼してから書斎を出た。
 まるで自分が雑巾にでもなったかのような感覚に陥る。莞爾の言葉ではないが、水に落ちた犬の気分というのはこういうものなのだろうか。
 自己資本比率を上げろと莞爾は命令した。自己資本比率を上げる手立ては大きく分けて次の四つが考えられる。

1 資本の圧縮
2 負債の圧縮
3 増資
4 純利益を上げる

 雄一も頭取として手をこまねいていた訳ではない。経営に不安のある企業からは融資金を回収させ、怪しげなベンチャー企業からは臆面もなく貸し剝がしをするように指示した。それでも箱銀の財務内容は思うように改善されなかった。
 残る手段は資本を圧縮するために遊休資産を売却することくらいだ。だが箱銀名義の遊休土地は多くない。抵当権実行からの自己けいばいによって取得した企業の店舗跡、そして行員の福利厚生の名目で郊外に建てた保養所などだが、いずれも売却には時間がかかるし、不動産価値はたかが知れているので劇的な効果はあまり期待できない。
 不動産価値という観点で見れば、一番売却しやすく高値がつくのは本店ビルだろう。強羅グループの権勢を象徴する城であり、市内の一等地にそびえ立っている。あのビルを売却してしまい、一階の店舗フロアだけは賃貸で借り受ける──雄一自身が一度ならず考えた案だが、莞爾の猛反対が予想されるのでいつも真剣には検討しなかったのだ。
 だが今この瞬間、雄一には悪魔のささやきが聞こえる。
 全ての後始末が済むまでは勝手に頭取を辞任することは許さないと明言された。言い換えれば、それまでの間は箱銀に関する一切の決定権は雄一の手の内にある。
 また莞爾は箱銀を身ぎれいにしろと厳命した。つまり本店ビルの売却は莞爾の意に沿う計画と解釈することも可能だ。実際、本店ビルを売却してしまえば資本は劇的に圧縮できる。自己資本比率も一気に跳ね上がる。本社ビルの売却は窮地に追い込まれた企業のじようとう手段でもある。
 ただし自己資本比率の確保と同時に、箱銀および強羅グループは自らが斜陽企業である事実を世間に知らしめることになる。そうなった場合、総帥の莞爾はいったいどんな顔をするのだろうか。箱銀の延命のために本店ビルを売却した自分を勘当でもするのだろうか。
 絶対に足を踏み入れてはいけない聖域に踏み込む背徳感は雄一をこの上なく興奮させたが、それは自傷行為に伴うそれと酷似していた。
 玄関先ではまだ児島が待っていてくれた。雄一はずいぶん具合が悪そうな顔色をしているはずだが、それには一切触れようとしない。お抱え運転手のかがみのような男だと思った。
「本店へ行ってくれ」
 本店に戻り次第総務部長を呼び、本店ビルの売却について試算をさせるつもりだった。実際に実行するか否かは試算の結果を確認してからでいい。それでも試算を命じられた総務部長は目を白黒させるだろう。
 雄一は本店ビル売却を知らされた役員連中の顔を一人一人想像し、自虐的な愉悦に浸っていた。

▶#10-3へつづく
◎第 10 回全文は「カドブンノベル」2020年2月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年2月号

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