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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.16

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#9-3

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。

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 明けて十月、他行とともに箱銀の中間決算が発表された。その内容は全国銀行協会と各行のホームページに公開された。増益四十一行、減益七十三行、中間純損失二行の中で、わずかに増益した箱銀は目立たない存在だった。巻台をはじめ、決算に携わった関係者のほとんどが胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
 無論、ひと山越えたといっても箱銀の財務内容の実態は火の車なので破局を先延ばしにしたに過ぎない。それでも半年間の猶予を得た安心感は、まるで麻薬のような陶酔と常習性があった。
 だが箱銀関係者たちの安堵も長くは続かなかった。中間決算が発表された翌日、とんでもないものがネットに流出したからだ。
 最初に気がついたのは経理部の女子行員だった。経理部のフロアに呼ばれた巻台は、部員注視の中、彼女のデスクに到着した。
「部長……これ、いったい何なんでしょうか」
 彼女が指し示したのはパソコンの画面だった。中間決算絡みの検索結果がずらりと並ぶ中、その表題だけが異彩を放っている。
はこ銀行 今期中間ウラ決算報告書』
 ウラだって。
 巻台は女子行員の椅子を借りると、件の表題部をクリックする。瞬時に現れた表を目にして、全身が硬直した。
 表示されていたのは箱銀の損益計算書と貸借対照表、それに関わる財務諸表の全てだ。しかも公に発表された内容ではなく、粉飾される前の裸の数値だった。ご丁寧なことに真正と虚偽のものが並んで表記されており、操作した部分の数値だけが赤字になっている。つまり素人目にも、どこをどう改竄したかが一目瞭然になるように工夫されているのだ。
 何度も試算し確認したから、各々の数値は頭に刻み込まれている。まごうかたなく本物の決算報告書が堂々と開陳されている。
 いきなり真横から殴られたような衝撃だった。視界が急速に狭まり、呼吸が浅くなる。心臓は早鐘を打ち、鼓動が己の耳に届いている。
 いったい、誰が、こんなことを。
 真正の書類は今なお抽斗の中に眠っている。自分と決算報告書作成に関わった行員以外は見ることも触ることもできないはずだった。
 いや、一人だけ箱銀の部外者でそれが可能だった者がいる。
「部長?」
 背後で女子行員が声を掛けてきたが、碌に返事もできなかった。フロアの隅にい出てスマートフォンを取り出し、猪俣の番号を呼び出す。
 この時点で自分がわなめられたのは半分承知していた。だが残り半分は何かの間違いではないかという淡い期待もあった。二百万円の現金を渡し、男気を見せてくれた相手に呆気なく裏切られたことだけは認めたくなかった。
 コールが一回、二回。
 五回、六回。
 それでも相手は一向に出る気配がない。コールが重なる度に胃が重くなるような感覚にとらわれる。本来汗きではないはずなのに、見る間に手汗がにじんでくる。
 膝から下が震え出し、喉がからからになる。
 頼む、出てくれ。
 しかし願いはむなしく、コール音は十回を超えた。
 その時、割り込みの電話が入った。相手は雄一頭取だ。
「はい、巻台です」
『今から来てくれ』
「あの、少しだけ猶予を」
『聞こえなかったのか。わたしは今すぐと言った』
 巻台は慌てて通話を切り、最上階のフロアへと急ぐ。呼ばれた理由は明白だ。何を訊かれ何を言われるかも分かっているが、行かない訳にはいかない。
 案の定、雄一頭取はひどくくらい目をしていた。仕事のミスや遅滞をなじる目ではない。親のかたきを射殺すような目だ。
「先ほど金融庁監督局から直接問い合わせがきた。妙な決算報告書がネットに拡散しているが、事情を説明してくれと言われた。何のことかは説明する必要もあるまい」
「はあ……」
「あの決算報告書は以前、部長がわたしに見せたものだ。それをいったん引っ込め、修正した上で中間決算とした。だから、あのデータを持っているのは君だけだ」
 相対する者を詰問する際、抑揚のない喋り方は激情に駆られたそれよりもはるかに効果的だ。巻台はそれこそヘビに睨まれたカエルのように身動き一つできない。
「答えろ。なぜこんなことをした」
「データを漏洩させたのは、わたしではありません」
 それだけ吐き出すのが精一杯だった。
「君でなければ誰だというんだ」
 既に自分は袋小路に追い詰められている。今更隠していても始まらない。巻台は猪俣の訪問を受けてから粉飾のサポートを依頼するまでを、順を追って説明した。
 話を聞いている間、雄一頭取は眉どころか視線一つ動かさなかった。もし視線が実体化していれば、巻台は何度となく串刺しになっているだろう。
「それで、その一度だけ会った猪俣と名乗る男に決算に関わる一切合財の文書を預けたのみならず、データをコピーして渡したというんだな」
 他人の口から行状を聞かされると、自分がしでかしたことの愚かさに吐き気すら覚える。
「金融庁の人間が提案してきた話なので、つい……」
「名刺一枚で信用してしまったのか」
「いえ、金融庁の当該部署に連絡して、彼が所属しているのをちゃんと確認しました」
 巻台は胃がきりきり痛むのをこらえながら猪俣の名刺を差し出した。
「最近、当人と連絡は取れたのか」
「さっきも本人のケータイに掛けましたが、全然出ないんです」
 雄一頭取は名刺を一瞥するなり、デスクの上に放り投げる。次に卓上電話を取り上げて外線につなぐ。
「もしもし、私、箱根銀行本店の強羅雄一と申します。いつもお世話になっております。先ほどお電話をいただきました監督局のあさながさまをお願いしたいのですが」
 数秒間の待機の後、雄一頭取は再び話し始める。
「箱根銀行の強羅でございます。先ほどはありがとうございました。早速、行内調査を開始したのですが、確認したい事項が発生しまして。そちら銀行第二課に猪俣さまという方は在籍していらっしゃいますか……なるほど、左様ですか。大変失礼を致しました。決算報告書の件は一両日中に回答させていただきますので……はい、ご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
 電話の向こう側にいる相手に深々と低頭した後、雄一頭取はゆっくりと顔を上げた。事によると、ゆっくりというのは巻台の錯覚かもしれない。何しろ頭取室に足を踏み入れた瞬間から、時間がひどく長く感じられるのだ。
「銀行第二課に猪俣という職員はいないそうだ」
 薄々予想はしていたが、いざ現実を知らされると衝撃は大きかった。
「見え透いた手口だ。オレオレ詐欺だって、もう少し高等じゃないのか。銀行員どころか、君がいいとしをした大人という事実がもはや信じられないな」
 不意に足元にぽっかりと穴が開いたような感覚に襲われる。
 突然、腰から下の力が抜けた。
 とどめるものもなく、巻台はその場にすとんと腰を落とす。
「そんなところに座るな。邪魔だ」
 雄一頭取は巻台を見もしなかった。
「箱銀として調査結果をまとめなくてはならないが、それとは別に金融庁が改めてヒアリングをしたいそうだ。警察にも出頭しなきゃならない。その全ては巻台部長に担ってもらう。いつまでも腰を抜かしている訳にはいかんぞ。さっさと持ち場に戻り、首を丁寧に洗っておけ」

『箱根銀行 粉飾決算』
『二重帳簿 ネットに流出』
『内部告発か 問われる銀行のモラル』
 記事をひと通り眺めると、東雲は新聞を杏子に手渡した。
「地銀の粉飾決算を、三大新聞がトップニュースに持ってきてる」
「これだけ粉飾の手口を易しく解説した事例はなかったからな。分かりやすい上に悪質だから素人でも叩きやすい」
「悪質って、数字を操作したのは東雲さんじゃない」
「巻台は数年に亘って同じことを繰り返していた。俺が初犯なら巻台は常習犯だよ。断然あっちの方が悪い」
「変な理屈」
 杏子は唇をとがらせるが、新聞の見出しに視線を落とすと口元を綻ばせた。
 よくない傾向だ。
 いくら兄のふくしゆうだとしても、他人の不幸をわらう人間になってはいけない。もし、ここに燎原がいたら東雲は間違いなく張り倒される。
「今回は杏子ちゃんに迷惑をかけた」
「巻台部長の電話を受けたことですか。あんなの全然大した仕事じゃなかった」
「行為と成果は別物でね。仕事自体は大したことがなくても、巻台をだます決定的なピースになっている。もう二度と巻き込まないから安心しときな」
「ちょっ、東雲さんっ」
 杏子は異議申し立てのために立ち上がる。
「まだこれからじゃない。どうしてわたしを除け者にするのよ。とうさんにはちょくちょく頼み事する癖に」
「そりゃあ彼は内部の人間だからね。一方、杏子ちゃんは単なる内定者に過ぎない。ちゃんと大学の講義には出ているんだろうな」
「やだ。お兄とおんなじこと言ってるよ、この人」
「燎原は真面目に出席した。俺はさぼりにさぼり抜いた挙句、お情けで大学を卒業させてもらった。その差が今やこおんなに開いている」
 東雲は両手を一杯に広げてみせる。
「でもお兄はあんな目に遭わされた。東雲さんはほとんど一人で箱銀を潰そうとしている。どちらかを目指せというなら、わたしは東雲さんの方を目指す」
 杏子は東雲につかつかと歩み寄り、至近距離から見据えてきた。
 本気の目をしていた。
 まずい。
 東雲はしばらく正視した後、杏子の額を思いきり指ではじいてやった。
「痛あっ」
「そんなもん目指すなっちゅーの」
「この歳になってデコピンされるとは思わなかった」
「その歳だからやったんだ。ガキが悪党のごとしてイキるんじゃないっての」
「でも、まだ目的地まで遠いよ。粉飾決算が明るみに出たって、役職者の何人かがクビになって終わりでしょ。別に箱銀が廃業になる訳じゃないし」
「当麻ちゃんにも言ったんだけどさ。にも角にも銀行が存在している理由は信用なんだよ。健全経営をしているから破綻しない。破綻しないから安心してカネを預けられるし借りることもできる。言い換えれば、信用を失った銀行に未来はない。今回粉飾決算が明らかになったことで、間違いなく箱銀の屋台骨はぐらつく。自己資本比率がしっかりしていればまだ持ちこたえられるかもしれないけれど、不動産詐欺と未公開株詐欺で二十億円を奪われた箱銀にはその体力も残っていない」
「あ」
「目的地まで遠いって。馬鹿言っちゃいけない。箱銀はもう最終フェーズに入ってるんだよ」

#10-1へつづく
◎第 9 回全文は「カドブンノベル」2020年1月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2020年1月号


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