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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.6

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#7-1

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、2020年1月10日(金)までの期間限定公開です。



前回までのあらすじ

東雲昴の親友・療原勲が自殺した。箱根銀行の課長だった燎原は20億円以上を横領したとされるが、東雲も燎原の妹の杏子も信じられない。療原は箱銀の粉飾決算の証拠を残していた。二人は嬢原の仇討ちを決意する。箱銀審査部副部長の葛西から不動産売買融資詐欺で10億円を奪い取った後、箱銀の当麻を仲間に加え、運用部長の春日居からも未公開株詐欺で10億円を騙し取った。さらに東雲は、箱銀頭取の不倫疑惑を杏子を通じて広報部長の蓼科に流す。

     3

 たつから不倫現場の証拠写真を撮るように命じられたものの、は釈然としなかった。金融業で身を立てようと入行したというのに、どうして写真週刊誌の記者みたいな仕事をしなければならないのか。
 記者の仕事をおとしめるつもりはない。逆だ。銀行員でしかない自分はパパラッチのノウハウなど持ち合わせていないのだ。
 不倫の現場を押さえろと簡単に言われたが、冷静になって考えてみれば数々の困難が待ち受けている。ごうゆういちは多忙な男だからあいきはどうしても夜になるだろう。はやかわのラブホテル街は街灯もまばらな薄暗い場所だ。季実子のスマートフォンは雄一頭取と相手の姿をどこまで鮮明に写せるのか。夜間撮影には特別なテクニックが必要なのか。
 そもそも雄一頭取が今度はいつ女と会うのか。まさか毎日毎日後をるというのか。刑事や探偵ならともかく自分のような素人には無理な相談だ。雄一頭取とて毎夜密会を重ねるとも思えない。箱銀と自宅を行き来する中、素人が尾行を続けていれば早晩勘づかれるのは火を見るよりも明らかだ。やはり逢引きをすると決まった日をピンポイントで狙った方が確実だろう。だが、そんなことが分かるのは当事者だけだ。ちょうど季実子と辰己のように。
『入行以来、厳しくも優しい先輩方と信頼できる上司に恵まれ、私は学生時代がモラトリアムの時期であったと、はっきり認識することができたのであります』
 己の執務室で社内報の見本に目を通していても、内容がほとんど頭に入ってこない。おかげで同じページを何度も見返す羽目に陥っている。きっと目が滑るというのは、こういう状態を指すのだろう。夜間撮影に関しては、最新のスマートフォンなりデジタルカメラなりを用意すれば最低限の画質は確保できるだろう。しかしそれよりも問題なのは、やはり現場を押さえるタイミングだった。何とかして次に密会する日時を事前に把握できないものだろうか。
 しばらく考えて思いついたのは盗聴だった。頭取の部屋が本店ビルの最上階にあるのは、本店勤務の者でなくても承知している。雄一頭取の留守中に忍び込み、盗聴器を仕掛けるという手はどうだろうか。運がよければ不倫相手と電話で話している内容を知れるかもしれない。
 いや、と季実子は即座に却下した。部長職以上に与えられる専用の執務室はどこも社外秘の機密情報にあふれているので、セキュリティには万全を期している。全室がオートロックで、本人のICチップ内蔵の社員証がなければ入室できない仕組みになっている。本店のホストコンピューターをハッキングすれば可能かもしれないが、あいにくそんなスキルは持ち合わせていない。万が一忍び込めたとしても、肝心の盗聴器の知識がないからどだい無理な話でもある。
『入行以来、厳しくも優しい先輩方と信頼できる上司に恵まれ、私は学生時代がモラトリアムの時期であったと、はっきり認識することができたのであります』
 あれも駄目、これも駄目。思いつく度に可能性を否定していると、つくづく自分は犯罪に向いていないと思い知らされる。昔からはかりごとや規則を逸脱することに不慣れだった。季実子にできる犯罪といえば、せいぜい辰己との不倫くらいで、それも向こうから言い寄ってきた関係なのだからこちらに抗弁の余地がある。
 生まれたばかりの赤ん坊の頃は全員が天使であっても、その後の家庭環境で人は善人にも悪人にも成り得ると季実子は考えている。自分の場合は両親の愛情と経済力に恵まれていたお蔭で悪事に秀でる機会がなかったが、その二つが貧しいばかりに性格が悪くなった人間は決して少なくない。
 たとえば辰己は経済的には強羅かんからの援助もあっただろうが、父親からも母親からも愛情を感じなかったと本人は言う。それが本当なら、父母の愛情の欠落と雄一頭取に対する嫉妬が現在の辰己を作り上げたことになる。貞操観念の低さどころか女をただの穴としか考えていない薄情さや、血縁の者を陥れてとする悪辣さはそこに起因しているのだと容易に想像がつく。所詮、自分と辰己は価値観を共有することはないのだろう。
 いっそ悪事は全部辰己に押しつけ、自分だけは汚濁のない安全圏に身を潜めていたいと願う。そして自分の知らぬうちに、辰己の満足するような事態になっていればどんなに気が楽か。
 だが辰己という男は根っからの小悪党で、絶対に自分一人の手をでいねいに突っ込むようなはしない。他人の手を使うか、さもなければ道連れを作ろうとする。今回の件も不倫現場の証拠を押さえるのは季実子に命じ、自分は果実だけを受け取ろうという算段をしている。
 ふざけるな。誰が他人の私欲のために身体からだを張らなければならないのだ。そんな貧乏くじを引いてたまるものか。
 先刻から季実子が考えあぐねているのは、辰己への対応も併せて考えているからだった。自分を捨て駒のように扱わせる訳にはいかない。どうにかして張本人の辰己の手を汚してやりたい。
 慣れない悪だくみに辰己への憎らしさが加わって、いつも通りに頭が働かない。注意力も散漫になっている。
 ああ、まただ。
 また同じページを読み飛ばしてしまった。箱銀をしたり非難したりするような言葉、行員の向上心・忠誠心をぐような文言は一字一句たりとも許されない。社内報を全行員に配信する前の最終チェックが広報部長の務めではないか。
 季実子は自嘲じみたためいきらして、また最初の文章に戻る。
『入行以来、厳しくも優しい先輩方と信頼できる上司に恵まれ、私は学生時代がモラトリアムの時期であったと、はっきり認識することができたのであります』
 それにしてもこの記事の味気なさつまらなさはどうしたものだろう。支店に配属された新人に書かせた身辺雑記だが、いくら何でも紋切り型に過ぎる。社内報とはいえ、もう少しくだけていても別にとがめる者はいないだろうに、どうしても上や周囲に気遣うような圧力がかかる。もっとも検閲に近い行為をしているのは広報部長である自分なのだが。
 退屈な記事を無理に読まされることほど味気ないものはない。内容がつまらないから、頭で別のことを考えてしまうのだ。
 おそらく社内報に目を通している行員で内容に満足している者は皆無に近い。編集に携わっている季実子がそう思うのだから間違いない。いっそ来月号から構成を変えてみようか──。
 次の瞬間、脳裏にせんこうが走った。
 社内報。広報部。新企画。
 みるみる考えがまとまってくる。
 自らのアイデアに飛びつきそうになったが、季実子は慎重に吟味し、他人の目で査定する。実効性はあるか、不自然な点はないか。慎重さは臆病さの同義語だ。はたには季実子はひどく臆病に見えるかもしれないが、戦場で生き残るのはいつでも臆病者と相場が決まっている。
 何度も自問自答を繰り返し、ようやく季実子は実行に移すことにした。ビジネス電話から受話器を上げ、内線で相手を呼び出す。
『はい、秘書室です』
「お疲れ様です。広報のたてしなです」
ひしです。お疲れ様です』
 季実子が広報部の部長に昇任した時、既に菱田は雄一頭取の秘書だった。聞けば雄一頭取付きの秘書になって五年目だというから、彼の生活習慣やこうは彼以上にしつしていることだろう。
 ただし有能なのは秘書としての能力だけで、容姿はお世辞にも褒められたものではない。ずんどうでO脚、十人並みの顔はどんな化粧をしても十人並みだ。雄一頭取が秘書としての資質を事務処理能力のみに求めているのがよく分かる。能力よりも色香を選ぶ辰己とは、こういう点でも対照的だった。
「菱田さんは社内報をご覧いただいていますか」
『もちろんです。いつも楽しみに拝読しております』
 あの内容で楽しめるはずはないので、編集しているこちらが恥ずかしくなるような社交辞令だった。
「実は新しいコーナーを企画していまして、是非頭取の許可をいただきたくて連絡した次第です」
『頭取は社内報の内容に口を出すようなことはされないと思いますが』
「口を出されないのは有難いのですが、その代わりお顔を出していただきたいのです」
『頭取に取材したいということですか』
「ええ。企画の内容は〈頭取の一週間〉と題しまして、タイトル通り頭取の多忙な一週間を全行員に紹介しようというコーナーです」
『つまり頭取のスケジュールを公開するということですよね。そんな記事が社内報に必要なのでしょうか』
「必要だし、行員も興味津々だと思います」
 ここぞとばかり、季実子は熱量を上げて説得にかかる。
「市民なら箱銀が強羅グループの中核を担っていることは皆さんがご存じです。当然、箱銀に入行した者は、それだけでも名誉なのですが、意外なことに頭取のお人柄やプロフィールはあまり知られていません」
『当然でしょうね。頭取は目立つのがあまりお好きではありませんから』
 これは菱田の言う通りだった。地元で幅を利かせている銀行の頭取でありながら、雄一は滅多にメディアに露出しない。たとえば地元紙の新年号には各界の企業家が写真つきで新年の挨拶を掲載しているが、雄一頭取は定型文を提供するだけで己の名前すら出さない。箱銀の公式サイトも似たようなもので、近影一枚の下に略歴を記載しているだけだ。他の執行役員が自身の趣味やら座右の銘やらを得々と語っているのに比べると、あまりに素っ気ない。
 辰己によれば、雄一頭取は元から自己顕示欲や承認欲求が希薄な男だったらしい。目立たず騒がず、黙々と課せられた期待に応える毎日だったという。
 自己顕示欲や承認欲求が希薄なのは初めから輝ける場所を与えられていて改めて他人から承認される必要がないからだ、と辰己は憤慨していた。
『金持ちけんせずというだろ。あれと一緒さ。底辺だったり周りからカス扱いされたりしているヤツほど承認欲求が強い。雄一みたいに最初から恵まれている人間には理解できない感情なんだよ』
 確かにその一面はあるかもしれない。最初から恵まれた人間に強いのは自己肯定感だろう。自己肯定感が強固な人間には承認欲求などまるで意味がない。
「頭取のお好みではないでしょうけれど、そのプロフィールや人となりを知りたいという行員は大勢いますよ。現にこのわたしがそうですから。スケジュールを公開するのは、その多忙さによって頭取がいかに勤勉でいらっしゃるかを内外にアピールできると考えているからです」
『頭取のカリスマ性を高めるのには効果がありますね』

▶#7-2へつづく
◎第 7 回全文「カドブンノベル」2019年11月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年11月号

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第 5・6 回は→「カドブンノベル」/第 4 回以前は→「文芸カドカワに収録。


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最新号 2020年1月号

12月10日 配信

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