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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.12

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#8-3

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。

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 決算に関する文書は鍵のかかるひきだしに収納してある。机上のパソコンはち上げても顔認証なので巻台以外には閲覧することができない。これなら猪俣一人を残しても安心だった。
 部屋を出た巻台は一階下のフロアに降り、猪俣の名刺を取り出す。初対面の人間を名刺一枚で信じるほど巻台は単純ではない。猪俣から渡された名刺には監督局銀行第二課の電話番号と猪俣の内線番号が記載されている。
 第二課の番号を呼び出してみる。するとコール三回目で女性の声が出た。
『はい、銀行第二課です』
「内線58は猪俣さんでよろしかったでしょうか」
『内線58は確かに猪俣ですが、どちら様でしょうか』
 とつに偽名を考えたが、すぐに思い浮かんだのは馬鹿らしいほどありふれたものだった。
「スルガ銀行のなかといいます」
 本当に猪俣が銀行第二課に在籍しているかどうかの確認だった。もしこの場で本人が電話に出たら、執務室で待っている男は偽者ということになる。
『申し訳ありません。猪俣は只今席を外しております』
「外出されているんですか」
『本日は終日不在と聞いております。もしご伝言があれば申し伝えますが』
「いえ、ご本人のケータイ番号を知っていますので、直接連絡してみます。お手数をお掛けしました」
 話を長引かせて怪しまれては面倒だ。即座に電話を切り、エレベーター横の自販機でコーヒー二缶を買う。給湯室に人がいなかったと説明すれば猪俣も納得するだろう。
「お待たせしました。缶コーヒーで申し訳ありませんが」
「いえ、本当にお構いなく」
「では早速ですが、中間決算についてのお話ということでしたね」
「その前に巻台さん。この部屋が盗聴あるいは盗撮されるおそれはありませんか」
「慎重ですね」
「事は箱銀さんの利益に関わることですよ」
「……ご安心ください。定期的に業者を呼んで、その手の機械が仕掛けられていないかをチェックしています」
「巻台さんも録音器を忍ばせてはいらっしゃらないでしょうね」
「それは少々慎重過ぎはしませんか」
 巻台は立ち上がり、シャツとズボンのポケットに何も入っていないのを見せつける。
「納得していただけましたか」
「失礼しました。どうにも内容が内容なだけに、気を回し過ぎているかもしれません」
 追従や冗談で場を和ませるような男でないのは見当がついている。よほど機密を要する内容らしく、巻台は盗聴器も仕掛けられていないのに小声になる。
「どうぞお話しください」
「では単刀直入に。巻台さん、箱銀は通年で決算を粉飾されていませんか」
 一瞬、息が止まった。
「……何を根拠に」
「こちらの根拠を示す前に真実か否かを教えてください」
「弊行に限って、そんな」
「最初から真実を告げていただけなければ何の協力もできません」
 巻台の弁明を遮り、猪俣はずいと乗り出してきた。
「勘違いされているようなら申し上げておきますが、今日わたしは金融庁の人間として伺ったのではありません。箱銀の将来を憂える者の一人として参上した次第です」
 真摯な口調だった。
「有り難いお言葉ですが、どうして猪俣さんがそれほど弊行に肩入れしてくれるのですか」
「さほど遠縁ではない者が箱銀さんに勤めている。今はそれでご勘弁ください」
「粉飾決算がうんぬんというのは、ひょっとしてそのお身内からの情報ですか」
「内部告発には違いありませんが匿名ですよ。先日、銀行第二課に箱銀が数年にわたって粉飾決算を繰り返していると電話が入りました。今年発生した行員の横領事件は、累積した赤字を誤魔化すために箱銀が仕組んだえんざいとも告げていました」
 内部告発と聞き、渋々ながら納得する自分がいた。役員に名を連ねる者なら粉飾決算に気づかぬはずはない。そして役員よりも目端が利く優秀な行員も少なくない。燎原行員に罪を被せた証拠はないにせよ、総合的に考えて冤罪という解釈に辿たどり着くのも道理と言えば道理だ。
 そこまで知られているのならえて隠す必要もない。巻台は全てを吐露しないまでも、一部認めてしまうのは許容範囲だと判断した。
「確かにそういう噂はあります」
 この期に及んで噂と言い張る巻台も大概なのだが、経理担当者の口から粉飾決算の事実を告げる訳にはいかない。奥歯に物が挟まったような言い方になるのは仕方がなかった。
「弊行としましては、仮に噂に過ぎなかったとしてもヒアリング時に知れてしまうことは避けたいと思っています」
「冤罪かどうかはそれこその勘繰りに類するものだし、第一証拠もない。しかし粉飾決算の件は立ち入り検査が入った時点でアウトでしょうね。自慢じゃありませんが、当庁の検査は何一つ見逃しませんよ。決算書類の粉飾を見つけるのをなりわいとしている猛者たちですからね」
「でしょうね」
 巻台は皮肉交じりに言う。確かに金融庁のどもに入られたら、巻台ごときが整えた粉飾決算などたちどころに見破られるに決まっている。こちらは経理のプロであっても粉飾のプロではない。かいざんの発見を日常的に行っている連中には到底太刀打ちできない。
「ただし物は考えようです。粉飾を見つけるのを生業としている者が逆の立場になれば、精緻この上ない粉飾を施すのも可能だと思いませんか」
 瞬時には真意を測りかねた。
「それはその、猪俣さんからお知恵を拝借できるということでしょうか」
「こう見えて、わたしも他人の粗探しは得意な方でしてね」
 猪俣はにこりともせずに言う。
「一度、中間決算用の試算表と損益計算書を拝見できませんか。わたしなら的確なアドバイスができると思いますよ」
 常識で考えればとんでもない提案だった。普段であれば笑い飛ばすところだが、猪俣の表情は真剣そのもので茶化せるような雰囲気ではない。
「ずいぶんと度はずれたことを言うとお思いでしょうね」
「いや、そんなことは」
「巻台さんは粉飾決算の書類をこしらえるには不向きな人ですね。思っていることがいちいち顔に出ています」
「そんなものに向き不向きがあるんですか」
「向いている人間は大勢います。騙す側と告発する側に分かれていますが、両者は日々せつたくしているという点では同族ですよ」
「わたしごときでは、どちらにも属せないということですか」
「きっと根っからの善人には務まらないのでしょうね」
「その理屈だと、猪俣さんも善人ではないということですよ」
「否定はしません。善人というのは別の言い方をすればお人しですからね。銀行の検査業務はお人好しに任せられる仕事じゃありません。ただですね。こういう仕事をしていると、粉飾決算をせざるを得なかった行員さんの立場も痛いほど分かるんですよ」
 ふっと猪俣の顔が和らいだ。
「どこの銀行のどんな行員も、として不正に手を染める者はいません。銀行の命脈を保つため、上司命令に忠実であろうとするため、自分の倫理観に蓋をして決算書類に手を加える。わたしたちが相手にしてきたのは、そういう生真面目な善人がほとんどでした。善人というのは追い詰められてうそかざるを得なくなるんです。きっと、あなたもそうじゃないんですか」
 問われた巻台は返事に窮する。さすがに今まで数多くの不正と闘っただけのことはあり、放たれる言葉に思わずうなずきそうになる。
「まあ、身内の職場だからという理由で職業倫理を蔑ろにするわたしが言えた義理じゃありませんけどね」
「まさか猪俣さんのご子息ですか」
「本人とはみようが違っているので、詮索しても無駄ですよ」
 そうくはいかないか。
「少しだけ内情をバラしてしまいますとね。そいつの親には大層世話になったんです。わたしなんかが金融庁で働いていられるのは彼のお蔭なんです。だからこそ箱銀さんにはおめおめと他行と合併してほしくない。吸収合併された場合、吸収された側の行員がひどい扱いを受けるのは業界の常ですからね」
 巻台は吸収合併という単語におののく。雄一頭取が慎重に言葉を選び、遂に口にしなかった単語だ。口にするのも憚られるほど、雄一頭取もおそれているに違いなかった。
 雄一頭取が怖れているものは巻台も同様に怖ろしい。いや、雄一頭取の場合は箱銀が吸収合併されても相応の居場所が用意されるだろう。何と言っても強羅グループ総帥の長男だ。一敗地にまみれてもけんちようらいの機会がいくらでも与えられる。
 一方、巻台の方はどうか。経理畑ひと筋に歩いてきたロートルのいち行員に、どんな再就職先が用意されているというのか。伝わり聞く地銀行員の再就職先に華々しいものは少ない。金融知識を生かせる職場といえば消費者金融くらいだが、巻台の年齢では採用されても契約社員がいいところだろう。
 しかし今日会ったばかりの猪俣に全てを委ねる決心もつきかねた。優秀らしいことは話していて分かる。恩人に報いたいという動機は、根は善人であるのを示している。しかし箱銀の運命を預ける度胸は、今の巻台にない。
「……ひと晩、考えさせてもらえませんか」
 結論を後回しにするのが精一杯だった。何しろ雄一頭取に相談するかどうかさえ自分は決めかねている。
「結構です。元よりこんな話を即断即決できるはずがない。巻台さん、さっきお渡しした名刺をこちらに」
 猪俣はいったん戻った名刺の裏に何事か書きつけて再び巻台に手渡す。
「裏面に書いたのはわたしのケータイ番号です。これからの会話は行内の固定電話を使用しない方がいい。直接金融庁に掛けるのもまずいですしね」
「ありがとうございます」
「しかし猶予があまり残されていないのも忘れないでください。明日ヒアリングが入ってもおかしくないのですから」
 どうやら今夜は安眠できそうになかった。

#8-4へつづく
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