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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.20

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#10-4

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。

>>前話を読む

 一読して雄一は忌々しいと思った。書いてある内容に間違いはなく、それでいて素人向けに易しく解説しているので、このブログを読むなり訪問者が拡散したくなる気持ちも分かる。要するに箱銀という船は沈没する寸前なので、乗客と乗組員は速やかに脱出しろと警告しているつもりなのだ。もちろん善意からの警告だけではなく、中には箱銀預金者の不安をあおり皆が慌てふためく様を見物してやりたいという不届き者も混じっているだろう。だが、善意も悪意も、立花なにがし発の危うい情報を拡散させている点で両者は似たり寄ったりだ。
 忌々しいのはそこかしこに専門用語をちらつかせて信憑性を高く見せかけているが、ペイオフうんぬんについては全くのデマという構成だ。つまり九十九の真実の中にたった一つの虚偽を混ぜ込んでおり、うそとしては一番巧妙なのだ。
 雄一は直ちに総務部長のかねを呼びつけた。押っ取り刀で飛んできた兼田は、雄一からペイオフの話を持ち出されると世にも沈痛な顔つきになった。
「ちょうど総務でもネットでの騒ぎに着目したところでした」
「この立花とかいう教授を知っているかね」
「恐れ入りますが寡聞にして存じません。目下、東都大への問い合わせを含めてブログ主の特定を急いでいます」
「本人に直接抗議して記事を撤回、いや削除させろ。記事をソースにしているSNSも同様に削除させろ」
「しかし頭取。サーバーを通じて削除依頼をするには時間が必要です。現状できるとしたら箱銀の公式アカウントを使ってブログ主や各投稿者にリプを送ることですが」
 兼田はネットのIPアドレスから個人を特定するには裁判所への申し立てを含めて何段階も手続きを踏まねばならず、結果が出るのは早くて半年後になると言う。それならネット上で直接警告した方が手っ取り早いという理屈だ。
 兼田の提案はもっともで実効性もある。採用しようと思った瞬間、雄一は別の可能性に思い至った。
「いや、箱銀の公式アカウントはまずい。まるで箱銀が躍起になって火消しに回っているように思われかねない。そんなことになれば火に油を注ぐようなものだ」
 うなずいていた兼田は、次に到底受けれ難い提案を口にした。
「それなら頭取。ここはいったん嵐が過ぎ去るのを待つしかないと思います」
「黙って見過ごせというのか」
「デマは最初の段階であまねく拡散します。残念なことに、これは過去にいくつも前例があり、当事者が必死に否定しても逆効果になることが多いようです。教訓として導き出されたのは、一方で損害賠償請求の用意をしながらネット上では無視を決め込むのが一番の対処法だったという事実です」
 デマを放置しておくのは業腹だったが、兼田の言い分も理解できる。朝方、莞爾から罵倒されたばかりで判断力が鈍っていたのかもしれない。
「分かった。ネット方面については無視しよう。しかし同時に訴訟手続きを始めてくれ。こういう手合いは一度痛い目に遭わないと、また同じことを繰り返す」
「畏まりました。それと頭取。総務ではデマの出所が立花教授以外にも存在することを確認しました」
 兼田によれば、同様に金融・経済の専門家らしき者たちがSNSで持論を展開しており、いずれも箱銀のペイオフ解禁は確実と結論づけているとのことだった。
「立花某と同じく、他の投稿主も損害賠償請求の対象にいたしますか」
「無論だ。どうせ時間を食うなら一斉に訴えてやる」
 箱銀には顧問契約を結んでいる弁護士が数人いる。彼らに一任しておけば、早晩結果を出してくれるだろう。
 方向性が確定したので、今度は本店ビルを売却する件を投げ掛けてみた。案の定、兼田は深刻そうに表情を強張らせた。
「それは実際に売却先の検討も含んでのお話ですか」
「いや。いくらで売却できるかの試算だけで構わない。いつまでに出せる」
「今日中に報告できると思います」
「頼む」
 兼田はそれ以上の質問をせず、執務室を出ていった。おそらく本人はもんもんとしているだろうが、口や顔に出さないのはさすがに古参の行員だけある。
 しばらく雄一は決裁書類に目を通していた。いつもは味気ないだけのルーチン業務が、莞爾に罵倒されてからでは清新なものに感じられる。
 組織の意思決定を任されるというのは、こんなにも身の引き締まる務めだったのか。
 行員とその家族の生活をまもるというのは、こんなにも重い仕事だったのか。
 頭取に就任した時の決意がよみがえってくる。そして自分以外に箱銀の頭取を務め上げられる人間など存在しないという確信もある。
 唐突に思い至る。
 今まで頭取の仕事をそつなくこなしてきたとばかり思っていたがとんでもない間違いだった。銀行経営者として片づけておかなければならない仕事を完全に失念していた。
 後継者の育成だ。どのみち雄一の在任期間は秒読み段階に入っている。次代を引き継ぐ者を作り出せずに何が経営者か。
 矢庭に時間が惜しくなった。あと一年、いや三年はまだ頭取の地位に留まりたいと願う。限られた期間だが、強羅雄一の遺産と呼べるものを残しておきたいと思う。今となっては気づくのが三年遅かったと悔やむばかりだ。
 その時、卓上の電話が鳴った。表示された内線番号は兼田のものだ。
『今、よろしいでしょうか』
「早いな。もう試算が終わったのか」
『試算はまだですが、ブログ主の立花教授は偽名であることが判明しました』
「偽名だと。プロフィール欄に明記されていたじゃないか」
『東都大に問い合わせて判明しました。同大学に立花古衛という教授は在籍が確認できないそうです』
「偽名であっても東都大の教授である可能性はあるんだな」
『たとえそうであっても、本人が名乗り出る確率は低いでしょう。それから立花教授のブログ以外にも同様のデマを信憑性の高い噂として吹聴しているブログが見つかりました』
「まだ他にもあるのか」
『損害賠償請求の対象にせよとの指示でしたが、彼らも同様に扱いますか』
「手間がさほど変わらないのなら徹底的にやってくれ」
 半ば気味になっているのが自分で分かった。
『それから頭取。立花教授のブログですが、早速更新されています。一度、そちらでもご確認ください』
 何やら奥歯に物が挟まったような言い方が気になる。言われた通り再度〈立花きょーじゅの誰でも分かる経済学〉を開いてみる。

『第33回 隠しきれない箱銀の内憂外患
 こういうタイトルなので前回の続きです。箱銀のペイオフに関してなんですが、この噂を信じるに足る情報があるんです。今年の六月、箱銀本店の運用部行員が二十億円の横領をした挙句、自殺するという事件がありました。ところがこの横領事件は、今まで粉飾に粉飾を重ねて累積していた赤字を特別損失で処理するために仕組まれたものだというんです。つまり箱銀の赤字体質は数年来のものだったことになります。外部要因ではなく、銀行由来のものだったんですね。その上、箱銀は不動産詐欺や未公開株詐欺に遭って、やはり二十億円をだまし取られています。はっきり言って銀行としての基本姿勢にもリスクマネジメントにも欠落があるとしか思えません。おそらくは金融庁も同様の判断をするでしょう。そんな銀行が経営破綻するのは理の当然であって、ペイオフが解禁になったとしたらまさしく自業自得というべき結末でしょう。
 同情するとしたら知見のない上層部に振り回される行員に対してですね。
立花古衛』

 忌々しさではなく、今度は気味の悪さが雄一を襲った。
 何だ、この内容は。
 どうしてりようげん行員に因果を含めた件を知っているのか。
 断じて金融庁からの情報ではない。
 箱銀内部からろうえいした情報に相違なかった。
 誰がいつ、どんな目的でらした。
 思考を巡らせてみたが、該当する人物にも動機にも思い当たらない。
 いや、あった。
 詐欺事件で責任を取らされた審査部の西さいと運用部のかす。不倫報道でつるし上げられたたつ。粉飾決算で詰め腹を切らされようとしているまきだい。彼ら全員が箱銀ないし雄一に恨みを抱いても不思議ではない。内部事情を知る者に範囲を狭めれば、彼ら以外に容疑者は考えられない。
 辛酸をめさせられた腹いせに箱銀を陥れるつもりか。そう考えると彼らへの疑心暗鬼が募る。
 どちらにせよブログ主を特定すれば自ずと情報提供者に辿り着くだろう。もし漏洩させたのが彼らのうちの誰かだったら、口の軽さを死ぬほど後悔させてやる。
 待て。
 雄一はふつふつと湧き起こる憤怒を抑えるのに苦労する。短気と早合点は禁物だ。とにかく今は雌伏の時だ。デマの拡散が終息するまで耐え、反転攻勢の準備に注力すべき時期だ。人の噂も七十五日というが、実際には二週間も続かない。その間にまた別の、もっとせんじよう的なニュースが大衆の興味を誘ってくれるからだ。
 来週になればデマも落ち着き、本店にも平穏が戻るはずだと雄一は予測した。
 ところが、そうはならなかった。

▶#11-1へつづく
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