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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.22

箱根銀行をぶっ潰す‼ 親友の仇を討つ知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#11-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

※この記事は、期間限定公開です。

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 元来、雄一はネットに飛び交う言説ほどさん臭いものはないと思っている。責任の伴わない発言だから言いたい放題だ。信じる方がどうかしている。だが世の中は自分のように理性的な人間ばかりではない。定見を持たず付和雷同する者がほとんどではないか。己のカネが自由に引き出せないとなったら、即座に恐慌状態に陥るのではないか。
 咄嗟に時刻を確かめる。スマートフォンの表示では20:12。ATMが閉まるまであと四十分少々。無人ATMは数が少ないから何か動きがあったとしても限定的だろう。
 箱銀の公式ホームページで注意喚起をするべきか。いや、それではこちらが焦って火消しをしているように勘繰られるかもしれない。
 落ち着け。
 雄一はいったんスマートフォンを閉じて深呼吸を一つする。
 ここで拙速に走るのは愚行だ。まずは動画の削除を依頼し、デマが拡散されないうちにネタ元を根絶する。明日になれば各支店に問い合わせの電話が殺到するのが予想されるから、対応マニュアルを今夜中に作成して全店に通達を流す。
 マスコミからの取材申し入れは窓口を広報に一本化させる。行員はインタビューには応じず、広報への誘導を周知徹底させる。
 当面の対応はこれで充分だ。明朝九時の開店と同時に、各支店から定期的に報告を上げさせる。想定される事態には、やはりマニュアルを作成して対処させよう。
 考えがまとまれば行動は早かった。雄一は兼田を執務室に呼びつけて、今夜中に対応マニュアルを作成した上で全店に通達するよう命じた。もちろん既に帰宅している支店長も例外ではない。個人の携帯端末に指示を飛ばすだけだ。
「今夜中に、ですか」
 さすがに兼田は難色を示しかけたが、雄一の顔色を見て姿勢を正した。
「即刻、着手します」
「本店を含め、全店朝礼で周知徹底するように伝えろ」
かしこまりました」
 兼田ははじかれたように部屋から出て行く。あの様子なら自分の席に戻った途端、各支店長へげきを飛ばすに違いない。
 考え得るだけの備えはした。雄一は椅子に深く身体からだを沈め、眉間をみ始めた。

 翌十月二十一日、雄一はいつもより早く家を出た。
 投稿画像の影響が限定的という判断に揺るぎはない。動揺する預金者もいるだろうが、大した騒ぎに発展しなければ時間の経過とともに沈静化していく。粉飾決算が報じられた時ですらそうだった。本店営業部にクレームの電話が入り一時は全回線がパンク寸前に陥ったが、一週間も過ぎるとんだ。今度も同様の経緯を辿るに違いない。
 やがて本店ビルが近づいてくると、視界の端に見慣れないものが映った。
 雄一は目をみはった。
 行列だ。それも五人や十人の規模ではない。ビルの正面を起点に二十メートル以上の列ができているのだ。もちろん昨日の動画で不安を覚えた預金者が現金を引き出しに来たに相違ない。
 現在時刻は午前七時二十五分、開店までにはまだ一時間半以上もあるというのに既に百人近くが並んでいる。これで開店時間が到来したら、いったいどれだけの預金者が殺到するのか。
 頭から冷水を浴びた気分だった。胃の中身が逆流しそうになり、呼吸が浅くなる。雄一の恐怖をに、クルマはいつもの道を悠々と辿っていく。
 本店ビルの一階フロアでは兼田が待ち構えていた。
「頭取。表の行列が」
「くる途中で見た。説明の必要はない」
「通常通りに開店して構わないでしょうか」
 兼田のおびえが伝わってくる。預金者が殺到してパニックを誘発しないかとおそれているのだ。
「対応マニュアルは昨夜のうちに出来上がり、全店に通達しました。しかし、これほどのお客様が集まるのは想定外のことで」
「一時的にでも店頭の人員を増やすしかない」
「本日、営業時間を短縮してはいかがでしょうか」
「逆効果だ」
 開店を遅らせようが閉店を早めようが、通常と違う対応をすれば預金者に余計な不安を与える。焦燥に駆られる預金者が増え、明日になれば今日よりも多く窓口に殺到するだけだ。
「決してトラブルは起こさせるな。マニュアル通りに対処させろ。ただし一千万円以上の引き出しについては当日内に対応できないことを丁寧に説明、来店を明日以降に延ばしていただけ」
「承知しました」
 兼田は慌ただしく一礼すると、廊下の向こうへ走り去っていく。雄一は小さくなる後ろ姿を眺めながら不安を募らせる。本店の総務部長ともあろう者があの体たらくだ。いったい各支店ではどれほど動揺が広まっているのか。
 雄一が危惧した通り、時間が経つに従って開店を待つ預金者は増えていった。開店五分前で三百人を超え、これを通りがかりの人間が面白半分にネットに画像を投稿するので列がまた延びていくという有様だった。
 雄一はスタッフルームに入り、八台のモニター前に陣取る。殺到した預金者がどう振る舞い、それを行員がどうさばくのか、この目で確認せずにはいられなかった。
 九時ジャスト。正面のシャッターが上がり始めると、たった五十センチ開いたばかりの入口から人がれ込んできた。ある者はATMコーナーへ、その他の者はカウンターに直行する。発行機は休みなく番号札を吐き出し、長椅子はあっという間に塞がった。
『今すぐ全額引き出してください』
『解約したいんだけど』
『待ってもいいけど、ちゃんと返してくれよな』
『まあ、行員さんたちも大変だと思うけどさ。こっちは自分の貯金が確保できるかどうかの瀬戸際だし』
 モニターには順番を待つ者の顔も克明に映し出されている。どれもみな焦燥と混乱でいらっているのが分かる。
 ふと我に返り、雄一はスマートフォンで昨日の動画を再度検索してみる。
 再生回数を見て、何かの間違いではないかと思った。
 再生回数220,554回。
 二十二万回だと。
 動画を直接再生したのが二十二万人なら、伝え聞いた人間を加算して何十万人になるのか。
 がくぜんとした時、スタッフルームのATM警告灯が点灯した。
「3号機、そろそろ補充です」
 箱銀の場合、ATM内の現金は一台につき一千万円と定めてある。スペック上は三千万円まで保管可能なのだが、一人当たり一日五十万円が引き出しの上限額であり、また防犯上の観点から行内の保有現金を抑えているのだ。
 直ちに3号機が取り扱い中止となり、担当行員が現金精査に向かう。慣れた行員なら精査と補充に二十分。その間は他のATMに客を誘導する。
 だが常時と異なり、間を置かずに次々と警告灯が点灯した。
「4号機、補充」
「7号機も補充お願いします」
 ATM一台の保有現金は一千万円。一回の引き出し額が上限の五十万円なら二十回で中の現金は枯渇する。
 並んでいた客の表情に動揺が走る。
『おい、このATMも取り扱い中止かよ』
『ホントに大丈夫なのか。今、四台しか稼働してねえぞ』
『まさか補充しないつもりじゃないよな』
 しびれを切らしたらしい客の何人かがカウンターに移動してきた。愚かだと雄一は思う。カウンター内はATMよりも保有現金が少ない。本店の場合でも五千万円だったはずだ。その上、店頭出金の場合は原則上限額が設けられていないので、下手をすればATMよりも早く現金がなくなる惧れがある。
 カウンターに向けたカメラのモニターに視線を転じると、ATMコーナー以上の混乱ぶりだった。番号札を握り締めた者や、通帳を振りかざした者が群れを成して女子行員に迫っている。
『おい、早くしてくれないか』
『これじゃあ昨日の動画以下だ。一人の客に何十分かけてるんだ』
『さっきの人、一千万円以上は引き出したよね。ここで待っている人たちの預けたおカネ、全部返せるの』
『あの、すみません。わたし、今日の午前中にどうしても用意しなきゃならない現金があって』
 店内どこからでもATM数台が取り扱い中止になっているのが確認できる。そのことが預金者の不安に拍車をかけているようだった。一方、カウンター前の混乱ぶりはATMコーナーに並ぶ客にも知られており、こちらはこちらでATM内の現金しか頼りにならないと思っている。互いが互いを見る度に焦燥と恐怖を募らせる格好になっており、自ずと言動もヒートアップしていく。
『まだフロアに入りきらない人が店の前で待っているんですよ。全員におカネを返せるんですか』
 女子行員に詰め寄った主婦に隣の男が異議を唱える。
『いや、全員に行き渡るかどうかじゃなくて、まずは番号順でしょ。おばさん、番号札持ってないんなら後ろに下がっていてくださいよ』
『あなたこそ何を言い出すんですか。わたしはみんなのことを考えて』
『あの、どうかお客様、お静かに願います。弊行はいつもと変わらぬ確実な対応を心掛けておりますので』
 女子行員の発した言葉は、まさに今朝周知されたばかりの対応マニュアルに沿ったものだ。預金者と行員が一対一であればある程度有効だったのだろうが、一触即発の局面で言っていい台詞せりふではなかった。
『いつもと変わらぬって、何馬鹿なこと言ってんだよ。この状態のどこがいつもなんだよ』
『わたしたちがどんな気持ちでここに来たのか、全然理解していないでしょ』
『ねえ、受付が足りないのは見たら分かるじゃん。対応できる行員さん増やしてよ』
 預金者たちの顔つきが次第に切羽詰まったものになる。フロア内には四人の警備員を配しているが、店舗からあふれんばかりの客が相手では彼らを制止することもかなわない。
『店長を出してくれよ』
『そうだ。すくなくともわたしたちの預金を全額引き出せるという確約をしてくれ』
『あんたたちは給料が保証されていて高みの見物だろうが、俺は箱銀の預金が全財産なんだ。頼むから返してくれ』
『店長を出せったら出せえっ』
『お客様。申し訳ありませんが、大声はお控え』
『大声を出させているのは、そっちだろうっ』
 集団心理なのか一人が声を荒らげると、他の者の声も荒くなる。相手の言動がどんどん乱暴になるので、女子行員は怯えてマニュアル通りに応対できなくなる。応対への不満と不安が募って、預金者は更に冷静さを失う。
「1、2号機、補充してください」
「5、6号機もです」
 急いで行員がATM精査に走るが、雄一の目には焼け石に水のような状況に映る。
「頭取」
 兼田が思い詰めた顔をこちらに向けた。
「試算してみますと、本店の保有現金は閉店時間を待たずして底を突きます」
 雄一はうつろな気持ちで報告を聞いていた。
「各支店からも現金の補充要請がきています。元より保有現金の少ない支店は午前中に枯渇しそうです」
「全店に連絡。保有現金がなくなり次第、シャッターを下ろせ」
 スタッフルームにいた全員が動きを止めた。
「各支店長はシャッターを下ろす三十分前に、本日の現金引き出しは中止するものの明日再開する旨を丁寧に説明し、決してお客様を刺激しないよう努めること。以上だ」
 スタッフルームはしん、と静まり返る。
 閉店時間前にシャッターを下ろすことが銀行への信用失墜を意味するのは誰でも知っている。こうべを垂れる者、いきなりの話でぼうぜんとする者、中には泣き出しそうな顔の行員もいる。
 兼田はすっかり恐縮した様子で口を開く。
「それから頭取。お知らせするのが後になりましたが、新聞社から取材の打診がありました。いかがいたしましょうか」
「マニュアル通りだ。取材関係は全て広報に回せ」
 それだけ言うと、雄一は立ち上がる。
「頭取。どちらへ」
「自分の部屋だ。しばらく誰の電話もつなぐな」
 スタッフルームを出ると、店舗側から争いの声がれ聞こえてきた。預金者と行員が小競り合いしているのか、あるいは預金者同士が順番を争っているのか。
 争いの声は間もなく怒号と悲鳴に取って代わった。
 本店ビルは箱根銀行の本丸と言っても過言ではない。その本丸に戦乱の声が響き渡るのならば、落城は時間の問題だった。
 地の底が抜けるような絶望とともに、雄一は解放感も味わっていた。父、強羅莞爾が一代で築き上げた箱銀の死に水を取ったのが自分であることが、不思議に小気味よかった。

▶#11-3へつづく
◎第 11回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!


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