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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.2

嵌められた親友の仇を討つ、知的で痛快な復讐譚! 中山七里「バンクハザードにようこそ」#5-2

中山七里「バンクハザードにようこそ」

 全てを聞き終えた当麻は、しかし顔色一つ変えなかった。
「部長は二宮修太郎氏と直接お会いになられたんですね。本人の印象はどうでしたか」
「ネットオタクがそのまま大人になった感があるな。サイバーセキュリティの知識はさすがだが世知に乏しい。ギャンブルで親に言えない借金をこさえるとか、笑い話にもならん。あれはずうたいがでかくてパソコンに詳しいだけの中学生だ」
「小学生よりはマシなのですね」
「少なくとも小学生だったら親の言うことは聞くさ。最初に十五億と吹っ掛けてきたのは借金返済以外の用途もあるんだろうが、精神年齢が中学生の人間にそんな大金を持たせても、大抵はろくでもないことに使ってすっからかんになる。未公開株を売ったカネで何をどうしようが向こうの勝手なのでえて聞こうとは思わなかったがね。わたしもそれほど悪趣味じゃない」
「部長がそこまでご存じでしたら、わたしももったいぶる必要がありません。従業員の口から出た不平不満というのは、まさに二宮修太郎氏の資質に関してなのです。サイバーセキュリティについての知識と開発技術は誰しも認めるところですが、リーダーとしての資質に欠け、次期社長と仰ぐには非常に不安だとこぼしています」
「次期社長として不安を抱いているというのは、見上げた愛社精神だな」
「現社長のしゆうぞう氏は大手ソフトメーカー出身ですが、退職金を元手に現在の二宮サイバーセキュリティを設立しました。一代でここまでの成長企業に育て上げた立志伝中の人物です」
「ああ、それはわたしも知っている。神奈川県の産業界ではかなりの有名人だ」
「技術者としても経営者としても卓越した人物だから、余計に二代目の頼りなさが目立ってしまうんでしょうね。修太郎氏がギャンブルにのめり込んだのも、一つはそんな劣等感に根差しているみたいです」
「ほほう、そんなところまで切り込んだのか」
「最初に修太郎氏を競馬に誘ったのは同僚でしたからね。会社では出来の悪い二代目と陰口をたたかれ、何かにつけカリスマ社長と比較される」
「初めて買った馬券が大当たり。事業では到底父親にかなわないがばくなら自分の才覚で稼げる、か。何とも壮絶な勘違いだ。誰にでもビギナーズラックはあり得る。偶然の幸運だったのか己の資質だったのかを見極められない時点で、経営者失格だな」
「修太郎氏が多額の借金を背負っていることは、既に他の従業員も気づいているらしいですね」
「隠し方も下手という訳か。ますます頼りないな」
「現社長が勇退する際、修太郎氏に禅譲するくらいだったら他から適任者を迎えた方がいいという空気が大勢を占めています」
「未公開株を売った代金は、案外自分の会社を興す資金に回すつもりなのかもしれんな」
 創業者の父親を見返すために一念発起する二代目という図はあまりにありきたりだが、そのありきたりな点が更に修太郎の凡庸さを物語っている。
「裸一貫ではなく、最初から十億単位の資金があるのなら、大したベンチャー企業を興せそうですね」
「いや、それはとてもじゃないが無理だろう」
 凡庸な人間に大金を与えても浪費するだけだ。銀行に長らく勤めていると、カネの使い方で人間の度量が分かってくる。正確には、生かせるカネの金額で度量が決まってくるのだ。一億を効果的に使える人間には一億の価値があり、逆に百円すらドブに捨てるような使い方しかできない者には百円の価値もない。
「たかが四百万円の借金で虎の子の未公開株を手放すようなこらえ性のない馬鹿にできるのは転売屋くらいなものだ。ともかく、よく調べてくれた。平岩さんからの情報だけではこころもとなかったが、君の調査結果と合致したことでしんぴよう性が高まった」
「未公開株の買い取りにゴーサインを出しますか」
「現状では買わないという選択肢が見つからない」
「一つ提案があるのですが」
「言ってみたまえ」
「修太郎氏が握っている未公開株は全体の八パーセントにも上ります」
せても枯れても創業者の長男だから、八パーセントというのは妥当な割合だろうな」
「八パーセントもの割合なら、別に急いで売却する必要もないのではないでしょうか」
 春日居はまたうれしくなる。長期的な展望もまた優れた銀行マンには不可欠な資質だ。
「八パーセントもの持ち株比率なら議決権にも関わってくるというのだろう」
「ええ。将来的には買い増しして持ち株比率を上げていけば、いずれ二宮サイバーセキュリティの経営について箱銀が介入する余地ができます」
「それはわたしも考えた。優良企業もしくは将来性のある企業にウチの人間を送り込めれば、ポスト不足にきゆうきゆうとしている本店はかなり楽になる。話の持っていきようではメインバンクの座も獲得できよう。いずれにしても箱銀にとってはしい話だ」
 当麻は同意のしるしうなずいてみせる。目端の利く者なら誰しも考えることだからだ。
「だが当行の差し迫った状況がそれを許さない。年度内に利益を出さなければ、企業の受け皿もメインバンクも実現前に頓挫する」
せんえつながら申し上げますが、わずか一期の決算のために将来の果実を成熟前に収穫してしまうのは、あまり得策と思えません」
「分かっている。分かっているんだよ、そんなことはっ」
 つい語尾が跳ね上がってしまった。
「期首に噴出した二百億の損失。あれが大きなあしかせになっている。君がいみじくも指摘したように、本来なら成熟した果実が落ちてくるのを待っていればいいものを、青いままでぎ取らなきゃならん。しかし二百億の損失元は運用部だ。現状、ウチがどれだけ建設的なことを言っても相手にされん」
「差し出がましいことを申しました」
 当麻はすぐに頭を下げた。
「いや、もう君は審査部の人間だ。気に病む必要はない。早々に調査結果を報告してくれたことには感謝しているし満足もしている」
「ですが、部長」
「言いたいことは分かる。だが、今は腹の内に収めておいてくれ」
 喋りながら、春日居は自分に言い聞かせているような気がしてきた。
 二宮サイバーセキュリティの持ち株比率八パーセントの意味を再確認したのは、二宮修太郎との会合を終えた直後からだった。経営手腕どころか自立さえ難しそうな不肖の息子が投げ出した未公開株。修太郎の濁った目にはただの有価証券にしか映らないだろうが、株式の意味合いを知る者には経営権と同等だったのだ。
 銀行は今、端境期に直面している。期首に二百億の損失を出した箱銀は特殊な例だが、それでなくても銀行業界全体が塗炭の苦しみにあえいでいる。
 本業の収益率を示す指標の一つである預貸金利ザヤは年5bp前後で縮小し続けている。銀行業界に詳しくない者でも、九〇年代末の半分以下といえば悲惨さが実感できるだろう。加えて貸出金利回りも年0.1パーセント前後まで低下している。貸出金利の低下は言うまでもなく日銀のマイナス金利政策を反映したもので、政府系金融機関ならともかく、民間銀行は抵抗手段が皆無に等しい。簡潔に言えば日銀がマイナス金利政策を続ければ続けるほど民間銀行は瘦せ細っていくという構図だ。殊に箱銀のように地域経済に密着した地方銀行ほど、その傾向は顕著になる。
 銀行が本業で稼げないのであれば、それ以外の収益に活路をいだすより他にない。二宮サイバーセキュリティの経営権というのは、青息吐息の箱銀にとって喉から手が出るほどの甘い果実だった。
「運用部の部長として、わたしがどれだけしい決断をしているか分からない君ではないだろう」
「そうでした。申し訳ございませんでした」
「もしわたしのことを少しでも気の毒に思ってくれるのなら、今回の調査の件は他言無用にしてくれ。それだけが君のできる最大の援護だ」
かしこまりました。それでは失礼します」
 当麻は一礼すると、目を伏せたまま退室した。ぐずぐずと辛気臭い言葉を言い募らないのも当麻の美点だと思った。
 しばらく当麻との会話をはんすうしているとスマートフォンが着信を告げた。行内の回線を通さない電話は公にできない内容と事前に決めてある。
 液晶の表示画面を見ると、果たして発信者は平岩だった。
「はい、春日居」
『神奈川証券の平岩です。修太郎氏が持株会からご自分の持ち株を出庫できるがついたようです』
「出庫日はいつですか」
『八月二十二日の午後二時だそうです』
「二十二日。結構です。それでは当日に十億円を送金するよう、こちらでも用意しておきます」
『よろしくお願いいたします』
 電話を切ってから春日居は卓上カレンダーを見た。二十二日といえば三日後だ。
 十億円で優良企業の未公開株を買う。最近ではついぞなかった魅力的な買い物に春日居はこうようし、同時に落胆を嚙み締めていた。

>>#5-3
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「カドブンノベル」2019年9月号収録「バンクハザードにようこそ」より


カドブンノベル

最新号 2019年10月号

9月9日 配信

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