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連載

中山七里「バンクハザードにようこそ」 vol.1

【中山七里「バンクハザードにようこそ」】嵌められた親友の仇を討つ、知的で痛快な復讐譚!#5-1

中山七里「バンクハザードにようこそ」


ここまでのあらすじ

司法書士の東雲昴の親友・燎原勲が自殺した。箱根銀行の運用課長だった燎原は200億円以上を横領したとされるが、東雲も燎原の妹の杏子も信じられない。燎原の残したUSBメモリーには箱銀の粉飾決算の事実が残されており、二人は燎原の仇討ちを決意し、まずは箱銀審査部副部長の葛西を騙して10億円を奪い取る。一方、箱銀運用部部長の春日居に、未公開株売買の話が持ち掛けられる。

      3

 今年の八月は猛暑日の連続記録を更新し、盆過ぎのわら市内は日中最高気温三十七度を記録した。春日居かすがいが部長室から往来を見下ろすと、四階の高さからでもアスファルトから立ち上るかげろうが見えた。
 こんな殺人的な猛暑の中でも支店の営業では外回りをしている。春日居自身も新人の頃は一口座でも多く確保するために、バイクで各家庭を回ったものだった。支店を評価する項目に口座数があり、休眠口座にさせないため各家庭から積立金を集めて回るのだ。半ば強制的な貯金であるために一回の集金額は千円というはした金だった。雨の日も風の日も関係なく、担当地区を回った。うるさがられ居留守を使われるのもしょっちゅうだった。有名大学を出た自分がこんなことをと、唇をんだのも一度や二度ではない。本店の部長となった今でも、あの日々は忘れられるものではない。だからこそ失墜や脱落はしたくない。高みに上った者だけに更なる高みを目指すことが許されるのだ。
 にのみやしゆうろうとの商談がまとまってからも、不安は付きまとった。修太郎の気が変わり、もっと高値で引き取る相手に乗り換えはしないか。創業者である父親に露見しはしまいか。考え始めると、後から後から嫌な可能性が頭に浮かんでくる。
 受け渡しがいつになるのか、ひらいわからの連絡はいまだにない。こちらからせっつこうかとも考えたが、相手があることなので仲介者の平岩に何を言っても意味がない。
 別の不安材料は二宮サイバーセキュリティの株価に関してだ。未公開株だから会社情報や四季報から財務内容を知ることはできない。平岩に財務諸表のコピーを入手してもらったが、貸借対照表と損益計算書だけで株価が決まるのならこんなに楽なことはない。
 株価を決定する要因は大きく分けて次の三つになる。
(1)企業価値 決算内容・先行投資・提携関係・スキャンダルの有無など
(2)需給関係 増資・無配当・株の持ち合い・投資家の動きなど
(3)外部要因 為替変動・景気の影響・政治動向・外国の事情など
 いかに幹事証券といえども企業のスキャンダルの全てを把握しているはずもなく、また投資家の動きを読むのも容易ではない。(3)の外部要因に至っては手も足も出ない。事によれば影響が長期にわたることも懸念される。
 だからこそ株は面白いのだという投資家もいるだろうが、運用を任されている立場の者はたまったものではない。
 未公開株が上場すると、大抵の場合は販売価格よりも高値で取引が終了する。これが未公開株がもてはやされる理由だが、しかし公開される株全てに当てはまるかといえばそうでもない。中には販売価格よりも安くなってしまう株も存在する。
 無論、二宮修太郎から買い取る株を短期で売り抜ける必要はない。高騰した際にタイミングを見計らって売却すればいいだけの話だ。しかし十億という金額が春日居の落ち着きをなくさせる。
 上場後に大きく値を崩す可能性はゼロではない。運用部として資金を預かる以上、億単位の管理に神経質になるのはむしろ当然だった。
 そこで春日居はある男に声を掛けた。平岩も信頼できる人間だが、行内には彼女よりも頼れる男がいる。もうすぐ彼が部屋を訪ねてくる予定だった。
 やがて予定の時間きっかりにノックの音が聞こえた。
とうです』
「入ってくれ」
「失礼します」
 部屋に入ってきた当麻は運用部にいた頃と少しも変わらぬ態度だった。他人行儀でもなければ、必要以上にれ馴れしくもない。直属の上司だろうが他部署の上司だろうが、一定の距離を保つ姿勢は好印象だ。
「急なお願いをして悪かった。いくら以前の部下とはいえ、非公式な調査依頼だった」
「いえ、今のわたしは審査部ですから依頼されるのは当然です」
「そう言ってもらえると助かる。まあ、座って」
 手近にあった椅子に当麻を座らせ、自分はハイグレードチェアからへいげいする。たとえ部署が替わったとしても上下関係は崩さない。そして部下に誰がボスなのかを絶えず認識させなければならない。組織において上下関係の徹底は絶対に必要なのだと春日居は考えている。
「思いのほか早かったな。県下の有名企業といっても非上場の企業だから内実を探るのは大変だっただろう」
「オーナー企業ならではの結束力にはあなどり難いものがあります。しかしオーナー企業ならではの不平不満も蓄積されています。口の堅い従業員もいれば、そうでない従業員もいます」
 つまり口の堅くない従業員を捕まえて情報を吐き出させたという意味だ。上り調子の企業に勤める従業員の声は信用に値する。普通、会社の経営が傾き始めた頃に内部告発が出やすい。沈み始めた船からネズミが逃げ出すのと同じ理屈だ。言い換えれば、上り調子の企業の従業員から出る不平不満はまず真実と思って間違いがない。
「まず神奈川証券の平岩さんから送られてきた財務諸表ですが、内容に虚偽や遺漏はないようですね。サイバーセキュリティ分野では顧客満足度も高く、毎年着実にシェアを伸ばしています。課題といえば新システムの開発にどれだけ先行投資できるかですが、優秀なSEを大勢確保しているようですから、問題は資金力だけですね」
「その問題の資金力も、市場から広く募ることができる。何だ、財務内容の健全さといい将来性の高さといい、どこから見ても理想的な株式公開じゃないか」
「ええ。何故もっと早くウチがメインバンクにならなかったのかと、少し悔しくなりました」
 淡々としやべっているが、当麻の性格を知っているだけに本人が本当に悔しがっているのが分かる。実を言えば春日居も同じ気持ちだった。業績が不安定な中、箱銀が一番欲しがっているのは二宮サイバーセキュリティのような企業だ。将来性があり、銀行が融資しても返済に何ら不安が生じず、そこのメインバンクであることが銀行の看板になる企業だ。今更ながら、最寄り支店の営業担当はいったい何をしていたのかと文句を言いたくなる。
「君が悔しがる気持ちも分かるよ。わたしに人事権があれば、最寄り支店の店長をすぐ替えさせたいところだ」
「部長、質問してよろしいでしょうか」
「いいよ」
「部長からは二宮サイバーセキュリティについて調査するよう言付かりました。運用部長のご命令なのでわたしは従いましたが、理由については伺っておりません」
 当然だ。何しろインサイダー取引のおそれのある取引を公然と審査部に依頼することはできない。今回にしてもかつての部下に個人的な依頼をした体にしているのは、それが事由だった。
「既に二宮サイバーセキュリティのメインバンクは他行であり、この上株式公開するのなら資金調達に不安が生じないので新たなメインバンクを探す必要もなくなります。また、以上の理由から同社が箱銀に対して融資を申し出る可能性も大きくありません」
「その通りだ」
「しかも依頼されたのが運用部の部長なので、なおさら調査目的がはっきりしません」
「目的が明確でなければ命令には従えんか。しかしさっきの口ぶりでは、従業員からの内部告発のようなものを聴取しているようだったが」
「公式なペーパーをみにするだけの調査をご所望ではなかったでしょう」
「それなら運用部の人間で事足りる。君に依頼したのは、君でなければ探れない事実を探ってほしかったからだ」
「今まで報告したのは公式な資料から読み取れる情報だけです。言い換えれば、特段の理由がない調査依頼にお応えできる限界でもあります」
「それ以上知りたければ事情を全て話せ、ということか」
「もちろんわたしは審査部の単なる行員に過ぎません。部長命令だとおつしやるのであれば、わたしに拒む理由はありません」
 聞きながら春日居は感心していた。服従を誓う言葉の裏で、こちらの言質を取らなければやすやす開示しないという条件を提示している。少なくとも自分の下にいた頃にはおくびにも出さなかった交渉術は、審査部に移って数カ月で身に付けたものだろう。西さいごときにそんな指導力があるとは思えないので、当麻自らが編み出した手管に違いなかった。
 短期間でこれほど成長を見せる当麻は、やはり春日居が見込んだ通りの逸材だった。みすみす他部署への異動を許したのは本人のスキルアップをおもんぱかってのことだったが、こうなってみると是が非でも自分の手元に置いておきたい。本人に確認したことはないが、うわさを聞きつけてあのよしとも部長までが部下に欲しいと食指を動かしたらしい。
「交渉の腕を上げたな」
「春日居部長の教育のたまものです」
「それだけそつがないとかえって嫌みに聞こえるものだが、君の場合は不思議にそうならない。人柄というものなのだろうな」
「恐縮です」
「いいだろう。わたしも責任を君にかぶせるつもりなど毛頭ない。君が報告しやすいようにお膳立てしよう。きっかけは平岩さんからの申し出だったんだ」
 春日居は平岩から持ち出された相談内容を包み隠さず話し始めた。意外だったのは、話している最中に感じた解放感だ。どうやら自覚しないままに、秘密の取引に首までかっているのが心痛だったのだろう。秘密は暴露すればするほど当人の罪悪感が減圧していく。

>>#5-2へつづく ※8/20(火)公開
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「カドブンノベル」2019年9月号収録「バンクハザードにようこそ」より
○第 1 回から第 4 回は「文芸カドカワ」でお楽しみいただけます。


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最新号 2019年9月号

8月10日 配信

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