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連載

綾崎 隼「盤上に君はもういない」 vol.12

飛鳥はライバル千桜夕妃の背中を追う。棋士の頂を目指す者たちの静かで熱い青春譜‼ 綾崎 隼「盤上に君はもういない」#3-3

綾崎 隼「盤上に君はもういない」

※この記事は、期間限定公開です。

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 あの日の約束を守り、千桜夕妃は半年後の四月に復帰した。
 朝倉七段が入院先を教えてくれたのは、私たちの熱意に押されたというより、そもそも彼女の復帰を予感していたからだったのだろう。
 知りたいことは、まだ沢山ある。二年半もの長期にわたり闘病生活を送っていたとは、さすがに思えない。失踪前に弟に告げた言葉の意味も分からない。
 ただ、そういった疑問の答えを探ることは、もう私の仕事ではない。
 大切なのは、千桜夕妃と再び盤上で戦えるという事実だけだ。
 彼女は長期欠場に入った時も、復帰に際しても、一切のコメントを出さなかった。
 現在の実力に懐疑の目を向ける者もいたし、空白の時について説明することなく復帰したことを、自分勝手だとだんがいする者もいた。
 将棋を指していても、指していなくても話題になる。彼女はそういう人間らしい。
 千桜さんは今も四段だが、C級2組からフリークラスに転落したため、順位戦で当たることはない。私たちが再戦するには、彼女が順位戦に復帰するか、トーナメント形式の棋戦で、互いが勝ち上がるしかない。
 彼女がC級2組に上がる日を、悠長に待つつもりはない。千桜夕妃が復帰する前に、私はC級1組に昇級してやる。今度は先を行ってやる。そう考えていた。
 棋士の世界には現在、八つのタイトルが存在している。
 タイトル奪取は、すべての棋士の目標であり夢でもある。しかし、タイトルを目指すよりも先に集中しなければならないのは、棋士の命とも言える『順位戦』だ。
 四段に昇段した私の次なる目標は、順位戦で勝利を重ね、C級1組に昇級することである。昇級条件はシンプルで、六月から三月までの間に、一人十局を戦う順位戦において、上位三名に入るか全勝することだ。
 C級2組は四十名から五十名と、最も人数が多いクラスである。三段リーグからの昇級組は最下位の順位からスタートすることになるため、一年で昇級したいなら、ほとんど全勝に近い成績が必要になる。
 一方、フリークラスに転落した千桜夕妃の昇級条件は、もう少し緩い。全棋士参加の棋戦優勝やタイトル戦挑戦などといった条件を満たすことは難しくとも、良いところ取りで三十局以上の勝率が六割五分といったあたりの条件は、調子を落とさずに対局出来ていれば、いずれ達成出来るに違いない。
 千桜夕妃がC級2組に復帰するのが先か、私がC級1組に上がるのが先か。
 棋士生活の一年目は、そんな状況で始まることになった。

 一年で昇級したいなら、順位戦では全勝する必要がある。
 並々ならぬおもいで臨んだものの、やはりプロの世界は甘くなかった。
 三局目にして早くも黒星を喫し、七局目でも再び敗北することになった。
 とはいえ五勝二敗は順位戦初参加の棋士としては立派な成績である。女の善戦が意外だったのか、諏訪飛鳥の一年目の戦いは、予想以上の頻度で報道された。
 もう一人の女性棋士、千桜夕妃もフリークラスで勝利を重ねている。しかし、メディアが取り上げるのは私の対局ばかりだった。
 フリークラスの彼女は、棋士と奨励会員の間のような存在である。間違いなく棋士ではあるものの、収入だって極端に不安定だ。一年間、すべての対局に敗れれば、年収は百万円ほどにしかならない。三年という時を経て、世間の認知度は完全に逆転していた。
 しかし、私の両目は、いつだって千桜夕妃のことを見据えていた。
 棋譜を見れば嫌でも分かる。
 彼女は決して終わった棋士ではない。棋力が衰えたなんてことも絶対にない。
「最近の飛鳥は、本当に楽しそうだね」
 一年目の棋士生活も終盤に差し掛かった頃、亜弓さんにそんな言葉を掛けられた。
「毎日、充実しているでしょ。表情で分かる」
 棋士になるより、なってからの方が大変だ。
 お祖父ちゃんも、両親も、兄弟子たちも、皆、そう言っている。
 だけど、今の私は、まだ、先達の言葉に頷けない。
 三段リーグの方が苦しかった。先の見えない恐怖と、心まで折られるような失望を繰り返した日々に比べたら、毎日が天国のように楽しかった。
 トーナメントで格上の棋士と当たり、手も足も出ずに惨敗しても、私はか嬉しかった。棋界には恐ろしく強い人たちが何十人もいる。私はこれから、そんな彼らに何十回も何百回も挑戦出来る。幸せだった。棋士になって、本当に良かった。
「千桜さんも調子が良さそうだよ」
「将棋の話? 体調の話?」
「どっちも」
「そっか。それは良かった。万全の千桜夕妃にリベンジしたいもん」
 彼女は復帰後、フリークラスの棋士が参加出来る棋戦において、八割以上の勝率を挙げていると聞く。このままいけば一年でC級に復帰するだろう。
「飛鳥との対局が決まったら、インタビューを取らせてくれないかなぁ」
「フリークラスの間は取材を受けないって、連盟を通して発表していたよ」
「そうなんだよね。気持ちは分かるけど、飛鳥との対局は特別じゃない。史上初の女性棋士対決だよ? 対局後でも良いから、記念対談をセッティングさせて欲しい」
「亜弓さんなら私はいつでもウェルカムだけどねー。まあ、宣戦布告をしたいから、対談をするなら対局前が良いけど」
 私のライバルは、千桜夕妃しか有り得ない。
 順位戦で二敗している私は、来期の1組昇級が絶望的であり、このままいけば、たった一年で追いつかれる。心底悔しいはずなのに、何処かで歓喜している自分もいた。
 そして、来期の対局を予感し始めた頃、私はある事実に気付く。
 将棋会館で実際に彼女の対局を目にし、それは確信に変わった。
 千桜夕妃の棋風が変わっていたのだ。

 年度末の三月。
 私は七勝三敗で昇級を逃し、千桜夕妃は一年でC級2組への復帰を勝ち取った。
 約束の時は目前まで迫っている。
 私はそう確信していたけれど、次の一年でも、彼女との再戦が叶うことはなかった。
 翌年の順位戦、十局の組み合わせに私たちの対局は入らず、九勝一敗の成績で三位に入った千桜夕妃は、二年連続の昇級を決める。
 C級1組に昇級した時点で、棋士は昇段規定を満たし、五段となる。
 追い越したと思っていた彼女に、私はたった二年で追い抜かれていた。

      9

 私は何て馬鹿だったんだろう。
 棋士二年目の順位戦、最終節を終え、千桜夕妃の昇級を知った時、最初に思ったのはそんなことだった。
 病気なんて関係ない。対局ではどんな言い訳も通用しない。そう分かっていたはずなのに、私は何処かで彼女に同情し、見下していた。
 いつの間にか上から目線で、私の隣までい上がって来いなどと考えていた。
 自分でも気付かぬまま、慢心し、油断していたのだ。
 再戦して勝利したわけでもないのに、千桜さんより強くなったつもりでいた。
「亜弓さん。私は本当に馬鹿だ。恥ずかしい」
「どうしたの、急に」
 順位戦、最終節の後、亜弓さんに会うなり、本音がこぼれ落ちた。
 二年連続で順位戦の成績は、七勝三敗。
 C級2組の棋士の中では強い。しかし、昇級は出来ていない。
 男たちと対等以上に戦えているというだけで、いつの間にか満足していたのだろうか。
「千桜さんが帰って来てくれて良かった。あの人がいるお陰で、私はいつも自分の甘さに気付ける。日進月歩の棋界で停滞は後退。一からやり直すしかない」
 順位戦で勝ち越したくらいで喜んでいた自分が恥ずかしい。
 タイムマシンがあったら、今すぐ戻って殴りたい。
 飛王だ。私が目指しているのは飛王のタイトルなのに、どうして勝ち越したくらいで喜んでいたのだろう。本当に、本当に、甘ちゃんだった。
「次は、がっかりさせないから。取材していて良かったって思わせるから。だから、もう少しだけ私に期待して」
「何を言っているのよ。取材していて後悔したことなんてない。飛鳥の戦いを、私は誇りに思っているよ」
「女性初の棋士の称号も、五段も、全部、先に取られてしまった。でも、タイトルだけは譲らない。女性初の戴冠は私が成し遂げる。飛王を取るよ。私は絶対に飛王になる」
 きっと、言葉には力がある。奨励会時代から見守ってくれている亜弓さんに宣言したことで、覚悟が一つ上のステージに進んだような気がした。
 二十一歳。若い若いと言われても、もう子どもじゃない。
 二つ年下の竹森稜太は、既に七つのタイトルを取っている。
 じっくり棋力を磨いて、飛王に挑戦出来る時を待つ。そんなことを言っているようじゃ、いつまで経っても夢は叶わない。
 A級棋士にならなければ挑戦出来ない『名人』とは違う。
 棋士になったのだから、私にはもう『飛王』を目指す資格がある。
 私の真の目標は、C級1組に昇級することでも、千桜夕妃に追いつくことでもない。
 目指すべき場所は、そんな低い位置にはない。
 飛王だ。私はお祖父ちゃんと同じ飛王になる女なのだ。

 飛王戦は一九七四年に創設されたタイトルであり、すべての棋士と女流名人、女流王位が参加出来る棋戦だ。私と千桜さんは棋士枠での出場だから、昨年から女性は四人参戦している。しかし、飛王戦で予選を突破した女性は未だいない。
 飛王戦の『予選』には、高段者にも優位性がないという特徴がある。シードの四名を除く全棋士が、八つのトーナメント表に分けられ、二回戦までに登場するからだ。
 その後、各トーナメントの優勝者は、シードされた者と共に、紅白二つのリーグに振り分けられ、総当たり戦をおこなうことになる。
 夢を叶えるためのみちのりは長く、厳しい。
 私は飛王を目指すため、棋士になって以降、研究会では特定の条件下での対局を最も多くこなしてきた。
 三段リーグの持ち時間は、九十分。棋士の命である順位戦は、六時間だ。
 タイトル戦の予選は大会によって持ち時間が、一時間、三時間、五時間と、まちまちだが、飛王戦では最後まですべての対局が四時間でおこなわれる。
 私は四段に昇段した時点で、この四時間の将棋に強い棋士になろうと決めていた。そういう訓練を兄弟子や弟弟子たちを相手に、積んできていた。

 二十三歳。棋士生活四年目。
 公式戦で通算百勝を達成して五段に昇段した私は、飛王戦の予選で力を発揮する。
 トーナメントの性質上、勝ち上がれば対局相手はほとんどが格上になる。
 それでも、四時間の将棋に賭けてきた四年間のすべてを、盤上で燃やし尽くし、泥臭く勝利を手繰り寄せていった。
 辿り着いた予選最終戦の相手は、A級棋士だった。
 棋士生活四年目にして初めて、十人しかいないA級棋士と戦うことになった。
 対局が決まっただけで魂が震えた。
 棋士になり、棋界で躍動している。そう実感した。
 A級棋士と対座しただけで、感動で涙が零れ落ちそうだったけれど、歯を食いしばってそれをこらえた。
 これはただの過程だ。通過点だ。
 感傷に飲まれるな。ベストじゃない。ベスト以上の私を引き出せ。
 あと一勝。あとたった一勝で、挑戦者決定リーグへの参戦が決まる。
 リーグに進めれば、仮に優勝出来なくても、二位になることで翌年のシード権が与えられる。飛王に大きく近付ける。
 勝たなくてはいけない。ここで、絶対に、勝たなければならない!

      10

 予選の最終戦を終え、トーナメント優勝者八人の名前と、紅白の組み分けを見た時、私は運命みたいなものに、弄ばれているんじゃないかと思った。
「諏訪さん。おめでとうございます!」
 対局後、私に最初に声をかけてきたのは、竹森稜太だった。
「あんたも勝ち上がったか。一応、おめでとう」
 私は先日、やっと五段になったばかりだというのに、こいつはとっくに最高位の九段になっている。年下のくせに、ことあるごとに私の前に立ちはだかる生意気な天才だ。
「俺、嬉しいです。諏訪さんともう一度、戦いたかったから」
「悪かったわね。弱くて」
「そういう意味じゃないですよ」
「でも、事実としてはそういうことでしょ。あんたと当たらないのは私が弱いから」
「そんなことないですって! 諏訪さんは女性初の飛王戦挑戦者決定リーグ到達者ですよ!」
 そうだ。私はいつも千桜夕妃のこうじんを拝してきたけれど、ついに史上初の名を手にすることが出来た。しかし、今回もすっきりはしない。何故なら、
「まさか六人の内、半分が三段リーグの同期とはね」
 予選を勝ち上がったのは、私や竹森だけじゃない。別のトーナメントを千桜さんも勝ち上がっており、あろうことか私たち三人は同じ組になっていた。
「嬉しいなぁ。同窓会みたいじゃないですか」
「何が同窓会よ。こっちは、あんたと違って最初で最後のチャンスかもしれないんだからね。本当にむかつくガキだわ」
「二歳しか違わないじゃないですか」
「うるさい。黙れ。天才に私の気持ちが分かってたまるか。帰って研究しよ。あんたとしやべってるとてんがうつる」
「えー。諏訪さん、俺のこと、そんな風に思っていたんですか? 待って下さいよー」
 二十一歳になった竹森稜太は、既にA級棋士である。
 複数のタイトルホルダーでもある彼は、若手最強どころか現役最強の一人だ。
 むかつくけれど竹森は強い。本当に、強い。
 正直、竹森と同じ組になったことは不運としか言いようがないが、もう一人のライバルと戦えることには感謝していた。
 棋士になって四年、今日まで千桜さんとは一度も戦うことが叶わなかった。
 しかし、この最高の舞台で、私が最も得意とする四時間将棋で、再戦出来ることになったのだ。気持ちが昂ぶらないはずがなかった。
 そして、迎えた運命の挑戦者決定リーグ。
 そこで繰り広げられたのは、誰も想像出来なかった波乱の展開だった。

      11

 あかぐみの六人が発表された時点で、私と千桜さんの勝ち上がりを予想する声は、存在しなかったように思う。
 総当たりで全員が五局を戦う挑戦者決定リーグでは、往々にして四勝一敗や、三勝二敗で、勝敗数が並ぶことが多い。その場合、プレーオフはおこなわれず、前期リーグの勝星と前期予選勝星を参照して勝者が決まる。レギュレーションにより私の順位は五位、千桜さんは六位であり、リーグを突破したいなら、事実上、全勝が求められていた。
 加えて、私たち以外の四人のメンは絶望的に強力だった。
 最も勢いのある若手、竹森稜太。現名人。そして、前年度、飛王戦五番勝負に出場して敗れた棋士と、もう一人のシード者。全員がA級棋士だったのである。
 場違いと卑下するつもりはないが、皆、遥か格上の棋士たちだった。
 女性である私たちが同じ組に入ったのは、せめてどちらかが一勝出来るようにという連盟の配慮によるものではないかといぶかしむ声が上がったのも無理はない。
 真実は分からない。ただ、そんな風に将棋ファンへのそんたくされても仕方がないほどに、私たち二人と他の四人の実績には差があった。
 私は今年、この飛王戦にすべてを賭けている。
 どんな棋戦でも対局相手の研究は必須だけれど、挑戦者決定リーグに進出して以降、すべての時間を、飛王戦の対局相手の研究に使っていた。
 A級棋士たちにとっては、ある意味、私たちとの戦いはボーナスステージだろう。所詮はC級棋士。どう考えても警戒するような相手じゃない。何よりA級棋士ともなれば、狙っているタイトルは飛王だけじゃない。
 飛王戦だけに賭けている私と、数ある棋戦の中の一つでしかない彼ら。
 わずかな差かもしれないが、時間と、執念と、祈りが、奇跡を起こす。
 私は何と、初戦、二戦目、三戦目と、A級棋士に三連勝したのである。
 自分でも信じられなかったし、私の連勝は連日、ワイドショーやニュース番組で奇跡のように報じられることになった。
 人生最大の快進撃を私が続けていたその頃、ライバルである千桜さんはどうなっていたかと言えば、彼女はA級棋士たちに三連敗を喫していた。早々にリーグ制覇も、来期のシード権獲得も、逃していたのである。
 目に見える結果で、千桜さんを上回ったのは初めてかもしれなかった。
 少なくとも今この瞬間だけは、私が地球上で一番強い女だ。そう確信出来た。
 残り二局の相手は、既に二敗している竹森稜太と、三敗の千桜夕妃だ。
 あと二勝すれば、問答無用で私が挑戦者決定戦に進出となる。

「諏訪さん。本当に凄いっすね。このままいけるんじゃないですか?」
 第四戦。控室に入ろうとしたところで、対局相手である竹森に話しかけられた。
「何で他人事なのよ。あんただって、まだ可能性がないわけじゃないじゃん」
「俺、最終局があん名人なんです。あの人との相性、最悪なんですよね」
「へー。あんたにも苦手意識のある相手なんているのね」
「よく庵野名人に勝ちましたよね。俺、感動しちゃって泣きそうでした」
「あんたってさ、昔からそうやって噓くさいことを真顔で言うよね」
「何で信じてくれないんですかー」
 嘆く顔も噓っぽい。こいつは昔から本音がよく分からない。
「嫌いなんだよね。自分より若くて強い奴が」
「仲良くしましょうよー。同世代じゃないですか」
「鬱陶しいな。同世代じゃないし。て言うか、新聞で読んだわよ。eスポーツだっけ? あんた、先週、変なゲーム大会で優勝していたでしょ。何で将棋にすべてを賭けてない奴が、そんなに強いのよ。本当、むかつく」
「将棋だって本気で頑張っていますって。eスポーツは息抜きですよ」
「私は将棋の息抜きにも将棋を指す。棋士なんだから将棋以外のことは引退するまで考えなくて良い」
「好きですけどね。諏訪さんのそういうところ。本当、やりにくいなぁ。今日は」
 やりにくいのはこっちの方だ。緊張で胸が張り裂けそうだって言うのに、飄々としているこいつは、今日も平常心のままナチュラルに全力を出してくる。
「ねえ、あんたさ、まさか私のことを研究していたりしないわよね」
「しましたよ。するでしょ。むしろ、しないわけないでしょ」
「はぁ? ふざけてんの? C級棋士を相手に対策を立てるとか、A級棋士として恥ずかしくないわけ?」
「いやいや、対策を立てない方が失礼でしょ。お世辞じゃなくて、本気で諏訪さんのこと、強いと思ってますしね。奨励会で吹っ飛ばされた時のことも忘れられないです」
「そんな大昔のこと忘れて良いから。これからは私と戦う時に対策するのやめて」
「何でですかー」
「ガキに棋譜を分析されていると思うと、むかつくから」
「もう二十一歳なんだから、子ども扱いしないで下さいよー」
 私は竹森稜太の棋力を知っている。
 二歳年下の彼が、私より遥かに強いことも理解している。
 三戦目が終わって以降、順位戦すら犠牲にして、こいつの棋譜を並べ続けてきた。肉を切らせて骨を断つではないけれど、何かを犠牲にしてでも勝負するべき場所は、ここだと信じたからだ。
 私の飛王戦の結果は出来過ぎだ。現在の実力を考えれば、挑戦者決定リーグに進出したことも、そこでA級棋士に三連勝したことも、何もかもが出来過ぎだった。
 今年を逃せば、次にいつこの場所まで辿り着けるか分からない。

「ほらね。俺の言った通りじゃないですか」
『負けました』の一言を告げた後で、竹森は笑って言った。
「諏訪さんは強いんですって。俺、小学生の頃から知っていましたよ」
 悔しいはずなのに。
 今日の敗戦で、挑戦者決定リーグでの敗退が決まったというのに。
「おめでとうございます。諏訪さんならいけます。きっと挑戦者決定戦に進めますよ。俺、応援していますから」
 竹森は最後まで笑顔を崩さなかった。
 決して綺麗な勝ち方ではなかった。
 それでも、私は最後の最後まで粘り、接戦の末に勝利を手にした。
 若手最強の竹森稜太を倒し、これで挑戦者決定戦出場まであと一勝だ。
 いや、他の対局次第では、今日にも勝ち上がりが決まる可能性がある。竹森はこれで三敗。ほかの棋士たちも全員が二敗以下の成績なら、私の一位が確定する。
 千桜夕妃は今日も負けていた。彼女は〇勝四敗で、最終日に私と対局する。
 ほかの棋士たちは……。
 星取表を見つめ、一秒で理解する。
 竹森と同様、別のタイトル戦を並行して戦っている名人に土がつき、私に負けて一敗だった棋士が、勝ち星を積み上げていた。その棋士は、別の棋士と三勝一敗同士で最終戦を直接戦う。つまり、彼ら二人の内どちらかは、一敗のままリーグを終えることになるのだ。
 飛王戦の挑戦者決定リーグにはプレーオフがない。私が最終戦で負ければ、どちらが勝っても頭ハネで私よりも上の順位になる。
 つまり私は最終戦で絶対に負けられないということだ。
 負ければ二位で敗退、勝てば一位で挑戦者決定戦進出となる。
 結局のところ、私たちはこういう運命なのだろう。
 人生で一番大切な日に、必ずお互いが立ち塞がる。
 六年以上願い続けた彼女との再戦は、私だけの運命を左右する一局となっていた。

▶#3-4へつづく
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