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連載

綾崎 隼「盤上に君はもういない」 vol.19

竜皇になるまで隠し続けた夕妃の真実とは? 棋士の頂を目指す者たちの静かで熱い青春譜‼ 綾崎 隼「盤上に君はもういない」#5-1

綾崎 隼「盤上に君はもういない」


前回のあらすじ

竹森稜太は千桜夕妃を挑戦者に迎え、竜皇戦七番勝負を戦うことになった。プロ入り後の九年間で名人位に昇りつめ、竜皇を含むタイトル五冠を保持する竹森は、自他ともに認める現役最強の棋士。夕妃とは四段昇段の同期で、過去の戦績は一勝一敗だが、夕妃にはプロ入り後三年間のブランクがあり、実力には差があると竹森は自信を持っていた。だが最終局で竹森は敗れ、夕妃は新竜皇となった。

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第五部 ただ君を知るための遊戯

      1

 恋も、夢も、願い続けたとてかなうとは限らない。
 九年だ。今日まで九年も待った。
 棋士、ざくらの独占インタビューを取ることは、私、たけゆみの悲願だった。
 世界には、たった二人しか女性の棋士がいない。もう一人は中学生の時分からよく知る飛鳥あすか五段だが、二人の人生は好対照である。大抵の場面で、栄冠と名誉は千桜さんの頭上に輝いているからだ。
 女性棋士になったのも、五段に昇段したのも、彼女が先だった。
 いや、話は昇段だけにとどまらない。現役最強の王者、たけもりりようを倒し、初挑戦で見事にりゆうおうを戴冠した千桜さんは、わずか数ヵ月で六段から八段に昇段した。将棋界の最高段位は九段であり、来期、竜皇の座を防衛すれば、彼女は九段に昇段する。
 女性初の棋士が誕生した時、たった九年で彼女が八段に昇り詰めることも、最高峰のタイトルである竜皇の座に輝くことも、予想出来た人間はいなかったはずだ。
 その活躍に期待することはあっても、現実問題として、女性が男性棋士たちを相手に勝利を重ねる日がくるなんて、棋界に詳しい者であれば想像出来なかったはずである。
 しかし、千桜夕妃は今や正真正銘の竜皇だ。
「女性は将棋で男性に勝てない」
 そう語る人間こそが笑われる。そんな時代が、やってきたのだ。
 彼女が棋士になった時も、三年のブランクを経て復帰した時にも、インタビューをさせて欲しいと打診し、ことごとく断られてきた。棋士というだけで偉大だと私は考えているが、当の彼女は、そうは思っていないようだった。
「まだ何も成し遂げていないので、自分語りをしたくないんです」
 彼女の功績は実に大きいものの、当の彼女にその自覚はない。
 飛鳥の助力もあり、簡単な質問には答えてもらえるようになったが、彼女がこれまで私に語ってくれたのは、あくまでも表層的なことばかりだ。
 私は観戦記者だ。それも数少ない女性記者である。千桜夕妃が本心を語る際には、聞き手は絶対に自分でありたい。ずっと、そう願いながら仕事をしてきた。
 だから、私は何年もかけて、彼女への説得を続けてきた。
 千桜夕妃、あなたは棋士を目指す少女たちのパイオニアだ。
 これまでの人生について語ることを、義務だとまでは言わない。ただ、あなたの生き方を参考にすることで、次世代の女性棋士が生まれる可能性は大いにある。
 あなたの歴史は、棋士を育てたい者にとって重要なテキストになる。
 どうか未来の棋士のために、千桜夕妃の人生を語って欲しい。
 夢を叶えた者としての責務を果たして欲しい。
 きような論法だと自覚しながら、それでも私は、千桜さんのロングインタビューを取るために、何年も言葉を投げ掛け続けてきた。
 そして今日、ようやく積年の思いが叶う。
 竜皇になった千桜さんは、誰の目にも『成し遂げた人間』になった。彼女自身が自分に納得したことで、ついに独占インタビューの了承をもらえたのである。
 恥ずかしいくらいに気持ちが高ぶっているのだろう。
 予約してあったお店に、私は三十分以上前に到着していた。
 新聞社を退社し、観戦記者として再出発してから十一年。
 私にとって今日は、心から待ち望んでいた日だった。
「将棋会館でも一室、お借り出来たのに。良かったんですか? こんな料亭で……」
 約束の時刻ぴったりに現れた千桜さんは、店の外観に目をやり、目を細めた。
 ここは中央区の中でも高級店が建ち並ぶ一画だ。完全個室の料亭であり、ランチタイムでも庶民には手が出にくい値段のコースが並ぶ。
「戴冠直後の独占インタビューですからね。お店は編集長が予約してくれたんです。気が済むまで、じっくり話を聞いてこいと仰せつかっています」
「場所で話が変わることはないと思いますけど、では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「はい。まずはしいご飯を食べましょう。私も楽しみだったんです。それに、今日は一回目だと思っています」
「一回目?」
「千桜さんの人生を、たった一度のインタビューで聞き尽くせるわけないじゃないですか。焦るつもりもかすつもりもないんです。千桜さんを疲れさせたくもありません。そういう話もお店の中でしましょうか」
 私が彼女と会話を交わせるようになったのは、今や伝説となったおう戦挑戦者決定リーグ最終戦の後だ。飛鳥との死闘を経て、彼女は私とも交流を持ってくれるようになった。
 とはいえ、昨日までの彼女のスタンスは、核心に踏み込ませない、本質的なことは話さない、一貫してそういうものだった気がする。
 懐石料理を食べ終わり、レコーダーを取り出す。
「インタビューは新聞に掲載されるんですか?」
「実は、まだ決まっていないんです。インタビュー形式で記事にする場合は、なるべく沢山の人に読んでもらえるよう、ウェブでの公開を考えています。ただ、私が代筆する形で、自伝的な書籍を出版することも有りなのではと思っています」
「一冊の本に出来るほど、中身の濃い人生は歩んでいないですよ」
「それは自覚していないだけでは? 千桜さんの人生が濃密でないはずがありません」
 お世辞ではない。私は本気でそう思っている。
 数々の偉業を、持病のある身体からだで成し遂げたたいの戦士。そのらんばんじような半生は、棋士を目指す少女たちにも、そうでない人間にとっても、大いに参考になるはずだ。
「私は諏訪五段の人生も見守ってきました。女性棋士について著すなら、私以上に相応ふさわしい人間はいないと自負しています。出版という形はお嫌ですか?」
「聞かれた質問には、正直に答えたいと思っています。ただ、人間ですから、きっと話せないこともある。それでも良ければ、佐竹さんの思う形で公表して下さい」
「ありがとうございます。では、早速、始めましょう」
「はい。何から話せば良いでしょうか」
 レコーダーのスイッチを入れ、彼女の前に置く。
「生い立ちからお聞きします。千桜竜皇はいつ、将棋と出会われたのでしょうか?」

      2

 子どもの頃から、生きることと、死ぬことについて、考えていました。
 祖母が亡くなるより早く、なきがらを間近に見るより早く、『死』について理解していたと記憶しています。
 私は、親族の大半が医療従事者である、千桜一族に生まれました。
 和を基調とした家屋が建ち並ぶ千桜本家には、百人を超える親族が暮らしています。
 近しい年頃の子どもたちも沢山いましたが、ぜんそくが出るからと、幼い頃から外で遊ぶことは禁じられていました。
 友達を知らない。将来に希望を抱くということを知らない。
 私はそういう少女でした。

 六歳の春、小学校に入学したものの三日とたずに肺炎になり、一族が経営するとうおう医療大学病院に入院することになりました。
 一ヵ月で退院出来る。初めはそう言われていたのに、病状は悪くなる一方で、手術が決まるに当たり、年内の復学は難しいだろうと告げられました。それどころか、このまま小学生の間は入院生活になるかもしれないとまで言われてしまいました。
 数日しか通えませんでしたが、小学校は笑い声に満ちていました。
 私が抱える問題を理解していた先生も、とても優しかった。
 友達の作り方を知らない私ですから、たった三日で親しい友など出来るはずもありません。それでも、小学校は楽しかったんです。
 だから、長期の入院は、とてもショックでした。
 私は大学病院長の孫なので、個室を与えられていました。
 手術が終わり、一ヵ月が経った頃、点滴につながれたまま、小児病棟のある別棟に案内されました。そこに院内学級が設けられていたからです。
 見回した白い教室には、小学校と違い、様々な年齢の子どもたちがいました。
 彼らの痛々しい姿に、釘付けになってしまったことを、今でもはっきりと覚えています。点滴の管に繫がれているのは、私だけではありませんでした。
 顔の半分を包帯で覆われた子。
 片足しかないまつづえの子。
 車椅子に座った髪のない子。
 皆が皆、かを病んでいて、私と似た青い唇をしていました。
 私は、私たちは、普通ではないのだ。
 知っていたけれど、分かっていたけれど、涙があふれました。
 私も、彼らも、何も悪いことなんてしていません。それなのに、どうして最初から、こんなに違うんだろう。どうして自分たちは『普通』じゃないんだろう。
 私はそれが、ずっと、すごく、悔しかったんです。

 院内学級での生活は、不幸でも、幸福でも、ありませんでした。
 私は勉強が好きです。新しい知識を身につけることは、それだけで楽しい。だけど、どうしても考えてしまいます。
 どうせすぐに死んでしまうなら、こんなことに何の意味があるんだろう。
 何を覚えても、何を学んでも、死んでしまえば終わりです。
 だから、それは必然のほうこうだったのかもしれません。
 あるしの穏やかな午後。
 教室でせきが止まらなくなり、担当医が看護師と駆けつけて来ましたが、私は帰りたくなかった。
 熱が出ていても頭は働きます。勉強だって出来ます。いつか死ぬその日まで、こんな風に逃げてばかりじゃ、何者にもなれない。そう思ったのです。
「今日はここまでにしよう。休んで、熱が下がったらまた明日、勉強しよう」
 諭されたその時、私は担当医の白衣の裾をつかんで、叫んでいました。
「病気に負けたくない! 生きたい! 何でもするから治して!」
 怒りが、願いが、口からこぼれ落ちていました。
 だって、このまま死ぬんじゃ、あんまりじゃないですか。
 ただ死ぬためだけに、生まれてきたみたいじゃないですか。
 七歳の私は死にたくなかった。
 ただ、ひたすらに、生きる資格が欲しかったんです。

 咳が止まらないまま、病室に戻りたくないと駄々をこねた日の翌日。
 入院する個室に、院内学級の先生と、しやべったことのない男の子が訪ねて来ました。
 院内学級では平日、毎日、授業がおこなわれています。彼は同じ小学一年生のテキストで勉強している子どもでしたが、見かける日の方が少ない児童でした。
 名前も知らなかった彼のことを覚えていたのは、単に容姿が特徴的だったからです。
 彼はブロンドの髪と青い目を持っていました。教室では日本語を話していましたが、会話がおぼつかい印象を受けたこともありました。
「熱があるから今日は休めと言われました。でも、私は勉強したいです」
 真剣に訴えましたが、先生からの許可はもらえませんでした。
 当時の私は、何かを諦める度に、人間としての資質も、一つ、また一つと失っていくような気がしていました。私には時間がありません。それなのに、与えられたわずかな時間の中ですら、自由を許されない。本当に、毎日が悔しかった。
 だけど、あの日、すべてが変わりました。先生に紹介された男の子は、
「将棋って知ってる?」
 そんな質問と共に、手提げ袋から、折りたたみ式の盤と駒を取り出しました。
「これならベッドの上でも遊べるよ。僕は心臓が悪い。君は肺が悪いって聞いた。僕らは運動が出来ないけど、将棋は駒を動かす遊びなんだよね」
 本家の縁側で、おちゃんたちが指している姿を見たことがありましたので、存在は知っていました。ただ、その日まで、私はそれを大人の遊びだと考えていました。
 喋ったこともなかった彼が、突然、将棋に誘ってきた理由を、私は知りません。単に教室では遊び相手が見つからず、ベッドで退屈しているだろう近い年頃の児童を誘ってみようと思っただけなのかもしれません。
 今でも答えは分かりませんが、その日の出会いは、私にとって運命的でした。
 運動を禁じられている私でも、盤上でなら縦横無尽に駒を動かせます。右にも左にも上にも下にも、行きたい場所は何処でも目指せるんです。
 奪われても、奪い返すことが出来る。
 盤の上は何て自由なんだろう。将棋の駒たちは何て強いんだろう。
 私はたった一日で、将棋に夢中になってしまいました。
「ねえ、明日も来て良い?」
 夕方、私が誘うより早く、彼は笑顔で尋ねてくれました。
 私は将棋を覚えたばかりです。一年以上、指している彼には歯が立ちません。彼は丁寧に戦術の基本を教えてくれましたが、付け焼き刃の知識では勝負になりませんでした。
 弱い人間と指してもつまらないだろうに、彼はまた来たいと言ってくれました。
 それが、私にはとてもうれしかった。明日も将棋を指せることが、明日に約束があることが、七歳の私には、ただ、ひたすらに嬉しいことでした。
 将棋を教えてくれた彼は、その名前を、アンリ・ヴァランタンといいました。

 将棋を知った日の夜、お見舞いに来た母に、将棋盤と駒、教本をせがみました。
 翌日には届けられた子ども向けの教本を、看護師に手伝ってもらいながら読み、その日のうちに幾つかの定跡を覚えたと記憶しています。
 いつまでも負けたままではいられません。
 将棋を知り、私は自分が恐ろしく負けず嫌いであることに気付きました。
 一週間でアンリを追い抜いてやる。笑顔であしらう彼を負かしてやる。そう心に誓いましたが、私の野望は、すぐには実現しませんでした。
 アンリは喋ったこともない女の子に、根気強く一から教えて、将棋仲間を作るような子です。彼との差は簡単には埋まりませんでした。
 あまりにも勝てないせいで、毎日のように教本を読んで勉強しているのに、それが報われないせいで、私は負ける度に涙を零していました。
 同い年の男の子に勝てないことが、心の底から悔しかったのです。

 彼に少しずつ勝てるようになったのは、将棋を覚えて三ヵ月が経った頃でした。
 アンリに将棋を教えてもらった子はほかにもいましたが、私のような情熱を抱くに至った子はいませんでした。
 強く。昨日より強く。
 私たちは教本を貸し合い、それぞれが得意な手について対策を講じ合い、将棋が強い患者が入院したと聞けば、勝負を申し込みに行きました。
 負ける度に身を切られるほどに悔しかったけれど、それ以上に楽しかった。
 こんなに楽しいことは、ほかにない。本気でそう考えていましたし、同じように感じているアンリという友達がいる毎日が幸せでした。
「僕、いつか棋士になりたいな」
 将棋を覚えて一年が経った頃、アンリがそれを口にしました。
「それでさ、タイトルを取るの。タイトルを取った棋士は、その名前で呼ばれるようになるんだよ。千桜名人とか千桜竜皇とか千桜飛王とか。格好良いでしょ」
 彼は新しい知識を手に入れる度に、私にも教えてくれました。
「棋士になりたい子は、まず将棋を勉強するための研修会に入るみたい。研修会で強くなったら、次は奨励会に入って、そこで四段になったら棋士になれるんだって」
 小学生の私たちにとっては、何もかもが雲を摑むような話でした。
 ただ、私が研修会に入りたいと言うと、アンリも同意してくれました。
「僕も入りたい。でも、まだ無理だよ。僕も、夕妃も、強い大人に勝てないじゃん」
 入院患者相手の勝率は、日に日に上がっていました。ですが、中には本当に強い人がいて、そういう方が相手では歯が立ちません。職団戦に出場している先生たちにも、ほとんど勝てていませんでした。
「棋士じゃない人に余裕で勝てるくらいにならないと、研修会には入れないよ」
 アンリの言葉はもっともだと思いました。
 今まで以上に本気で勉強して、誰にも負けないくらい強くならなければならない。決意を新たにした私に、アンリはこう続けました。
「夕妃の家は、お金持ちなんでしょ。パソコンは買ってもらえないの? パソコンがあればソフトで勉強出来るし、インターネットに繫げば、病室でも色んな人と勝負出来るよ」
 その頃、アンリとの対局では、私の勝率は三割といったところでした。
 私が強くなっても、同じだけアンリが成長するせいで、なかなかその背中を捉えられずにいました。
 私はアンリが入院している棟を知りません。院内学級に行けば会えるし、私がベッドから動けない日は、アンリの方から会いに来てくれるからです。
 心臓が悪いと聞いていましたが、彼が体調を崩す姿は久しく見ていませんでした。
 そうか。アンリは夜、パソコンで将棋を指していたのだ。両親にノートパソコンを買ってもらい、すぐに私はそれを確信しました。
 コンピューターを使って勉強していたから、彼はあんなにも強かったのです。

 ノートパソコンを手に入れて以降、私の棋力は飛躍的に伸びました。
 何しろパソコンがあれば二十四時間、将棋を指せます。
 環境にも後押しされ、小学三年生になる頃、私とアンリは、どんな入院患者にも負けないようになっていました。職団戦に出場している医師たちとも、互角以上の勝負が出来るようになったのです。
 子どもは成長します。
 敗北も涙も飲み込んで、吸収し、加速します。
 入院生活が四年目を迎えた頃、院内で私たちに勝てる人間は、お互い以外にいなくなっていました。

 小学校時代の最高の思い出についてもお話しします。
 あれは、長期休暇を知らない私たちの、小学四年生の夏の出来事でした。
「行きたい場所があるんだけど、夕妃って外出許可はもらえるの? これ、二人分のチケットが取れたんだ」
 アンリが差し出したのは、竜皇戦七番勝負、第一局のチケットでした。
「竜皇戦が二十八年振りに公開対局になったんだ。東京の能楽堂が舞台で、新幹線代も必要だったから、買えたのは二日目だけ会場に入れる安いチケットだけど」
 竜皇戦と言えば、名人戦と並ぶ最高峰の戦いです。しかも、その年の挑戦者は名人でした。今、一番強い二人が戦う対局です。そんなの見たいに決まっています。
 アンリはチケットをプレゼントしたがっていましたが、私は当時から十分過ぎるほどのお小遣いをもらっていました。一万円札以外でお年玉をもらったことがありませんし、幸いにしてお金で困るということはありません。ただ、どう考えても、子どもだけで東京に将棋を見に行くなんてことを、両親が許してくれるとは思えませんでした。
 とはいえ、諦めるという選択肢は、最初からありませんでした。
 公開対局のチケットには様々な種類があります。二日間とも観戦出来るチケットもあれば、棋士とご飯を食べたり、指導対局をしてもらえるチケットもあります。
 小学生だったアンリに買えたのは、二日目だけ観戦が出来るチケットでした。ただ、逆にそれが幸運だったのかもしれません。東京であれば日帰りが可能だったからです。
 私の父は分院の院長で、祖母は大学病院の院長です。アンリには話していませんでしたが、私は職員なら誰もが知るVIP患者でした。
 食事制限も受けていないし、両親が見舞いにやって来た時には、売店やレストランで好きな物を食べています。事前に伝えておけば病院食は運ばれてきません。
 鍵をかけられる部屋ですから、誰も勝手に私の様子を確認することは出来ません。
 看護師に、ほかの部屋で将棋を指すから、朝ご飯も、お昼ご飯も自分で買うと伝えておけば、誰にもばれずに行き来出来るはずです。
 チケットは一ヵ月後のもので、対局の再開は午前九時でした。
 始発の新幹線に乗れば、封じ手が開封される頃に着ける計算になります。

 今思えば、あれが私の最初の冒険だったのだと思います。
 当日、約束していた場所で待ち合わせ、アンリと二人で病院を抜け出しました。
 新幹線に乗ってすぐに咳が止まらなくなり、アンリは途中下車で引き返そうとしましたが、私はかたくなに拒みました。
 新潟駅までのタクシー移動、二時間の新幹線に、東京駅から渋谷までの電車移動。
 三時間を超える移動で、会場に辿たどり着いた時には、体力の限界が近付いていました。
 乗り物に揺られているだけなら問題ないと思っていましたが、同じ姿勢を保ち続けることも、構内での乗り換えも、幼い肉体にとっては負担でした。
 東京の空気は、想像以上に悪く、満員電車でも体力を削られてしまいました。
 ほうほうの体で会場に辿り着いた時には、対局が始まっていました。
 前日もテレビ中継されていましたので、途中からでも対局の流れは分かりましたが、ほとんど最後に会場入りしたせいで、私たちは最後列の席にしか座れませんでした。
 小学四年生。同世代の中では背が高くても、大人たちにはかないません。
 棋士の息づかいを肌で感じたいのに、憧れの名人と竜皇は、はるか遠くにいました。
 それでも、テレビで見るのと実際の対局とでは、大きく違っていました。
 会場は、幼い私のでは説明出来ないほどの熱気に溢れていました。
 集まった観客の誰もが、熱に浮かされたように、頂点の戦いを見守っていました。
 二人の棋士の横顔が大きく見えるような気さえしました。
 静まり返った対局会場に、振り下ろされた駒の音が響く。
 棋士が指す一手は、音まで違う。
 しかし、棋士と大盤を見つめる幸福な時間は、長くは続きませんでした。
 時間が経つにつれ、どんどん咳が深くなっていったからです。移動で限界近くまで追いつめられた肉体が、人混みの空気の悪さで悲鳴を上げていました。
 そして、両手で口元を押さえ、咳き込んでしまったその時、「お嬢さん。大丈夫かい」と、隣の通路から声をかけられました。
 かがみ込むような姿勢で私の顔をのぞき込んでいたのは、壮年の男性でした。
「真っ青じゃないか。休んだ方が良い。救護用のベッドがあるから、そこで……」
 スーツ姿の男性が伸ばしてきた手を、私はとつに払いのけてしまいました。
「竜皇戦が見たいんです」
 涙をこらえて訴えると、男性は私の頭に優しく手を置き、こう告げました。
「分かっている。少し控え室で横になるだけだ。さっき名人は難解な手を指した。心配しなくても竜皇はすぐには動かない。持ち時間もたっぷりあるしね。ここで勝敗が決まりかねないから長考するよ。控え室にもテレビはある。対局が動いたら戻って来れば良い」
 会場から去りたくはありません。ですが、現実問題として体力の限界でした。
 私とアンリを控室に案内すると、男性はあさくらきようすけと名乗りました。言わずもがな、後に私の師匠となって下さる棋士、その人です。
 持参していた薬を飲み、救護用のベッドに横になると、師匠は私たちのすぐ近くまでテレビを持ってきてくれました。
「朝倉さんは良いんですか? 竜皇戦を見なくて」
 不安に思い、尋ねた私に、師匠は笑ってくれました。
「良いんだよ。これが僕の仕事だからね。介護スタッフなんだ。病人の気持ちは、お前が一番よく分かるだろって言われてさ。こういうイベントがあると、すぐに介護スタッフにばつてきされる。一応、僕も棋士の端くれなんだけどね。君たちも知らなかったでしょ? 最近は一年の半分くらい休んでいるからなぁ」
 腎臓の病気であるネフローゼ症候群を患い、棋士になってからもがんと闘いながら、A級に在籍したまま亡くなった最強の棋士がいました。当時から彼のことは知っていましたが、私はその棋士だけが特別なのだと思っていました。
 身体が弱いと、棋士にはなれない。そう絶望していたのです。
 しかし、あの日、師匠がそうではないことを教えてくれました。

 薬が効いたのか、一時間ほど横になっていると、呼吸が落ち着いてきました。
 師匠が話していた通り、竜皇はまだ長考に沈んでいます。
 会場に戻りたいと告げると、師匠はパイプ椅子を二つ抱えて戻って来ました。それから、会場の最前列の脇に椅子を設置し、私とアンリを座らせました。
「こういうものはね、子どもが一番良い場所で見なきゃいけない」
 師匠はそんな風に言いながら笑っていましたが、こんなことを勝手にしたら、怒られてしまう。私は咄嗟にそう思いました。ですが、背後に目を移すと、何人かの棋士たちが笑顔でうなずいていました。
 自分も棋士になった今なら、あの日の師匠たちの心が分かります。
 棋士に憧れる子どもたちこそが、棋界の未来を背負って立つのです。
「君たちのチケットは『銀将コース』だよね。ご両親も将棋をやっているの?」
 両親は将棋に興味を持っていないこと、チケットはお小遣いで買ったことを告げると、師匠は随分と驚いていました。
 二日目の対局を朝から観戦出来る『銀将コース』は、当時、一枚につき二万五千円でした。普通に考えたら、小学生が用意出来る金額ではありません。
 ここに至った思いの丈を告げると、師匠はすぐにみ取ってくれたようでした。
「来てくれて、ありがとう。じゃあ、決着がついたら、また僕のところにおいで。君たちに時間があったら指導対局をしよう」
 棋士の指導対局を受けられるのは、金将コース以上です。それなのに、
「僕が君たちと指したいんだ」
 師匠は会ったばかりの子どもたちにも、そんな風に接してくれる人でした。

 何十年経っても鮮明に思い出せる、夢のような一日でした。
 息遣いまで聞こえる最前列で、白熱する対局を観戦出来たことも、プロ棋士による指導対局を受けられたことも、何もかもが最高の思い出です。
 その日まで、私たちの夢は奨励会に入り、棋士になることでした。
 ですが、あの日を境に、目標が変わりました。
 竜皇戦で戦いたい。竜皇になりたい。
 私は、魂の一番深い場所に、絶対に色せない夢を刻むことになりました。
 師匠との初めての指導対局も、本当に印象深いものでした。自分一人では考えもつかないような手を、理由まで含めて教えてもらえたからです。
 圧倒的でした。師匠は、棋士は、それまでに戦った誰とも完全に次元が違った。
 本当に強い人間がどういう将棋を指すのか、それを初めて知りました。
「新潟に師匠はいないんだよね。じゃあ、これを渡しておこう」
 別れ際、師匠は携帯電話の番号と自宅の住所が書かれた名刺を下さいました。
「君たちより強い小学生は、世の中にそう多くない。これから先、どんな道を選ぶかは分からないけど、もしも将棋のことで困ったら、僕に連絡を下さい」
 どうして、この人はこんなに優しいんだろう。
 私が肺に、アンリが心臓に、病を抱えているからなんでしょうか。
 そんな子どもたちを、自分の過去に重ね合わせていたからなんでしょうか。
 新幹線に乗ってからも、涙が止まりませんでした。
 当時の師匠の気持ちを、私は今でも推測することしか出来ません。
 ただ、一つだけ間違いない事実として話せることがあります。
 この日の出来事が、私の人生を大きく変えることになったということです。

 竜皇戦を見た運命の日から三ヵ月後、退院が決まりました。
 それは、私自身にとっても、あまりに突然の退院でした。
 土曜日の午前中に検査を受けたと思ったら、お昼を食べる前に両親が現れ、三十分後には病院を後にしていたのです。院内学級の仲間たちにお別れをする暇さえありませんでした。
 三年半以上も入院生活を送っていたのです。
「退院出来るなら、もっと早く教えて欲しかった」
 車の中で両親に抗議しましたが、
「また先延ばしになったら、がっかりするでしょ。夕妃を落胆させたくなかったのよ」
 母から返ってきたのは、それ以上、何も言えなくなる答えでした。
 退院後、私の生活は、言葉を選ばずに言えば、母と家政婦に監視されているような状態にありました。
 お昼寝を義務付けられ、勝手に出歩くなんてことは絶対に許されませんでした。
 毎日、将棋を指していたアンリと会えなくなり、寂しさと喪失感にさいなまれる一方で、新生活には嬉しい出来事もありました。
 三年前に出来た弟のともつぐが、私の帰宅を歓迎してくれたことです。
 何度か病院にお見舞いに来てくれてはいましたが、弟とは数えるほどしか会ったことがありません。ほとんど他人みたいな姉なのに、私が帰宅すると、翌日には将棋を教えて欲しいと言ってきました。
 智嗣は私の新しい将棋仲間になってくれたのです。
 弟はとても賢い少年で、教えられたことをあっという間に吸収していきます。
 誰かに将棋を教える毎日は新鮮でした。家族と生活出来ることも嬉しかった。
 ただ、やはり頭の片隅には、いつだってアンリの顔が浮かんでいました。
 私はアンリにさえ何も言わずに退院しています。
 どうして教えてくれなかったんだと、彼は怒っていないだろうか。突然の退院で、誰にも挨拶が出来なかったことを、先生はきちんと説明してくれただろうか。気になっていることは幾つもありました。
 直接、謝りたかったし、何より彼ともう一度、将棋を指したかった。
 事情を話せば大学病院に連れて行ってもらえたはずです。そう分かっていましたが、結局、私は母にも父にも何も話せませんでした。
 アンリは男の子です。内緒で東京まで出掛けたこともあります。
 誓って私たちは将棋を指していただけですが、よからぬことを想像されるのが嫌でした。少女らしい恥じらいの気持ちに勝てなかった私は、病院には一人で会いに行きたいと考えていました。

 東桜医療大学病院に出向くチャンスが訪れたのは、退院から二週間後のことでした。
 土曜日の午後、家政婦が身内の不幸でお休みとなり、母親が婦人会の集まりで消え、智嗣も学年行事で不在でした。
 バスを乗り継いで大学病院に着くと、すぐに院内学級に向かいました。
 授業がない土日も子どもたちのために教室は開放されています。
 私はアンリの入院病棟を知りません。併設されているナースステーションで尋ねると、思いもよらぬ言葉を告げられました。
「アンリ君、一週間前から教室に来ていないんだよね」
 意味が分かりませんでした。
 私が何も言わずに退院したことで、怒ってしまったんだろうか。それとも、彼も退院して、病院から去ったということだろうか。
 母が帰って来る前に戻らなければ、大目玉を食らってしまいます。
 気になって気になって仕方がなかったけれど、その日は帰るしかありませんでした。
 退院から一ヵ月後。再検査のタイミングで、担当医に尋ねてみました。
 同じ小学四年生の患者で、フランス人のアンリという少年。彼が入院している病室を、医師なら電子カルテを使って調べられると思ったからです。
「本当は個人情報だから、教えちゃ駄目なんだけどね。夕妃ちゃんは院長の孫だからなぁ。俺から聞いたってのは内緒だよ」
 担当医は軽口をたたきながら、アンリの名前を検索してくれましたが、
「ヒットしないね。アンリなんて子は、うちの病院に入院していないな。ローマ字で検索しても出てこない。本当にうちの患者? その子も小学四年生なんだよね?」
 わざわざ確認したことはありませんが、彼は出会った頃から、私と同じ教科書で勉強していました。小学四年生で間違いないはずです。
「ごめん。本当に見つからないや。データベースで二年前まで遡れるんだけど、アンリなんて男の子はヒットしない」
 結局、その日もアンリの行方は分からずじまいでした。
 一説によれば、人と人が出会う確率は、〇・〇〇〇六パーセントなのだそうです。
 巡り会いは奇跡です。そんな奇跡が出会わせてくれた友達だったのに、その後もアンリの行方は分からないままでした。
 さよならも言えずに退院したせいで、病院を再訪したのが二週間後だったせいで、会えずじまいのまま時だけが流れ、手遅れになってしまったのです。
 担当医は悪い人ではありません。ただ、お調子者で抜けたところのある方でした。ローマ字で検索したと言っていましたが、フランス人ですから、スペルにすれば『Henry』か『Henri』となります。馬鹿正直に『Anri』で検索して、ヒットしなかったと言っていた可能性もあります。
『一週間前から教室に来ていないんだよね』
 ナースステーションで看護師に告げられた言葉も不可解でした。
 彼が来ないなら、病棟に呼びに行けば良いのです。実際、私が体調を崩した日は、看護師が学級に欠席の連絡を入れていました。
 父親に聞けば、詳細を調べてもらえたはずです。しかし、私は最後までその勇気を出すことが出来ませんでした。入院中、ずっと特定の男の子と仲良くしていたなんて、両親に知られたくなかったからです。
 何より、今、必死に捜さなくても、いつか会えると思っていました。
 棋士になるには奨励会に入るしかありません。
 目指す道の途上で、必ず再会することになるはずです。

 大切な友達と会えない寂しさを情熱に変えて、私はそれまで以上に、将棋に熱中するようになっていきました。
 新潟市内の将棋クラブに智嗣と入ったものの、私より強い人間はいませんでした。いきなり出鼻をくじかれてしまいましたが、幸運にもインターネットがある時代に、少女時代を過ごすことが出来たため、対局相手に困ることはありませんでした。女であっても、導いてくれる師匠がいなくても、けんさんを積むことが出来ました。
 ただ、私には『千桜夕妃』だからこその不幸もありました。
 棋士になるという、たった一つの夢を、両親に認めてもらえなかったことです。
 退院したばかりの頃は、まだ良かった。どれだけ将棋に傾倒しても、両親に嫌な顔をされることはありませんでした。むしろ将棋に夢中になることで、私の心と身体が健全に成長していく様を、両親は歓迎しているようでした。
 ですが、小学六年生の春に「棋士になりたい」と告げたことで、すべてが一変してしまいました。
 二十歳まで生きられないかもしれない。幼少期に残酷な現実を告げられた私が、退院出来るまでに回復したのは、夢を抱いたからです。
 私にとって、棋士を目指せない人生など、死に等しい生き方でした。
 しかし、私の気持ちを両親が理解することは、最後までありませんでした。

 中学三年生の初夏。
 奨励会を受験させて欲しいと、土下座をして両親に懇願しました。
 何度も何度も頭を下げました。泣くつもりなどなかったのに、苦しくて、痛くて、溢れる涙を止めることが出来ませんでした。
 応援してくれなくても良かった。ただ、夢を追うことを許して欲しかったのです。
 けれど、両親の気持ちが動くことはなく、最後には「棋士を目指すと言うなら、この家から出て行け!」とまで言われてしまいました。
 売り言葉に買い言葉ではありませんが、その瞬間に決意が固まりました。
 三年前に棋士になりたいという願いを否定された時から、私は朝倉先生に家庭の問題を相談していました。
 千桜一族の事情と、肉体に抱える問題。そして、命にも等しい夢。
 師匠は私のことを誰よりも理解して下さっている方です。インターネットを介して、指導対局も受けていました。私の棋力も、覚悟も、完璧に把握した上で、
「では、私の内弟子になりますか?」
 師匠はそう尋ねて下さいました。
 私の人生における最大の幸運は、アンリと出会い、将棋を知ったことです。
 そして、二番目の幸運は、朝倉恭之介先生に師事出来たことでした。
 中学三年生、十五歳の夏。
 私は生家を飛び出し、朝倉家の内弟子となりました。
 その一ヵ月後、念願だった奨励会への入会を果たしました。

 師匠の妻であるあさくらよりさんは、私を娘のように迎え入れてくれました。
 棋士を目指す少年ならともかく、若い女を家で同居させるなんて、簡単には承服出来ない案件だったはずです。ですが、出会ったその日から、いつだって奥様は優しかった。まるで本当の娘のように、私を愛し、見守ってくれました。
 頼子さんは将棋を指しません。ただ、同じ女性にしか相談出来ないこともあります。私にとって頼子さんは、第二の母であり親友のような存在でもありました。
 師匠は新手、妙手、定跡の進歩に貢献した者に与えられるますこうぞう賞を、二度も受賞している棋士です。棋士のノーベル賞とでも言うべきこの賞を、複数回受賞した棋士は、過去、師匠を含めて三人しかいないと言えば、それがどれほどの偉業か分かってもらえるのではないでしょうか。
 朝倉家での暮らしが始まり、私の棋力は急速に上がっていきました。
 師匠から与えられた幾つかの助言が的確だったからです。
 師匠の最初のアドバイスは、将棋ソフトを使って研究しなさいというものでした。単にコンピューターと戦えということではなく、ソフトを使って様々な手、戦術の研究をしなさいという意味です。
 棋士は対局を通して成長します。しかし、闇雲に対局を繰り返すだけでは、正しく成長することも、最短距離で成長することも出来ません。段階段階でぶつかるべき壁があり、それらを研究によって打破していくことで、棋力は上がっていくからです。
「男は研究会で、夜遅くまで新手を話し合うことが出来る。けれど、女の子はそういう場に参加しにくい。僕も糖尿病を患ってからは、ずっと一人だ。でも、将棋ソフトが進化しているおかげで、第一線にとどまることが出来ている」
 身体の弱い師匠からのアドバイスは、私にとって金言ばかりでした。
「コンピューターの処理速度は、脳の回転より速いから、短時間で様々な可能性を探ることが出来る。順位戦で下位に沈むベテラン棋士は、ソフトを有効に活用出来ていない。そのせいで流行や最新型への対策が遅れてしまう。僕が君に目指して欲しいのは、ただの棋士じゃない。最強の女性棋士だ。だから中学生のうちからコンピューターに慣れ親しんで欲しい。ソフトの進化で将棋の真理へのアプローチ手段は格段に増えている。歴史上、今が最も方法論がある時代だ。君はデジタルネイティブの棋士になりなさい」
 師匠は私が憧れ続けた本物の棋士です。その棋士と同じ屋根の下で過ごし、適切なアドバイスを受けられるのは、本当に幸運なことでした。
 師匠に頂いたもう一つの大きなアドバイスについても、お話しします。
 それは、『棋士』になりたいなら『女流棋士』にはなるなというものでした。
 家を飛び出した時点で、私には女流棋士になれるだけの棋力がありましたから、アマチュア枠のある女流棋戦に参加すれば、比較的容易に資格を満たせたはずでした。
 奨励会員は月額一万円強の会費を、将棋連盟に払っています。生活費も、学費も、奨励会の月会費も、気にするなと言われたって気になってしまいます。
 奨励会員は将棋に集中するため、連盟によってアルバイトを原則として禁じられています。勘当されている身ですから、両親にお金の無心も出来ません。
 女流棋士になれば、対局料を得ることが出来ます。
 家を飛び出した当初、私は生活にかかるお金を、女流棋士になって稼ごうと考えていました。しかし、すぐに師匠に止められてしまいました。
「女性が棋士になれない理由について、連盟はプレイヤーの分母の小ささを公式見解として挙げている。でも、実際の要因は多岐にわたるはずだ。体力勝負であることもその一つだし、僕は女性たちの精神にも原因があると思っている。夢への飢餓、渇望は、大きなモチベーションになる。奨励会員に青春時代はない。三段リーグともなれば魔境だ。人間でいることすら許されない。誘惑を断ち切り、恐ろしいまでの執念で将棋のことだけを考える日々だ。僕は女流棋士の制度とタイトルが、一面では女性の足を引っ張っていると考えている。男性よりも早く、圧倒的に簡単にプロになれてしまうせいで、成し遂げたという気になってしまい、飢餓感を忘れてしまう。歴史をひもいてみれば良い。夕妃のように棋士を本気で目指した女性は何百人といる。それなのに女性で一番強いと言われた女流棋士でさえ、三段リーグでは勝ち越すのが精一杯だった」
 説明を聞き、やはり女は男より弱いのだろうかと、浅薄な私は落ち込んでしまいました。ですが師匠はすぐに、そうではないとおつしやってくれました。
「女性最強と呼ばれた彼女は、奨励会から去った後、男性棋士との対戦成績が格段に向上した。二足の草鞋わらじを履く生活から解放された途端、本当の実力を十全に発揮出来るようになったんだ。分かるかい? 女流棋士を兼任している人間が奨励会を勝ち抜くのは、男たちより遥かに難しい。過去の挑戦者たちの戦績が、それを証明している。君はただでさえ体力がないんだ。女流棋士との両立が出来るとは思えない」
 師匠はいつも感情ではなくデータを根拠に話を進めます。説明は完璧に理解出来ましたが、師匠にこれ以上、負担をかけたくないというのも、私の切なる願いでした。
 正直に胸の内を打ち明けると、師匠はこう言いました。
「今後二度と、お金の心配をするのはやめなさい。君を棋士に育てると決めたから内弟子にしたんだ。生活に関しては僕に甘え、将棋と自分の健康のことだけを考えなさい」
「だけど、今なら」と、食い下がる私に、師匠はぜんとした態度で告げました。
「答えは『はい』だけで良い。君が僕と頼子に返せるものがあるとすれば、棋士になる姿を見せることだ。ただ、後ろめたさを感じていることは知っているから、もう一つだけ付け加えよう。夕妃が竜皇になったら、その時は賞金で学費を返してもらう」
 涙が零れそうでした。
 どうして、この人は、奥様は、血も繫がっていない私に、こんなにも優しいんだろう。こんなにも信じてくれるんだろう。
 女性初の棋士になって、「師匠と奥様のお陰です」と話すのだ。
 その日から、私の胸には、そんなもう一つの目標が刻まれることになりました。

 家を飛び出して朝倉先生に弟子入りし、奨励会に合格した時、私は中学三年生でした。
 高校には通わないつもりでいましたが、それは師匠にも頼子さんにも反対されました。
 奨励会員はアルバイトを禁じられています。月に二回の『例会』と呼ばれる対局が唯一定められた仕事で、それ以外は時折、対局の記録係が回ってくるだけです。
 必然、高校に通わない奨励会員は、お金はないけど暇はあるという状態になります。
 高校生の年齢で自分の生活を律するには、強靭な意志の力が必要になります。
 学校にも行かず、朝から晩まで将棋の研究に没頭するのは、意外と難しいことなのです。私はそれが出来るつもりでいましたが、この時も師匠はデータに基づいて、それが危険であることを教えて下さいました。
 近年の統計では、時間的にはきつくとも、規則正しい生活を余儀なくされる高校進学組の方が、将棋の成績も上だったのです。
「棋士になったら自由にして良い。ただ、それまでは、高校にも大学にも通いなさい。今のうちに、出来るだけ沢山の本を読みなさい」
 師匠はそんな方針で、私を育てて下さいました。
 高校卒業後、私は東京外国語大学の言語文化学部に進学しています。
 その二年後、二段に昇段したのは二十歳の時でした。

▶#5-2へつづく
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