menu
menu

連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.16

【連載小説】「兄ちゃんに会うのは、これで最後にするよ」計画が成功し、アサヒとユウヒは一千万円の現金を手にした。しかし、そのとき、思いがけない事態が出来する。降田 天「朝と夕の犯罪」#2-8

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

   16

 喪服を着たのははじめてだった。大学の友達の葬式だと噓をついて父に借りたそれは、サイズが合わず不恰好だ。本当のことは言えない。アサヒとユウヒは他人でいたほうがいい。
 肩で雨粒が玉になっているのに気づいて、手で払った。濡れた感触は、膝を濡らした血を思い出させた。あのときの気持ちまでよみがえり、みぞおちが冷たくなる。病院にこの恰好で来るべきではなかったかと思い、せめて上着を脱いだ。
 面会の受付表に、なに食わぬ顔で偽名を記す。指先に香のにおいが残っている気がする。
「新年早々、気の毒に」
 喪服だと気づかれたか、ナースステーションからそんな声が聞こえた。
 病室へ行き、一番奥の窓際のベッドへ向かう。同室の患者は年寄りばかりで、とても静かだ。
 そこにその姿を認めて、アサヒはひそかにほっと息を吐いた。生きている。
 ユウヒはカーテンの窓側だけを少し開け、寝そべったまま外を見ていた。裸の木の枝が細い雨に打たれている。
 あの夜、救急搬送されたユウヒは、緊急手術を受けてどうにか一命を取り留めた。しかし最低二ヶ月の入院と絶対安静を余儀なくされ、病院のベッドで年を越した。
 ユウヒはけがの原因について、転んだ拍子に包丁が腹に刺さったのだと言い張っている。本当はなにがあったのか、知っているのはアサヒだけだ。
 アサヒがアパートを飛び出したあと、突然、松葉美織がやってきた。美織はユウヒを刺し、身代金の入ったスポーツバッグを持って逃げた──。
 美織はそのまま姿を消し、松葉家は行方不明者届を出したそうだが、行方はわかっていない。また、それでもなお誘拐事件があったことは伏せられたままだ。こちらにとっては好都合だが、安心はできない。美織が捕まってすべてしゃべってしまったら、アサヒはともかくユウヒは一巻の終わりだ。ユウヒはタイトロープの上にいる。
 ユウヒはアサヒを見て「お」と笑顔になった。アサヒはちょっとした変装のつもりでかけていた眼鏡を外した。ユウヒのけがについてアサヒの関与が疑われている様子はなく、二人の関係もばれてはいないようだが、念のためだ。見舞いにもほとんど来ていない。
「行ってきたよ」
「ありがと」
 里親が亡くなったとユウヒから連絡を受けたのは、つい先日のことだった。道を歩いていて、新年会帰りで飲酒運転の車にはねられたという。代わりに葬式に出てくれと頼まれ、偽名を使って参列してきた。つらい式だった。児童養護施設の職員だった彼は慕われていたのだろう。幅広い年代の弔問客が集まり、なかには学校の制服を着ている子もいた。大勢が涙を流していた。
 すすり泣きに混じって〈ハレ〉という言葉が何度も聞こえた。まるで〈ハレ〉の葬式のようでもあった。ユウヒが身代金を奪われたため、結局金の工面がつかず、〈ハレ〉は閉鎖されることが昨年のうちに決定していた。
「具合、どうだ」
「うーん、なんか変な痛みがあるんだよな」
「変? それ、医者には……」
「うっそー」
 おどけて笑うユウヒの頰はこけ、無精ひげが散っている。唇は乾き、皮がめくれている。ベッドサイドの棚には小さな鏡餅が置いてあった。里親が持ってきたのかもしれない。
「……これからどうする」
 ユウヒは今月下旬には退院できそうだということだった。体は順調に回復しているらしい。
 だが、違う。体はもとに戻っても、それはきっともとのユウヒではない。パーツが一つ足りないまま作られたプラモデルのように、あるべきなにかが失われてしまった。たぶんあっけらかんとした明るさや、ある種の万能感のようなものが。その欠け落ちた部分から、遠からず壊れてしまいそうな気さえする。ユウヒはけっして負けてはいけない賭けに負けたのだ。
 ユウヒが笑みを消してアサヒを見つめた。アサヒは無意識に息を止めていた。
「おれは、死ななきゃならない」
 乾いた声に、胸が締めつけられる。
「兄ちゃんもそう思うだろ」
「ユウヒ──」
 口のなかに安い砂糖の味がよみがえった。

    ◇

「いよいよだね」
 誘拐決行前日、美織は目を輝かせて言った。
 まだ見慣れない黒髪の自分を風呂場の鏡に映して、ユウヒは背後に映り込んだ美織に目をやった。部屋着で片手に文庫本を持ち、リラックスした様子だ。
「びびってねえの?」
「ちっとも。臆病と無鉄砲を両端にして、そのちょうどまんなかに勇気があるんだよ」
「なにそれ、また『ドン・キホーテ』の台詞?」
「そう。それにわたしにはユウヒくんがついてるもん。苦しめる者の者にして救済者、だよ」
「よくそんな小難しい言葉を憶えられるな」
 ユウヒも美織に押しつけられた文庫本の一巻を開いてはみたものの、ほんの数ページで挫折した。美織は自分をばかだと言うが、それは間違いだと断言できる。少なくともユウヒが出会ったなかでは最も知的な少女だ。
「おれの知り合いでそんな本が読めそうなのは、兄ちゃんくらいだ」
「本当にお兄ちゃんが好きなんだね」
 声にかすかなかげりを感じ、はっとする。
「でも、十年も前に別れ別れになったきりなんでしょ」
 アサヒとの約束どおり、兄を選挙事務所に送り込んだことは美織には言っていない。スタッフのひとりを仲間にしたという説明を聞いただけで、美織はそれ以上は興味を示さなかった。ユウヒを全面的に信頼しているからだろう。
「おれは兄ちゃんに対してひどいことをしたんだ」
「だけど、ユウヒくんにとって唯一の家族なんだよね。血のつながった家族よりもそっちを選んだんでしょ」
 美織が近づいてきて、そっとユウヒの手をとった。冷たい指だった。
「わたしにもあるよね、家族を選ぶ権利」
「……ああ」
 ユウヒは目を伏せて答えた。自分のなかの迷いと後ろめたさがそうさせた。美織は感づいていないようだ。
「どうしてもわたしと一緒には行ってくれない?」
「ああ」
「そっか」
 美織は寂しそうにほほえんだ。
 哀れだとは思う。だが期待には応えられない。家族にはなれない。
「それでいいよ。ユウヒくんを信じてる」

▶#3-1へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第207号 2021年2月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第207号 2021年2月号

「小説 野性時代」第207号 2021年2月号


紹介した書籍

関連書籍

MAGAZINES

小説 野性時代

最新号
2021年3月号

2月13日 発売

怪と幽

最新号
Vol.006

12月22日 発売

ランキング

アクセスランキング

新着コンテンツ

TOP