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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.8

【連載小説】「お父さん」を死なせてしまった罪を抱えて生きるアサヒ。弱みを突かれ脅されたアサヒは、ユウヒの計画した狂言誘拐に手を貸すが――。 降田 天「朝と夕の犯罪」#1-8

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

>>前話を読む

 アサヒが加入した時点で、ユウヒと美織が立てていた計画はまだ骨子にすぎなかった。
 美織を誘拐したことにしてかくまう。松葉修の選挙事務所に脅迫電話をかける。事務所に潜入したアサヒが警察の介入の有無を見極める。警察の介入がなければ身代金の受け渡しを決行する。その後、美織を帰す。
 それですべてだ。まるで具体性に欠ける。
「あ、でも身代金を運ばせるやつは決まってるんだ。ミオの兄貴、たか
「理由は」
「適任だってミオが」
 性格的にということだろうか。即断はできないが、松葉夫妻や秘書を動かすよりはよさそうだ。警察に通報されないために市長選のタイミングを狙うのに、そこで彼らに妙な行動をさせては、かえって目立ちかねない。
 アサヒは誘拐事件の記事や捜査員の手記などを手当たりしだいに読んだ。身代金の受け渡し方法と場所、そこへ至るまでのルート、運搬役への連絡手段、その他もろもろ、考えなければならないことはいくらでもある。必要な道具もそろえなくてはいけないし、下見だって必要だ。やるしかないのなら、必ず成功させなくてはならない。失敗したら、最悪の場合、身の破滅だ。
 突然、部屋のドアが開かれ、アサヒはとっさにノートパソコンを閉じた。振り返ると、妹の彩が廊下からこちらをにらんでいた。十一月だというのにショートパンツをはいている。剝き出しの細い脚がドアの内側へ入ってくることはけっしてない。そもそも部屋に近づくことすらめったにない。
「ノック……」
「したよ」
 アサヒの抗議を、彩はいまいましげに遮った。噓ではないだろうし、声もかけたのだろう。気づかないほど没頭していた自覚はある。
「ごはん」
 とげとげしくひとことだけ告げて、彩はさっさと立ち去った。母に言われてしかたなく呼びにきたのだと全身で示していた。
 アサヒは息を吐き、パソコンに乗せていた手を下ろした。いまこの画面には、松葉修のホームページが表示されている。横浜市長選は十一月二十七日だが、選挙事務所はすでに稼働しており、ボランティアスタッフを募集していた。
 立ち上がり、部屋の明かりを消して一階へ下りる。和俊が厄介な患者についておもしろおかしく話す声が聞こえてくる。食卓には旬のさばやぎんなんやかぼちゃが並んでいた。
「このごろがんばってるみたいだけど、レポートかなにか?」
 アサヒの茶碗にごはんをよそって梨沙子が尋ねる。
「うん、ちょっと面倒なやつで」
「あんまり根つめすぎないようにしなさいよ」
「大丈夫だよ」
 実際、睡眠時間をだいぶ削っているにもかかわらず、神経がたかぶっているせいか少しも眠くはならない。なにもかもがクリアに見え、一日のどの瞬間でも次になにをするべきかが明確にわかっている。こんな感覚はずいぶん久しぶりという気がする。
「これから帰りが遅くなる日が増えるかも。グループでやる課題だから集まらないといけなくて」
「そう。ごはんがいらないときは連絡してね」
 噓も自然にすらすらと出てくる。
 むかつく、と彩が顔を背けて言った。視線の先には老犬が寝そべっている。ココアの体調がよくならないせいで、最近の彩は特に機嫌が悪い。病気ではないと診断されたのだから老衰だろうが、どうしようもないことがはがゆくて、どうしようもないからアサヒに当たる。
「ココアの具合が悪くても関係ないんだ」
「課題だから」
「楽しそうじゃん」
 アサヒは目をしばたたいた。楽しそう?
「彩、旭は遊んでるんじゃないんだから」
 和俊がとりなすと、彩はむっつりと黙って食事を始めたが、その前にアサヒをひとにらみするのは忘れなかった。美しいがきつい顔立ち。同い年でも松葉美織とは印象が正反対だ。写真で見ただけだが、木漏れ日のなかでほほえむあの子と犯罪がどうしても結びつかない。
 計画を練るため、アサヒはしばしばユウヒのアパートを訪れていた。東京から通うのは面倒ではあったが、会話の内容が内容だけに、他人の耳目を気にしなくていい場所があるのはありがたい。そしてそのうちの何度かは、ユウヒと会う前後の時間に麗鳴館学園や図書館へ足を運んだ。松葉美織をじかに見てみたかったからだ。こちらの顔を知られたくないので、こっそり観察するつもりだった。しかしいまのところ成功しておらず、美織と犯罪のギャップは大きくなるばかりだ。盗み見るという行為はなんとなく後ろめたくて、ユウヒには言っていない。
 十一月の二週目に入ったその日、神倉市立図書館へ行ったのも、見られたらラッキーというくらいの気持ちだった。図書館は古くちっぽけで、黄葉したイチョウに埋もれている。夕方になって冷たくなってきた風が、冬の先触れのように葉を鳴らす。
 自動ドアを通り抜け、独特のにおいのする空気を吸い込んだ。図書館は好きだ、たぶん。アサヒは何事に対しても強い関心を持てない。本を読み音楽を聴き映画を観るけれど、好きでそうしているのか、それがふつうだからそうしているのか、自分でも判然としない。ふつうの生活になじもうとして、注意深く人のまねばかりしているうちに、いつの間にかわからなくなっていた。それでも図書館は好きなのだろうと思うのは、このにおいをかぐと落ち着くからだ。
 いつもどおり利用者がまばらな閲覧室に、その姿はあった。何度も写真を見ていたから、ひと目で松葉美織だとわかった。制服姿で長い黒髪を片方だけ耳にかけ、帰り支度をしているようだ。
 ついに会えた。体温が上昇する。アサヒはロビーに引き返して待機し、やがて出てきた美織のあとを追った。美織は図書館に隣接する小さな公園へ行き、自動販売機でなにか湯気の立つ飲み物を買って、ベンチに腰を下ろした。スクールバッグから文庫本を取り出して読みはじめる。伏せたまつがそよぐように長く、やさしい曲線を描く横顔は写真で見たときよりきれいに見えた。
 唇にほのかな笑みをたたえて、なにを読んでいるのだろう。タイトルが見えなくて、アサヒは少し距離をつめた。しまったと思ったときには遅く、美織が気づいて顔を上げる。しっかり目が合ってしまった。
「なにを読んでるんですか」
 不審に思われないよう、とっさに平静を装って話しかける。美織は警戒するふうもなく、おっとりとほほえんで表紙をこちらへ向けた。『ドン・キホーテ』──名前は知っているが読んだことはない。
「狂った男が風車を怪物と思い込んで立ち向かう話ですよね」
「そのエピソードばっかり有名だけど、それはほんの一部なんです。全体はかなり長くて、いろんな冒険があるんですよ」
 答える声はやわらかく、どこかあどけない。
「好きなんですか」
「はい、とっても。本は持ってるんですけど、いまは人に貸してて。読みたくなって図書館に来たら、ちょっとのつもりがやめられなくて借りちゃいました」
「そんなに」
「ドン・キホーテと従者サンチョのやりとりがすごく楽しいんです。ずっと聞いていたくなる」
「聞いて……」
「あ、読んで、ですね」
 美織は本を胸に抱き、とても幸せな夢を思い出すように語る。その様子をアサヒはしげしげと眺めた。じかに会って話しても、やはり目の前の少女と犯罪が結びつかない。それどころか違和感はいっそう強くなった。この白い綿毛のような女の子が、自分の親をだまして金を奪おうとしているなんて。このきれいな手で万引きをして、制服の袖の下に自傷の痕を隠しているなんて。
「だからラストは悲しいんですけど」
 どんなラストなのかと訊こうとしたとき、公園の外灯がともり、アサヒは腕時計に目をやった。そろそろユウヒのアパートに向かわなければならない。あまり暗くならないうちに帰ったほうがいいと言いかけたが、よけいなお世話だろうと思い直した。
 適当に挨拶をかわしてその場を離れる。しばらく歩いて振り返ると、美織はまだベンチで本を読んでいた。さっきよりも冷たくなった風に、長い髪がふわりと揺れる。美織はどこもかしこもやわらかそうだった。

   9

「おまえもそういう歳か」
 運転席に乗り込んできたお父さんは、にやにやして言った。子どもたちが眠っているあいだにたばこを買ってきたらしく、白い煙を窓の外に吐き出す。夏の明け方のことで、ユウヒは額に玉の汗を浮かべて夢のなかにいた。
 違うよ、とアサヒはあわてて否定した。あわてたせいで舌がもつれる。
「目が覚めたらひとりで、そこに新聞があったから」
 助手席は荷物置き場と化していて、いちいちトランクにしまうのは面倒な雑多なものが積み重なっている。お父さんがどこかで拾ってきたそのスポーツ新聞は、中の面を開いた状態で一番上に放り出されていて、そこには半裸の女の人の写真が掲載されていた。胸からあふれて落ちそうな乳房だった。
「見てたわけじゃないよ」
「こういうのに興味が出てくるのは、あたりまえのことだ。アサヒはどんな女の子がタイプだ。ん?」
「だから違うって。知らないよ」
「考えてみりゃ、おまえは実際の女の裸は見たことないんだな。赤ちゃんのときに見たお母さんのおっぱいなんて憶えてないだろ」
 アサヒはシートにどすんと背中をつけ、さらに両手で耳を塞いだ。あからさまにアピールしているのに、お父さんはこちらを見ていない。窓から手を出してたばこの灰を落としながら、首をひねって助手席の半裸の女を見ている。
「いいか、同じ男としてアドバイスだ。女はちょっとぽちゃっとしてるくらいの、やわらかいのがいい。ガリガリやムキムキはだめだ。毛布だってパンだってやわらかいほうがいいだろ?」
 窓枠から剝がれて垂れているゴムを、アサヒはサンドバッグのように殴った。でも、このこぶしはまだ男のこぶしではないから、猫がひもにじゃれているみたいでかっこ悪い。アサヒは不機嫌な顔で無視を決め込んでいたが、「同じ男として」というフレーズだけはうれしかった。
「しかし、そうか。アサヒがそういう歳になあ。やだねったらやだね」
 お父さんはひとりでしゃべり、陽気に歌を口ずさむ。毛布の季節なら頭からすっぽりかぶりたいところだったが、しかたがないのでTシャツの裾をめくって頭のてっぺんまで持ち上げた。息がこもって顔が熱いし、汗くさいし、最悪だ。
 お父さんはしばらく歌っていたが、しだいにその声が弱々しくなり、うつろな感じになって、ぷつりと消えた。それから長い沈黙のあと、別人の声でつぶやいた。
「いつまでもガキのままじゃないんだよな……」

▶#2-1へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第206号 2021年1月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第206号 2021年1月号

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