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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.7

【連載小説】「お父さん」を死なせてしまった罪を抱えて生きるアサヒ。弱みを突かれ脅されたアサヒは、ユウヒの計画した狂言誘拐に手を貸すが――。 降田 天「朝と夕の犯罪」#1-7

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

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   8

 あのあと、アサヒとユウヒは神倉の児童相談所に保護された。そしてそこで、自分たちが本当の兄弟ではないと知らされた。しばらくしてアサヒは小塚家に引き取られたが、そのあいだのことはよく憶えていない。ユウヒとどうやって別れたのかさえ憶えていないのだ。
 唯一、記憶にあるのは、ユウヒがどこからかスティックシュガーを手に入れてきたことだ。たぶん事務室あたりからくすねてきたのだろう。二人にとってごちそうだったそれを食べたら、兄ちゃんも少しは元気になるはずだと考えたに違いない。だがアサヒは、ユウヒがうれしそうに差し出したそれを目にしたとたんにおうした。
 あれから十年。深夜に小塚家のキッチンに立ったアサヒは、梨沙子がポーランドで買ったというシュガーポットに手を伸ばした。なかには白と茶色の角砂糖が入っている。スティックシュガーでも同じだが、さすがにもう見るだけで気分が悪くなるということはない。親指と人差し指でそっとつまみ、口もとへ近づける。深呼吸をして、思い切って口に放り込む。次の瞬間、アサヒはそれをシンクに吐き出した。すぐに水道水で口をゆすぎ、シンクの縁に手をついて全身で息をする。もう汗をかくような季節ではないのに、パジャマにしているTシャツが冷たく濡れている。
 やはりだめか。覚悟していた結果ではあった。
 狂言誘拐に協力するよう脅迫を受けてから、明日で一週間になる。合法的に〈ハレ〉が五百万円を得られる方法を自分なりに探してみたが、結果は芳しくなかった。脅迫に従うほかないのだと半ばあきらめつつ、もしも砂糖を克服できていたらあらがってみようと思った。それとも、完全にあきらめるための儀式にすぎなかったのか。
 仕組まれたものとも知らず、ユウヒとの再会を喜んでしまった自分に腹が立つ。のこのこと部屋を訪れた自分を殴ってやりたい。いや、それ以前に、十年前のあの日、どうしてユウヒの無邪気な言葉を真に受けてしまったのだろう。アサヒは慎重な子どもだった。なのに車がなくなればというあの一事に限って、なぜあんなに短絡的に、楽観的に考えてしまったのか。結局のところ自分も子どもだったのだ。サンタクロースを信じたことがなくても。
 シンクからずるりと手を下ろし、スウェットのポケットから携帯電話を取り出す。ユウヒのメールアドレスを呼び出し、「やる」と入力する。歯を食いしばって送信ボタンを押した。
 翌日の昼すぎに、アサヒは再びユウヒのアパートを訪ねた。バイトは夕方からだそうで、アサヒのほうは講義を二つサボった。
「意外」
 アサヒを招き入れたユウヒは、開口一番にそう言った。
「怒ってると思ってた」
「怒ってるよ。たぶんおまえが思ってる以上に」
「じゃあ顔に出ないんだ」
「よく言われる」
 アサヒは前と同じくちゃぶ台のそばに座った。近所で工事をしているようで、大きな音が響くたびにちゃぶ台がかすかに振動する。そのちゃぶ台の上には、神倉のタウン誌らしき雑誌が開いて置いてあった。「秋の小京都を満喫」と題して、紅葉スポットやカフェが写真つきで紹介されている。
「その左下の、わかる? なんとあの〈つるかめ湯〉だって。息子が継いで大幅にリニューアルしたらしいんだけど、みごとに別物だよな。おれさ、お父さんと銭湯行くの自慢だったんだ。しなびたじいさんや、たるんだおっさんばっかのなかで、お父さんはやせてはいたけどいい体してたじゃん。実戦用の筋肉だって言ってたっけな」
 コンセプトはレトロモダンだという浴場の写真から、アサヒはすぐに視線を離した。
「わざわざこんなもの持ち出さなくても、やるって言っただろ」
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
 ユウヒはちょっと驚いた顔をしてから、苦笑いとともに雑誌を閉じた。前に会ったときから気づいていたことだが、そのこぶしにはお父さんと同じこぶがある。拳ダコというらしい。
 お父さんと銭湯に行くのは、アサヒにとっては自慢などではなかった。そんなころもあったのかもしれないが、少なくとも記憶にある限りでは。洗い場の床が垢でいっぱいになって、ほかの客から迷惑そうに見られて、いつも恥ずかしかった。毎日風呂に入れる家が欲しかった。
「コーヒーは?」
「いらない。さっさと本題に入ってくれ」
 了解、とユウヒは肩をすくめて向かいに腰を下ろした。
「誘拐のターゲットは、まつおりっていう十五歳の女の子。おれはミオって呼んでる。ミオの父親は元県会議員の松葉おさむだ」
 松葉修。ポスターを見たことはある気がするが、顔は思い浮かばず、どういう人物なのかも知らない。娘は十五歳というと、妹の彩と同い年だ。
「中学生?」
「いや、高一。神倉にあるれいめいかん学園ってとこで、幼稚園から大学まで一貫のお嬢さま学校。でも小学校の高学年くらいから休みがちになったらしくて、今年の春におれと会ったときも学校サボって図書館にいたんだ。おれは〈ハレ〉の子どもらのために本を借りにいったんだけど、児童書コーナーの場所がわかんなくてさ。たまたま近くにいたミオに訊いたら、案内してくれたうえに、おすすめの本を教えてくれたんだ。それからもちょくちょく顔を合わせることがあって、話すようになった。夏前くらいからは〈ハレ〉にもたまに遊びにきてるよ」
「その子はなんで狂言誘拐に協力するんだ。おまえの彼女なのか」
「違うよ。ミオ自身も金を欲しがってんの。家を出たいんだってさ」
「家族と折り合いが悪いのか」
「ミオが学校サボってるの知ってても、親はなんにも言わないらしいよ。自傷行為で病院に運ばれたときも、万引きで補導されたときもそうだったって。ただ黙ってもみ消して、なかったことにしたらしい」
 アサヒに口を挟む隙を与えず、ユウヒは先手を打つように言葉を継いだ。
「ミオはいい子だよ。本が好きなおとなしい子。あ、写真見る?」
 返事を待たずに携帯を操作して画像フォルダを開く。松葉美織の写真は何枚もあって、ユウヒと二人で写っているものもあるようだったが、ユウヒが表示したのは美織が一人でイチョウの木の下にたたずんでいるものだった。いかにもお嬢さま学校らしいブレザーの制服に身を包み、はにかんだようなほほえみを浮かべている。長い黒髪が風にそよぎ、色白のふっくらとした頰にかかっている。
「この子が……?」
「問題行動を起こしたり、狂言誘拐で実の親から金をふんだくろうとするようには見えない? 兄ちゃんだって犯罪を犯すようなやつには見えないけど」
 ユウヒはその写真をアサヒの携帯に送った。
「ターゲットの顔は知っときたいだろ。あ、ひょっとして好みだったりする?」
 冗談をアサヒは無視した。
「それで?」
 ユウヒは携帯を畳んで、ぽいと床に放り出す。そんなふうにするせいだろう、殺風景な部屋のあちこちに不規則にものが散らばっている。再会したときに背負っていたバックパック、公共料金の領収証や宅配ピザのメニュー、コミックやDVDや文庫本。
「古いデータだけど、身代金目的の誘拐事件の検挙率は九十五パーセント以上で、犯人が身代金を奪ったまま逃げ切った例は一件もないんだって。つまり、警察に捜査されればまず捕まると考えたほうがいい。捕まらないためには警察を介入させないことが重要ってわけ。ミオの問題行動をもみ消してることからもわかるとおり、松葉家は世間体を重んじる。しかも父親の松葉修は、次のよこはま市長選に立候補するんだ。誘拐事件が表沙汰になって、娘の素行不良を世間に知られるのは避けたいはずだろ。だから警察に知らせず、内々に処理しようとする可能性は高いと思う。逆に言えば、読みが外れて通報された場合は、その時点で計画は中止だ」
 聞かせる準備はできていたとばかりにユウヒの説明は淀みなかった。結局はアサヒが引き受けることを確信していたのだと思うと腹立たしい。
「兄ちゃんにはその見極めをやってもらう。松葉の選挙事務所にボランティアのスタッフとして潜り込んで、警察の介入があるかどうかを探るんだ。兄ちゃんならすぐ信用を得られるよ。見るからに誠実そうだし、名門大の政経学部の学生だしさ」
「……なるほど、それでおれか」
 水をくれとアサヒは要求した。手渡された水を一気に飲み干し、拒否するという選択肢はないのだとあらためて自分に言い聞かせる。
「条件が二つある。一つは、おれが協力者だとは誰にも明かさないこと。共犯者である美織にもだ」
 条件をつけられる立場ではなかったが、ユウヒはそうは言わなかった。
「いいよ。ミオを安心させるために内部に協力者を確保したことだけは話すけど、それが兄ちゃんだとは言わない。二つ目は?」
「身代金の要求額を一千万円に減額すること。おれの取り分はいらない」
「見返りなしでやるっていうの?」
「おれはおまえに脅されたからやるんだ。自分の人生を守るために。金のためじゃない。要求額が少ないほうが成功率は高まるはずだし、そっちにとっても得だろ」
 ユウヒはキッチンへ行き、マグカップとグラスを持って戻ってきた。マグカップは前に出されたハローキティで、グラスはキリンビールのロゴがプリントされたものだ。中身はコーラのようだった。
 アサヒの前にグラスを置き、乾杯を求めるようにマグカップを掲げる。
「再会とチーム結成を祝して」
 まるで心から笑っているような笑顔で。
 アサヒはマグカップのふちを一秒見つめ、そこに自分のグラスを当てた。安物の厚いガラスと陶器がぶつかる音は、なぜかお父さんのこぶしを思い出させた。
 閉じたタウン誌が目に入る。リニューアルした〈つるかめ湯〉。お父さんの死を知らされたときのあのユウヒの沈黙を、アサヒはいまも忘れることができない。

▶#1-8へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第206号 2021年1月号でお楽しみいただけます!


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