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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.4

【連載小説】「おれの知り合いに金持ちの娘がいるんだ。その子を誘拐する」必要な額は500万円。ユウヒはアサヒに計画への協力を求める。 降田 天「朝と夕の犯罪」#1-4

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

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   5

「あの鳥居が見えるか」
 お父さんの問いかけに、十歳と九歳の兄弟は同時に「見える」と答えた。
「どんなふうに見える。くっきりと? 色は?」
 ユウヒがすぐに「黒っぽい」と答えるかたわらで、アサヒは闇に目を凝らす。さっきエンジンを切る前、車のデジタル時計は午前二時三十六分を示していた。あたりには人っ子ひとりおらず、物音ひとつしない。石段を登った先にある境内は、木がこんもりと繁っているせいでいっそう闇が濃い。昼間は赤い鳥居も、いまはユウヒの言うとおり黒っぽく、夜に沈んでいるように見える。
「石の鳥居も木の鳥居も同じだ。夜はあんなふうに見えにくくなる。あれは神社の営業時間が終わって、神様も寝てるからなんだ。どんな店だって閉めるときにはライトを消すだろ。だから神様はこっちの姿を見てないし、罰だって当てられないってわけだ」
「じゃあ、張り紙に書いてあったのはうそなの」
 ユウヒが早くも安心した声で言う。会話の発端は、少し前に見たさいせん泥棒に対する警告文だった。朱色の荒々しい筆で「賽銭泥棒よ、罰を恐れよ」と書かれていた。同じ主旨の張り紙は何度も目にしていたから、兄弟は「賽銭」も「泥棒」も「罰」も読むことができた。それまではべつに気にしていなかったユウヒだが、これほど強い言い回しははじめてだったせいか、急に怖くなったらしい。
「そうとも、あれは人間が勝手に書いてるんだ。そもそも神様は人を救ってくれるもんなんだから、おれたちみたいな貧乏人には金を恵んでくれるのが本当のはずだろ。さあ持っていきなさいってなもんだ」
「そっか、だまされるとこだった。張り紙書いたやつ、きったねえの」
「わかったら、さあ行くぞ」
 年齢は一つしか違わないが、アサヒは弟ほど単純ではなかった。でもお父さんの言葉に反論はせず、言われるままに車の後部ドアを開けた。
 アサヒが物心つく前、お父さんが建設現場で働いていたときに中古で買ったという白のカローラ。最近、中古車販売店の前を通ったときに同じと思われる車を見かけたが、三十九万円の値札がフロントに掲げられていた。こいつはまだまだ走れるとお父さんは言うものの、走行距離は十万キロを超えていて、ブレーキランプが片方つかない。全身傷だらけで、左のサイドミラーが特に重傷だ。窓枠のゴムが剝がれて垂れ下がっているので、ドアを閉めるときには挟まないよう注意しなければならない。
 ツィーと音を立ててお父さんが息を吸い込む。寒いときの癖だ。十二月の深夜はさすがに冷える。
 アサヒは体に合わないジャンパーの首もとを片手でつかみ、隙間から冷気が入り込まないようガードした。大人用しか手に入れられなかったからしかたない。ユウヒのジャンパーは逆に少し窮屈らしく、この寒さでも前を開けている。お父さんに髪を切ってもらったばかりなので、よけいに寒々しく見えた。若いころは理容師になりたかったこともあるというお父さんだが、いつもぎりぎりまで短くする上、毛先はがたがただ。
「ユウヒ」
 チャックを閉めるようしぐさで伝えると、ユウヒは両手をポケットに突っ込んで裾をぱたぱたさせてみせた。
「壊れた」
 布をかんでいるだけじゃないかと思ったが、アサヒが試してもやはりチャックはびくともしない。「な?」となぜだかユウヒは得意げだ。
 お父さんが自分のマフラーを外してユウヒの首にかけた。
「巻いとけ」
 何年か前にパチンコ店でほかの客から「失敬してきた」というもので、暗い青と黒のストライプがしゃれているとお父さんは気に入っている。冬はいつもそれを巻いているので、スウェットの伸びた首まわりや、そこからのぞく下着が隠れて、ほかの季節よりもいくらかはまともな大人に見える。マフラーは見つけたときからたばこ臭く、いまはさらに臭くなった。お父さんが一日一箱吸うマイルドセブンのにおいだ。
 ユウヒはすぐにマフラーを取って返した。
「寒くないよ」
 お父さんの手に押しつけるなり、路上駐車した車から離れて石段を駆け上っていく。あの勢いで動けば、たしかに寒くはないだろう。こけるなよと声をかけながら、マフラーを巻き直したお父さんが歩いてあとに続く。そのあとにアサヒも続く。
 古い石段は一段の高さも幅もまちまちだった。傾いていたり欠けていたり、踏んでみると思いがけずぐらつくところも少なくない。ユウヒはお父さんが足を置いたとおりに足を置き、あるいはその場所を避け、慎重に上っていった。絶対にお父さんより前には行かない。子どもが二人とも前にいたら、もしも両方が転げ落ちたとき、お父さんの手が足りなくなるからだ。ユウヒだけならお父さんは間違いなく受け止めてくれるだろうし、自分も手助けできるかもしれない。
 二段上を行くお父さんの背中はけっして大きくない。肩幅が狭くやせていて、もともと猫背ぎみなのに寒くて肩をすぼめているから、よけいに小さく見えるのだろう。ほかの人がそばに立っていると、意外に背が高いことにちょっと驚く。
「兄ちゃん、早く」
 鳥居の下でこちらを向いてユウヒが呼んだ。白い息がくっきり見えた。呼んだものの兄が追いつくのを待てず、またひとりでぐんぐん上っていく。
「気をつけて」
 この日はなんとなくいやな予感がしていた。ジャンパーのチャックが壊れたときから。いや、その前にユウヒがめずらしく賽銭泥棒への警告文を気にしたときから。
 けれどなにも起こらず、三人は境内に到着した。お社が一つとみずがあるだけの小さな神社だ。おっ、とうれしそうな声を出したお父さんが、急に足を速めてお社に近づき、誰かが供えたワンカップ酒を手に取った。すぐには開けず、ジャケットのポケットに突っ込んで、お社の正面に立つ。
「ほら、ユウヒもこっち」
 呼ばれたユウヒは、境内にある大きな切り株のそばにしゃがんでいる。切られたのか倒れたのかは知らないが、もとは立派な木だったのだろう。そういう場所にはよく小銭が供えられていて、ユウヒはそれをせっせと集めているのだ。
「おれ、もうやったよ。二人とも遅いんだもん」
「お、そうか」
 アサヒはお父さんの隣に並んで立った。二拝二拍手一拝。ただし拍手の音はごく控えめに。二人の動作のタイミングは完璧にそろう。
 寺社では参拝しなくてはならないとお父さんは考えていて、息子にもそうさせる。そして小さな声で「3H、3H」と唱える。健康(health)、幸せ(happiness)、愛情(heart)、だそうだ。3はHの数ではなくて、家族三人の3だ。家族三人が健康に幸せに仲よく生きていけますように。それから賽銭箱に手を伸ばす。
 参拝客の多い寺社を狙うほうが、当然、収獲は大きいはずだ。でもそういうところは、夜は境内に入れないようにしてあったり、防犯カメラをしかけてあったり、小まめに賽銭を回収していたりする。
「なんだよ、しけてんなあ」
 手際よく賽銭箱を開けたお父さんが舌打ちをした。お父さんがポケットから出した軍手をはめ、ズボンの腰のところに挟んでいたバールを使って賽銭箱の引き出しをこじ開けるまで、二十秒もかからない。そのあいだ、アサヒは懐中電灯でお父さんの手もとを照らしている。丸い光のなかに現れたのは、百円玉と十円玉と五円玉がそれぞれ数枚ずつだった。小さい神社とはいえ少なすぎる。廃れてしまった神社なのか、たまたま回収されたばかりだったのか、なんにせよついてない。
「こっちもこんだけ」
 ユウヒが切り株のそばで不満げに片手を突き出してみせる。暗くて見えないが、小さな手のひらに収まる量ということだ。
「マック、無理?」
 ここへ来る前に行った寺でも稼ぎは少なかった。頭のなかで足し算をして、引き算をする。バーガー単品と、お父さんのたばこ代。ガソリンはまだ大丈夫だけど、明日か明後日には銭湯に行きたい。
「今日は無理だな」
「これ足しても?」
 アサヒは弟に近づいていって、手のひらの小銭を見てやった。
「もうちょっと」
「兄ちゃん、それ貸して」
 懐中電灯を渡してやると、ユウヒは腰をかがめて切り株のまわりを探しはじめた。
 アサヒは口内に湧いてきた唾を飲み込んだ。マックのことを考えたせいだ。この近くなら国道沿いに一軒、イオンモールに一軒ある。ポテトはごみ箱をあされば高確率で食べ残しが手に入るから……。
「帰るぞ」
 お父さんがたばこを吹かしながら歩いてきた。
「もうひと仕事しないの?」
「ひと仕事って」とお父さんは苦笑したが、なにがおかしいのか、なにが苦しいのか、アサヒにはわからなかった。
「今日はだめだ、ツキがない。いいか、こういうときに意地になってばんかいしようとすると、ろくなことにならないんだ。あしーたがあるーさ、あすがある」
 ラジオでよく流れる歌を、お父さんは陽気に歌う。
「でも……」
 そりゃお父さんはお酒が手に入ったからいいんだろうけど、という言葉が喉まで出かかった。たばこもあるし、食べ物というだけなら、昨日コンビニでかっぱらったパンとスナックがある。
「十歳の子どもがそんな顔するな。よーし、今日は特別に二本だ」
 兄弟はぱっと顔を見合わせた。薄暗いなかでも、ユウヒの大きな目が輝いているのがわかった。自分も同じだろう。
 二本というのは、スティックシュガーの本数だ。フードコートや、ごくたまに飲食店に行くと、セルフサービスで置いてあるそれをごっそりつかみ取ってくる。水道水に混ぜて飲むのもいいが、粉薬みたいにじかに口に流し込むほうがアサヒもユウヒも断然好きだ。いつだったかユウヒに「兄ちゃんって溶かす派? かむ派?」と訊かれ、アサヒはしばらく考えて「どっちかっていうと溶かす派」と答えた。舌の上にゆっくり広がる甘みか、じゃりじゃりとした歯触りか。それは常に悩むところで、ハーフ&ハーフにすることも多い。だけど一日一本という決まりがなければ問題は解決だ。
 ユウヒはたちまち機嫌を直し、石段を下りる足どりは弾むようだった。今度はアサヒもユウヒのすぐ後についていった。懐中電灯をお父さんに渡してしまったので足もとは真っ暗だが、目が慣れてしまえばだいたいの感覚でいける。
 でも、ちょっと油断しすぎた。ユウヒも、アサヒも。あと二段で地上というところで、ユウヒが足を滑らせて尻もちをついた。アサヒはあっと声を上げただけで、手を伸ばすこともできなかった。あわてて駆け寄って屈み込む。
「大丈夫?」
「う……」
「ユウヒ!」
「うっそー」
 ユウヒはしてやったりとばかりに伏せていた顔を上げた。腹が立つよりもほっとして、アサヒは額の汗を拭った。転んだときとっさに手をついたのか、ユウヒは自分の手のひらに目を凝らす。
 急ぎ足で下りてきたお父さんが、懐中電灯をユウヒの手のひらに向けた。小指側のふくらんだ部分をけっこう派手にすりむいたようだ。
「ほかに痛いとこないか」
「ないよ」
「頭とか打ってないな?」
「ない」
「本当に?」
「おれ、運動神経いいもん」
 証明するように、ユウヒはぴょんと跳ねながら立ち上がった。お父さんがアサヒを見る。アサヒがうなずく。それでお父さんはひとまず安心する。
 お父さんはユウヒの手を取り、傷にふうふうと息を吹きかけた。子どもたちがけがをすると、お父さんはいつもそうする。お父さんのおばあちゃんのまねだそうで、理由は知らないがそうするものなのだという。
「洗わないとな」
 転んだのが階段の上なら手水舎があったが、あいにく階段の下だ。平気だとくり返すユウヒをアサヒと一緒にカローラの後部座席に押し込むと、お父さんは猛スピードで今夜の〝ホテル〟へ向かった。

▶#1-5へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第206号 2021年1月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第206号 2021年1月号

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