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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.15

【連載小説】「兄ちゃんに会うのは、これで最後にするよ」計画が成功し、アサヒとユウヒは一千万円の現金を手にした。しかし、そのとき、思いがけない事態が出来する。降田 天「朝と夕の犯罪」#2-7

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

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 どこかで聞いた言葉だ。──車がなければいいんじゃない?
 どこかじゃない。忘れもしない。十年前の十二月、ユウヒがアサヒに告げた言葉。車上生活に嫌気が差していたアサヒは、それを真に受けて車を壊そうと考えた。そのために給油口からスティックシュガーを入れた。車は事故を起こし、お父さんは死んだ。
「まさか、わざとだったっていうのか」
 弟は無邪気に言っただけだと思っていた。いまのいままで、ずっと。
「そうだよ」
「おれが車に細工をするように仕向けたのか」
 声が震える。体の全部が震えてくる。
 髪を黒くしたユウヒは、子どものころのユウヒに驚くほど似ている。二重まぶたの明るい瞳。その輪郭がぶれてぼやける。
「そう。おれは兄ちゃんにお父さんを殺させてしまった。実の息子じゃないおれが、兄ちゃんから兄ちゃんのお父さんを奪ったんだ。脅迫なんかできる立場じゃなかったんだよ」
 ユウヒはせきを切ったようにしゃべりだした。
「だけど、狂言誘拐をやろうと思いついたとき、頭に浮かんだのは兄ちゃんだった。里親の父さん、〈ハレ〉で一緒に育った仲間、親身になってくれる職員、友達、たくさんの人がまわりにいるのに、なかにはもっと犯罪に対してハードルの低いやつだっているのに。なあ、この部屋、統一感がないだろ。全部もらいものなんだ。自分の好みとか、よくわかんなくて。車の外でどう生きたらいいのか、どう生きたいのか、全然わかんなくてさ。父さんはおまえの好きに生きたらいいって言うんだけど、それがわかんないんだよな。とりあえず〈ハレ〉には恩があるから、そのために生きてみてるけど」
 いつの間にかユウヒの顔はゆがんでいた。丸めた紙くずみたいにくしゃくしゃで、涙を流していないのが不思議なくらいだ。
「もう三人ぼっちじゃないって、兄ちゃん、前におれに言ったろ。でも、おれはずっと三人ぼっちの世界にいつづけたのかもしれない。お父さんと、兄ちゃんと。里親の父さんはあんなによくしてくれるのに、養子縁組をしないかって言ってくれたとき、どうしてもうんって言えなかった。自分の根っこがあっちの世界に囚われてるんだ。本心から家族って思えるのは、お父さんと兄ちゃんだけなんだ。だけど、家族でいる資格なんておれにはなかった」
 アサヒは立ち上がった。これ以上、聞いていられない。体じゅうの血管が膨れ上がり、こめかみが波打っている。
 部屋を飛び出したアサヒを、ユウヒは止めなかった。表に出たとたん、けたたましいクラクションとともに車がすれすれのところを通過していった。その音に頭のなかがかき回される。ぐちゃぐちゃだ。もうぐちゃぐちゃだ!
 お父さんを殺してしまったことに、ずっと罪悪感を抱いてきた。それだけじゃない。ユウヒに対しても負い目があった。ユウヒからお父さんを奪ってしまったと自分を責めてきた。なのに、あれはユウヒがやらせたことだった?
 三人ぼっちの世界。自分の根っこ。家族でいる資格。いま聞いた言葉が脳内を暴れまわっている。わかんなくてさ。ああ、おれにだってわからない。三人の世界が終わって十年だ。こう生きるべきだとおれは教え込まれてきた。それが〝ふつう〟で〝ちゃんとしてる〟ことだと。そうでないと社会に受け入れられないのだと。だから歯を食いしばってそうしてきた。十年。血を吐くような十年。その間、おまえは楽しくやってきたんじゃないのか。新しい人生で、幸せなんだろ?
 こみ上げる感情を抑えられず、電柱を殴った。通りすがりの女がぎょっとしたようにこちらを見て、足を速めて去っていく。
 アサヒはその場を離れ、あてどなく夜の町を歩いた。いろんなことがとりとめもなく頭に浮かぶ。
 つるかめ湯の下駄箱のそばで、しきりにこちらを見たユウヒ。震えていたユウヒ。お父さんの死を告げられたときの、あの沈黙。歯の矯正。小学校の教室でパンツを下ろされたこと。やわらかそうな美織。『ドン・キホーテ』の文庫本。誘拐計画とその成功。はっは! お父さんの笑い声。陽気でやさしいお父さん。おれはクズだと、父親失格だと塞ぎ込むお父さん──。
 我に返ったとき、腕時計も携帯も持っていなかったので、どのくらいさまよっていたのかわからなかった。人通りがすっかり絶えているから、かなり遅い時間だろう。
 道端で立ち止まり、これまで二十年の人生のことを考えた。最初の十年と次の十年のことを。
 奪ったものと奪われたもの。得たものと失ったもの。真実と噓。本質と見せかけ。大事なものと要らないもの。こっちの世界とあっちの世界。
 自分という人間の根っこを強く意識する。新しい土に根づかせようと必死だったけれど、本当はずっと知っていた。
 顔を上げる。ひっかき傷のような月が出ている。
 黄色は進め。全速力で突っ込め。
 アサヒはユウヒのアパートに向かって歩きだした。

   15

 玄関の鍵は開いていた。ここまで来ても第一声をどうすべきか決められず、ノブを握ったまましばしためらう。子どものころはどうやって仲直りをしていたのだろう。思い出せない。
 まだチャーハンのにおいが漂っていた。そういえば、ひとくちも食べていない。
 アサヒは深く息を吸い、ドアを開けた。まずは顔を見てからだ。
 最初に見えたのは、ユウヒの足だった。こちらに背を向けて体を丸め、床に寝転がっている。眠っているのか。拍子抜けしたような、ほっとしたような気分だった。ユウヒが暴れたのか、ちゃぶ台の位置が大きくずれて、空き缶が畳に転がっている。
 音を立てないように部屋に上がる。そのとき、妙なにおいに気づいた。チャーハンのにおいに混じって、生臭いようなにおい。
 いぶかりながら歩を進めたアサヒの視界に、ユウヒの全身が映った。その瞬間、頭が真っ白になった。
 ユウヒの体の下に、赤い水たまりがある。
 腹に包丁が突き刺さっていた。スウェットがどす黒く染まっている。
 鼓動が胸を突き上げた。
「ユウヒ!」
 飛びついて揺さぶると、うっすらと目が開いた。まぶたの白さにぞっと鳥肌が立つ。
「……兄ちゃん」
「なにがあった。なんでこんな」
 アサヒの手を振りほどこうとするようにユウヒは身をよじった。しかしその動きは鈍く、痛むのか、息を止めて顔をゆがめる。包丁にくっついていたネギがぱらぱらと畳に落ちる。
「関わっちゃ、だめだ……。兄ちゃんの人生、台無しに……」
 ごぼっと異様な音を立てて、ユウヒは血を吐いた。アサヒの膝にもかかった。
「しゃべるな!」
 けれど、黙らせたところでどうすればいいのかわからない。
 ユウヒの喉がひゅうひゅうと苦しげに鳴る。額から汗が噴き出している。
 包丁の柄が震えている。抜こうとして、抜いたらよけいに血が出るのではと思いとどまった。アサヒの手も震えている。こうしているあいだにも、血だまりはどんどん大きくなっていく。ユウヒの命が流れ出していく。
 死ぬ。自分がなにか一つ選択を間違えたら。あのとき、お父さんを殺してしまったみたいに。
 どうしよう。どうしたらいい。
 その瞬間、アサヒは十歳の子どもに戻っていた。つるかめ湯の下駄箱のそばで、お父さんが迎えにくるのを待っている。なんでまだ来ないんだろう。外はもう真っ暗だ。約束の時間はとっくに過ぎている。ユウヒはいまにも泣きだしそうだ。本当はアサヒだってそうだ。混乱と不安に押しつぶされかけている。お父さん。心のなかで何度も何度も呼びかける。早く来て、お父さん。
 ──アサヒ。
 声が聞こえた。はっと顔を上げると、そこにお父さんがいた。目の前に立ってアサヒとユウヒを見下ろしている。青と黒のストライプのマフラー。口の端にくわえたマイルドセブン。こぶしの拳ダコ。最後に見た姿だった。最後だなんて思わなかったから、顔はよく見なかった。いま、お父さんはほほえんでいる。
 アサヒは部屋を見回して自分のバッグを見つけた。無我夢中で引き寄せて携帯を取り出し、一一九番を押す。
 ユウヒが力を振り絞るようにして首を横に振る。まぶたが再び閉じかけている。
 電話がつながった。自分がなにをしゃべっているのか、よくわからなかった。ただ、死ぬなと願った。
 二人きりの家族なんだ。兄弟でいようと決めたんだ。だからユウヒ、死ぬな。死ぬな──。

▶#2-8へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第207号 2021年2月号でお楽しみいただけます!


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