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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.14

【連載小説】「兄ちゃんに会うのは、これで最後にするよ」計画が成功し、アサヒとユウヒは一千万円の現金を手にした。しかし、そのとき、思いがけない事態が出来する。降田 天「朝と夕の犯罪」#2-6

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

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   14

「成功を祝して」
 黒髪のユウヒが笑顔で差し出した缶に、アサヒは自分の缶をぶつけた。じかに口をつけて思い切り顎を上げ、ごくごくと喉を鳴らして一気に飲み干す。こんなにビールがうまいのははじめてだ。
 あのあと、やってきた修の部下によって、アサヒは二時間ぶりにトイレから救出された。彼らは個室の内部を調べ、タンクの下に折りたたんだ紙が貼られているのを見つけた。それは横浜市内の地図で、一箇所が赤い丸で囲まれており、そこには建設中のビルがあった。さっそく急行したところ、薬で眠らされている美織を発見したという。
 アサヒはそれを選挙事務所の二階で聞いた。着ぐるみを脱いで顔だけは洗ったものの、汗がすっかり冷めてしまった体はそのままで、朝食以降はなにも口にしていなかった。せめて水分は取るべきだったと、あとになって思う。
 美織はただちにかかりつけの病院へ運ばれ、塔子と由孝がそこへ向かった。残った修と秘書に見送られ、アサヒは事務所を出て、その足でユウヒのアパートへとやってきた。修は車で送らせると言ったが、行き先を知られたくなかったので断って電車を使った。
 シャワーと着替えを借りて風呂場から出てきたタイミングで、美織が覚醒したと由孝から電話があった。健康状態に問題はないが、強いショックを受けているようで、事件についてはまだなにも聞けていないとのことだった。
 のちに彼女はこう語るはずだ。誘拐されていたあいだのことは、目隠しをされていたからよくわからない。建物の様子も、犯人の顔も見ていない。ただ犯人の声や話し方から、年配の男女で三人以上のグループだと思う。
 ただし、それを語る相手は警察ではない。美織は「めまいがして倒れた」のであって、誘拐事件などなかったのだ。万引きや自傷行為や無断欠席が、美織いわく「なかったこと」になったように。きみもそれを間違えないでくれと由孝は言った。まさにこちらの狙いどおりになったわけだが、図書館で一度だけ会った美織の顔が頭に浮かんで、あまりいい気分ではなかった。
 ユウヒが二本目のビールを持ってきた。
「今日はじゃんじゃん飲んでよ。山ほど買ってあるから」
 金額のことが頭をよぎったが、おごられてもいいだろうと思い直した。大変な目に遭ったのだ。飲まず食わずで一日移動して、あんな恰好で山道を走って、汚いトイレに二時間も閉じ込められて。おまけに、ユウヒに指摘されてはじめて気がついたことだが、アサヒの顔や首筋にはたくさんの赤い斑点ができていた。着ぐるみを着たときにかゆいと感じたのは気のせいではなく、ダニかノミにやられたに違いない。事務所で顔を洗った際には、あまりにも疲れていたせいか、まだ事件のほうに気を取られていたせいか、気づかなかった。ユウヒも驚いたようで顔色を変えて心配していたが、どうやら病院に行くほどの状態ではないとわかり安心したらしい。
 ようやく人心地がついて部屋を見まわす。ベッドの枕もとに『ドン・キホーテ』が置いてあるのは、美織がそこで読んでいたのだろう。さっきシャワーを借りたとき、風呂場には女性用のカミソリが出しっ放しになっていた。
「腹へってるだろ。チャーハン作るけど、ほかにリクエストある?」
「今日はやきとり缶はないのか?」
 思いがけず軽口が出たのは、気まずさをごまかそうとしてだったのか。それとも、計画が成功したことで我知らずハイテンションになっていたせいか。ちゃぶ台の足もとには、一千万円が入ったスポーツバッグがある。
「ごめん、今日はないんだ」
 ユウヒはキッチンに立ち、こちらに背を向けて具材を刻みはじめた。その手つきを眺めるともなく眺め、うまいもんだなと思う。料理をする手。拳ダコのある手。どちらもいまのユウヒの手だ。
 チャーハンをいためる音とすさまじい換気扇の音をBGMに、ひとりで黙って飲む。この部屋にはテレビもない。
 ほどなくすべての音が消えると、急に静けさが際立った。ユウヒが山盛りのチャーハンを両手に持って運んでくる。ふぞろいな皿を二枚、スプーンを二本、ことりとちゃぶ台に置く。いいにおいだ。
 ユウヒが向かいに座るのを待って、アサヒは言った。
「いただきます」
「……いただきます」
 ユウヒも同じ言葉を口にする。
 その声に違和感を覚え、アサヒはスプーンをつかみかけた手を止めた。うつむいたユウヒの顔を見ると、ほほえんでいるものの、表情がぎこちない。
「ユウヒ?」
 ゆっくりと顔を上げたユウヒは、困ったようにアサヒを見つめた。
「食べてから言うつもりだったんだけど」
 見慣れない悲しげな瞳に、胸がざわつく。
 すうっと息を吸い込んでから、ユウヒはアサヒを見つめたまま口を開いた。
「兄ちゃんに会うのは、これで最後にするよ。せっかくまっとうに生きてるのに、犯罪の手伝いなんかさせてごめん」
 アサヒはぽかんとして、その唐突な言葉を受け止めた。
「なんだよ、いきなり」
「いきなりじゃないよ。全部終わったら、その日に言おうと思ってた」
 声音の静かさにたじろぐ。こんなふうに話すユウヒは知らない。
「おれさ、十年前に警察に保護される前から、自分がお父さんの子じゃないって知ってたんだ。兄ちゃんと兄弟じゃないって」
「え……」
「おれはお父さんの借金相手の子なんだ。お父さんは当時三歳のおれに包丁を突きつけて、借金をチャラにしろって迫った。ところがけんもほろろにあしらわれて、おれを抱いたまま逃げて、自分の子として育ててたんだって。おれが今回、誘拐って手段を選んだのは、そのことをどっかで意識してたのかもな」
 アサヒはごくりと唾を飲み、どうにか声を押し出した。
「いつから知ってたんだ」
「お父さんが急に九州へ行くって言い出したとき、理由を訊いたんだ。そしたら、おれを本当の親に返すためだって。おれの本当の家が鹿児島にあるから」
 お父さんによれば、三人の車上生活の始まりは九州からだった。鹿児島。それでか。
「中三のとき、一度だけ見にいったことがあるんだ。〈ハレ〉を脱走して、事務室から旅費を盗んで。友達の家にいたことにしたけど、実際ははるばる鹿児島まで行った。正確な住所を知らなくても、お父さんから聞いてた情報だけで簡単にたどり着けたよ。実の父親は鉄くず屋の社長で、ヤクザまがいの男だった」
 ユウヒは言葉を切り、ちょっと頭を振った。
「こんなこと話しても意味ないよな。おれが〈ハレ〉に戻ったってことで察しがつくだろ。三歳の息子が包丁を突きつけられてもおかまいなしで、連れ去られても放っておいた人たちだ。警察に保護されたときにわかったことだけど、事件は通報されてなかったし、捜索願いも出されてなかった。つまり、おれの実の親はそういう人たちだったんだよ」
「お父さんは、どうして突然おまえを返そうなんて」
「おれと兄ちゃんが成長するにつれて、お父さんは車上生活に限界を感じるようになってきてたんだと思う。それに、お父さんは知ってたよ。兄ちゃんが車上生活をやめて、ふつうの生活をしたがってたこと」
 言葉が出なかった。動いたつもりもないのに、スプーンがちゃぶ台から落ちた。
「本当の親に返すって聞かされて、めちゃくちゃショックだった。本当の子じゃないからおれだけ追い出されるんだって思った」
 ユウヒの口角が震える。いったんぎゅっと唇を結び、決意を宿した目でアサヒを見る。
「おれはそれがどうしてもいやで、車がなければと思った」
「……え?」

▶#2-7へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第207号 2021年2月号でお楽しみいただけます!


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