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連載

降田 天「朝と夕の犯罪」 vol.9

【連載小説】狂言誘拐に手を染めることになったアサヒとユウヒの兄弟。アサヒはターゲットの選挙事務所にボランティアスタッフとして潜入する。降田 天「朝と夕の犯罪」#2-1

降田 天「朝と夕の犯罪」

※本記事は連載小説です。

前回までのあらすじ

「おれの知り合いに金持ちの娘がいるんだ。その子を誘拐する」。二〇一一年秋、十年ぶりに弟のユウヒに再会したアサヒは、犯罪への協力を求められる。二人はかつて「お父さん」に連れられ当てのない車上生活を続ける、行政上は存在しない子どもだった。全国を放浪しながら、賽銭泥棒や置き引きをして食いつなぐ日々は、「お父さん」の死であっけなく終わりを迎えた。「お父さん」を死なせてしまったという罪を抱えるアサヒは、脅されてユウヒの計画に加担するが──。

   10

 おりと会ったあと、アサヒは帰りの電車のなかで『ドン・キホーテ』のあらすじを調べた。騎士道物語の読みすぎで狂気に陥った男の冒険たん。美織が悲しいと言ったラストは、彼が正気に戻って死ぬというものだった。
 アサヒは小説を購入して読みはじめた。文庫本で六冊もあったが、美織があれほど好きだという物語に興味を引かれた。
 ドン・キホーテという男は、なんとなくお父さんを思い出させる。明らかにまともではない行動をとりながら、いかにももっともらしい理屈を並べ立てるところが。ならばその理屈に丸め込まれ、彼を慕ってともに旅をする従者サンチョは、かつての自分とユウヒだろうか。最後に死んでしまうところまで、ドン・キホーテとお父さんは同じだ。ただし、お父さんは正気に戻らないままだったけれど。
 最初のページをめくってから一週間以上になるが、まだ一冊目が終わっていない。一方、誘拐計画のほうはまずまず自信の持てる形に仕上がってきた。やっぱり頭を使うことは兄ちゃんだ、兄ちゃんを仲間に入れたのは正解だった、とユウヒは感心しきりだった。
 アサヒはまつおさむの選挙事務所にボランティアスタッフとして採用され、数日前から働いている。投票日まで二週間ちょっと。まだ告示前なので選挙運動はできないものの、選挙運動の準備行為および政治活動は許されているのだそうで、区別が明確にはわからなかったが、わからなくても特に困ることはなさそうだった。やれと言われた作業をやるだけだ。
「お疲れさま」
 ポスターの裏にテープを貼っていると、松葉たかが隣の椅子に腰を下ろした。松葉修の長男で、美織の兄。順調にいけば身代金の運搬役を務めることになる男だ。アサヒより二つ年上だが、東大に入るために三浪しているので学年は一つ下だという。由孝はそのことに引け目を感じているふうもなく、はじめて会ったときから親切に接してくれる。
「テープ貼りなんてつまらないだろう」
「いえ、単純作業は嫌いじゃないので」
「実を言うとぼくもだ」
 こちらに向けるほほえみは、男の目から見ても美しい。王子様のような、とでも形容すればいいだろうか。
 事務所内には老若男女が入れ替わり立ち替わりして、それぞれの作業をこなしつつ雑談を交わしている。アサヒも話しかけられれば応じるし、周囲から浮かないように振る舞っているつもりだが、それはづか家に引き取られて以来の習い性のようなもので、社交はおしなべて苦手だし下手だ。「そうですね」「そうなんですか」「なるほど」──ひどいときはこの三つのローテーションのみで乗り切っていることを、誰にも気づかれていなければいいのだが。敬語を使うかどうかの違いだけで、学校でも似たようなものだった。
 そんなアサヒにはめずらしく、由孝との会話は苦にならない。まったくとは言わないが、ほとんど身構えずに話せる。こちらのことを根掘り葉掘り訊かないからだろう。穏やかな声のトーンやゆったりと話す速度も心地よい。波長が合うというのか、時間をかけて付き合えば、本当の意味での友達になれるかもしれないとさえ思う。
「いい機会だから将来のために勉強しておけと言われて、昨夜は応援弁士との内交渉に同行したんだけど、ああいうのは肩が凝るよ」
 由孝が父親と同じ道に進みたいのかどうか聞いたことはないが、あまりその気はなさそうだ。かといって、いやいや選挙の手伝いをしているというふうでもない。ビラ配りなど体を使う仕事もするし、事務所をふらりと訪ねてきた町内会の人とも気さくに話をする。
 やっぱり血筋だねと年配のスタッフが言うのをたびたび耳にした。親の育て方がいいのよというのも聞いた。大勢にそう言わしめるだけあって、松葉夫妻は好感の持てる人物だ。娘の不祥事をもみ消すというので漠然と悪辣な人物を思い描いていたから、かなり意外だった。
 松葉修が事務所に現れると、空気がぴりっと引き締まる。それはよい意味での緊張で、士気が上がると言い換えてもいい。大きな目に活力があり、弁舌さわやかだ。顔立ちも端整なので女性に人気があるらしい。
 妻のとうのほうはやさしげな美人で、由孝の顔は明らかに母親似だ。上品で、常に腰が低く、スタッフに対してもねぎらいと感謝の言葉を忘れない。事前にユウヒから得た情報によると、塔子はこの地域を地盤とする県会議員のひとり娘だった。松葉は塔子の姓であり、修は婿養子に入って義父の地盤を継いだのだ。
 理想の一家だと人は語る。だが、そのなかに長女の話は出てこない。たまに出てきたとしても、美織という名前、小さいころかわいかったこと、通っている学校名、そのくらいで情報は尽きる。現在の美織のことは誰もよく知らないようだ。
 一度、妹がいるんですかと由孝に水を向けてみた。由孝は昼食の弁当の成分表示を確認しながら「美織っていって高校一年生なんだ」と答えた。ごく自然な口調で、その話題を避けたがっているそぶりはなかった。しかし、それ以上語ることもなかった。
「美織は松葉家における異物なんだな。外からじゃわからないけど」
 例によってユウヒのアパートの畳に座り、持参した路線図と地図をちゃぶ台に広げながら、アサヒは言った。選挙事務所で日を送るうちに見つけた、美織を表すのにふさわしい言葉だった。
「なるほど、ひとりだけ落ちこぼれで不良だもんな」
 皮肉な口調で応じたユウヒは、狭い室内をうろうろしてサインペンを探している。アサヒも周囲を見まわしたとき、床に放り出された文庫本が目に留まった。漫画の下敷きになったそれは、『ドン・キホーテ』だ。前から目にしていたはずなのに、いままでそうと気づかなかった。
「あれ……」
「ん?」
「いや」
 美織は自分の『ドン・キホーテ』を人に貸していると言っていた。ユウヒが自分で買うとは思えないから、これがそうなのだろう。
 あったあったと赤いサインペンを振って、ユウヒが向かいに腰を下ろす。アサヒは『ドン・キホーテ』から視線を引き剝がした。
「ところでさ、松葉由孝ってどんなやつ」
「由孝さん? 美織から聞いてるんじゃないのか」
「兄ちゃんから見た印象を聞きたいんだよ」
 すぐに浮かんだ答えは、「水のような人」だった。だがあまりに抽象的でうまく説明できないし、詩人じゃあるまいし比喩で語るのは気恥ずかしい。結局「感じのいい人だよ」というあいまいな言葉になった。言ってから、自分は彼のような人間を目指してきたのではないかとふと思う。中学か高校のころに出会っていたら、感化されていたかもしれない。
「ひょっとして情が移った?」
「そんなんじゃない」
 そんなにすぐに壁を取り払える性格ならよかった。
「でも、由孝さんに近づけたのはラッキーだったな。多少なりとも情報が手に入れやすい。同じ大学生だからだとしたら、大学に入ってよかったってはじめて思うよ」
「ミオが誘拐されたら、通報しようって言いそう?」
 アサヒは少し考えて「いや」と答えた。両親のため、松葉家のため、大勢の支援者のため、そしてミオの安全のためにも、由孝は合理的に判断するだろう。それに選挙の告示が近づくにつれ、事務所全体が情報の扱いにはかなり神経質になっている。
 問題は、一千万という身代金の額を向こうがどう考えるかだ。松葉家にとって大金ではなさそうだが、選挙にはなにかと費用がかかるということが内部に入ってみてわかってきた。彼らは体面と金を天秤にかけなければならない。由孝を利用してうまく誘導できないものか……。
「異物、だっけ。さっき兄ちゃんが言ったの」
 ユウヒの声で我に返った。考えに没頭していたことに気づいて、アサヒは戸惑った。楽しそう、というあやの言葉が脳裏をよぎる。無理やり協力させられているだけなのに。
「十年前、おれと兄ちゃんとお父さんは社会における異物だった。でも三人はいつも同じでひとつだったろ。松葉家は社会には溶け込んでるけど、家族のなかに異物があるんだな」
 アサヒはそっと目を上げてユウヒを見た。ユウヒは路線図をのぞきこんでいて、表情はよく見えない。
「あのころ、世界に三人ぼっちみたいだった」
 ユウヒがサインペンのキャップを取った。
「お父さんがいなくなって、二人ぼっちになると思った」
 きゅっと音を立ててよこはま駅を丸で囲む。
「実際はひとりぼっちになった」
 紙につけたペン先からインクがにじんでいく。
 お父さんが遺体で発見されたあと、保護された児童相談所で、アサヒとユウヒは自分たちが兄弟ではないことを知らされた。
 アサヒはお父さんの子だ。まさちかたくと離婚した妻、のあいだに生まれた。
 ユウヒの出自は不明だった。お父さんの子ではなく、アサヒの弟でもない。
「おまえには里親も友達も〈ハレ〉の仲間もいるだろ。ひとりぼっちでも、二人ぼっちでも、三人ぼっちでもない」
 アサヒは思い切って顔を上げて言った。ユウヒは紙からペンを離してあいまいに笑った。

▶#2-2へつづく
◎全文は「小説 野性時代」第207号 2021年2月号でお楽しみいただけます!


「小説 野性時代」第207号 2021年2月号

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