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連載

有川ひろ 物語の種、募集します。 vol.2

有川ひろ「レンゲ赤いか黄色いか、丸は誰ぞや」――「物語の種、募集します。」小説その2

有川ひろ 物語の種、募集します。

図書館戦争』『県庁おもてなし課』などで知られる小説家・有川ひろさんが、読者からの投稿を「種」として小説を書く企画が始まりました。
投稿内容は、思い出話でも体験談でも、心に留まったキーワードでも写真でも。あなたが物語の種になりそうだと思ったものなら、なんでもOK。

投稿募集ページはこちら
https://kadobun.jp/news/press-release/dz61anf341s0.html

「種」から今回芽吹いた小説は……



 

レンゲ赤いか黄色いか、丸は誰ぞや  有川ひろ

         *

 祖母が亡くなった。
 九十九歳、惜しいあと一歩! と唸ってしまう大往生であった。
 ずっと畑仕事をしていたせいか、つい一年ほど前までくわを振るえるようなお達者であった。
 去年の秋、堆肥を積んだねこ車を押していたところバランスを崩してコテンと行き、転び方が悪かったのか足を折った。
 入院して、身内一同ほっとした。老いて一向衰えることなく畑仕事に精を出す祖母にみんながヒヤヒヤしており、これを機会に少しゆっくりするといいとみんなが思っていた。
 ところがどっこいしょ。
 入院した祖母は急速に老いて、足腰が弱くなった。退院しても寝込みがちになり、家の中でも杖が要るようになり、ほんのりボケも入ってきた。
「年寄りから仕事を取り上げると却っていけないって本当だったのねぇ」
 彼女は溜息混じりに祖母の本棚から埃を被ったアルバムを抜いた。
 通夜は明日。今夜のうちに祖母の遺影を探さなくてはならない。
「しかし急だったよな」
 夫が彼女から受け取ったアルバムをティッシュで軽く拭いて埃を取る。
「正月に会ったときは今年は田んぼの準備をしないとなんて言ってたのに」
「もうボケてたんだよ、田んぼなんか十年も前にやめてるのに」
 入院前まで祖母が丹精していたのは、産直に卸す用の野菜や果物を作っている畑だった。祖父も生きていた全盛期に比べたらささやかな規模で、祖母にしてみたら家庭菜園に毛が生えた程度のものだっただろうが、季節を追うように忙しく世話をしていた。
「十年前までやってたのがすごいけどね。その頃でも八十……?」
「八十七か八かなぁ。おじいちゃんが亡くなったときに手が回らなくなって本家に譲ったの」
「それにしてもまあ、立派な亡くなり方だったよな」
「まあねえ」
 ほんのりボケが入ってきて、近くに住んでいた彼女の両親がそろそろ引き取ろうかと算段していた矢先だった。
 九十九歳まで畑を切り盛りしながら一人で暮らし、衰えたと思ったら息子夫婦の世話になる前にさっぱり旅立ち。
「こうありたいねぇ」
 誰にも迷惑をかけずにぽっくり死にたい、というのは人生の折り返し地点をすぎたら折に触れ浮かぶ願望だ。
 昔ながらの重厚なアルバムをめくった夫が「おお~、白黒」と呟く。
「あんたのおじいちゃんとおばあちゃんだって昔の写真は白黒でしょうがよ」
 そりゃまあね~、と歌いながら夫がアルバムをめくっていく。
「おばあちゃん、昔かわいかったね~」
「そんな前の遺影に使えないでしょ」
「これ、どこで撮ったの? 少女漫画みたい」
 夫が見せてきた写真は、レンゲ畑の中に祖母が立っている一枚だった。野良仕事の途中だろうか、もんぺルックに日よけ帽だが、ひなびた雰囲気がなかなかいい。
「これ、本家の田んぼだよ。ほら、おじいちゃんが亡くなったとき譲った」
「え、でも花畑だよ」
「レンゲは田んぼの肥料だからさ、田んぼに農家が種蒔くんだよ」
「えー、肥料ってどうやって?」
「田んぼにすき込むのよ」
「あ、腐らせて養分にするの?」
「ちょっと違う……」
 根粒に蓄えた窒素をすき込む、という理屈は説明しても都会育ちの夫には伝わらなさそうだ。彼女も田舎育ちではあるが農家育ちではないので詳しいところは説明はできない。父は祖父母の田畑を継がずに公務員になり、母とは職場結婚だ。
「とにかく田んぼに咲く花よ。レンゲは知ってるでしょ」
「知ってる知ってる。あの春先の黄色いやつでしょ」
「はい!?」
 都会と田舎、夫とのエリアギャップは度々感じるが、中でもこれは極めつけだ。
「黄色いレンゲなんか知らんわ」
「えー、会社行く途中さぁ、畑か田んぼか分かんないけど黄色い花がぶわーっとさ……」
 都会っ子のくせに勤め先は電車で小一時間の田舎なので、今は夫のほうが田園風景に親しんでいる。しかし、だからといって田舎の動植物の知識が身につくというものではないらしい。夫は鳩とムクドリの区別がつかないし、タンポポとツワブキの区別がつかない。
「菜の花じゃないの? レンゲはこれだよ」
 スマホで画像検索して見せると「色違いじゃないの?」と夫はピンと来ていない様子だ。
「白黒写真だしピンクか黄色か分かんないじゃん」
「いや、レンゲだってこれ」
 植物を見慣れていない人にとって、見分けるポイントはまず色、次に色、その次も色らしい。マメ科とアブラナ科では花の形もそもそも違うのだが、レンゲがマメ科だと言ったら何故ツルを巻かないのかと話がややこしくなりそうだ。
 夫は知識欲に乏しい人間ではないのだが、とにかく生物に関しては吸収するキャパが少ないのだろう。溝端や庭先に蔓延はびこっているヒメツルソバの花が金平糖みたいで面白いと気に入っているのだが、何度教えても名前を覚えない。ヒメ、とヒントだけ出すと、ヒメオドリコソウとかヒメジョオンとか他に教えた名前がデタラメに出てくる。ヒメしか合っていない。実に全くびっくりするほど動植物の名前を覚えないのであった。
 夫に言わせると彼女が悪いという。
 生きた図鑑と歩いてるようなもんだから便利で覚えないよね~。
「誰が撮ったのかな、これ」
「おじいちゃんじゃない?」
 祖父が一緒に写っていないから祖父が撮ったのだろうという単純な回答だったが、夫は何故か目を細めた。
「おじいちゃん、おばあちゃんのこと好きだったんだねぇ」
「何で?」
 確かに夫婦仲が特に悪かったという話は聞かないが、特に仲睦まじいという話も聞いていない。
「だって自分の奥さんをこんな花畑の中で撮るなんて、なかなか気恥ずかしくてできないんじゃない? この年代だと」
 意表を衝かれる説だが、頷けなくはない。観光地でも何でもなく、自分の田んぼだ。わざわざ妻を立たせてパシャリと一枚、まあまあ甘酸っぱい話である。当時はフィルムも現像代も安くはなかっただろう。
「おばあちゃんの写真、いいのあった?」
 彼女の母が様子を見に来た。
「あらっ。いくら何でもそこまで遡ると遺影に使えないわよ」
 アルバムに貼られた写真の白黒を見たらしい。
「最近のアルバムから探しなさい、最近の」
 それもそうだ、と探索を新しいアルバムに切り替える。
 まだまだ元気だった頃、産直で仲間と撮ったらしい写真が出て来た。実年齢よりだいぶ若いが、詐欺でない程度に若い写真を使われるのは祖母も悪い気はしないだろうとそれになった。

         *

 父が亡くなった。
 七十一歳、まだちと早いと寂しさがよぎる死であった。
 報せの電話は実家で同居している兄から来た。風呂上がりにばたりと倒れて救急車を呼んだが、結局そのまま息を引き取ったという。死因は脳卒中であった。
 電話を切って妻に事情を説明する。家族葬で通夜は明日、兄の一家はすでに葬祭場に安置してある遺体に付き添って泊まるという。
「だから熱い風呂やめろって言ってたのになぁ」
 ぐらぐら煮えたような熱い湯に浸かるのが若い頃から好きだった。
「よく言ってたよねぇ、お風呂上がりのお義父さん、茹でダコみたいに真っ赤だったって」
「頭がつるっと行ってるだけにな。まあ、苦しまなかったのは幸いだけど」
 やめろやめろと家族みんなが口を酸っぱくして言っていたことが死因となったので、悲しみに「ほら、だからぁ」というぼやきがついつい混じる。報せてきた兄も同じくだった。
「どこの温泉だっけ? 地元の人でも熱がる源泉に浸かったっていうのがご自慢だったね」
「おふくろも心配してたなぁ、熱い風呂は体に悪いって」
 姉さん女房だった母は三年ほど前に先立っている。
「お義兄さんが同居してくれててよかったよね、ほんと……」
 身の回りのことが何もできない父だったので、母が亡くなった後は義兄一家が実家で同居することになった。
 妻が急に小さく噴き出した。
「ごめん、お義母さんの決まり文句思い出しちゃった」
 それを呼び水に彼も釣られて噴いた。
 お父さんはしまいに風呂で煮えて汁になるで!
 TVで孤独死の特集番組を観て、追い焚きの風呂で液状になって発見されたという凄惨な死亡例を知ってからというもの、父への脅し文句は決まってそれだった。
「おふくろ、口悪かったからなぁ」
 西の育ちのせいか歯に衣着せぬ物言いで繊細な兄嫁などはかなり気にしていたらしい。彼の妻も色が黒いの毛深いのとズケズケ言われていたはずだが、
「君は大丈夫だったの」
「平気平気。お義母さん何っにも考えずに喋る人だったじゃん。一〇〇パー悪気ないしさ」
 実際、実子も目にまったことはズケズケと言われている。兄はデブで彼はハゲだ。そんなに食べ過ぎたら脂巻いてブタになるよ、あんた! あんた、デコがだいぶ広くなってないか。会社のストレスとか大丈夫か?
 思ったことを思ったまま口に出し、出した端から忘れるので、実子でも虫の居所が悪いときは喧嘩になっていた。鶏は三歩歩くと忘れるというが、彼の母は三十秒で時効だ。そんな前のこと言われても困る! が出たらそれ以上は追及しても徒労である。
「俺はほんっとあのおふくろにベタぼれできる親父の感性が理解できない」
「お義母さんがベタぼれだったと思うけど」
「どこが」
「汁になるでって言いながら絶対お義父さんのお風呂埋めに行ってたし」
 埋めても後湯は子供の身には熱湯風呂だったが。
「絶対お義父さんより先に死ぬって言ってたじゃん、お義父さんに先立たれたら寂しくて生きていかれへんわ、寂しがりのウサギちゃんやからーって」
「ギャグかな」
「マジだよ。お義父さんのこと高倉健に似てるって言ってた」
 それはだいぶな盲目だ。
 点けっぱなしになっていたTVで大河ドラマが始まった。今期は真田幸村だ。
「お義父さんも大河ドラマ好きだったねぇ」
「これの最終回は気になったかもな、真田幸村好きだったし」
「真田幸村って何した人?」
 歴史オンチの妻からは再々こういう質問が飛び出す。
「軍師だよ」
「いや、それは観てるから分かるんだけどさ」
 彼が観ている大河ドラマや歴史ドキュメンタリーをいつも流し観の妻である。
「具体的に何した人なの?」
「具体的に、とは?」
「だからさ、織田信長は天下統一の途中で死んだとか、豊臣秀吉は上手いこと後釜になって統一したとか、徳川家康は鯛で死んだとか、色々あるじゃん。教科書に載るっぽいこと的な? 真田幸村は何した人なの?」
 常々思うが、妻の歴史認識は非常に雑だ。徳川家康の死因が鯛というのは俗説で、教科書には別に載っていない。そもそも徳川家康が出てくるのなら幕府を開いたことがドラフト一位で出てこなくてはおかしい。が、そこを一々突っ込んでいては会話が成立しない。
「歴史的にすごい何かをやったってわけじゃないよ。豊臣の軍師的な人だっただけで」
「え、何にもしてない人が何で大河になってんの?」
 雑オブ雑。説明に困る。何にもしていないわけではない。
「人気がある武将なんだよ。大坂夏の陣で家康の本陣まで攻め入ったり……」
「待って待って、大坂夏の陣って何だっけ」
 そこから!? と目を剥きそうになったが、妻は「あ、思い出した思い出した」と自己解決した。本当に解決しているかどうかは謎である。
「豊臣が徳川に滅ぼされたときのあれでしょ。春とか夏とか」
「冬。冬な」
 さすがに見過ごせずに突っ込んでしまう。
「とにかく、豊臣に最後まで仕えた武将として講談とかで昔から人気があるわけ。でもどんだけ活躍しても結局豊臣は滅んだから歴史的には特に何かってわけじゃない」
「滅びの美学的なアレね、アイシーアイシー」
 とても雑だ。
「ところでさ」
 TV画面では真田一族が軍議中だ。
「真田丸って誰?」
 そこから!? リターンズ。
「……真田丸は人ではない」
「ええっ!?」
 ええっ!? と言いたいのはこちらである。
「じゃあ何よ」
「……とりで? 城内の一部っていうか。本丸とか一の丸とか言うだろ」
 妻に分かりやすい説明を脳内で組み立てる。
「大阪城を守るために絶妙な位置に砦を作ったんだよ。戦略的に全然重要じゃないんだけど大阪城を攻めるとき絶妙に邪魔になるってとこに。そんで横からちゃいちゃい嫌がらせをして徳川軍を苦しめた」
「へえー。人じゃなかったんだ。へえー」
 妻はその衝撃から逃れられないらしい。
「主人公の幼名か何かだと思ってた」
「つーかほんっと歴史覚えないよね」
 知識欲に乏しいタイプではないのだが、とにかく歴史についてのキャパが少ない。植物などは道端の雑草でもよく知っているのに、大坂の陣を春とか夏とか。TVを観ながら歴史上の人物や史実について説明したことは数知れないが、同じことを何度でも新鮮に聞いている。
「仕方ないじゃない」
 彼女はけろりとそう言った。
「常に隣に歴史の先生がいるようなもんだもの、便利で覚えない」
 便利で覚えない。――それは自分も心当たりがある。
「そういえば遺影とか大丈夫なの?」
 数ヶ月前に彼女の祖母の遺影を探した記憶がそう訊かせたらしい。
「もう決まってるから。兄貴のスマホに写真が入ってると思う」
「抜かりないねぇ、お義兄さん」
「親父が決めてあったんだよ」
「よっぽどお気に入りの写真があったんだ?」
 気に入っていたかどうかは知らないが。
「おふくろのときの写真使ってくれって」
 母の遺影は、二人でツアー旅行に参加したときのツーショットだった。真田幸村ゆかりの地を回るとかいうものだったか。葬儀屋が母だけ上手にデジタルで切り抜いた。
「俺もすぐ逝くから遺影はこれでいいって葬式のとき」
 妻は台所だ何だで立ち働いていたので聞いていなかったらしい。
「……ラブラブだったねぇ、お義父さんとお義母さん」
 自分の親にそんな言葉を使われると尻の据わりが悪い。でもまあ、
「ラブラブだったかな」
 妻がヒューヒューと歌う。
「お義父さんのことが一段落ついたら旅行に行こうか」
「いいけど、どうしたの急に」
「いや、あたしたちも遺影になるような写真を更新しとかないと」
 縁起でもない――とは言えない年だ。人生そろそろ折り返しに差しかかる。
「年一更新でどうよ」
 悪くない。
 遺影は楽しい思い出のものがよろしかろう。
「旅行中は喧嘩しないようにしような」
 合点だ、と彼女も応じて合意が成立した。

fin. 

 
 
 
今回の物語の「種」は……
===
「レンゲ畑の写真」
(担当編集より)
===
でした!(次回、読者からいただいた「種」の回が始まります)

「種」の投稿はこちらから
https://kadobun.jp/news/press-release/dz61anf341s0.html


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