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連載

有川ひろ 物語の種、募集します。 vol.1

有川ひろ「SNSの猫」――「物語の種、募集します。」小説その1

有川ひろ 物語の種、募集します。

『図書館戦争』『県庁おもてなし課』などで知られる小説家・有川ひろさんが、読者からの投稿を「種」として小説を書く企画が始まりました。
投稿内容は、思い出話でも体験談でも、心に留まったキーワードでも写真でも。あなたが物語の種になりそうだと思ったものなら、なんでもOK。

投稿募集ページはこちら
https://kadobun.jp/news/press-release/dz61anf341s0.html

「種」から今回芽吹いた小説は……



 

SNSの猫  有川ひろ

         *

 この半年ほど、彼女の推しはタキシード仮面さまであった。
 彼女が子供のころに大人気だったセーラー戦士のアニメの登場人物ではない。
 タキシード仮面さまは猫である。
 彼女はタキシード仮面さまをSNSでしか知らない。去年の春先、一四〇字ほどの短文や写真動画を投稿できるSNSのタイムラインに現れたのがタキシード仮面さまである。
 白黒ハチワレ、両手袋と両靴下、おなかはワイシャツ型に白く、その喉元に蝶ネクタイというかなりパーフェクトなタキシード猫であった。
 そのパーフェクトなタキシード柄が話題となって御近影が拡散されたらしい。発信元が拡散用のキーワードにタキシード仮面さまと入れていたので、トレンドワードの上位に入っていた。
 柄もさることながら、まん丸の顔とくりくりのお目々が何とも愛嬌たっぷりで、それまで猫に縁がなかった彼女の心さえも鷲づかみにしていったのであった。
 タキシード仮面さまは、とある保護猫カフェのニューフェイスであった。奇しくも彼女の住む市内であった。SNSを流れてくる話題を遡るきっかけは、そんな些細なものであったりする。
 タキシード仮面さま降臨! というコメント付きでタキシード仮面さまをSNSの川に流した保護猫カフェは、公式サイトへのリンクを貼っていた。公式サイトのブログではタキシード仮面さまの来歴を紹介していた。
 保護猫カフェに保護依頼のあったタキシード仮面さまは、非常に人懐こく、どうやら飼われていた猫が捨てられたようだった。あまりにも人間に警戒心がないので悪意ある人間のイタズラが心配だから保護してほしいと通報されたそうだ。
 保護猫カフェのスタッフが捕獲の段取りをして赴いたときには、通報者の懸念がどんぴしゃり。
無防備に狼藉者に寄っていき、したたか蹴られるか殴られるかしたらしい。非常に人懐こいはずが、捕まえようとするスタッフに怯えて細路地を逃げ惑ったという。
 餌でおびき寄せるも手を伸ばすと飛び退いてしまう。窮したスタッフの一人がとっさに叫んだ、「タキシード仮面さま!」と。スタッフはセーラー戦士の大ファンだったという。
 その呼び声にタキシード仮面さまは振り向いた。その隙にほかのスタッフが取り押さえた。
 タキシード仮面さまと呼んで振り向いたのでタキシード仮面さまであろうと暫定名が決まったという。
 捕獲時の光景が写真で何枚かアップされていたが、その一枚を見てはっとした。
 彼女の住む古いマンションが写り込んでいた。
 そうか、タキシード仮面さまはこの辺で保護されたのか。そんな人懐こい猫がうろちょろしていたとは知らなかった。彼女の通勤時間帯とは行動する時間が違ったのかもしれない。
 それにしても、こんな愛らしいタキシード仮面さまを捨てた人間やいじめた人間がこの近所にいるのかと思うと憤懣やるかたない。子供と動物に悪さをする人間は人目がなくて自分のほうが強いとなればどんな他人にも同じことをするに違いないのだから、極刑に処せばいいのである。と、彼女は割と本気でそう思っている。
 健康診断の結果、タキシード仮面さまは酷い怪我を負っておらず、病気にも罹っていなかった。不幸中の幸いである。
 推定五歳のオス猫であった。
『一度は人間に捨てられ、いじめられたタキシード仮面さまですが、保護されてからはすっかり落ち着いて人懐こい子に戻っています。人間をもう一度信じてくれたこの子に幸あれ! どうかいい出会いがありますように』
 記事はそう締めくくられていた。
 ぜひ、そうなってもらいたい。行く末が気になって、その保護猫カフェのSNSアカウントをフォローし、サイトもブックマークした。

 タキシード仮面さまはそのユニークな柄で保護猫カフェの人気猫となった。
『みんな大好き猫ちゅるるの時間。みんながちゅるるに押し寄せる隙に、スタッフがエプロンのポッケに入れていたちゅるるをそ~っと引っ張り出そうとするタキシード仮面さま! 策士!』
 スタッフの一人が途中で気づいたのだろう、慌ててスマホを向けたのか動画は少しぶれていたが、こっそり悪事を企むタキシード仮面さまの仕草は身悶えせずにはいられない愛らしさだった。後ろめたさが滲んでいるのが妙に人間くさく、この投稿も話題になった。
「だめですタキシード仮面さま!」「ちゅるるの魔力に負けて妖魔になっちゃった!? 負けないで、タキシード仮面さま!」などと元ネタを引用したツッコミで賑わい、彼女はそこに参加する勇気はなかったが、好意を示す「いいね」ボタンは百万回押したいくらいに悶えた。
『キミキミ、ぼくをお膝に乗っけさせてあげようか? お客様のお膝をちょいちょい引っ張って座らせようとするタキシード仮面さま』
 これはお決まりの仕草なのだろうか、動画のために構えたスマホの画角に待ち構えていた風の余裕が見える。
 女性客のデニムの膝に軽く爪をかけ、まあまあお座りなさいよと言わんばかりにちょいちょい引っ張る。にあー、とかわいい声かけも相まってお客は相好を崩して床に横座りで座った。と、すかさずその膝に乗っかっていそいそと丸くなる。
 こうしてナンパをするのは女性客に限るそうで、なかなかの色事師である。お客がタキシード仮面さまを下ろそうとすると、そっと胸元にお手々がかかる。「もう行っちゃうの?」と言わんばかり。お客は百発百中座り直すそうだが、たまには例外もある。
『お急ぎだったお客さまが引き止めたタキシード仮面さまを振り切ってお帰りに。ぼくの魅力が通じなかったと落ち込んでしまったタキシード仮面さま(笑)』
 しょんぼり部屋のすみっこに丸まっているタキシード仮面さまは、スタッフが向けるスマホにぷいと顔を背けてしまった。
 タキシード仮面さまが毎日SNSに登場するわけではなかったが、彼女は毎日保護猫カフェのアカウントをチェックした。上がった写真はお宝として保存保存保存である。何しろタキシード仮面さまは保護猫なのだから、いつこのカフェからいなくなってしまうか分からない。
 こんなにかわいかったらすぐに引き取り手が見つかって卒業するだろうと思っていたが、推定五歳という年齢がネックになっているのか、タキシード仮面さまはなかなか卒業しなかった。
「そんなに好きなら会いに行ってみたらいいのに。先輩の最寄駅と近いでしょ?」
 そう言ったのは、職場の後輩男子である。スマホの待ち受けにしていたタキシード仮面さまに「これはいいタキシード」と引っかかってきて、タキシード仮面さまを共に推す仲になった。
「保護猫カフェの子でしょ? ザッツ会いに行けるアイドルじゃないですか。保護猫カフェって利用料が運営資金になるんだし、ここはタキさまに貢ぎに行くのが正しいオタクの作法じゃないですか?」
 その提案に心惹かれるものはあった。タキシード仮面さまは老若問わず女性に愛想がいいので、三十半ばの彼女もターゲット範囲内である。
 あまつさえ、魅惑のお膝ちょいちょい&胸元お手々などを食らった日には、水芸のように鼻血を噴いて保護猫カフェを紅に染め上げるかもしれない。
 だが――
「ダメダメ! いずれは人のものになる猫だもの。会っちゃったら卒業したとき別れが辛すぎる。タキさまロスになっちゃうよ」
「卒業したらどっちみちロスでのたうち回るよ。つーかさ、先輩がタキさまを落籍するプランもありじゃない?」
 たまにこの後輩は古風な言い回しをする。ラクセキと聞いて落石じゃなく落籍と変換するはずという無邪気な信頼は、同期女子などからはちょくちょく面食らわれているらしい。
「そりゃあまあ、芸者の落籍は甲斐性だろうけどさぁ」
「先輩んとこペット禁止?」
「いや、猫も犬も飼ってる人いるよ。紙ゴミ置き場に爪とぎ出てることあるし、犬の散歩と行き合うこともちょくちょくよ」
 就職して一人暮らしを始めたとき、実家で殖えたドワーフハムスターを一匹連れていくことになってペット可の物件にした。
 愛ハムは愛らしい仕草で新入社員時代の彼女を慰めてくれたものだが、小さい生き物は老いが早い。大事に飼っていたつもりだが、入社三年目にみまかった。
「あんなに小さい生き物でも胸に穿たれた穴は奈落のごとしよ。タキさまとの別れに自分が耐えきれると思えない」
「遺してくれる思い出は無限大だけどねぇ」
「それに猫飼ったことないしさ。自信ないよ」
「オレオレ。俺、実家でずっと飼ってたよ」
 だから何だっちゅーのよ、といなしてタキさま落籍構想は終わった。

 悪い風邪が流行ったあおりを食らって、シフトはめちゃくちゃになった。
 それでも彼女の職場はリストラなしで乗り切ろうとしてくれているので、このご時世では相当恵まれているほうだろう。
 変則的リモートワーク。リモートリモートと急に叫ばれ出したが、結局は出社しないと細かいニュアンスや何かが上手く運ばなかったり、お偉いさんが年代的にリモートが不可能だったり。人間は電子の海だけで生きていけるようにはなっていない。
 順繰りに誰かがオフィスに詰めて、遠隔で事務処理をすることで落ち着いた。
 本日は彼女がオフィス番である。郵便物や荷物をチェックし、受取人に処理を問い合わせる。手紙や書類はスキャンしてメールで送ることが多いが、荷物は転送の手続きをしないといけない。
 事務処理を一通り終わらせると、後は割合にのんびり過ごせる。何せ部署に一人しかいない。さて一息つくかと見回すと、部署の共有スペースにカップ麺が箱ごとどんと積んであった。
 何じゃこりゃ。
 寄って見ると、メモがついていた。

 自粛不況支援でメーカー直買いしました、お持ち帰り等ご自由に!

 タキさま同担の後輩の字だった。どうやらご当地もののカップ麺らしく、スーパーやコンビニで見かけたことのないひなびたパッケージのものが数種類。
 せっかくだからお昼に一ついただくか。朝、何も調達せずに来てしまったので出るのが面倒だ。
 お湯を注いで三分、箸を添えてスマホでパシャリ。
 いただくよ~ん。
 写真を添付して後輩にメッセージを送る。ぴろんと既読のアラームが鳴った。
 味噌いきましたか! 塩もおすすめ、おかわりどうぞ!
「ふたつはいらんわ……と」
 またまたぴろんと送って箸を割る。ぴろんと戻ってきたのはぴえんと泣き顔イラストスタンプ。
 食べている最中にまたぴろんと鳴った。
 タキさま新着! 萌ゆる!
 それは捨て置けぬ。箸を置かずに片手ですいすい。
 タキシード仮面さまの動画が上がっていた。業務用ちゅるるの箱の上に陣取り、箱の隙間に手を突っ込んで必死にちゃいちゃい。
『タキシード仮面さま、お客さまの送ってくださった支援物資に狂喜乱舞!』
 投稿は支援物資と寄付の受付窓口を添えて終わっていた。
 カップ麺をすすりながら自分の懐具合を検討し、五千円を一口寄付。お礼として寄付の手続きに使ったメールアドレスにタキシード仮面さまの写真が送られてきた。備考欄にタキシード仮面さまが好きですと書いたからか。ヘソ天でぱっかり開いているお宝映像だ。
 多分後輩もいくばくか寄付したのだろう。そういう奴だ。
 先輩もきっと寄付しただろうと思われていたらいいな、と思った。
 後輩とも顔を合わせなくなって久しい。タキシード仮面さまのことでキャッキャうふふと盛り上がる時間はけっこう楽しかった。推しは同担とはしゃぎたい派だ。
「あああ~、このお腹もふもふした~い」
 欲望をスマホの画面をなでくることでせめて解消。もふんもふんと歌いながらなでくったので、他人に見られていたらドン引きされたことだろう。自粛リモートに世間体を救われた。

 事件が起きた。
 タキシード仮面さまが迷子になったという。保護猫カフェのブログで捜索協力願いが出され、それはファンによって瞬く間に拡散された。
 カフェの給湯器が壊れ、取り替え工事中に業者が誤って古い給湯器を床に落としてしまったという。大きな物音で猫たちはパニックになって逃げ惑い、タキシード仮面さまは慌てて片づけをする業者の出入りにまぎれて外へ逃走してしまったらしい。
 胸がつぶれるような気持ちになった。保護猫カフェで飼育されているからこそ安心して愛でることができた。タキシード仮面さまがその保護を失ったと思うといても立ってもいられない。
 目撃情報を求めるそのブログは、彼女が目にした時点で炎上していた。
 保護した猫ちゃんを逃がすなんて! 保護猫カフェ失格!
 廃業してください、あなたたちに保護猫活動する資格なんかありません!
 どうして事前に猫を全部ケージに入れておかなかったのですか? 最低です!
 スタッフは一つ一つに謝罪しながら、それでも目撃情報を求めていた。ぽつりぽつりともしかしたらという情報が入るが、燎原の火のような炎上にまぎれて埋もれがちだ。
 初めてコメント欄に書き込んだ。名前は「タキさま推し」とした。
 今さらスタッフさんを責めても仕方ないと思います。タキシード仮面さまの目撃情報が流れてしまうので、やめてください。
 小石を一つ投げ込んだほどの効果もなく、その書き込みは流れ去った。コメント欄は動物愛護法の是非論にまで広がって、もはやタキシード仮面さまの迷子事件とは関係ないところまで紛糾している。
 見ていて腹が立ってきた。正義面してスタッフを罵る連中の何人がタキシード仮面さまのことを、あたしの推しのことを心配しているというのか。この瞬間にも推しがお腹を空かせて町なかをさまよっているというのに、この正義漢たちはタキシード仮面さまに一体何をしてくれるのか。既に自分を責めているスタッフたちを棍棒で叩くだけで、タキシード仮面さま捜索の邪魔でしかない。
 あたしの推しを無事に取り戻すための邪魔をするな。
 荒れたコメント欄を見るのは苦痛だったが、進捗が知りたくてこまめに追った。だが、やがて保護猫カフェはSNSアカウントを休止した。炎上が愉快犯を呼び寄せ、嘘の目撃情報で荒らすような輩が頻発したからだ。
 保護猫カフェは目撃情報をメールで寄せてもらう方式に切り替えた。だが、SNSの手軽さや即時性のメリットは失われる。SNSにコメントを一つ寄せるのは気軽だが、自分のアドレスを使ってわざわざメールを書いて、となると面倒くささが勝ってしまうのが人間の常だ。
 正義という果実を貪りたい奴らが寄ってたかってかわいい猫を脅かす。正義なんかクソだ。
 正義があたしの推しを守ってくれないのなら、あたしがあたしの推しを守る。
 幸い、というべきかどうか、リモートワークと外出自粛のご時世で暇は持て余している。
 タキさまを捜したい。
 後輩に送ったメッセージに即レスが返ってきた。
 捜しましょう。タキさま推し2号より。
 スマホの画面が涙で滲んだ。くそ。――こんなときにぐっとさせるな。
 その頓狂な名前には覚えがあった。彼女がタキさま推しを名乗って炎上に物申したとき、同調して何度か書き込んでいたユーザーだった。スタッフが一番自分のミスを責めている、こうしてスタッフを叩くことがタキシード仮面さまのためになるのかと粘り強く書き込んでいた。
 持つべきものは同担である。

 保護猫カフェにはメールで目撃情報を問い合わせた。自分も捜したいので目撃情報を提供してほしいと丁寧な文面を心がけて書いたが、返信は丁寧に辞退だった。炎上で警戒しているのかと思ったらそういうことではなく、同様の申し出はいくつもあったらしい。だが、猫に悪さをする愉快犯がまぎれ込んで拉致される恐れがないとは言えないので、保護猫カフェの利用履歴がある人にしか協力を願わないようにしているとのことだった。
 ここに来て推しに会うことを躊躇していた過去が足を引っ張る。
 ところが、ここで大逆転が起こった。2号を名乗った後輩である。実は何度か保護猫カフェを訪れてタキシード仮面さまと会っていたらしい。訪れるごとに店内の募金箱にいくらか喜捨していたらしく、2号にはすんなり情報提供が為された。
 先輩も寄付が証明できる文書か何か出したら教えてもらえたと思いますよ。
 その手があったか!
 返信しつつ、彼女の寄付が大前提になっているやり取りにほんのり信頼を感じる。
 捜索開始の日を決めて、会社の定時に待ち合わせた。すぐに見つかるものならリモートワークをさぼったっていいが、長丁場になることを覚悟してだ。
「久しぶり」
 初めて見る私服の2号は、会社で見るより快活に見えた。
「やる気ですね」
 彼女のほうも汚れることが前提のデニムとスニーカーである。
 実家で猫を飼っていたという2号が捕獲グッズ担当である。持参したのはキャリーとちゅるる、猫缶と缶切り、カリカリに猫じゃらし。カリカリはミントタブレットの缶ケースに入れたものを二つ。
「保護猫カフェでスタッフさんが猫の気を惹くのに使ってたんです」
 カラカラと音が鳴ると猫が欲しがって寄ってくる。それを利用して写真を撮ったりしていたという。タキシード仮面さまの数々の神ショットがそのように撮られたと思うと感慨深い。推しのことなら何でも知って嬉しいのはオタクの特性。
「同じケースのほうが音に慣れてるかなと思って、探して一ダース取り寄せたんです」
 スワロフスキーの飾りが一つついている青いタブレット缶は、デザインもなかなかかわいい。
「一ダースは買いすぎじゃない?」
「その単位でしか売ってないんですよ、通販」
 またまた外出自粛のご時世につき。ミントタブレットを探して店をハシゴするのは確かに気が退ける。
「マスクかわいいですね」
 突然誉められて面食らう。時節柄お互いマスクだが、彼女のは柄の入った手作りマスクだ。
「近所の仕立て屋さんで売ってたの。紙のマスク買えなくってさ」
 後に流通が回復するが、その頃は不織布のマスクは品切れが続いていた。
「俺、花粉症だから去年のストックが残ってたけど、そろそろそれも尽きますよ。いいなぁそれ、買ってきてもらおうかなぁ。花柄以外あります?」
「迷彩柄とかあったよ」
「超いい! 後精算でそーゆーの買ってきて」
 迷彩柄のマスクは超いいだろうか。まあ、個人の趣味に口は出すまい。
「適当に見繕っとくよ。何枚?」
「洗い替えほしいので2枚!」
 さて、タキシード仮面さま捜索である。
 保護猫カフェを中心に、徐々に範囲を広げていくことに決めた。
「タキさまー」「タキシード仮面さまー」
 呼ばわりながらタブレット缶をカラカラ。路地や建物の隙間をみちみち潰すように練り歩く。
 たまにすれ違う人の見る目が刺さる。いっそ訊いてくれ、タキシード仮面さまとは何ぞや。猫です。
 その日は茶トラを一匹見かけただけが収穫だった。
 何日かそうして捜したが、成果は芳しくない。
「明日は時間ずらして捜してみようか」
 週末なので会社は休みである。定時後の夕方から夜にかけてではなく、昼間に捜せる。
 だが、2号は別の考えがあるようだった。
「先輩の家の近所を捜してみるのはどうでしょう」
「何で? うち、保護猫カフェからちょっと遠いよ」
「でも、カフェの近所はそれこそスタッフさんが捜してると思うんですよね。あと、目撃情報を照らし合わせてみたんですけど」
 後輩はGoogle先生の地図に目撃情報を書き込んだマップを広げた。
「確信が持てるほどじゃないけど、目撃情報はなーんとなく、先輩んちの方向に散らばってるんですよね。タキシード仮面さま、最初に保護されたときって先輩んちの近所だったでしょ?」
 保護されたときの写真に自分の住んでいるマンションが写り込んでいるという話は以前した。2号の地図は、目撃情報が点在しているが、それこそ「なーんとなく」のレベルで彼女の住所の方向に多目に散らばっている感じはする。
「捨てた人、先輩んちの近所じゃないかなと思って。そんで、タキさま元の家に帰ろうとしてるんじゃないかな」
「捨てた奴のところに!?」
「猫に分かりませんもの。保護されて半年くらいだし、まだカフェは自分の家じゃないのかも。パニックで外に飛び出して、自分の家に帰ろうと思ったら飼い主……っていうか捨て主と一緒に暮らしてた家のほうになるかも」
 捨てていった奴のことをタキシード仮面さまはまだ慕っているのか。だとしたら捨て主の両目に目つぶしを食らわせたい。
「でも、遠くに連れてきて捨てたのかもしれないよ。別にうちの近所に住んでないかも」
「だから、そこは賭けです」
 2号はきっぱりした口調で言った。
「可能性だけならいくらでも考えられます。遠くに捨てようとして先輩の近所に、もちろんそれもあります。でも引っ越しとかで置いてった可能性もありますし。ただ、『なーんとなく』です。『なーんとなく』、最初に保護された方向に向かってなくもない」
「……餌場として認識してる可能性もある、か……」
 タキシード仮面さまは、彼女の家の近所でもらい餌をしながらしばらく過ごしていたらしい。
 保護猫カフェの近所はスタッフが血眼で捜しているだろう。迷子の猫を捜すのにも慣れているだろうし、そのスタッフが未だに捕獲していないのだから、別のところを捜すのは手分けするという意味でありかもしれない。
「そういえば、うちのマンションの自転車置き場で餌やりしてる人いるみたい」
 彼女は自転車に乗っていないので自転車置き場のほうにはあまり足が向かないが、空の餌皿を見かけたことが何度かあった。タキシード仮面さまも保護される前はここでもらい餌をしていたのかもしれないな、などと思ったことがある。
 よし、と手を打った2号は、翌日大きな捕獲用の檻を持って待ち合わせ場所に現れた。ツテを頼って借りたという。自転車置き場に置かせてもらう許可は彼女が管理会社に取っておいた。
「餌はシーバル使いましょう、カフェでお客さんがあげられるおやつ用に売ってました」
 クリスピーなカリカリの中に魚や肉の半生クリームが入っているというもので、猫まっしぐらの逸品らしい。
「檻のチェックと餌の交換は先輩お願いしますね」
 檻にはタキシード仮面さまの写真を添えた貼り紙を貼った。文言は「この猫を捜しています。見かけた方はお電話ください」。電話番号は2号のものと、保護猫カフェのものも許可を求めて並べて書いた。
「別にあたしの携帯でもよかったのに」
 彼女のほうに連絡があったらすぐ動けるのでそのほうが面倒がないと思ったが、
「駄目ですよ、イタズラ電話とかあるかもしれないし」
 2号は意外と紳士であった。
 保護猫カフェも電話番号の記載許可を得たときに、こちらの方面にも人手を割いてみるようなことを言っていた。ただ、人手に限度があるのでこちらの住人が見回ってくれるのは助かるとのことだった。
 檻を設置してから近所を捜し、その日は収穫なしで解散。
 翌日の日曜未明。
「先輩!」
 2号からメッセージをすっ飛ばして電話があった。
「檻、回収してください! 入ってるそうです!」
 寝ているかもしれないから電話で叩き起こしたのだろう。
「ウソ!?」
 通話を切るのも忘れて、パジャマで外に飛び出した。
 自転車置き場に駆けつけると、檻の蓋が閉まっており、中に――夢にまで見た、現実ではまだ一度も見たことのないタキシード猫。
 外に出られず困って蓋を引っ掻いていた。
 タキさま、と呟いた声は声にならなかった。
 お部屋に入ろうね、入ろうねと彼女が抱えるには手に余る捕獲檻を火事場の馬鹿力でどうにか抱え、マンションに戻る。部屋が二階でよかった、エレベーターなし四階建てなので、二階より上だったら持って上がるのにだいぶ苦労した。
 タキシード仮面さまは怯えてニャーニャー鳴いていたが、部屋に入って檻を下ろすと大人しくなった。
 柔らかそうな毛並みに触れてみたいが、うっかり出して何かあったらと思うととてもじゃないが恐くて檻を開けられない。
「大丈夫よ、もう大丈夫よ」
 檻の隙間から捜索用のミント缶に残っていたカリカリを入れてやると、タキシード仮面さまは素直に食い気に釣られた。押し込まれるのを待てずに彼女の指をぺろぺろ忙しく舐める。湿った紙ヤスリのような感触が新鮮だった。
 生温かい。生きている。――ありがたい。
 生きているだけでこんなにありがたいなんて。
 気がついて放り出していたスマホを見ると、2号からメッセージが入っていた。
 檻に入っているという通報は新聞配達の人がくれたらしい。2号はもうこちらに向かっているという。保護猫カフェのスタッフも急ぎ向かっているそうだ。
 どちらが先に着くだろう。どちらにしても着替えておかなくては。
 カリカリを囓る気配を感じながら、身だしなみを調える。カリカリ、カリカリ――文字どおりカリカリ。
 ぴろんとスマホにメッセージが入った。
 何号室ですか?
 2号からだ。昨日来たときは、自転車置き場に檻を置いただけだったので、結局部屋には立ち寄らなかった。
 部屋番号を送ると、やがてチャイムが鳴った。
「タキさまは?」
 ドアを開けると開口一番である。
「あああ~~~~~~、よかった~~~~~~!」
 檻の前で2号は膝からくずおれた。素早い到着はタクシーを飛ばしたという。
「何かあげました?」
「捜すとき使ったカリカリあげた。後はかつお節とかツナ缶くらいはあるけど」
「大丈夫、シーバル持ってきた」
 2号が手際よく檻の蓋を開けると、タキシード仮面さまはふーんと鼻を鳴らしながら出てきた。おびき寄せ用に入れてあった餌の皿に2号がシーバルを一包み盛る。
「触らないんですか?」
「食べてるときに触って大丈夫?」
「大丈夫だよ、人懐こいから」
 シーバルをカリカリやりはじめたタキシード仮面さまの丸い背中に、そっと手のひらを載せる。――ビロードの手触り。
 タキシード仮面さまはシーバルをたいらげてから、彼女を見上げてニャアーと鳴いた。そしてお膝をちょいちょい。彼女が座ると、その膝に乗り込んでくるりととぐろを巻いた。
 こんなにも幸せな重みと温みがこの世にあるのか。
 言葉もなく噛みしめていると、2号が「よかったですね」と笑った。
「俺、三回通ったけど乗ってもらえませんでした。女の人限定だって」
 と、2号の携帯が鳴った。保護猫カフェのスタッフだろう、部屋番号を短くやり取りして通話が終わる。
 そして玄関のチャイムが鳴った。
 彼女が立とうとすると、クリームパンのお手々が胸元をちょいと引き止めた。
 これが噂に聞く……何たる……!
「いいですよ、俺出ます」
 2号がインターフォンに出てくれた。
 保護猫カフェのスタッフが登場しても、タキシード仮面さまは彼女の膝に乗っていた。
 女性スタッフが泣き笑いで相好を崩す。
「あら~、タキさま。よかったねぇ、うれちいねぇ」
 見慣れたスタッフの声かけでようやくタキシード仮面さまは腰を上げた。
 重みの失せた膝が思いがけないほどの喪失感をもたらす。
「ほーらタキさま、おうちに帰ろうね~」
 保護猫カフェという、仮のおうちに。
 あの、と声が出たのは、2号とスタッフがこちらを振り向いてから気づいた。
「あの、もし、もらい手まだだったら、あたし……」
 2号がふんわり微笑んだ。スタッフも然り。
「お試し期間は一週間になります。手続きはまた改めて。佳い日を決めましょうね」
 その場で慌ただしく連絡先を交換する。タキシード仮面さまはスタッフの持ってきたキャリーに入ったが、最後に彼女を振り向いた――ような気がする。
 タキシード仮面さまを連れたスタッフは何度もお礼を言いながら引き揚げた。
 ニャアーと鳴き声を上げるタキシード仮面さまを「大丈夫だよ、また来ようね」と宥めながらドアが閉まった。
 思わず知らず溜息が漏れる。
「会ったら最後だと思ってたのよ」
 だから保護猫カフェには行かなかった。2号が「まあまあ。運命運命」と笑う。
「どうしよう……猫飼ったことないのに」
 それでも、重みの失せた膝があまりにも空虚だったので。
「大丈夫っすよ、俺は飼ってましたから」
 だから何だっちゅーのよ、とはもう言わない。
「……何から始めたらいい?」
「取り敢えず、五冊ほど書籍情報送ります。参考文献なので全部読んでください。分かりやすいとこ選びますから」
 2号はすさまじい勢いでスマホをつるつるしはじめた。

 週が明けて数日後、また彼女にオフィス番が回ってきた。
 箱買いのご当地カップ麺はまだ残っている。今日はお薦めだった塩をもらおうかなと思いつつ共有スペースのテーブルに近寄ると、カップ麺の箱のそばに見覚えのあるミント缶が並んでいた。

 訳あって箱買いしました、ご自由にお持ちください。

 こちらも一缶いただき。カリカリケースとして使っただけでまだ食べていない。
 2号の机にお礼を置いた。迷彩柄のマスクを二枚、カーキと砂色。
 タキシード仮面さまの輿入れは再来週の半ばに決まった。大安吉日。猫用品は2号に言われるまま通販で揃え、迎える準備は万端だ。
 リモートワーク期間が終えたら。
 多少窮屈ではあっても自粛が開けたら。
 多分、2号が頻繁にタキシード仮面さまに会いにくるだろう。

fin. 

 
 
 
今回の物語の「種」は……
===
Twitterのトムを見ていて和むので、SNSで贔屓にしている猫をテーマに。
(担当編集より)
===
でした!

「種」の投稿はこちらから
https://kadobun.jp/news/press-release/dz61anf341s0.html


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