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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.14

母であり妻であり警察官である琴音の苦難は続く。自殺した犯人の身元を追うL署の刑事たちは……。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#4-1

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」


前回までのあらすじ

新宿L署に琴音が着任した日、歌舞伎町で青年による母親殺害、二丁目で無差別殺傷が発生。レズビアンである部下の六花の情報網と知識を駆使した捜査で、母親を殺した尚人は逮捕された。無差別殺傷の犯人は、検死でインターセックスであることが判明。身元捜査が続く。夫の敦より階級が上の琴音は、会議で夫婦関係を揶揄され声を上げるが、敦自身にも責められ落胆。夫婦関係継続は厳しいのではと六花に言われ、彼女を叩き酷い言葉を投げつけてしまう。

詳しくは 「この連載の一覧
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第四章

 母が、三つ編みを編んでいる。編めば編むほど、息苦しくなっていく。
「お母さん、痛いよ」
 無視された。
「もうおさげ髪は嫌なんだよ」
 向き直った母親に叩かれ、暴言を吐かれる。言いたいことは山ほどあるのに、声が出なかった。息を吸い、発声しようとするのに、肺から出したものが喉を通っても声にも音にもならない。ただの空気になって、口からすかすかとむなしく出ていく。
 はたと目が覚めた。
 ことろうのベッドの隅っこで寝ていた。虎太郎の足が、琴音の頭の上にのっていた。足を脇に下ろす。虎太郎が、眠たそうに目を少し開けた。あつしに似ていた。後ろ姿や、鏡を見たときの気取った顔なども同じだ。夫の縮刷版みたいで愛しい、と思ったのは何年前までだったか。
 いまは、憎しみばかり溢れる夫と、かわいい我が子を切り離すことばかり考えている。
 スマホのアラームが鳴る。止めた。五時半だった。琴音は昨晩、泊りで仕事する気になれなかった。りつが根城にする新宿L署にいるのは居心地悪く、自宅に帰った。虎太郎の子守をしていたすみと交代したのは深夜過ぎのことだ。
 琴音は一階へ降りて、防犯シャッターを開けた。今日もまだ日は昇っておらず、暗い。
 テレビでニュースを見ようとして、今日が日曜日だと気がついた。虎太郎の病児保育は今日までだ。
 六時過ぎ、真澄から電話がかかってきた。すぐに謝る。
「昨日の夜は急に帰ってきちゃって、かえってご迷惑を。すいませんでした」
「大丈夫よ。慣れているから」
 真澄のあっけらかんとしたひとことが、また突き刺さる。深夜に叩き起こされることに慣れてしまうほど、琴音は義姉をこきつかっている、と自覚してしまう。真澄は朗らかに続ける。
「今日さ、うちの息子たちとふなばしのららぽーとで買い物するんだけど。もしよかったら虎太郎も連れていこうか」
 ありがたいが、申し訳なくて提案に飛びつけない。
「虎太郎、週末も学童ばかりでかわいそうでしょー」
 琴音も心からそう思っている。
「すみません。あの、なにか買いたいと言ったら、後で精算しますので、買ってやってください」
 あらあら甘やかしちゃって、と真澄は笑って電話を切った。確かに、甘やかしている。欲しいと言ったおもちゃやゲームは誕生日、クリスマスを問わず、与えてきた。普段から我慢させていることばかりなのに、欲しいおもちゃまで我慢させるのは忍びなかった。
 私の子育て、本当にこれで大丈夫なのか。
 また気が滅入ってしまう。義姉が息子を買い物に連れていってくれるというだけで、憂鬱な気分になる。
 私の人生、なんなんだろ。
 頭は重いのに、体はスカスカだという気がする。
 六花の美しい体を思い出した。夫は商売女で発散している。琴音を女として求めてくれる人は、もうこの世にいない。それでいい、もう中年だ。だがついこの間までは女性としてちやほやされていた。二十代はなにをやっても男たちは琴音に熱狂していた。警察学校、卒配先の先輩警察官たちも、職質した酔っぱらいたちも。若い琴音を持てはやし、任務にまいしんする姿をめてくれた。
 三十歳を過ぎた途端、突然、さげすまれるようになった。結婚しないのか、子供は、と仕事に熱中していると責められる。子供を産んで育休中は、どこへ行っても子連れは邪魔者扱いされ、主婦は三食昼寝付きでいいねと嫌みを言われる。働きに出たら出たで、子供がかわいそうだととがめられる。
 若いころは何をやっても称賛され、歳を取ったら何をやっても非難される。それが日本に生きる女性の現実だと身に染みた。
 虎太郎が階段を駆け下りてきた。
「やばい。寝坊? 今日学童だよね?」
「今日はお休みでいいよ」
 買い物の話をしたら、虎太郎は大喜びだ。眠たそうにしながらも、顔をくしゃくしゃにして微笑ほほえんだ。憎らしいほど、敦に似ている。プロポーズにOKの返事をしたとき、こんなふうに笑っていた。
「ママ、仕事行ってくるね」
 行きかけた琴音だが、足を止めた。トートバッグの肩ひもが、ぱたりとひじのあたりに落ちてくる。琴音は虎太郎の両手を握り、しゃがんだ。
「虎太郎。いつも、ごめんね」
「なにが?」
「……いろいろ。あ、前に、叩いちゃったこともあったじゃない?」
 虎太郎の、すべすべの頰をでる。虎太郎が小学二年生の時、テストで百点を取ったのを、敦が「お前は東大行って官僚になれる」とおおに褒めた。千葉県内の難関高校の名前を次々と出す。虎太郎はこう答えた。
「僕、男子校に行きたいなー。自分より頭のいい女の子がいるのはやだから」
 まだ小学二年生、悪気がないのはわかっている。けれど琴音は手が出た。警察組織に入ってからずっと琴音はこの悪気のない差別と闘ってきた。女というのを利用して上手に立ち回ることなんかできず、ひたすら正面衝突して傷つきながらも、女性警察官の幹部の道を切り開いてきたつもりだ。
 敦も、女だから妻だからという理由で、琴音を下に見るような言動はしなかった。
 それなのに、息子は社会で学んできてしまう。女は男より下であるべきだ、と。
 虎太郎に手をあげたのは、彼を産んで十年、その一回だけだ。虎太郎もよく覚えている。
「あれは僕がいけないことを言ったから、いいんだよ」
「そうだけど、手をあげた方が負け。ママが本当に、悪かったなって」
「ママ」
 虎太郎が顔をのぞきこんできた。
「誰か、叩いちゃったの」
「えっ」
「本当はその人に、謝りたいんじゃないの」

 朝八時前、コンビニしか開いていない時刻だ。琴音はL署ロビーのコンビニでハーゲンダッツを三つ買って、刑事課フロアへ上がった。むらしたが新聞を読んでいる。六花の席に、黒いパンツスーツを着た女性が座っていた。
「おはようございます」
 あいさつをしながら女性の横を通り過ぎて、驚く。六花だった。
どうばらさん!?」
 六花は跳ねるように立ち上がった。おはようございます、と十五度の敬礼をする。
「おはよう……え、どうしたの、服」
 女性捜査員らしく、白のブラウスに黒のパンツスーツ、黒のパンプスだった。
 正直、似合っていない。
「いえ、あの……ちゃんとしなきゃなと」
「は?」
「ずっと、服装のことを言われたし。いや、言われていましたので……」
「言葉遣いとか?」
「それも、そうです」
 琴音は半ばあきれ、堂原六花という女性を見た。素直すぎる。ブレているようにも見える。あの服装と言葉遣いで貫き通した方がよっぽど魅力的に見えるのに。
 なんで引っぱたいたくらいで変えちゃうんだろう、とがっかりしている自分がいた。
 村下を見た。新聞で顔を隠しているが、肩が震えている。笑いをこらえているようだ。
 琴音はとりあえず、頭を下げた。
「私こそごめんね。叩いちゃった。痛かったよね」
 全然、全然、と六花は大袈裟に手と頭を振る。服装が地味になった分、顔つきの華やかさに磨きがかかった。大きな猫目が一層輝き、琴音を見つめる。
「私たまにちょっと空気読めないところあって、それはレズビアンだからというより、天然というか、あまり周囲を気にせずに自由に生きてきたところがあるので」
 そもそも、なんというか……と六花は不器用に訴えてくる。
「ビアンだから、性的マイノリティだから、失礼な言動も許されてきた部分が、もしかしたらあるのかな、って。ほら、オネエが一般女性をけなしても、笑いになっちゃう空気、あるじゃないですか。でもそれって本来はとても失礼なことだなって」
 もういいよ、と琴音はアイスクリームの入った袋を、六花に渡した。
「差し入れ」
 袋を覗いた六花は目をきらきらさせた。
「わーっ、ハーゲンダッツ。抹茶大好き」
「食べ過ぎてお腹壊さないでよ。ばやしの張り込みは?」
「いまあっくん……いえ、あら警部補が現地に張りついてます」
「援護してやって」
 了解です、と六花はまた敬礼でこたえた。
 じまが「おはようっす」と入ってきた。道場で寝ていたのだろう、ジャージ姿だ。木島は誰だ、という顔で六花を見た。二度見して、目を丸くする。
「お前──どうした」
 六花は途端に照れ臭そうな顔になった。
「と、とにかく行ってきます……」
 逃げるようにフロアを出ていった。木島があつに取られている。
「あいつ、どうしたんすか。警察学校の教官ですら言動や服装の乱れを矯正できなかったのに」
 村下がぼそっと言った。
「恋は盲目」

▶#4-2へつづく
◎第 4 回全文は「カドブンノベル」2020年6月号でお楽しみいただけます!


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