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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.18

【連載小説】母親を殺害した青年と話す、警察署幹部の琴音。話を聞きながら、自らの母との凄絶な関係を思う。 吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#4-5

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

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 琴音は改めて、確認する。
「マサトさんに、豆腐を食べたいって言ったのよね?」
「……いえ。好きな食べ物なに、って聞かれて。ママの肉じゃが、と答えなきゃいけないのが、ちょっと、いやで……」
 意味が分からない。首を傾げた琴音に、尚人が言い換える。
「そういう風に言うのが、ルールだったんで」
「ルール? 誰が決めたの」
「ママが」
「お母さんに、誰かに好物を尋ねられたら〝ママの肉じゃが〟と答えるようにと強要されていたの?」
「強要? というか……ルール、なので」
 琴音は絶句した。
「だけど、ママはいないから、ルールはもういいかなと考え込んでいたら、あのおじさんが、カレーとかハンバーグとか、オムライスとかっていちいち聞いてきて。そのたびに、なんか、気持ち悪くなって」
「なぜ、気持ち悪くなったの」
「母親が作ってた味を、思い出して」
 まずかったわけではない、と尚人は言う。
「味は、覚えてないけど……なんとなく、気分が悪くなってきて。だから、豆腐って答えたんです。あれは手作りじゃないし」
 豆腐は既製品だ。買ってきたものを皿に出して薬味をのせるくらいで、母親の手がかかっていない。
 たったそれだけの理由で「好物は豆腐」と答えたのか──。
 母親の支配というのは、根深い。その存在を抹殺してなお、断ち切れない。
「お母さんのこと、憎んでいたのよね」
 尚人は沈黙した。
「私も、自分の母親のこと……」
 言いかけて、琴音は口を閉ざした。うまく説明できない。
 琴音の母を、親類友人知人たちは、口を揃えて「良妻賢母」と評する。
 琴音は十八歳まで、外食をしたことがなかった。コンビニ弁当すらも食べたことがなく、高校生で初めて「カップラーメン」という言葉を知ったほどだ。
「うちの母も、料理上手だったと思う。でも私も、味を覚えていないんだよね、全然……」
 母は一生懸命だったし、キノコ類が苦手だった琴音のために、毎日の食事を工夫してくれた。エリンギやえのき、しめじは食べられるようになった。しいたけだけ食べられないまま、中学生になった。
「ちょうどそのころ、二歳年上の先輩に恋をしていたの。尚人君は、彼女とか、好きな人は?」
 尚人は答えなかったが、その目に、さびしそうな色が浮かんだ。反応が見えたことに手ごたえを感じ、琴音は自分の話を続ける。
「毎日ね、その先輩の写真を持ち歩いていた。先輩の部活の引退試合を応援に行くことになって。昼に母親が持たせてくれた弁当を開けて──卒倒しかけた」
 椎茸ざんまいだったのだ。
「弁当の中身が全部、椎茸料理なの。椎茸の肉詰め、椎茸のバター焼き、椎茸のお浸し……。初恋でふわふわしてたのに、弁当のふたを開けた瞬間に、地獄に突き落とされた感じ?」
 この話をすると、たいていの人は笑う。尚人は笑わなかった。気の毒そうに琴音を見て、ぽつりと言う。
「刑事さんのお母さんは、淋しかったんでしょうね」
「そう思うわ。やり方が狂ってるけど」
 親として子供の成長を時に淋しく思うのは当然の反応だろうが、支配していい理由にはならない。考えてみれば琴音は、小学校卒業までずっと、着ていく洋服も決められていた。
「反抗はしなかったんですか。自分の好きにさせて、と」
「小四であきらめた。髪型も決められてたし」
 三つ編み。
 この話は、尚人にはしなかった。父親のことを尋ねられた。
「単身赴任で殆ど家にいなかった。私は一人娘だったから、毎日、母ひとり、子ひとり。息苦しかったけど──」
 母親のことを、嫌いだと思ったことはない。これが普通の母親だと思っていたからだ。結婚し、自分が母親になってから、違和感が出てきた。
 尚人は箸を置いてしまった。
「ごめん。どうでもいい話を。食べて」
「いえ……あの、結婚は、許されたんですか」
 尚人が、琴音の薬指の指輪を見て尋ねた。
「許されたというか──。尚人君ちで言うところの、ルールだよね。女は二十六歳までに結婚して、三十歳までに第一子の出産を終えていなきゃだめ、っていう」
「そういうお母さんは、刑事という仕事を嫌がりそうです」
「そうね。その通り」
「いまでもうまくつきあっているんですか」
「母はもう亡くなったの。交通事故でね」
 二〇一一年四月一日、琴音が職場復帰した日のことだった。東日本大震災からまだ三週間だったが、琴音は生後八か月の虎太郎を預け、職場復帰しなくてはならなかった。慣らし保育期間は母親に世話を頼んでいた。
 歓迎会を断って十九時には帰宅したのに、母に激怒された。おおげんになった。
 母が最期、どんな捨て台詞ぜりふを吐いて自宅を出て行ったのか、よく覚えていない。その二十分後、母親はハンドル操作を誤り、片側一車線の県道の対向車線にはみ出したあげく、トラックと正面衝突して死んだ。
 病院の霊安室で、死んだ母親と対面したときの衝撃はいまも生々しく覚えている。琴音を罵ったとき興奮で赤々としていた唇は、カサカサに乾き、白くなっていた。
 そういえば、母親が口紅をつけているのを見たことがない。派手な化粧を嫌う人だった。
 ──口紅。
 無差別殺傷事件の犯人は口紅をつけていた。成分はかなり古いものだったという報告を思い出した。
 母親の口紅だろうか。

 琴音は新宿二丁目無差別殺傷事件の捜査本部に飛び込んだ。捜査会議は十九時からだ。捜査員が戻りはじめていて、活気があった。
「よし! すぐさま科捜研に分析をさせる」
 福井管理官がガッツポーズをしている。高倉は敦の肩を叩いてねぎらう。
 輪の中心にいたのは、六花だ。
 証拠品袋に入った口紅を高々と掲げていた。
 六花はアディダスの紺色のパーカーに、シルバーメタリックのタイトスカートを穿いていた。服装が元に戻っている。
 六花が、慌てた様子で琴音に言い訳する。
「服、ごめんなさい、ちょっとゴミ処理場の臭いがついちゃって。パレットタウンで新しいのを買ったんだけど、あ、ちゃんと自分でお金払っているんで──」
 なんの言い訳かよくわからないが、服は似合っていた。琴音は口紅について尋ねる。
「一体、どうやって見つけたの。もう不燃ゴミはプレスされた後だったんでしょ?」
 服を買い替えなければならないほど、ゴミ山に埋もれ、探したのか。その執念を褒めようとしたら、あっさり言われる。
「ゴミじゃなかったの」
 敦が、自らの手柄のように胸を張って説明する。
「犯人は小田急線西口地下改札脇のトイレに、私物を全部置いていった。処方薬とおぼしきものもあったみたいだから、これは間違いない。そういうこと」
「待って。全然わからない」
 六花が説明を引き継いだ。
「捨てていったんじゃない。置いていっただけだった」
 置いていった──と琴音ははんすうする。
「つまり、ゴミ箱に入れなかった。化粧台に置きっぱなしにしていた可能性もあった」
 琴音は手を叩いた。
「すると、口紅はゴミじゃなくて──」
「落とし物として扱われる」
 盲点だった。ゴミにとらわれすぎていた。
「それで、もう一度代々木環境クリエーションに戻って、十三日に新宿駅で集められた落とし物を全部、見せてもらった」
 あったの、と六花は証拠品袋ごと琴音に手渡した。レトロなリップケースだった。銀色で、ところどころ剝げて茶色くなっている。唐草模様のようなレリーフが入っていた。最近の口紅はスリムだが、この口紅はかなり太かった。年代物か。
「指紋の簡易鑑定だけは済んでる。犯人の指紋と一致したよ」
 琴音は心臓が高鳴った。大きな一歩だ。
「それから、名前が彫られてた」
 六花は手袋をして、中身を出した。持ち手に、アルファベットで名前が彫られていた。
『SACHIKO KUROKI』

▶#5-1へつづく
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