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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.15

二丁目のイベントスペースで無差別殺傷事件を起こし自殺した犯人。着ていたスーツから身元を探るが……。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#4-2

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

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 敦は張り込みの真っ最中だった。
 神奈川県横浜市にアリサこと小林智絵里の住所はあった。さくらちようの住宅街にある賃貸マンションの二階に住む。敦は朝六時からマンションの出入り口が見える路地で張っている。
 昨晩は悪酔いして、町の店内のソファ席で寝てしまった。木島に首根っこを摑まれ、署の道場で寝ろと尻をはたかれた。
 敦はピエロになった。
「いやー、すんません。妻が怖くて飲みすぎちゃってぇ」
 ろれつが回らないそぶりで言いながら、道場の布団にもぐりこんだ。「がんばれよ」「令和の男は辛いな」といろんな激励が飛んできた。
 助手席のサイドミラーに、女性の姿が映る。六花だ。黒いパンツスーツ姿だった。助手席に滑り込んでくる。
「どうしたのそのかつこう
「別に」
 くされている。
「あれ。不機嫌」
「だって私こういうの似合わないじゃん。小林智絵里、帰ってきた?」
「いいや」
「郵便物は」
「DM共にあふれてる。新聞は取っていない」
 敦は車のエンジンをかけた。
「管理会社の電話番号、調べて。事情を話して合い鍵を持ってきてもらおう。あとは神奈川県警にひとこと言っとかなきゃな」
 他人のシマを荒らすことになる。根回ししておかないと、後でやつかいだ。
「県警本部に行くの」
「いや。近所の交番で充分だろ」
 六花はマンションの管理会社に電話を入れた。交番は国道16号沿いの高架橋下にあった。警察署の管内で、桜木町駅前交番という。敦は空きスペースに車を停め、交番に入った。警視庁を名乗り、警察官に事情を話した。
「小林智絵里……顔写真、あります?」
 交番の警察官は心当たりがある様子だ。「管理会社に手配済んだよ」と六花が入ってくる。小林智絵里の写真を彼に見せるよう、促した。
 警察官は写真を見て、「やっぱり」とうなずく。
「彼女、いま伊勢佐木警察署にて勾留中です」
 敦は飛び上がる。
「なにか事件を起こしたんですか」
「売春防止法違反だったか。駅前の違法風俗店で働いていたのを、十日ほど前に摘発したんです」
 事件があった日も、豚箱にいたという。

 琴音は捜査本部で、SSBC(捜査支援分析センター)の捜査員から報告を受けていた。
「歩容認証が使えない?」
 捜査員は事件当夜の監視カメラ映像を手元のパソコンで表示した。なか通りとはなぞの通りの交差点が映っている。
「ええ。なにせこの千鳥足ですから」
 犯人がJR新宿駅から二丁目まで徒歩で進む際も、足元がおぼつかない印象はあった。
 SSBCは顔認証システムを使用して膨大な量の監視・防犯カメラ映像から犯人の足取りをさかのぼっている。だが、いまだに犯人がやまのて線のどの駅から乗車したのか、判明していない。山手線は環状線だ。ぐるぐる回っていた可能性も考慮すべきだが、必ず出発点はある。遡った分だけ、対象映像も増える。そこで、精度を上げるために歩容認証も使用しているらしいのだが──。
「歩容認証は人の歩幅や歩き方をAIに認識させなくてはなりませんが、犯人はJR新宿駅でカメラに映った時点で、すでに千鳥足なんです」
 歩き方にパターンがない。
「これを登録しても仕方ないので、顔認証一本でいくしかありません」
「で、顔認証の一致は」
「二周分遡っていますが、いまだ乗車駅は判明しません」
 琴音は足元の段ボール箱から、科学捜査研究所の資料を引っ張り出した。
「血中アルコール濃度は低かったのよね」
 ふく管理官が口を挟む。
「ああ。犯人は飲酒していなかった」
「それなのに千鳥足──」
「薬物か」
 鑑定結果報告書には、その記載はない。琴音は本部の科学捜査研究所に電話をかけた。血液検査の結果、違法薬物等の成分が出てくることはなかったのか。
 電話の相手はうなった。
「今回の犯人はほとんど血液を採取できなかったですからねぇ……」
 首の大動脈を切り、出血多量で死んだのだ。
「詳しい血液分析に回せるだけの血液が残っていなかったんです。一応、結果は出ていますが、精度としては低いので報告書には書いていいものか微妙なところでして……」
 まどろっこしい。
「つまり、なにがしかの成分は出ている、ということですか」
「出ていますが、この線からの捜査はしないでください。証拠採用されませんからね」
 科捜研職員が電話口で成分をつらつらと読み上げた。一般的に病院等で処方されている精神安定剤や睡眠薬の成分だった。
「元の血液量を考えても、濃度はかなり高そうです。処方量の二倍は飲んでいたかと。ただ、くれぐれも──」
 科捜研職員が念を押した。琴音は言う。
「精度が低い。犯人が精神安定剤や睡眠薬を犯行時に大量に摂取していた可能性がなきにしもあらず、程度ですね」
「ええ。確定はできませんからマスコミ発表等はもちろんのこと、病院の処方歴をあたるという捜査も、この精度では令状は出ないと思います。念のため」
 琴音は礼を言って電話を切った。福井管理官に報告する。
「足取りからもわかる通り、ある種のめいてい状態だった可能性は高いです」
 残っていた幹部連中で、もう一度、監視カメラ映像を見返す。新宿通り沿いの監視カメラだけでなく、店舗の防犯カメラ映像などもつなぎ合わせた映像だ。
 犯人は一心不乱に二丁目に向かっている。たまに酔客とぶつかる。にらまれたり、小言を言われているようだが、見向きもしない。時に前のめりになりすぎて、指先が地面につくほどだ。
 ぎよえん大通りと交差する新宿二丁目の交差点は、信号無視で斜め横断していた。映像には音が入っていないのでわからないが、急停止した車はクラクションを鳴らしただろう。
 犯人は二丁目の路地裏をくねくねと曲がりながら、北東方面に向かう。右左折の繰り返しは当てもなくさまよっているようにも見える。近道をしているともいえる。
 やがて事件現場、ZEROの前に差し掛かる。犯人が、シャッターの前でぴたりと足を止める。フライヤーを食い入るように見つめながら近づくも、後ずさりする様子もあった。口が動いている。
「なにか言っていますね」
 フライヤーのコラージュに使われているのは、ビビアン・リーとマリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、ジェームス・ディーン、アラン・ラッド、そしてE.T.だ。
 この映像は向かいの飲み屋の軒先の防犯カメラによるものだった。地上から二メートルの高さに設置されている。口の動きがかろうじて見える程度だ。
「読唇術の専門家に、なにを言っているのか分析してもらいましょうか」
 琴音の意見に、福井管理官が意見する。
「ただの悪態じゃないのか。分析させてどうする」
「犯人、ここで豹変しているように見えます」
 映像の中の犯人が、フライヤーを剝がし始めた。全く同じものがシャッターに三十枚ほど貼られている。入口にいたセキュリティスタッフが気づき、止めに入った。犯人は懐から包丁を出して振り払う。左手でフライヤーを剝がしながら、右手に包丁を構え、中へ入っていく。
 十秒後、イベント客が次々と逃げ出してきた。手や顔からの出血を押さえている者もいる。周囲に助けを求めている者も見えた。無傷の人も含め、パニック状態の客が路地にあふれた。他の店舗からも人々がおどり出してくる──。
 琴音は以前、捜査協力を仰いだことのある言語聴覚学の専門家の顔を思い出した。名刺がデスクにあるはずだ。刑事課フロアへ向かおうとした。敦と六花が捜査本部に戻ったところだった。敦と面と向かい合う形になった。
「ハズレ」
 敦の短いひとことに、琴音はどうもくした。捜査報告だとはわかっているのに、琴音の存在を「ハズレ」と言っているように感じてしまう。前日に一方的に夫から責められたばかりなのだ。
 妻の気持ちなどどうでもよさそうに、敦が改めて福井管理官に報告する。
「先ほど小林智絵里、並びにとうむねあきくだんのスーツを確認いたしました。彼女の部屋のクローゼットにぶら下がっています」
 現物があるのなら、犯行に使用されたものではない、ということだ。
「彼女、どこにいた」
「神奈川県警の豚箱です。事件当夜のアリバイは完璧っすね」
 六花がとどめを刺した。
「スーツの線、全滅」
 幹部たちの間に、失望のため息が広がる。
 六花がさらりと続ける。
「凶器の出刃包丁の方は?」
「製造元は判明しているが、大量生産品だ。そこいらのホームセンターで、五千円前後で販売している」
 福井が答えた。敦が意見する。
「新品だったのなら、管内の売り場を押さえて防犯カメラ映像を分析すべきでは」
「新品かどうかの判断がつかないの」
 琴音は話に入った。敦はいちべつしたのみだ。お前に聞いてないといわんばかりの冷たさを感じる。福井が説明する。
「凶器の出刃包丁は刃こぼれしていた。人をめった刺しにして、骨にもあたって刃こぼれしたからかもしれないし、もともと使い古していたから刃こぼれしていたのか。判断がつかない」
 敦はため息とともに、椅子に腰かけた。
「──俺ら、次どう動きましょう」
 ナシ割り捜査は壁にぶつかっている。かといって鑑取り捜査はずっと壁で、こちらも出口が見えない。福井がぞんざいに指示する。
「地取り班と合流して、防犯カメラ映像を拾ってもらうか」
「了解しました。どこの地域のを拾いますか」
 あのさ、と六花が立ち上がる。琴音を見て、慌てた様子で敬語に直す。
「犯人が山手線のどの駅から乗車したのか、判明したんですか」
「山手線二周分遡っているけど、乗車した様子がない」
 琴音は答えた。
「なるほど。何周もしていた?」
「ちなみに、精神安定剤と睡眠薬を多量摂取していた可能性も浮上している」
「なにかしゆんじゆんしてたのかな。考え事をするために山手線に乗ったのかと」
 どういう意味か、琴音は首をかしげる。六花がみなに言った。
「悩みを払拭するために山手線に乗ってぐるぐる回っていた。そして結論が出たから、新宿駅に戻った」
 琴音は思わず唸った。
「そっか──。新宿駅で降りたんじゃない。新宿駅へ、戻ってきた」
 移動の手段として山手線に乗ったわけではなかったのかもしれない。六花が頷く。
「そう考えると、山手線沿線以外の路線から新宿にやってきた可能性がある」

 新宿駅に乗り入れるJR各線、私鉄、地下鉄各線の改札口の防犯カメラ映像を回収する。
 二時間で地裁令状事務室に令状を出させた。敦と六花はその三時間後には、鉄道各社の新宿駅改札の防犯カメラ映像のデータを特別捜査本部に持ち帰ってきた。
 すぐさまSSBC捜査員が分析する。ようやく、山手線に乗るまでの犯人の足取りが判明した。
 一月十三日、十八時六分。犯人は小田急線西口地下改札を通過していた。事案発生の六時間前のことだった。改札を出たのち、あてもなく歩き、新宿駅西口広場のイベントコーナーに立ち寄っていた。
「この時の足取りはまだしっかりしている」
 福井が言った。夕食も忘れ、幹部連中が揃ってパソコン上の映像を覗き込んでいる。
 新宿駅西口広場は、西新宿の高層ビル群と直結するコンコースの脇にある。一~四日程度でイベント内容が変わる。事件当日にあたる一月七日から十三日までは、『かっぱばし道具街フェア』をやっていた。かつ橋と言えば、調理器具のおろし問屋が集まっている地域だ。
「出刃包丁はここで買った可能性が高いな」
 たかくらが唸った。
 すぐに西口広場の防犯カメラ映像を分析したい。琴音はまたしても大急ぎで令状請求書類を書いた。
「急がないと、防犯カメラ映像はすぐ上書き消去される。すぐ飛んでくれる?」
 敦が再び出動準備をする。防犯カメラ映像を見ていた六花が「待って待って!」と手を挙げた。
「気がついた?」
 琴音にもう一度、見るように促す。
 西口広場を出た犯人は、ビニール袋を提げていた。
「きっと凶器ね」
「JR改札の方に行かない。小田急線に戻ろうとしている」
 犯人は、小田急線西口地下改札手前の公衆トイレに向かう。行き先が男女に分かれている。犯人は薄ピンク色に壁が塗られた女子トイレに入った。
「迷いがない。坊主頭で、男物のスーツを着ているのに、女子トイレに入った」
 敦が割り込んでくる。
「犯人の性自認は女、ということか」
「これまで女として生きてきた証拠だよ。犯人は女性。これで発表していいと思う」
 五分後、犯人がトイレから出てきた。
「止めて!」
 映像を操るSSBCの捜査員の腕を、六花が摑んだ。
「犯人の顔、拡大、鮮明化して」
 捜査員が言われたとおりにする。琴音は思わず、叫んだ。
「口紅……!」
「トイレでつけた。入る前、唇はこんなに赤くなかった」
 捜査員はもうひとつウィンドウを立ち上げ、トイレに入る前の映像を出した。画像をキャプチャし、犯人の顔を拡大、鮮明化する。
 トイレに出入りする前後の画像を並べた。後の画像の、唇の赤さが際立つ。
「トイレで口紅を塗った。でも、犯人の持ち物から口紅は見つかっていない」
 琴音は事実を整理した。六花が推理する。
「他、スマホも財布も持っていなかった。でも西口広場で凶器を買っているから、財布は持っていたはず。口紅も含めて全て、身元につながるものをこのトイレで捨てた可能性はない?」

▶#4-3へつづく
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