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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.20

【連載小説】犯人が駅から事件現場に向かった動線上にある、LGBT支援団体。副代表は六花の元カノだった。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#5-2

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

※本記事は連載小説です。
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 須川正美は不在だった。副代表で六花の元恋人である須川優子もいない。対応に出たのは留守番を任されたボランティアの老人だった。と名乗る。七、八十代くらいだろうか。
 オフィスは五十平米ほどの狭い雑居ビルの一室だ。壁にはずらりと須川正美の選挙ポスターが貼られている。NPOのオフィスというより選挙事務所のようだ。
 書棚には須川の著書が並ぶ。額に飾ってある写真は都知事とのツーショットや、オネエ系タレントと握手しているものばかりだ。
 羽田と名乗った老人が、のっそりと給湯室で茶を入れ、盆に載せて持ってきた。茶菓子は柿ピーだった。危なっかしいので敦は盆を代わりに持ってやった。
「すいませんね、先生は今日議会で、優子さんは妊婦検診で」
「副代表、いま妊娠何か月なんです」
「さー、七か月だったか八か月だったか。こんなにおなかでっぱって、おちんちんついてたそうですよ」
 話の流れで聞いてしまったが、隣の六花はぜんとした顔だ。敦は羽田に話を振った。
「お父さんは、シルバー人材センターかなにかからこちらに派遣されてきた、とかですか」
「いえ、ボランティアですよ。察していただければ」
 と言われても、こうこう然としているので、敦はなにを察すればいいのかわからない。六花が身を乗り出した。
「へー。ゲイじいちゃん?」
 敦は出された茶をぶっと噴き出してしまった。羽田は腹を抱えて大笑いする。
「いやぁ、いい時代になりました。こうやってカミングアウトしても後ろ指さされることはなくなったし、むしろ重宝がられて講演会でしゃべる機会だってありますから」
 羽田は「日本のゲイ社会の生き字引」として、たびたび須川の講演会に呼ばれるという。
「生き字引と言っても、研究者とかでもなく、ただ男が好きで、ありとあらゆるところで男をあさって生きてきただけなんですけどね」
 しわしわの老人の口から〝男あさり〟という言葉が出て、敦はびっくりしてしまう。
 羽田は広島県くれ市の生まれだという。若いころはこう公園がハッテン場として有名で、夜な夜なそこに通っては性愛の相手を探していたらしい。
「ところが十九歳の時に学徒出陣です」
 敦はまた飛び上がった。
「えっ、戦争に行ってたんですか」
 すると七十代どころではない。「いまおいくつです」と六花も目を丸くする。
「今年で九十四になります」
 送り出されたミンダナオ島で同じ隊の人々はみな野垂れ死んだが、羽田だけは士官に気に入られて前線に出されなかったらしい。上官だけが食べられる米や缶詰が、羽田は食べ放題だった。
「その代わり、毎晩のように士官にご奉仕を」
 羽田には、悲惨な戦争を前線で経験し、生き延びた人らしい重厚感が全くなかった。同胞がお国のためにと死んでいく中で、自分だけが生き残ってしまったという罪悪感もなさそうだった。
 ずうずうしくもたくましい。
 素晴らしい、と敦は思った。自分にもこんなずうずうしさがあれば、どれだけ育児で仕事に穴をあけても、平気で口笛でも吹いて幸せに生きていられるだろうに。
 羽田は終戦間際に捕虜になった。ここでも男色家の米兵を目ざとく見つけ、尻の穴を提供することでひいにしてもらったらしい。復員した後は家業のバケツ工場を継いだ。性的指向をひた隠し、親が決めた相手と結婚して子供を六人ももうけている。だが常に〝愛人〟がいたと豪語する。バイトとして雇った少年、取引先の社長、子供の担任教師……。
「ゲイ男性ってそんなにあちこちにいるもんですか?」
 羽田が身を乗り出した。
「いますとも。我々のころは、愛し合うのも生きるか死ぬか、です。結婚してからはハッテン場なんかいけませんし、バレたら社会から抹殺される。だからこそ、嗅覚がものすごく鋭くなる」
 いまどきのは甘い、と手を振る。
「性自認とか性的指向とかを名札に書いて、パーティして出会うんでしょう?」
 それも古い、と六花が指摘する。
「いまはマッチングアプリですよ。自分の性自認とか性的指向を登録して、AIに探してもらう」
 羽田が嘆いた。
「そんなものに頼ってたら、第六感が鈍りますよ。運命の相手になんか、出会えない」
 敦は自分を振り返る。妻の琴音からは『運命の相手』という甘い響きを感じない。彼女はただの生活の一部だ。
 敦は早速、切り出した。
「こちらの支援団体に相談に来た性的マイノリティの中で、インターセックスの方がいないか、確認したいのですが」
「インターセックス? なんですかそれ」
 敦はズッコケたが、クロキサチコ、佐藤というキーワードを教え、性自認が女だということを説明した。
「いやぁ、全然わからないですね」
 やはり須川がいないと話にならない。おいとますることにした。
 六花は去り際、例の千円札を出したが、羽田には渡さなかった。デスクを回り、優子の席に目星をつけた様子だ。小さなコルクボードがあり、写真が三枚飾られていた。東京レインボー祭りのときの写真のようだ。新宿二丁目で毎年八月に行われている。
 六花の心を奪った女はどれだろう──探そうとして、敦ははっとした。
 ドラァグクイーンが路上でパフォーマンスしているカラフルな写真のすみっこに、交通整理の女性警察官の後ろ姿が写っていた。
 どう見ても六花だった。
 六花は、折りたたんだ千円札をコルクボードに張りつけ、行ってしまった。

 十九時になろうとしていた。捜査員たちがL署の捜査本部に戻ってくる。琴音はこの捜査本部のひな壇に座るようになって、ひと目で識別できるようになっていた。ネタを持ち帰ってきた刑事と、空振りに終わった刑事を。
 この一週間、後者の刑事の顔しか見ていない。病院を回っている刑事たちは令状を持っているにもかかわらず、ことごとく医者から証言拒絶権を持ち出されていた。患者の情報を一件も取れていない。じまなどは「事件の真相を暴くためにどうかご尽力を」と土下座までしているらしい。それでも医者たちは口を開かない。
「犯人が逃走中で次また無差別殺傷を起こす可能性があるなら協力しますが、自殺しているならもう終わっているも同然ですよね」
 喫緊性の欠如が、医者の口を堅くさせていた。木島の「真相を暴く」という言葉を嫌がる医者もいた。
「真相を暴くのが誰かの性疾患を暴いて世に知らしめるということなら、患者の秘密を漏らすことなど私にはとてもできません」
 六花の言う通り、ここから犯人にたどり着くのは至難の業かもしれない。
 六花は敦と共に、LGBT支援団体をしらみつぶしにあたっている。「犯人が支援団体に助けを求めていた可能性がある」というだけの、根拠に乏しい捜査だから、他の捜査員は割り振っていない。六花が抜き出した百件近い団体を、たった二人で担当している。
 他の捜査員を割り振れないのは、地取り班に大量の人員を割いているからだ。犯人が小田急線のどの駅から乗車したのか、神奈川県警との捜査合戦になりつつあった。先を越されたらホシを持っていかれてしまう。
 琴音の視界に、刑事二人が飛び込んできた。なにかつかんできたと直感する。地取り班だ。
「ホシの乗車駅が判明しました! 小田急江ノ島線、大和やまと駅です!」
 ひな壇の幹部たちが一斉に立ち上がる。
 小田急線には本線と呼ばれる小田原行の小田急小田原線の他、しんおか駅から分岐する小田急多摩線、相模さがみおお駅から分岐する小田急江ノ島線がある。大和駅は、相模大野駅から五つ目の駅だ。
 刑事たちは回収してきた防犯カメラ映像をプロジェクターに映す。
「犯人は大和駅改札の東側からやってきています。いしだたみの道が東に延びていまして、この先にやまと芸術文化ホールがあります」
 犯人はやまと芸術文化ホールの正面玄関から石畳の通りに出ていることがわかった。
「この日、ホールではどんなイベントが?」
 琴音はすぐさま尋ねた。
「成人式です」
 村下が身を乗り出す。
「犯人は、成人式に参加していた……?」
 成人式を迎える年齢なら、今年二十か二十一歳だ。検死解剖の推定年齢と一致する。
「だから仕立てたスーツを着ていたのか」
 福井管理官が言う。琴音は首を傾げた。
「成人式のために仕立てたスーツなのに、なぜサイズが合っていないんでしょう」
 答えられる者はいない。うなり声ばかりだ。たかくらが言う。
「いずれにせよ、大和市の成人式に参加しているとしたら、犯人は大和市に居住していた可能性が高いな」
 どこかで電話が鳴っていた。受話器を持った捜査員が声を張り上げる。
「L署強行犯係の堂原巡査部長の上司と話がしたい、という電話なのですが」
 強行犯係長の木島はまだ戻っていない。琴音は目の前の受話器をつかんだ。保留ボタンを押す前に、尋ねる。
「相手は誰」
「それが……政治家です」
 沸き立っていたひな壇がふっと静かになった。高倉が眉をひそめる。
「政治家? 堂原相手に、どこの議員先生だ」
「新宿区議会議員の須川正美と名乗っていますが。若干、声音が怒っています」
 クレームか。琴音は電話に出る前に、須川正美なる人物を調べた。元男のトランスジェンダーでパンでクィアという性自認、性的指向をカミングアウトしている。二期目の区議会議員だった。別の肩書には『新宿なないろ会』の代表とある。
 六花と敦が聞き込みしているはずだ。怒らせるようなことをしたか。琴音は電話に出た。名乗る。
「堂原六花はまだ戻っていないんですね?」
 いきなり呼び捨てで、須川が迫る。無理をして高い声を出している様子で、かすれ声だった。
「ええ。なにか伝言があれば私に──。いえ、堂原本人じゃないと、ということであれば」
「とんでもない。明日の十三時にもう一度、どなたかよこしてください」
 なにか情報を持っているのか。須川が確認する。
「苗字は佐藤。近しい人にクロキサチコ。性自認は女──」
「居住地は」
 琴音の合いの手に、須川はあっさり答える。
「神奈川県大和市」
 琴音は前のめりになる。質問を重ねようとして、須川が念押しする。
「令状を持ってきてください。必ずです」
「令状を持っていけば、教えられる情報がある。そういうことですね」
 須川は答えず、挑発してきた。
「私は警察が大嫌いなの。だけど、二丁目の平和を乱すものはそれが同胞であろうが許さないし──」
 須川はそこで一度、言葉を切った。悲しそうに続ける。
「犯人の声を、警察に、代弁してほしいとも思う。私たちの声は保守や差別主義者には嫌悪のフィルターを通してしか届かないから」

 六花と敦が戻ってきた。手ぶらで成果なしという顔だ。成果が自分たちを通り越して琴音に届いていたと、知らないようだった。
 琴音は二人に状況を話し、明日十三時に聞き込みに行くよう、指示した。すでに令状請求書類は幹部の決済印が押され、地裁令状部へ持ち込まれている。
「千円札が効いたな」
 と敦が六花の肩を叩く。二人は耳元でささやき合った。琴音の知らないことをたくさん共有しているように見えた。
「さあ! 捜査も大詰めだ。明日にもホシの素性が判明する。気を抜かずやれ!」
 高倉が部下たちに発破をかける。捜査本部の士気は高まっている。六花は戻ってきた木島と、夜食の買い出しに行った。敦は、徹夜だという顔で、ワイシャツの袖をまくる。
 子供の世話がある琴音は、帰宅だ。捜査員と一緒に管内の飲食店で酒を飲みしんぼくを深めたり、地元の人と交流したりすることもできない。
 十九時には捜査本部を出た。「ほんとやだー」と六花がカップラーメンをすすりながら、ぼやく声が聞こえてきた。敦が六花の肩を叩く。
「元気だせ、俺がついている」
 琴音は、電車に揺られる。つり革につかまっているのに、パンプスの足は何度もふらついた。電車が地上に出るといっきに席があいた。シートに身を任せ、ぼんやりと、陸橋から見える旧がわの黒い流れに目をやる。
 元気出せ、俺がついている。
 敦が琴音にそんなことを、言ってくれたことがあっただろうか。恋人同士だったときは、あったと思う。妻になるということは、大事にされなくなるということなのだろうか。
 もとわた駅に到着した。タクシーを拾い、学童閉鎖時間ギリギリの二十時に、ろうを迎えに行った。学童の職員が「お母さん、ちょっと」と声をかけてきた。深く頭を下げられる。
「虎太郎君、お友達とのけんでげんこつされちゃいまして、すぐに冷やして様子を見たところ、とくにたんこぶになるようなこともなかったのですが、念のためご家庭でも……」
「大丈夫ですよ。子供の喧嘩ですから、お気遣いなく」
 口うるさい親がいるからか、学童の職員は子供が子供にげんこつをしただけで謝罪する。
 むなしくないですか、毎日。
 心の中で他人に投げかけて、初めて自分の中のむなしさを強烈に感じてしまう。慌てて琴音は打ち消す。息子の前では、よき母であろうとした。
 タクシーの中で、虎太郎の頭をでる。
「げんこつ食らったんだって、大丈夫?」
 触んなよ、という様子で虎太郎は頭を振ってきた。苦笑いする。これは成長だ。
 だが、さびしい。
 自宅に帰り、十五分で夕食を作った。副菜は料理したが、揚げ物のうちひとつは冷凍食品だ。天国の母親が見たら、激怒するだろう。
 琴音は料理しながら、立ったまま夕食を口にした。虎太郎の分を皿にうつしたら、琴音は鍋から直接口に入れる。洗い物を減らすためだ。これも、天国の母が見たら──。
 虎太郎が夕食を食べている間に風呂を掃除し、洗濯物を取り込む。テレビのニュースを見ながら畳んだ。芸能ニュースでは若いアイドルに熱狂する男たちの姿がうつる。薄暗いステージが暗転したとき、画面に琴音の疲れた顔が浮かぶ。あごはたるみ、ほうれい線がくっきりと浮かぶ。眉間に深い皺が寄っていた。
 チャンネルを回す。車内トラブルが原因で電車が遅延、というニュースがあった。サラリーマンがベビーカーを蹴り、母親に暴言を吐いたらしい。
 虎太郎と風呂に入る。あと何度、一緒にお風呂に入ってくれるのだろう。家に帰り、裸になったからなのか、虎太郎のすました様子はなくなった。
「今日、お友達にやり返さなかったのは、偉かったね」
 たんと褒めてやる。詳細は聞かないことにした。もうすぐ小学校四年生だ。母親に言いたくないこともあるだろう。虎太郎はとても嬉しそうな顔になった。
ゆう君がね、ドッチビーでなえちゃんに負けてね、女のくせにって言ったんだ。だから、それはよくない言葉だと注意したら、うるせーってなって」
 なぜか、L署の男たちの顔が順繰りに浮かぶ。彼らも琴音を〝女のくせに〟と思っているに違いない。
 風呂から上がり、洗い物をする。つけっぱなしのテレビが、新宿二丁目の無差別殺傷事件の続報を流していた。事件発生からもう三週間、と評論家が警察批判を繰り返す。二丁目をかつする女装したオネエや、少年ぽい雰囲気の女性なども、街頭インタビューでまくしたてた。
「犯人の身元もまだわかっていないなんて」
「テロかもしれないのに、警察は何をしているのか」
 チャンネルを変え、バラエティ番組にする。学校のPTA問題について、素人の専業主婦と兼業主婦それぞれ百人が、おもしろおかしく討論するという番組だった。
「働いているという理由で、兼業主婦は役員の仕事を専業主婦に丸投げする。そんな家の子供には正直、PTA主催の行事には来ないでほしい」
 琴音の元にも毎年、PTAの役員をやらないかと電話がかかってくる。夫婦共働きで多忙という前に、警察という職務柄、市民活動の一部であるPTAの役員は担えない。それでも嫌がらせのように、毎年依頼がある。そのたびに理由を説明し、謝罪をする。
 琴音はテレビを消した。
 世界中が、琴音を批判している。そんな思考から抜け出せない。
 家事を途中で放棄して、琴音はベッドに倒れ込んだ。洗濯機のタイマーをセットするのを忘れた。学童や学校の配布物も連絡帳も見ていない。髪の毛も乾かしていない。
 もう疲れた。

▶#5-3へつづく
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