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連載

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」 vol.7

ゴールデン街のバーに、母親殺害の犯人が匿われているのでは。L署の捜査員たちは店に向かった。吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」#2-2

吉川英梨「新宿特別区警察署 Lの捜査官」

※この記事は、期間限定公開です。

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 現場は所轄署の入るビルの目と鼻の先だ。
 琴音は、けん銃を帯同し玄関口へ現れた六花を見て、息を吞んだ。交番詰めの警察官はニューナンブやSAKURAと呼ばれるリボルバー式の小さなけん銃を持たされる。六花がタイトスカートの腰にぶら下げているのは、自動小銃だ。機動隊やSATなどの特殊部隊員に支給されることが多い、ベレッタだった。
 同じものを胸のホルスターに収めた村下が言う。
「ここは新宿特別区だからな」
 歌舞伎町を仕切っていた暴力団やマフィアとたいしてきた村下らしい迫力を持って、覚悟を示す。六花はあっさり言う。
「相手は鳥取の田舎の坊やだよ。ぶっ放すことにはならないとは思うけど」
「だったらチャカ欲しいとか署長に直訴すんなよ」
「抑止力」
 村下が厳しく首を横に振る。
「平和な田舎の坊やほど、暴れたら手がつけられないもんだ」
 八散はL署から見て三本目の通り『あかるいはなぞの一番街』の北側にある。ゴールデン街は二階建ての建物が続く。上と下は別店舗で入口は共に一階というメゾネットのような構造だ。八散はゴールデン街でも数少ない、上下同一店舗だ。一階にカウンター席、二階はテーブル席になっている。
 覆面パトカーが東の花園通りと、西のまねき通りに入った。あかるい花園一番街の路地をふさぐ。横にも抜け道があるが、車が進入できるスペースはない。村下が捜査員を配置する。マサトに家宅捜索の立ち会いをさせるべきだが、貝になってしまった。いまは署の取調室に放り込んである。
 ゴールデン街は、真冬のいまでも扉を開けっ放しにしている店舗もある。ビニールカーテンが垂れる店もある。背を丸めて酒を吞む外国人の姿が見えた。「いってくる」「いってらっしゃい」というゴールデン街特有の客と店主のやり取りも見られた。路上で瓶ビールをラッパ飲みする欧米人、酔いつぶれて寝そべるアジア人もいた。
「午前四時半なのに、こんなに人がいるんですか」
「五時閉店の店が多いからな。いま時分は路上に人が溢れる」
 五百メートル離れた二丁目で事件があったとは思えないほど、のんな光景だった。
 ゴールデン街の東側は、花園神社の裏手になっている。神社の拝殿へ続く階段で寝ているスーツ姿の若者と、晴れ着姿の女性がいた。何十万円かはするであろう振袖を地面に垂らし、スマホをいじくっている。
「さあ。行こう」
 六花が先頭に立つ。
 八散は扉が閉ざされていた。カラオケの曲は聞こえてくる。六花が扉を開ける。琴音も続いた。村下は捜査員を引き連れ、近隣店舗の店員や客に避難を呼びかける。
 カウンターに客が五人、座っていた。スマホをけだるそうに見ているだけの欧米人のカップルと、土建屋風でつなぎ姿の日本人の中年男性三人組だ。金髪にした男がマイクを握り、よねけんの『LOSERルーザー』を歌っていた。
 カウンターで酒を提供しているのはアルバイトの青年だった。六花を追っ払う。
「すいません、上も満員!」
「警察!」
 六花が桜の代紋を示した。中年の男たちが、金を置いて店を出て行く。欧米人カップルは意に介さず、スマホを見ている。
「上、見させてもらうから」
 バイト青年が面倒そうな顔をした。
「店長には警察の方から言っといてくださいよ。令状なしであげたって聞いたら、怒られちゃうから」
「マサトは豚箱に入れる。問題ない」
 青年は絶句した。
 六花が入口のすぐ脇にある階段を上がった。琴音もついていく。人ひとり通るのがやっとの階段は狭い。ホルスターに収まったベレッタが六花の尻の上でバウンドする。琴音は、高揚していく気持ちを深呼吸で押し殺す。日本一の歓楽街の中でも独特の空気が残るゴールデン街で、けん銃片手に捜査をする。警察官としてこの場を管轄する立場に選ばれたことに、血湧き肉躍る喜びがある。母であることも、急病の息子のことも、頭から飛んでいく。
 尚人にワッパを掛けるのだ。
 二階は一階よりも狭い。奥半分はアコーディオンカーテンで仕切られていた。窓のすりガラスにはダイヤの模様が入っていた。
 畳敷きの小上がりのようなスペースに掘りごたつがあった。成人式を祝っていた風の若者六人が集う。男たちはスーツで、女たちはまだ振袖姿だった。帯が苦しくないのか、突っ伏して寝ている女の子もいた。イマドキの子はたくましい。
 六花が桜の代紋を見せた。「俺たちもう二十歳でーす!」と若者たちはふざける。目の前で一気飲みを始めたり、煙草たばこに火をつけたりする。スマホで撮影する者もいた。「下に避難して」と指示する琴音の声は、かき消されてしまう。
「やばーい! はしゃぎすぎて警察来ちゃったけど、我々はれっきとした成人でーす!」
 動画の生配信でもしているのか。
 六花は臆することなく、畳の上に流れるいくつもの振袖のすそまたいで奥へ突き進む。アコーディオンカーテンを開け放った。物置き場だった。パイプ収納棚が左右の壁に背をつけて、向かい合わせに置かれている。棚にはぎっしりと段ボール箱が詰まり、その隙間に物が突っ込んである。パイプ収納棚に挟まれたスペースにも段ボールが積み上がる。人が隠れる余地はない。その向こうはもう壁だ。六花はしきりに上を見ている。
「お姉さん、三階があるはずだから入口を探して」
 琴音は懐から書類を出した。生活安全課の担当者から急ぎ、『八散』の営業許可証をコピーしてもらってきたのだ。店舗は二階建てと届け出されている。
「三階はないはずだけど」
「ある」
 六花は壁とパイプ収納棚の隙間に突っ込んであった脚立のようなものを引っ張り出した。伸縮式のはしだ。するすると伸びていく。天井まで届いた。琴音は目を丸くする。
「なんでこんなところに梯子が」
 昭和四十年代にできた建物だ。天井は低い。踏み台ひとつで天井近くまで積みあがった荷物に手が届く。梯子はおおだ。
 六花は天井を仰ぎ、見当をつけた様子だ。段ボールの隙間に体をねじこみ、奥へ奥へと突き進んでいく。琴音も段ボールの壁に囲まれた隙間に入る。かび臭かった。壁に突き当たる。右手は段ボールが壁にぴったりとくっつけて置かれている。左手には、人が一人通れるだけの隙間ができていた。周囲の段ボール箱のいたるところに、人が手をついたような痕が残っている。ゲソこんもある。新しい。
 六花が左の突き当たりの壁に梯子をセットした。部屋の北西側のすみっこにあたる。琴音は天井の違和感に気が付いた。
 天井にはストライプのラインと花柄の模様が入った壁紙が貼ってある。六花の真上だけ、白く真新しい壁紙がびようで留められていた。
「まさか、隠し部屋が屋根裏に?」
「昼に話したでしょ。このあたりは青線だった」
 いつか赤線に指定されるのを夢見て、飲食店の別部屋でこっそり売春をさせていた──。
「だから三階は作っても、警察や消防に届け出はしていないの。警察の手入れがあったら、すぐさま梯子を上に引き上げて床を塞いで、売春なんかさせてませーんって言う。それが青線」
 やがて売春が法律で禁じられ、三階は使われなくなった。三階入口は塞がれたというわけだ。
「ゴールデン街の中でも新しい建物は三階がないけど、八散が入るこの建物から向こう五軒は最古参なの。建設は昭和三十年。絶対三階があると思ってたんだ」
 琴音は一旦引き返し、段ボールの山を出た。カーテンの向こうでは成人した若者たちがまだ騒いでいる。琴音が追い払おうとしても、言うことを聞かない。また撮影を始めた。
 村下が階段を上がってきた。スキンヘッドに無精髭、防弾チョッキを身に着けた分厚い胸板をそらし、若者たちをいちべつする。手にはベレッタ。若者たちは硬直した。
「え……ガチなの」
「子供は早く外へ出ろ」
 若者たちが一斉に階段を降りる。振袖を踏まれてつんのめる女性もいた。
 六花はすでに梯子のてっぺんに上り詰めている。タイトスカートに包まれた太腿で梯子を挟むようにして立つ。短く入ったスリットが破れそうだ。六花はけん銃を取った。カートリッジを確認し、安全装置を解除した。右手でベレッタを持ち、左手で画鋲留めの壁紙を剝がした。
 人ひとりが出入りするには十分な大きさの、四角い枠が見えた。上から板で塞がれているようだ。
 六花が板を乱暴にノックする。村下が天井に向かって叫んだ。
「警察! 誰かいるか。出てこい!」
 琴音は腕時計を見た。三十秒。沈黙が続く。
「入るよ」
 六花が琴音と村下を順に見た。琴音も村下も了承する。六花が両手で板を持ち上げようとする。びくともしない。全体重をかけるように、首を曲げ、肩で押した。一センチも浮かない。いらったのか、六花はベレッタを握る右手の拳で板をパンチした。
 板は割れもしない。
「いったぁ……!」
 六花はベレッタを持ち替え、ふうふうと拳に息を吹きかける。
「女では無理だ」
 村下が言う。琴音は村下に期待した。村下は「俺でも無理だ」とあっさり言い、電話をかけた。大男が駆けつけてきた。木島だ。目がわっている。
「酔いは大丈夫ですか」
「とっくにめてる」
 木島は六花のいる梯子のたもとに向かう。段ボールの隙間に何度もはまる。そのたびに体を揺すって、周囲の段ボール箱を蹴散らした。奥のスペースへ泳ぐように進む。方々から物やほこりが次々と落ちてくる。
「六花。降りろ。代わる」
 六花が梯子を降り切らないうちに、木島が覆いかぶさるようにして梯子を上がっていく。巨体の木島の重さで梯子がきしむ。防弾チョッキを着用しているが、けん銃は所持していなかった。アルコールが入っているので、村下が持たせなかったのだろう。
 木島は上り詰めた途端に拳を繰り出した。六花の拳を簡単に跳ね返した板が、破壊される。上から木くずや埃が落ちてきた。厚さ五センチほどのベニヤ板だったようだ。木島は穴に両手を突っ込んで、板を破るようにして破壊していく。頼もしい。
 六花は下でベレッタを構える。タイトスカートの足を肩幅に開き、重心を落とす。膝は閉じているから下品ではない。むしろ、美しい。
「俺のケツに撃ち込んでくれるなよ」
「それはそれで面白そう」
 木島は六花をひとにらみした。口は笑っている。入口の枠を摑み、木島は頭、腕、肩、上半身といっきに三階へねじ込んだ。
「警察だ!」

 一月十四日、朝六時になろうとしていた。
 琴音は中尾尚人の緊急逮捕にかかる報告書を大急ぎで作っていた。八散に三階があったという現場の状況から説明しなくてはならない。鑑識が作った見取り図を片手に、現場の状況を事細かに記していく。
 取調べは課長の村下が行っている。木島は突入したが、ワッパもかけていない。アルコールがまだ残っている。六花はマサトの取調べをしていた。犯人蔵匿罪だ。
 七時から、二丁目無差別殺傷事件の第一回捜査会議が行われる。逃亡していた尚人は襲撃犯ではなかった上、逮捕した。状況は少しましになったと言える。
 尚人の確保を受け、特別捜査本部は一般的な捜査本部に規模を縮小した。無差別殺傷事件の方が被害者の数が多い上、社会的な影響がありそうな事案だ。こちらが特別捜査本部となった。
 六時四十五分に、再び本部捜査一課の刑事たちを出迎える予定だ。先頭は昨日と同じ捜査一課長だろうが、後ろに控えるのは十係長とその捜査員たちのはずだ。十係長のたかくらしんすけ警部は敦に「お前はそうやって、嫁が警部で居続けるために、永遠に警部補どまりってわけだ」と言い放った男だ。
 敦は事件現場に遭遇しながら、初動捜査に出遅れることになる。
 息子の看病のために。
 いや、違う。
 妻のキャリアのために。
 マイナス思考におちいる。
 琴音は一旦パソコンを閉じた。取調べの様子を見に行く。
 取調室ではなく、隣の小部屋に入った。マジックミラー越しに中を見ることができる。
 中尾尚人は、八散の三階の隅っこで膝を抱えて座っていたときと、ほぼ同じ様子で容疑者側の席にいる。背中を丸め、視線を下にやったままだ。
 八散の三階は、昭和初期の空気がそのまま密閉されていたかのようだった。埃っぽくかび臭い。古い畳はボロボロで、ストッキングの足の裏にい草の破片が大量についた。黄ばんだせんべい布団には黒カビが点々と浮かぶ。
 ちゃぶ台の上には魔法瓶、サッポロの赤星の瓶が転がる。コンビニ弁当のゴミと飲みかけのペットボトルも置いてあった。昭和と令和が隣り合わせになったような不思議な空間で、尚人は膝を抱えて無表情に座っていた。木島の突入をぼけっと眺めていたようだ。大人しく逮捕された。ノコギリは八散のちゆうぼうのゴミ箱にあった。
 取調室で、村下が確認する。
「お母さんを殺したことは、間違いないか」
 はぁ、と尚人は気の抜けた返事をした。顎を突き出すようなうなずき方だ。こわもての村下を怖がることもない。へつらう様子もなかった。
「どうやって殺した」
 返事はない。
「電気ケトルを振り下ろしたか? そこから君の指紋と、お母さんの血痕が出た」
「はぁ………」
「お母さんの衣類をはぎ取り、浴室で燃やしたことは間違いないか」
 尚人は同じ仕草と言葉で、肯定した。
「スーツケースにお母さんの遺体を入れて、どこへ運ぼうと思った?」
「……隠さなきゃと」
「大学の試験はどうするつもりだった」
「受けないと、いけないので」
「受験するつもりだったのか」
「申し込んじゃってたので。終わったら、お母さんと鳥取に帰ればいいかな、と」
「死体を持ち帰るということか? そこで死体をどうするつもりだった」
 黙りこんでしまった。十八歳にしては行き当たりばったりすぎないか。
「ノコギリはなんのために買いに行った?」
「スーツケースに入らなかったので……」
「遺体を切断するつもりだったのか」
「入らなかった、ので」
「腹を痛めて君を産んで、苦労して育ててくれたお母さんの体を、君はノコギリで切断できるのか」
 尚人は困ったように、村下を見返す。意思や意見が殆どないようだ。
 琴音は隣の聴取室に移動した。六花がマサトの聴取を行う。マサトはむせび泣いていた。
「店を開けようとしたら、勝手口の鍵が壊れていて、中にあの子が。炊飯器を膝の上に抱えて、しゃもじでご飯を食べてた」
 昨日、十四時頃の話だという。
「知ってたよね? 歌舞伎町のホテルでノコギリ持った男が、母親を殺して付近を逃走中って」
 マサトが視線を外す。
「なんで一一〇番しないの。私に連絡しないの。私たち友達だよね」
「友達なら、わかってくれよ」
 マサトは泣き崩れた。しゃくりあげながら切々と訴える声は高く、女の声だ。
「殺したあの子のこと、忘れられない。私が殺しちゃった、柾人のこと……!」
 自らのミスで流産してしまった子を、二十年経っても忘れられない。その本能は母親そのものだ。だが性自認は男。琴音は全く理解できない。六花が次の質問をする。
「昨日の十四時頃、店の厨房で中尾尚人と出くわし、何を話したの」
「あんた誰って思わず叫んだら、中尾尚人ですって、あの子は妙に律儀に答えた。警戒心とか恐怖心が緩んで」
 琴音は、取調室での尚人を思い出した。意思表示が殆どなく、ニキビ跡が残る、素朴そうな少年。
「話を聞いたら、〝走って逃げてきたから、お腹いちゃって〟って言うの。お母さんから逃げてきたとも言って……」
 マサトはまた泣きだした。女に見えた。いや、女というより、子を亡くした母親だ。
 聴取は休憩となった。廊下に出てきた六花に、琴音はひっそりと尋ねる。
「彼、本当にFtM?」
 六花は不可解そうに顎を引いた。
「あれはどう見ても女性よ。なにか事情があって男のフリをしている、なんてことはない?」
「ないと思う」
 あっさり否定されてしまった。
「あまりに不自然だと私は思うんだけど」
「二丁目では普通だよ」
 体は女なのに、男だという意識から逃れられない。たまに女性のような感情が出てしまい、混乱する。
「トランスジェンダーもいろいろだよ。お姉さんだってそうでしょ」
「私はノンケよ」
 そういうことじゃない、と六花はまっすぐな瞳で否定する。
「体はよき母親であろうと、いつも息子を心配してソワソワしている。でも刑事だという自意識で必死にそれを抑えているでしょ」

 時計を見る。六時三十分。琴音はデスクで報告書の作成を急ぐ。六花の言葉が響いて、余計集中できなくなってしまった。
 デスクの内線が鳴る。
「はい、刑事課あらです」
「監察医務院のよこやまです。村下課長は」
 監察医務院は検死解剖の真っ最中のはずだ。途中で電話がかかってくるのは珍しい。
「村下は席を外しています。課長代理の私が話を伺いますが。遺体になにか特異な点が?」
「我々の班は容疑者を検死解剖しておりまして──かなり特異な状況です。刑事課の方にまずはご臨席いただけないかと」

▶#2-3へつづく
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