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連載

小林泰三「未来からの脱出」 vol.6

施設に閉じ込められていると気付き、脱出するためにあることを考えるが……小林泰三「未来からの脱出」#2-1

小林泰三「未来からの脱出」

※この記事は、2020年2月10日(月)までの期間限定公開です。



前回のあらすじ

とある施設で暮らすサブロウは、自身に過去の記憶がないことに違和感を覚えた。毎日同じ日の繰り返しで、日常がループに陥っているのではないかとの不安から一人で調査を進めるうちに、自分の日記帳に隠された「ピースを集めよ」というメッセージに気付く。ゴムの指貫のようなアイテムを発見し、それを用いて施設の建物から出られることに気付いたサブロウは「協力者」がいることを確信し、施設から脱出するため、次なる戦略を練る。

詳しくは 「この連載の一覧
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   3

 建物の外に出る冒険を決行して、二日がった。特段、変わったことは起きてない。
 突然、部屋に職員たちが押し入ってきて、拷問されるようなことが起きるのではないかとひやひやしていたが、そんなことはなく全く日常のままだった。
 可能性としては二つ。
 一つ目は、見掛け通り、今回は職員に気付かれなかったというもの。あり得ない幸運のようにも思えるが、そもそもここの入居者が脱走するなどという可能性は想定していないのかもしれない。万が一、そんなことがあっても、車椅子にあったような脱出を防ぐ安全装置がある。おそらく徒歩で歩ける者に対しても、なんらかの安全装置があるのだろう。人間というものは楽をしたがるものだ。滅多に起こらないことに神経をとがらせていては楽ができない。可能性の低い危険はないものとして扱うと、仕事は相当に楽になる。
 二つ目は、職員たちは気付いているが、気付いていないふりをしているというものだ。なぜ気付かないふりをしているのか? 理由はいくつか考えられる。
 ①老人が建物から脱出できたとしても、それだけのことだ。こいつはどこにも行けない。だから、たいしたことではない。そのまま放っておけ。
 ②こいつはどうやって、脱出方法を思い付いたのだろう? 何か原因があるはずだ。しばらく観察してみよう。
 ③どうやら、こいつには協力者がいるようだ。しばらく泳がせて、協力者をあぶり出そう。
 サブロウには職員たちが気付いているのかどうか、あるいは気付いていたとして、どんな理由で気付いていないふりをしているのか、全く見当が付かなかった。
 しかし、考えていても結論はでない。気付いていないのなら、このまま次の作戦を考えるべきだろう。もし泳がされていたとしても、次の作戦を考えるしかない。作戦を立てても無駄になるかもしれないが、作戦を立てなかったら、そもそも事態は打開できないのだから。
 さて、脱走するとして、一人で決行するか、仲間とともに決行するか。
 仲間を作った場合、職員にばれる公算は高くなる。だが、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもあるぐらいだ。仲間がいれば、問題解決の力になるはずだ。
 サブロウは悩んだ末、脱走するための仲間を作ることにした。
 彼は大広間や中庭を回って、入居者たちの様子を観察した。
 必要な条件は、精神状態がはっきりしていること、身動きがある程度自由にとれること、視力や聴力が極端に弱っていないこと。会話が可能なこと。柔軟な性格であること。サブロウを嫌っていないこと。好奇心が強いこと。怪しい言動がないこと。
 好奇心は脱走にあまり関係がないようだが、そもそも好奇心がないと脱走へのモチベーションを持たないだろう。
 最悪なのは、敵の内通者へコンタクトしてしまうことだ。内通者がいるのかどうかすらわからないが、用心しておくに越したことはないだろう。
 サブロウは一週間掛けて十人程の候補者を選んだ。そして、さらに一週間掛けて候補を三人に絞った。
 大勢いればいいというもんじゃない。まずは信頼できる少人数から始めるのだ。

   4

 一人目の候補は老人たちの中心となって、快活に様々な取り組みを行っている老婦人だ。おそらく、彼女はなんらかの介護施設で働いていたのだろう、とサブロウは推測した。老人たちのあしらいがとてもうまいのだ。ほとんど職員に見えるほどだった。
「エリザさん」サブロウは思い切って声を掛けた。
「はい。なんですか?」エリザは上品そうにほほんだ。彼女は多少脚が不自由な様子で、自分の部屋と広間の往復などには車椅子を使っていたが、日常的に歩くことにはそんなに問題はなさそうだった。「ええと、お名前は何だったかしら? 最近、物覚えが悪くて……」
 サブロウは、まず自らを名乗った。
「話すのはこれが最初ですから、わたしの名前をご存知なくて当然です。わたしがあなたの名前を知っていたのは、あなたと他の方との会話を聞いていたからです」
「まあ、そうでしたの」
 エリザはサブロウの言動に特段不信感は持たなかったようだった。第一印象はそれほど悪くなさそうだ。もちろん、知り合ってすぐに嫌悪感を示すような人間は少ないし、そのような反応がもしあったのなら、それ以上接近すべきではないだろう。
 さて、次の段階だ。いきなり本題に入るべきか、それとも少し時間を掛けて関係性を作るべきか。
 自分に残されている時間がいくらあるかわからないうえに、脱走計画の遂行にどれだけの日数が掛かるかもわからない。できれば、さっさと話を進めたいところだ。だが、初対面でいきなり突拍子もないことを話したりしたら、警戒されてしまうかもしれない。単に距離を置こうとするだけならまだしも、最悪職員に通報してしまうかもしれない。もちろん、職員たちは日本語がわからないという体裁だが、実際のところ、日本語を理解していると考えて間違いはないだろう。もし、彼らにサブロウの考えていることが知られたら、脱走はほぼ絶望的になってしまう。
「この施設に入られてどのぐらいになりますか?」サブロウは何気ない会話から始めた。
「ええと。今すぐ、はっきりした年数はわかりませんが、もし正確な数字がご入り用でしたら、調べてきますが……」
「いえ。そんな正確な話ではありません。だいたいのところで結構です」
「そうですね。……はっきりとはしませんが、たぶん二、三年というところではないでしょうか」
「わたしのことはご存知でしたか?」
「お名前は存じ上げませんでしたが、お顔の方は見知っておりましたわ」
「エリザさんが入所されたときにわたしはもういましたか?」
「どういうことでしょうか?」
「いえ。たいした話ではないのですが、最近物覚えが悪くなってきて、自分の記憶に自信がないのですよ。だから、他の人の話と照合して、自分の記憶を確認しようと思うのです」
「……わたしも記憶に関してはあまり自信がないのです。それに、失礼ですが、入所当時は顔見知りではなかったので、記憶にとどめていなかったと思うんです。だから、申し訳ないのですが、あなたがいついつからおられたとは、言える状況にはありません、とお答えするしかないですね」エリザは悲しそうな顔をした。
「いえ。すみません。わたしの言い方がまずかったようです。そんな厳密な話をしている訳ではないのです。ただ、なんとなく自分の記憶が不安で、他の人と話をして確認したかっただけなのです」
「お互いとしを取ると、不安になりますものね」エリザは何の不審も抱かずにサブロウの言葉を受け入れているようだった。
「まあ、過去のことはどうしようもないですが、これからのことは互いに助け合うということでどうでしょうか?」
「助け合うとは?」
「記憶の補完です。時々、こうやってお話しさせていただければ、互いの記憶のり合わせもできますし、話すことで互いの記憶の確認もできます。そうすれば記憶は多少鮮明になるのではないかと思ったのです」
「記憶を鮮明にしたいんですか?」
 この質問にサブロウはどきりとした。記憶を鮮明に保ちたいと願うのは自明なことだと思っていたので、返答に困ったのだ。
 どう答えればいいのだろうか?
「あの。もしご迷惑だということでしたら、もう話し掛けたりいたしませんが……」
「そういうことではないんです」エリザは言った。「純粋にお聞きしたいと思ったのです。記憶を鮮明に保つことが幸せなのかどうか」
「そうでないと思われるのですか?」
「人は何もかも鮮明に記憶しておくことはできません。それはつまり、覚えていなくてもいいことは忘れるようになっているということではないでしょうか?」
「そういう考えもあるでしょうね。でも、何を覚えていて何を忘れるかということは、自分では決められないですよね」
「実は自分で決めているのかもしれませんよ」
「そんなことは……」
 不可能だ。
 サブロウはそう言おうとした。
 だが、本当にそうだろうか? ある記憶を消したいと思ったなら、その思った記憶すら消さないと意味がない。だとすると、消そうとした事実は記憶に残らないことになる。
 サブロウは混乱しそうになったので、思考をリセットすることにした。
「わたしとあなたが記憶の補完をし合ったら、忘れなくてはならない記憶を忘れられないかもしれないということですね。でも、もし本当に忘れなければならないことがあるのなら、何をしようともきっと忘れてしまいます。だから、あなたとお話しさせていただいても、問題はないと思います」
「そうかもしれないですね」エリザは少し首をかしげた。「そして、そうでないかもしれないですね」
「記憶のことに関しては、忘れていただいて結構です。年老いた頭で複雑なことを考えるのは骨が折れますし」サブロウは笑った。「わたしが言いたかったのは、もしご迷惑でなければ、こうして時々お話しさせていただけないかということです」
「もちろん結構ですよ」エリザが言った。「念のために言っておきますが、今の『結構』というのはノーサンキューの意味ではなく、OKということです」
 その日から、サブロウはエリザと話すようになった。そして、この施設のことや職員の正体について、時折疑問を投げ掛け、相手の反応を見ながら少しずつ話題にする頻度を上げていった。
「わたしも正直なところ、ここに来た経緯はよく思い出せないわ」ある日の夕方、中庭で夕日を浴びながら、エリザが言った。
 二人は今ではすっかりため口で話す仲になっていた。
「それって妙だとは思わないか? そんな大事なことを忘れるなんて」
「妙だとしたら何なの?」
「俺たちは記憶を消されたのかもしれない」
「いったい何のために?」
「ここは何か特別な施設で、そのことを俺たちに悟られないためにさ」
「ふふふ」エリザは声に出して笑った。「昔の少年向けドラマみたいね。でも、ここは異能の青少年を集めた施設なんかじゃない。ここにいるのは高齢者ばかりだわ」
「高齢者が特別でないという訳ではないだろう」
「でも、わたしたちの何が特別だというの? みんな普通の老人ばかりだわ」
「しかし、俺たちの記憶が不鮮明なことの説明が付かない」
「本当にそれが特別なことなのかしら?」
「それはそうだろう。大事なことが思い出せないんだから」
「そんなものなのかもしれないわ」
「そんなものって?」
「わたしたちは、みんな、あなたも含めて若いままの気持ちでいるのよ」
「いや。そんなことはない。ちゃんと齢相応の考え方をしている」
「大事なことは全部覚えている、っていうのも思い込みかもしれないわ。そうじゃないって言い切れる?」
「だって、大事なことを忘れるっておかしいじゃないか」
「それは若い人の話よ。わたしたちはね、老人力がみなぎっているの。だから、大事なことでも忘れることができるのよ」
「『忘れることができる』って、随分楽観的な物言いだね」
「大事なことを覚えていても何も得なことがないなら、忘れてもいいってことよ」
「いや。入所の理由を忘れてもいい訳がない」
 エリザは少し考えてから言った。「それが何か嫌なことであっても?」
 サブロウは少し驚いた。ここに入った理由が嫌なことだとは思ってもみなかったのだ。ひょっとすると、子供たちが自分の世話をするのを苦に思って、ここに押し込んだのかもしれないが、たとえそうだとしても、そのことを嫌だとも思わないし、子供たちを恨む気もない。
 だがもし……。
 サブロウはあらためて考えた。
 老人介護施設に入るのが嫌な理由とは何だろうか?
 突然、一つの考えを思い付いた。
 ここが刑務所、もしくは刑務所に準ずる施設だとしたら? つまり、ここに収容されているのは、何らかの触法老人で、刑罰の一環として、もしくはすでに刑罰で裁けるような状態でない者たちの収容場所なのではないか?
 もちろん、すぐにそれに対する反証は思い付く。だが、一度芽生えた不信感はもう拭い去ることはできないかもしれない。
「嫌なことであってもだ」サブロウは言い切った。「もし万が一、俺たちの過去に後ろめたいことがあったとしても……いや、あったのならなおさらそれを白日の下にさらさないといけないだろう」
「あなたは勇気があるのね」
「勇気とはちょっと違うな。むしろ好奇心に近……」サブロウは口をつぐんだ。一人の女性職員が二人に近付いてきたのだ。
「どうしたの、急に黙って?」エリザは職員が近寄って来るのに、気付いていないらしい。
「ひょっとして、あなたはわたしたちが何か悪いことをしてここに入ったと思っているの? だとしたら、ここの職員は看守なのかしら?」
 職員は、もし日本語が理解できるなら、確実に聞こえたであろう距離にいた。
 サブロウは緊張で胸が潰れそうになった。
 いや。大丈夫だ。今の言葉に核心的な内容は含まれていない。そもそもまだ彼女には脱走計画は伝えていないのだから、何の心配もない。
 職員は未知の言語で話し掛けてきた。
 エリザはようやく職員に気付いたようだった。しかし、慌てるでもなく、笑みを見せた。「何、お嬢さん、わたしたちにご用?」
 職員はサブロウとエリザを交互に眺め、そして何かをうれしそうに話し、去っていった。
「何だ、今のは?」サブロウは緊張の糸が切れ、身体からだから力が抜けた。車椅子に座っているのではなく立っていたら、きっとその場に崩れ落ちていただろう。
「あら、わからなかった? 『あなたたち、とても仲が良くて、うらやましいわ』って言ったのよ」
「つまり、冷やかしたってことかい?」
「ええ。そうよ」
「驚いた」
「職員さんたちだって、冗談ぐらい言うわよ」
「いや、そういうことじゃなくて、君が彼らの言葉を理解しているってことに、驚いたんだ」
「彼らの言葉を理解? いいえ。言葉はわからないわ」
「だって、今彼女の言葉を通訳してくれたじゃないか」
「今のは言葉でわかったんじゃないわ。口調と身振りから、推測したのよ」
「じゃあ、推測で言っただけか? 確証はないってことか?」
「そうよ。でも、たぶん当たっているわ」
「俺もたぶん当たっているような気がしてきたよ。でも、勘を信じていいものかどうか……」
「勘は馬鹿にできないわ。言葉で論理的に説明できないだけで、脳の中ではちゃんと計算ができているのよ」
「でも、言葉にできなければ、本当に正しいか検証するこ……」サブロウは突然話をやめた。
「どうしたの?」エリザは周囲を見た。
「誰かに見られている」
「もう職員さんは近くにいないけど?」
「職員じゃない。何か別の……」
「別の何?」
 二人は影に包まれた。だが、周りには誰もいない。
 上だ!
 サブロウが見上げた瞬間、影が飛び去った。あまりに素早かったので、サブロウの動体視力では、その姿を捉えることはできなかった。
 エリザも空を見上げた。
 もう何もなかった。
「どうかした?」
「一瞬、何かが俺たちの上にいた」
「雲が通り過ぎたってこと?」
「いや。もっと低い位置だ」
「それじゃあ、きっとドローンよ」
 ドローン。久しぶりに聞く単語だ。そう。確かにそんな機械が存在した。
「この施設でドローンを見掛けたことなんかあったかい?」
「いいえ。でも、飛んでいても不思議ではないでしょ?」
「何のためにそんなものを飛ばすんだ?」
「さあ、屋根の様子でも調べたかったんじゃない? メンテナンスも必要でしょうし」
 あれはドローンなどではなかった。少なくとも俺の知っているドローンではない。
 全身からだらだらと汗が噴き出してきた。
 あれは意思を持った存在だった。確実に俺たちを監視していた。
 だが、今、あえてそれをエリザに伝える必要はない。
「そうだ。たぶんそういうことだろうな」
 今のが敵だとは限らない。
 サブロウは自分に言い聞かせた。
 俺を見張るなら、職員を使うのが合理的だ。だとしたら、あれは俺に何かを伝えにきた「協力者」なのかもしれない。
「どうしたの? 汗でびっしょりよ」エリザが心配そうに言った。
 サブロウは無言で汗を拭った。
 汗が止めどもなく出てくるのに、寒気が止まらなかった。

#2-2へつづく
◎第 2 回全文は「カドブンノベル」2019年12月号でお楽しみいただけます!


「カドブンノベル」2019年12月号


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