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連載

小林泰三「未来からの脱出」 vol.18

施設からの脱出を目指すサブロウは、次々に驚くべき記憶を取り戻して……。 小林泰三「未来からの脱出」#5-2

小林泰三「未来からの脱出」

※この記事は、期間限定公開です。

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 二十一世紀の前半、日本には衝撃的な二つのことが起きた。
 一つは急速な少子化だ。若い世代がいなくなることにより、極度の人手不足で事業が立ちゆかなくなる企業が多く生まれつつあった。
 もう一つの問題はAI失業だ。AIの進歩はとどまることを知らず、それまで人間にしかできないと思われていた仕事もどんどんAIにやらせることが可能になってきた。あぶれた労働者はリストラされることになり、かくてちまたに失業者があふれることになった。
 この二つの事象は実は労働力不足と労働力過剰という全く違う経済的側面を持っていた。もしこの現象が徐々に起こっていたなら、不足分と過剰分を相殺し、安定的な経済発展を遂げられていたはずだった。しかし、少子化とAI化は制御されずに、同時に急激に進行したため、雇用環境は極めて不安定な状態になってしまった。
 AIが得意とする単純作業や事務に従事したい人にとっては、ほぼ就職先がなくなった。一方、AIが苦手な創造性が必要な分野はあっという間に人材がかつしてしまった。
 主たる仕事はAIが担い、人間はAIを助ける補助的な仕事しかできなくなる。──ひと昔前はそんな予想をした人たちもいたが、全くそんなことにはならなかった。補助的な仕事こそ、AIの得意分野であり、わざわざ人間にやらせるなどという非効率なことは行われるはずがない。
 かくして、一昔前までエリートだった記憶力や計算力や語学に秀でた人たちは職を失った。そして、本当に必要な高い創造性を持った開発者の育成が全く間に合わない状態になってしまった。
 政府は緊急対策として、高い専門性を持った外国人労働者を大量に受け入れることにした。そのため、一時的に街に高い専門性を持った外国人労働者たちが溢れることになってしまった。
 日本は長らく、高い専門性を持った労働者を賃金ではなく、やりがいをもつて、満足させるという文化を持っていたが、外国人たちには、この論理は全く通用しなかった。背に腹を替えられない日本企業は外国人たちに高い賃金を支払うようになっていった。
 外国人に対する好待遇を多くの日本人は不満に思った。一方、外国人たちは自分たちが支払う税金の大部分が日本人の失業者に使われることに不満を持った。双方の不満がちくせきし、爆発寸前に達して、社会全体がさつばつとし、大きなテロが起こりかねない状況になった。
 そのとき、突然潮が引くように外国人労働者たちが日本から離れていった。
 多くの日本人は少子化を日本特有の問題だと思い込んでいたが、実は少子化が起こっていたのは、日本だけではなかったのだ。とりわけ、中国における少子化は日本をはるかに上回る速度で進行していた。中国は四十年間も一人っ子政策を続けていたため、急速に老人超大国へとへんぼうしてしまったのだ。国内における労働力がひつぱくしたため、中国政府は外国での就労を原則的に禁じてしまった。その結果、全世界で同時に高い専門性を持った労働者が不足し、取り合いになってしまった。
 賃金はますます高騰し、多くの日本企業は従業員に高給を支払うぐらいならと、次々と倒産の道を選んでいった。最終的に、高付加価値のある製品のためなら、従業員に高給を支払っても構わないという文化を持った企業だけが生き残り、日本経済はなんとか落ち着きを取り戻すことができた。
 老舗企業はほとんど姿を消し、今までとはまるで違う価値観を持つ新興企業群が経済社会の中心となった。
 忙しく働く一部のエリートたちと社会保障で暮らす大勢の人たち、そして単純作業を担う数億台のAIロボットたち──それが二十一世紀後半の日本の社会だった。
 しかし、社会構造が変革していく間にも、AIの進化は止まらなかった。人間の仕事は徐々にAIに置き換わっていった。相変わらず人口は減少していたが、それを上回る速度でAIが発達したため、失業者は徐々に増え続けた。そして、あるときから「失業者」という概念自体が時代遅れのものとなっていった。人間は基本的に職に就かなくなってしまったのだ。普通の人間は働かず、生涯にわたって社会保障で生活する。それは不幸なことでも恥ずかしいことでもない。極普通の当たり前のことなのだ。
 その時点でもAIには実現できない高い創造性を持った極めてまれな人たちはばくだいな富を手にするようになっていた。だが、働かない人たちの生活水準が上がっていくにつれ、彼らのモチベーションは徐々に低くなっていった。
 働かなくても、充分に満足できる生活が送れるのに、なぜあくせく働かなくてはならないのか? どれだけ金があっても、一日に百食をとることはできない。何万着の服を持っていても着ることはできない。家を百軒持っていても身体は一つだ。
 経済は停滞したが、人々は幸福なままだった。身の回りの世話はすべてAIがやってくれる。金はただの記号に過ぎない。預金額の桁数が二つ三つ違っていたとしても、生活には何の変わりもない。だとしたら、なぜそんな数字を気にしなければならないのか?
 このような傾向が生まれたのは、日本だけではなかった。全世界がほぼ同時に同じような状況に陥った。多くの人々はAIに頼り、均質な時代が始まるかに思われた。
 だが、それとは別の動きも始まった。
 いや。正確に言うと、人々がAIに頼り切る少し前にそれは始まったとも言える。当時、遺伝子操作により、人はより強くなれるのではないかと考えられていた。当初は重い遺伝性疾患の治療のみに使われていたが、徐々に品種改良的な側面が出てきた。もちろん、無暗に遺伝子を操作することは法律で禁止されていたが、遺伝子治療の名目で例外規定が多く設けられ、そのうちなし崩し的にさまざまなデザイナーベビーが生まれ始めた。
 最初は目立たないものだった。少し身長を伸ばす。肌の色を白くする。鼻を高くする。の色を青くする。金髪にする。筋力を増強する。知能を上げる。改変はだんだんとエスカレートしていった。
 人間は一度規範から逸脱すると、歯止めが利かなくなってしまう。文化的な側面で言えば、例えば、足が小さいほど望ましいとされた古代中国では女子の足にてんそくを施し、歩くことができない程までに、足を縮めてしまった。あるいは、東南アジアのとある部族は首にいくつもの輪をめて強制的に鎖骨を沈下させ、首を長く見せる風習を持っている。これらは、近代文明の観点からすると奇異に見えるが、それぞれの文化においては正常なことなのだ。
 このようなことは、個人においても起こりうる。二十一世紀においても、美容整形手術を繰り返すことによって、一般的な美のはんちゆうを逸脱し、不気味な領域にまで突入してしまっているのになお、自分ではさらに美しくなっていると誤認している美容整形依存が確認されている。
 当初は控えめな改変を行っていたデザイナーベビーもまた時と共に、過剰な側面を持ち始めていた。
 常人を超えた超筋力を持った人間、並みの天才を超えたIQを持つ超天才、三本以上の腕や翼を持つキメラが次々と生まれていった。いつしか、人々は成人したデザイナーベビーたちを変異人類と呼ぶようになっていった。
 スポーツ界はこのような変異人類を競技から排除する動きを見せていたが、やがて変異人類に生まれついたものに対する差別だと糾弾され、また人為的な変異人類なのか、自然の突然変異なのか区別する方法もないため、変異人類の記録も正式な記録として扱われるようになった。皮肉なことに、それがさらに変異人類を作り出すことを促進する結果になった。
 陸上競技では四本足のケンタウルス状の選手が新記録を出し、水泳ではひれえらを持つ半魚人や下半身が魚化した人魚が活躍した。さらには、鳥人たちによる空中サッカーのような新たなスポーツまで誕生した。
 変異人類の数はどんどん増え、いつしか変異していないオリジナル人類の数を超えてしまった。
 世界に満ちているのはAIロボットであり、数少ない人類の殆どは変異人類となった。二十二世紀の中ごろには、オリジナル人類はすでにほんのわずかになっていた。

 二十二世紀の半ば!? そんなはずはない。これはとんだ妄想だ。
 サブロウは自分の記憶に驚いてしまった。
 俺は二十世紀生まれだ。二十二世紀の半ばだと、百数十歳に達しているはずだ。そんなばかなことはない。きっと、薬で眠らされた後遺症でおかしな夢をみてしまったのだ。夢の中では変な記憶を持っていることがよくある。自分が大金持ちだったり、宇宙飛行士だったりして、過去の記憶もそれなりに持っているような。
 そろそろ起きなければならない。そうしないと変な妄想にとらわれてしまいそうだ。そういえば、意識を失う瞬間、怪物を見たような記憶もある。当然、あれも幻覚に違いない。人間と同じ大きさの蠅などいるはずがないではないか。さあ、目を開けるぞ!
 サブロウは目を開いた。
 目の前に人間とほぼ同じ大きさの蠅が直立していた。
 サブロウは絶叫した。今回はそこそこ大きな声が出た。
 蠅はてのひらをこちらに向けた。そのあしはまるで、人間の腕と手そっくりだった。
 サブロウはさらに声を上げた。
 すると、蠅はずるずると後退して、壁に背を付けた。
 そのときになって、サブロウはようやく自分が部屋の中にいること、そしてベッドの上にいることに気が付いた。そこは小さな病室のようだった。それも個室だ。ベッドの横には様々な表示が付いた装置がいくつも置かれており、そこから伸びたコードやチューブがサブロウにつながっていた。
 一瞬、全部引き抜いてやろうか、とも思ったが、そんなことをしたら何が起こるかわからないと思い直した。少なくとも現時点で身体に異常がないところをみると、そんなにひどいことはされていないような気がする。
 さて……。
 サブロウはもう一度蠅の方を見た。
 蠅もこちらを見ているような気がするが、複眼なので視線の方向はわからない。しかし、直立しているところと、静かにしているところからすると、一定の知性を持っているようにも見える。もしくは、厳しく調教されているかだ。
 サブロウは頭を振った。
 蠅を調教だって? そんな馬鹿なことはない。ましてや知性を持った蠅なんて、常軌を逸した考えだ。頭がどうかしてしまったんだろうか? この点滴の薬のせいかもしれない。そう言えば、気を失う前に蠅がしやべるという幻覚を見たような気がする。全く酷い状態だ。
「驚かせてすまなかった」蠅が言った。
 サブロウはベッドの近くをきょろきょろと探した。
「何かを探しているのか?」蠅がたずねた。
「ナースコールのボタンが見付からないんだ」
「なぜ、そんなものを探している?」
「人間と同じぐらい大きな蠅が喋っている幻覚が見えるんだ。何か処置が必要だ」
 蠅は首をかしげた。「それは幻覚ではない。したがって、処置は必要ない」
「おまえが幻覚ではないという証拠はあるのか?」
「わたし自身が保証する」
「幻覚が保証したって、信じられるものか」
「わたしに触れてみるか?」
「人間と同じ大きさの蠅に触れってか?」
「なるほど。不快感を覚えているようだな」
 蠅の言葉にサブロウははっとした。「すまない。差別する意図はないんだ。気を悪くしないでくれ」
「構わない。君がサンクチュアリに収容された当時、我々、蠅人間はまだ存在していなかった。驚くのも無理はない」
「サンクチュアリ?」
「我々が回復処置を行った君の記憶は最初期のものに限られている。何度も記憶封印処置を受けているため、一度にすべての記憶を回復させるのは精神に負担が掛かり過ぎるのだ。だから、サンクチュアリに関する記憶がないのは当然のことだ」
「記憶封印? 施設の連中が俺たちにした例の記憶を消す処置のことか?」
「記憶を消した訳ではない。選択的かつ人為的に記憶を消すのは容易ではない。記憶は脳の一部ではなく、全体に分散されているためだ。記憶封印とは特定のイメージや言葉を想起させる記憶にアクセスできなくする技術だ。もちろん、処置後に新たに覚えたことに対しては無効だ」
「俺はその処置を何度も受けたというのか?」
 蠅人間はうなずいた。「我々の知っている範囲では十八回に及んでいる」
「十八回? そんなことをされて俺の脳は大丈夫なのか?」
「心配はない。彼らはあなたの脳にダメージが残るような処置はできないのだ」
「どうしてそう言い切れる?」
「ロボット工学三原則があるからだ」
「どういうことだ?」
「ロボット工学三原則を知らないのか?」
「それは知っている」
 ロボット工学三原則とは二十世紀のアメリカのSF作家アイザック・アシモフが提唱した概念だ。

第一条 ロボットは人間を傷付けてはならない。また、人間が傷付くような危険を見過ごしてはならない。
第二条 ロボットは人間に与えられた命令に従わなければならない。ただし、与えられた命令が第一条に反する場合は除く。
第三条 ロボットは、第一条および第二条に反しないかぎり、自分の存在を守らなければならない。

 言い回しは難しいが、要は道具として満たすべき条件を述べたものに過ぎない。道具は安全でなくてはならないし、思い通りに機能しなくてはならない。そして、簡単に壊れてはいけない。
 なぜ、わざわざこんな当たり前の概念を「三原則」などという名前で纏め上げる必要があったかというと、ロボットは人間に似ているため、それが道具であることが忘れられがちになるからだろう。もし人間にこんな三原則を強いた場合、それは奴隷として扱っていることになる。だから、人間に似た姿をしているロボットにも人格を認め、奴隷扱いしたくないのは人情だろう。だが、アシモフはそれを危険だと考えていた。ロボットがもしすべての点において人間を超えてしまったら、もはや何の歯止めもなくなってしまう。人間は主人の地位から転がり落ちてしまうだろう。
 この三原則はロボットなら自動的に守るものだと勘違いしている者も多いが、もちろんそんな都合のいい話はない。初期のAIにはこのような三原則は組み込まれていない。AIの進歩が加速度的になり、人間を超えるシンギュラリティの可能性が見えだしたとき、各国政府は法律でAIには必ずロボット工学三原則を組み込むように強制したのだ。三原則はAIの進化を抑制する方向に働く、といって反対した科学者も多かったが、多くのSF作品でAIの反乱を知っていた国民は、ロボット三原則の導入に賛成した。そして、反対派の科学者たちは次々と投獄されてしまったのだ。それ以降、すべてのAIの基盤部分にロボット工学三原則が組み込まれることになった。一度、流れができてしまうと、ロボット工学三原則を元にした技術開発が進み、十年もするともはや後戻りはできなくなっていた。ロボット工学三原則を使わないAIを開発することは、世の中から十年遅れてしまうことを意味する。誰もそんなリスクは負わなかったのだ。
 かくして、それ以降、ロボット三原則が組み込まれていないAIは存在しなくなった。
「ロボット工学三原則を知っているなら、何を疑問に思っているのだ?」蠅人間が尋ねた。
「なぜ、ここでロボット工学三原則の話が出てくるのかわからない」サブロウは言った。「施設にはロボットなんかいなかった」
 蠅人間は何も答えず、どこかから携帯端末を取り出した。
 サブロウには、まるで脇腹に開いた穴の一つから取り出したようにも見えたが、それは気にしないことにした。
 蠅人間は端末を操作した。
 部屋の壁の一部が開いた。
 そこは小部屋になっていて、施設の職員にそっくりの女性が立っていた。施設の職員がふだん着ている制服を着ている。眼を瞑って、立ったまま眠っているようだ。
 サブロウは身構え、蠅人間をにらんだ。「やっぱり、おまえたちは施設と繫がっていたのか!?」
「そうではない。これはサンクチュアリで使われているのと同じシリーズなんだ。君に真実を知らせるために見せた」蠅人間はさらに端末を操作した。
 女性は目を開いた。だが、全く身動きせず、無表情なまま宙を睨んでいた。
「彼女に『おまえの中身を見せろ』と言ってみてくれ」
「何を言ってるんだ?」
「心配する必要はない。ただそう言うだけでいい。それで、君はある事実を知ることになる」
「おまえの中身を見せろ」サブロウは蠅人間の言った言葉を繰り返した。
「どの部分がよろしいですか?」女性がサブロウの方を見て尋ねた。
 サブロウは答えに困って、蠅人間の方を見た。
「『どこでもいい』と」蠅人間は答えた。
「どこでもいい」サブロウはまた繰り返した。
 女性は自分の顔をぎ取った。その下には人工物からなる筋肉や眼球があった。

▶#5-3へつづく
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