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連載

小林泰三「未来からの脱出」 vol.26

施設に戻ったサブロウは、再びテレビを見ていた老人と言い争いをはじめ……。 小林泰三「未来からの脱出」#7-2

小林泰三「未来からの脱出」

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   3

「これは録画だよな?」ある日、サブロウはたまたま横にいた老人に確認してみた。
「はっ?」その老人は面食らったようだった。「何のことだ?」
「この選手は俺の若い頃に活躍していた。こんなに若いはずがない」
「ふうん。そうなのか」老人は特に興味を持っていないようだった。
「あんたは気にならないのか?」
「何が気になるって?」
「俺たちが延々と過去の録画を見させられてるってことだ」
「それの何がまずいんだ?」
 サブロウは話を続けることにした。「スポーツはドラマと違って筋書きがない。だからこそ先の予想が付きづらく、そこに面白みがある訳だ。結果のわかっている試合など見ても仕方がない」
 老人は首をひねった。そして、ゆっくりと話した。「筋書きがあるドラマだって充分に面白い」
「それは結末がわからないからであって……」
「じゃあ、あんたはこの試合の結果がわかるのかね?」老人は少し怒気を含んだ声で言った。
「それは……。この試合については覚えていない。しかし……」
「だったら、素直に楽しめばいいだろう。覚えてもいない試合を見て『過去の試合なんか見せるな』というのはわがままだと思わないのか?」
「俺はそういうことを言ってるんじゃない」
「静かにしてくれない?」後ろから老婦人が声を掛けてきた。「わたし、この試合、見てるんだけど」
「騒いでるのはこのじじいだ」老人はサブロウを指差した。「この番組に文句があるんだと」
「いや。俺は事実を指摘しただけで……」
 そのとき、背後を通った一人の老人がつぶやいた。「今のやりとりは演技過剰だよ」
 サブロウは頭をきながら、その場を離れ、車椅子で先程の老人を追った。
「もう、記憶は取り戻したのか?」サブロウは尋ねた。
「厳密に言うと、何も覚えていない。自分が隠した記録を見ただけだ」ドックは振り返らずに答えた。
「まあ、俺だってそうだ。『記憶を取り戻す』というのは言葉のあやだ」
「他にも女性のメンバーがいるんだろ?」
「名前を知らないのか?」
「まだ、その情報には行きついていない。もしくは最初から残していなかったのか」
「どうして、残さなかったんだ?」
「メンバーの名前を敵に知られないためかもしれない」
「たぶん誰がメンバーかはすでに敵に知られていると思う」
「だとしたら、どうして我々に監視が付かないんだろう?」ドックが片眉を上げた。
「さあな。脱走してもまた捕まえればいいと思ってるんじゃないか? 監視する方が手間なんだろう。脱走犯を捕まえるのは一日で済むけど、監視は延々と続く訳だ。AIならではの合理性だな」
 ドックはあごに指を当てて考え込んだ。
「そのことに、そんなに悩んでも仕方がないだろ」サブロウはあきれて言った。「監視されていないのは幸運なことだ」
「ところで」ドックは書架の前で止まった。「君は若返ったはずだが」
「そうらしい。残念ながら、若返ったことは覚えていないが」
「今はどう見ても百歳だ」
「AIに老化処置を受けたんだろう。記憶封印と同時に」
「老化処置を受けないとどのぐらいまで若返るんだ?」
「さあ、俺は中年ぐらいまでしか試さなかったけど、放っておけばもっと若返るのかもな」
「青年に戻れるのか?」
「子供になるかもな。もう一度青年になりたいか?」
「いや。分別を失うのは御免だ」
「分別盛りの青年になれるのかもしれないぞ」
「だったら、青年ではない」
 広間にミッチが入ってきた。
「彼女もメンバーのはずだ」サブロウが言った。「メカニック担当だ。彼女の力がないと、計画の遂行は難しい」
「計画って何だ?」
「まず、それを決めなくっちゃな。全員で逃げ出すのか、それともロボットに対する反乱を起こすのか」
「全員って、ハンドレッズのメンバーのことか? それとも、ここの入居者全員か?」
「それも決めなくっちゃな」
 ミッチはぐ二人の方に向かってきた。
「わたし、ミッチ。それで、どっちがサブロウ?」
 サブロウが軽く手を挙げた。
「彼の方を先に確認する訳だ」ドックが少し残念そうに言った。
「サブロウを先に確認したのは、わたしたちのリーダーで、脱走に成功した経験があるからさ」ミッチはドックの方を見た。「てっきり、あんたの方だと思ったんだけど、あてがはずれたよ」
「どうして、わたしだと?」
「さあ、ちょっぴり好みだったからかも」
 サブロウはドックの頰が一瞬だけかすかに紅潮するのを見逃さなかった。
「どこまで覚えている」サブロウは尋ねた。
「何一つ覚えちゃいないよ。自分宛の暗号メモに書いてあったことしかわからない」
「つまり、全部、うそということもあり得る訳だ」ドックが言った。
「何のために誰がそんなことをするんだよ?」サブロウが言った。
「壮大な冗談だろうな」
「だとしたら、相当悪質だよ」ミッチが言った。
「もしくは何かの実験か」サブロウは言った。「いずれにしても、とりあえず暗号の内容は正しいと考えて行動するしかないだろう。もし、つじつまが合わないと感じたら、そのときに修正すればいい」
「もう一人いるってことだけど?」
「ああ。彼女は暗号に気付いたかどうかまだわからない」
「その暗号も彼女が自分で隠したのかい?」
「彼女の場合は違うらしい。ここを脱走する前に、俺と君が仕込んだようだ。彼女の車椅子に仕掛けがあって、一定距離進むとふたが開いて、『子供の頃好きだった本の何ページを見よ』と書いてあるらしい」
「彼女が子供の頃、好きだった本って?」
「それはメモに残していない。君が知っていたらしい」
「賢明な判断だ」ドックが言った。「我々が記憶を封印されることで、彼女にしかわからない暗号になる。もし計画を練るのなら、彼女も加えた方がいい」
「だが、ヒントに気付いているかどうかだ」
「確認すべきだろうな」
「気付いていなかったら?」
「そのときは気付くように仕向けるんだな。我々も協力しよう」
「それで誰なんだい?」ミッチがしびれを切らした。
「たぶんエリザだ」
「彼女なら知ってるよ。気さくな人だ。頭の回転もいい」
「誰が確認しにいく?」
 ドックとミッチが同時にサブロウの方を見た。
「なんで俺なんだよ?」
「君がリーダーだからだ」
「こういうことは同性のミッチの方がいいんじゃないか?」
「百歳にもなって……いや、もっととしをとっているのか。とにかくこの齢になれば、男も女も関係ないだろ?」
 サブロウもドックも返事をしなかった。
「関係あるのかい! とにかく、わたしはサブロウが行くべきだと思う」
「わたしもその意見に賛成だ。君には仲間づくりの才能があるようだ」ドックも賛同した。
「それはあんた宛のメモが大げさだったんじゃないか?」サブロウは反論した。
「メモじゃない。ここ数分間の印象で言っている」
「印象?」
「君には特別な雰囲気がある。互いのことを覚えてないのに、我々がすっかり打ち解けていることからもそれは明白だ」
「それは俺のせいとは限らないだろ?」
「いや。あんたのせいだよ。三人中二人が言ってるんだから、間違いないよ」ミッチが言った。
「ただの印象なんか当てにしていいのか?」
「むしろ、当てにできるのは印象だけだ。記憶がないんだから」
「わかったよ。今から行ってくる」サブロウはしぶしぶ受諾したように見せてはいたが、なぜか胸躍る気分だった。

   4

「はい、どうぞ」
 ノックをすると、快活な女性の声が返ってきた。
 サブロウはゆっくりとドアを開ける。
 そこはさっぱりと整頓された部屋だった。壁にはいくつか絵や写真が飾ってある。
 エリザは入り口から正面に見える場所に座っていた。テーブルの前で車椅子に座ったまま本を読んでいる。
『不思議の国のアリス』だ。それも英語版だった。
 サブロウはエリザに見とれてしまった。
 ああ。確かに、俺はこの女性と同じ時間を過ごしたことがある。
 そういう確信がふつふつと湧いてくる。
「どうかされましたか? さっきから黙っておられますが?」エリザが話し掛けてきた。
 サブロウははっとした。
 自分から訪ねてきて、ぼうっと顔を見詰めているだけなんて、何て失礼なことをしてしまったんだ。不審者だと思われてしまったかもしれない。
 サブロウは痛烈に後悔した。
「初めまして。わたしはサブロウと申します」おずおずと話し掛ける。
「初めまして、サブロウさん」エリザはほほんだ。
 よかった。拒絶する気はないらしい。
「随分窓が少ないんですね」サブロウは部屋の中を見回した。
 窓は入り口のドアの横にあるだけで、それ以外の壁にはなかった。
「他の部屋は外に面してるので、窓があるみたいですけど、わたしの部屋はたまたま電気室に接しているみたいで、窓が廊下側にしかないんだそうですよ」
「それはひどい。部屋を替えて貰ったらどうでしょうか?」
「照明が明るいし、換気扇も付いているので、わたしはこの部屋で充分なんです。それに、もしわたしが部屋を替えて貰ったら、誰か別の人がここに来なくてはならなくなるし」
「優しいんですね」
「ええと。今日は窓のことについてお話をされに来たのかしら?」エリザはおかしそうに言った。
「もちろん、窓のことを話しに来た訳ではありません。いや、窓のことを話してもいいんですが」
「では、何のことですか?」
「もし、現時点で、何のことだかわからないということでしたら、このまま帰らせていただきます。でも、何か心当たりがあるようでしたら、そのことについて教えてください」
「あなた、このまま帰っていいんですか?」
「微妙な問題なので、あなたを無理やり巻き込むのは避けたいのです」
 エリザは本をテーブルの上に置いた。
「最初は書架から日本語版を借りたんです。でも、何も変なところはありませんでした」
「日本語版?」
「『不思議の国のアリス』の日本語版です。で、きっとこれは誰かの冗談だと思いました」
「冗談? 『不思議の国のアリス』の日本語版が冗談だということですか?」
「読まれたことはありますか?」
「子供の頃、読んだ記憶はあります。でも、大人になってからは……」
「それって、絵本か何かだったのでは?」
「ええ。確か絵本でした」
「『不思議の国のアリス』は童話ですが、絵本よりはずっと分量があります。あなたが読まれたのはたぶんダイジェスト版ですわ」
「そうなんですか? で、わたしの話を聞いて、思い付いたことがないようでしたら……」
「あなたは本題以外、話をしないタイプなのかしら? 会話はそれ自体を楽しむためにするものよ。もちろん、何かの目的があっての会話もあるけど」
「いえ。そんなことはありません。……ただ、最近は楽しみのためだけに話すことはあまりなかったような気がします」
「だったら、今日は会話を楽しみましょう。さあ、部屋の中にお入りなさい」
 サブロウはドアから部屋の中に移動した。
「『不思議の国のアリス』お好きなんですか?」
「ええ」
「確か続編がありましたよね?」
「ええ。『鏡の国のアリス』です。その他、『地下の国のアリス』と『子供部屋のアリス』というのもありますけど、これらは好事家向きですね」
「どうしてですか? 続編なら読みたい人が多いのではないですか?」
「物語の展開が『不思議の国のアリス』と同じだからです」
「では、続編ではなく、改訂版のようなものなのですか?」
「ちょっと違いますね。実のところ、『地下の国のアリス』は『不思議の国のアリス』の原型となった作品なのです。作者が知り合いの娘のために書いた作品でした。後年、作者がその存在を思い出して、出版に至ったのです」
「では『子供部屋のアリス』というのは?」
「これは、作者が『不思議の国のアリス』を幼児向きに書きなおしたものなのです。だから、ルイス・キャロルが書いた『アリス』は四冊あるわけですが、そのうち三つはほぼ同じ内容な訳です」
「『不思議の国のアリス』は大人が読んでも面白いものなんですか?」
「もちろんですよ。むしろ、大人でないとわからない論理パズルや言葉遊びを多く含んでいます」
 パズル?
 サブロウの心に何かが引っ掛かった。
「あの、その本なのですが……」
「わたしはこの施設の誰にも、この本が好きだった、と言った記憶はなかった。だから、昔のわたしを知っている誰かのメッセージだと思ったの。だけど、最初に見た『不思議の国のアリス』には何も変わったところはなかった。だから、原書版を調べたのよ。ここを見て」エリザは一つの活字を指示した。
「ジャバウォッキイ……と読むんですか?」
「単語じゃなくて、この活字よ」
「"k"の文字が少しにじんでいるというか、かすれて見えることをおっしゃってるんですか?」
「その通り、活字が滲むのはそんなに不思議なことじゃない。だけど、滲んだり、掠れたりする文字を追っていくと、文章になったの。"korehaangouda.kiminihanakamagairu."『これは暗号だ。君には仲間がいる。』ねえ、ぞくぞくするでしょ?」
「それに気付いたのはいつですか?」サブロウは自分が冷や汗をかいていることに気付いた。
「ついさっきよ。そして、不思議なことにこの暗号にはあなたのことも書かれている。どうして、日本語の本にしなかったの?」
「その方があなたに似つかわしいと思ったから」
「覚えているの?」
「いいや」サブロウは首を振った。「だけど、そうだったということはわかる」
「覚えていないのに、どうしてわかるの?」
「どうしてだかわかるんだ」
「錯覚じゃないの?」
「間違いない。自分のことだから」
「あなたがそういうのなら、そういうことでいいわ。とりあえずハンドレッズは復活ということでいいわね」

▶#7-3へつづく
◎第 7 回全文は「カドブンノベル」2020年5月号でお楽しみいただけます!


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