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連載

小林泰三「未来からの脱出」 vol.17

施設から抜け出すため、必死で森を進むサブロウが目にしたものは……。 小林泰三「未来からの脱出」#5-1

小林泰三「未来からの脱出」

※この記事は、期間限定公開です。



前回までのあらすじ

とある施設で暮らすサブロウは過去の記憶がないことに違和感を覚えていた。調査を進めるうち、日記帳に隠された「ピースを集めよ」というメッセージに気付く。チーム・ハンドレッズを結成し、施設からの脱出を目指すが突然、仲間が立て続けに記憶を消されてしまう。サブロウが記憶を取り戻しチーム再結成かに思われたが、エリザに恋をするサブロウの反対により、三人で脱出を決行することに。道中罠にかかった仲間を残しサブロウは一人先へと進む。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

   2

 真っ赤な朝焼けだった。
 サブロウは森が燃えているのではないかと何度も錯覚し、その度に、これはただの朝焼けだと自分に言い聞かせた。不思議なことに炎だと錯覚している間は熱を感じているようで、汗がだらだらと流れ、鼓動が激しくなり、呼吸が乱れた。
 もうそれほど長くないかもしれない。
 何となくそう感じた。そして、感じてから、「長くない」というのは、果たしてどのぐらいのスパンのつもりなのかと自問自答した。数時間と数年間では意味合いが違ってくる。
 地図で現在位置を確認すると、どうやらゴール──サブロウが森の出口だと考えている地点まではほんの数百メートルほどのようだ。
 ほんの数百メートル。
 サブロウは危うく笑いの発作を起こすところだった。
 若い頃の思考の習慣で、数百メートルを「ほんの」などと考えてしまった。若ければ数分で踏破できる距離だ。今だって、車椅子さえあれば、簡単に到達できる。だが、徒歩だと数十メートル進むだけで、息が止まりそうだ。脚もがたがたと震えて、うまく動かせなくなってきた。このままだと、百メートルも進まないうちにわなければならなくなるかもしれない。
 サブロウは木の幹に手を掛けて休憩した。座り込みたかったが、一度座り込んでしまったら、もう立てなくなるような気がしたので、もたれ掛かるだけにしておいた。
 目がちかちかして、景色がぐにゃぐにゃと変形する。
 サブロウは目をつぶって、呼吸を整えようとした。
 世界が恐ろしい勢いで、ぐるぐるとまわっている気がした。
 慌てて目を開く。
 世界はそこにあった。だが、重力がじれて世界がひっくり返りそうだった。
 さすがにもう無理かもしれない。これ以上、無理をしたら、きっと俺の心臓は止まってしまうだろう。ここで倒れていれば、すぐに追手が見付けてくれるだろう。
 サブロウは身体からだの力を抜いた。全身が膝からぐらりと崩れていくのが感じられた。敗北の苦い味がしたが、その苦さはむしろ心地良くさえあった。
 いいじゃないか。俺は精一杯頑張った。

 一歩でも先に進むんだ。それが未来への唯一の道だ。

 突然、ドックの声が聞こえた。
 サブロウは木の幹のかすかなでっぱりをつかみ、危うく倒れてしまうところだった自分の身体を支えた。そして、後ろを振り返る。
 ドックの姿はなかった。
 今のは実際に聞こえた訳じゃない。記憶の中のドックの声がよみがえっただけだ。幻聴の類といってもいいだろう。だが、その声はサブロウに倒れ込むことを許してはくれなかった。
 そうだ。ドックは俺に進めと言った。

 ミッチのことは気にするな。彼女はわたしが必ず守る。

 信じているぞ、ドック。
 サブロウは大きく息を吸い込んだ。そしてたけびを上げようとした。
 だが、それは蚊の鳴く様な声でしかなかった。
 まあ、仕方がない。俺は百歳だからな。それにでかい声を出したりしたら、敵に見付かってしまうかもしれない。
 雄叫びは上げられなかったが、そうしようとしたことによって、勇気がいてきたような気がした。
 そして、また一歩を踏み出した。
 そう。俺はまだ歩ける。
 サブロウは一歩一歩慎重に進んだ。一歩進むたびに頭はくらくらし、激しい痛みを伴ったが、それでも進めるのだ。
 いったいどこまで進めるのかわからない。一歩ごとにこれが最後だという気がしたが、なんとか歯を食い縛り、次の一歩を踏み出す。おそらくそれができるのもあとせいぜい数歩だろうと思うが、そう思いながらも、百歩以上は進んでいるような気がする。もちろん、もう自分の歩数を数える余裕はなくなっているので、百歩だと思っているのがほんの十歩である可能性もある。あるいは、千歩の可能性も。
 そんな訳ないか。
 サブロウは苦笑いをした。
 ぐらりと身体が揺れた。
 一瞬、意識が飛んだような気がする。
 そろそろ終わりなのかもしれない。ゴールを見ずに終えるのは悔しい気もするが、したいことができたのだから悔いはない。
 ここで倒れて追手に追いつかれて、記憶を消されたなら、そもそも悔しいという思いも消えてしまうだろう。
 あるいは、そのまま死んでしまうかもしれない。その場合ももう悔しがることはない。
 なんだ。だったら、何も心配する必要はないじゃないか。俺は一歩ずつ進めばいい。

 ええと。なんだっけ?
 意識がもうろうとなりつつあった。記憶も途切れ途切れだ。今、自分が何から逃げているのかすら判然としない。

 一歩でも先に進むんだ。それが未来への唯一の道だ。

 いったい誰だ? そんなまいごとを言うのは?
 もう意識を保つことすら難しくなってきた。いろいろな考えや記憶が頭の中を走馬灯のように飛び回り、何が現実かを判断するのが難しくなってきた。
 意識も記憶もまるでパズルの断片のようだ。

 ようやく森の出口らしきものが見えた。
 ぶうんぶうんぶうん。
 羽音がうるさい。
 見上げると、頭上を何匹かのはえが飛んでいた。
 頭がくらくらする。

 本当に俺は大丈夫なんだろうか? 無事、この森から出られるのだろうか? そもそも森から出るという俺の判断は正しかったのだろうか? そもそも、あそこから逃げなくてはならない理由はあったのか? いや。あったとしても、それが妄想でないとどうして言い切れる?

 サブロウは服のポケットを探った。
 小さく折り畳まれた黄色く変色した染みだらけの紙が出てきた。
 それには、うっすらと消え入りそうな曲線が一本書かれていた。ほぼ直線に近いが、所々ぐねぐねと曲がった蚯蚓ミミズのような曲線だ。それはただの落書きのように見えた。

 ぶうんぶうんぶうん。
 羽音がやかまし過ぎて考えがまとまらない。
 サブロウは見上げた。
 蠅が飛び回っている。相当大きな蠅だ。
 目がちかちかして蠅たちが二重に見える。何匹いるのかすら判然としない。

 そう。蠅たちの大きさはほぼ人間と同じぐらいあったのだ。
 サブロウの鼓動は激しくなった。
 あれは実在するのか、それとも俺の脳が作り出した幻なのか?

 羽音が大きくなった。どうやら降下してくるようだ。

 それはゆがんで極めて聞き取りにくい声だった。だが、紛れもなく人語だった。
「お帰り。君が戻ってくるのをずっと待っていたよ」

   3

 サブロウは心地良い温もりに包まれていた。
 子供の頃、寒い冬の朝、ほかほかの布団に包まれて、惰眠を貪っていたときのことを思い出した。もう起きなくてはならないとわかっていながら、うつらうつらと布団の王国を支配するあの快感だ。
 ここはどこなんだろう?
 そんな疑問が浮かんだ。
 きっと目を開ければ、そこに答えはあるのだろう。だが、到底そんな気にはなれなかった。今は半分眠っている状態で、何が夢で何がうつつなのかわからないのだ。もし目を開けたりしたら、目が覚めて、現実を見据えなければならなくなる。そんなことになるぐらいなら、何も知らない方がましなような気がしたのだ。
 俺を待っている現実とはどんなものなんだろう?
 一つの可能性としては、自分が今敵の手に落ちているというものがある。俺は、ベッドの上で眠らされている。そして、その傍らには、今まさに処置をしようとしている医師たちがいる。その処置とは、きっと何かを注射するとか、脳にメスを入れるとかいった類のものだろう。あまり、気持ちのいいものではないが、眠っているうちに行われるのなら、そんなに苦しいものではないのかもしれない。このまま眠り続けるのが最善の方策に思える。
 別の可能性としては、自分は依然として森の中にいて、地面の上で冷たくなりかかっているというものだ。五感がして、幻の温かみを感じているのかもしれない。きっと、この心地良さも死の瞬間に大量放出されるという脳内の快感物質のなせる業なのだろう。だとしたら、これ以上の抵抗をせずに静かに死の世界に向かいたい。今更、死にあらがっても苦しさが長く続くだけだ。
 さらに、もう一つの可能性は、すでに自分は死んでいて、ここが死後の世界だというものだ。死後の世界の存在について、サブロウ自身は懐疑的であったが、現実に存在していても、それほど不思議ではないと感じていた。たとえば、ゲームの世界のキャラクターを操作しているのは、この世界のプレーヤーであり、ゲーム内でキャラクターが死んだとしても、現実のプレーヤーは死なずに生きている。それと同じように、この世があの世におけるゲームのような存在だとしたら、人間は皆この世界専用のキャラクターであり、たとえ死んだとしても、本体であるあの世の自分は生き続けるはずだ。もちろん、そんな単純なものではないだろうが、この世界で自分が死ねば、どこか別の世界での肉体が目覚めるというのは、実にありそうな話だった。もっとも、その死後の世界が快適な世界であるという根拠はない。だから、目を開けた途端、不愉快な現実の問題に直面することになるかもしれない。だとしたら、その瞬間をできるだけ先延ばしにしたいものである。
 以上のような様々な理由から、サブロウは目を開けることを躊躇ためらっていた。
 目を開けると不幸になるかもしれない。だけど、少なくとも今は快適なのだから、無理に目を開ける必要はないのだ。
 サブロウはどうしようもなくなるまで、目を瞑り続けることを決心した。
 そうなると、不思議なもので、眠っているはずなのに、意識がどんどん明瞭になっていくのだ。
 朦朧としていた記憶もどんどんはっきりしてきた。
 あの施設に入る前のことも徐々に思い出してきた。

▶#5-2へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年3月号でお楽しみいただけます!


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