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連載

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」 vol.7

【連載小説】「金がいるんだ」そう言ってAV業界に足を踏み入れた宮里。そのことを思い出していた充代は、思いもかけぬ人物に遭遇し……。 赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#2-3

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

※本記事は連載小説です。
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 どうせ宮里は夜遅くならないと帰って来ない。どこか途中で食事してしまおうか。
 電車が来て、うまく座れた。
 宮里が、あの古いアパートを出て、太田充代の所へ転り込んで来たのは、半年ほど前だ。
 充代も、アパートで一人暮しをしていたのだが、二間あるので、宮里が同居しても大丈夫だった。
 もちろん、それ以前から、宮里とは男女の仲になっていて、そのことが宮里を今の仕事に深入りさせる結果になったのだが──。
「金がいるんだ」
 と、宮里は充代に、自分からAVの仕事をしたいと言って来たのだった。
 それが、妻の入院治療の費用のためだということは、後で知った。
 宮里は、ディレクターとしても有能だった。もちろん、やりたくてやっているのではないだろうが、「金のため」と割り切って、自分を納得させているようだった……。
「あーあ……」
 寝不足はいつものことで、妙な時間に眠くなる。
 電車で座って揺られている内、ウトウトしていた充代は、隣の客が立って、すぐに誰かが座った気配で目をさました。
 大きな欠伸あくびをしていると、
「相変わず色気ねえな」
 と、すぐそばで言われてびっくりした。
「あんた……たけしじゃないの!」
 眠気がさめてしまった。
 隣に座っていたのは、ここしばらく音信不通になっていた、弟の太田猛だったのである。
「姉さんは変らねえな」
 と、猛は言った。
「猛……」
 充代は、それこそ「変らない」様子の弟を見て、不安になった。
 派手な赤いシャツに白い上着、ちょっとした顔役を気取っているのだろうが、どう見ても、チンピラにしか見えない。
 まだ十九歳だが、こんな時間から酒くさい息をしていた。
「どうしてるの、今」
 と、充代は言った。
「別に。相変わらずだよ」
 と、猛は肩をすくめて、「姉さんは、例のじいさんと一緒なんだろ、まだ?」
「じいさんだなんて。宮里さんはまだ四十五よ」
「俺から見りゃ、充分じいさんさ」
「猛、どうしてここに? 私のこと、後をけてたの?」
「そうじゃねえよ。ただ、駅で見かけたから、この電車に乗ったんだ。ちょっと顔を見せとこうと思ってさ」
「ケータイにかけても出ないし。心配するじゃないの」
「もう大人だぜ、俺」
「未成年でしょ。お酒飲んで」
「酒ぐらい、どうってことねえよ」
「あんた、まさか……。悪いもの。やってないでしょうね」
「クスリには手を出さないよ。周りにゃ一杯いるけどな」
「それだけはだめよ。抜けられなくなる」
「これからちょっと人と会うんだ。──ま、女なんだけど。少し貸してくれよ」
「借りるんじゃなくて、持ってくんじゃないの。──誰と付き合ってるの?」
「なかなか可愛い女なんだ。俺、もてるんだぜ」
 充代は財布から一万円札を出して、
「体に気を付けるのよ」
 と言って渡した。「私は次で降りるから」
「ありがと。また連絡するよ」
 と、猛はもらった札をポケットへ入れた。
 ゆっくり話している時間はない。充代は、
「じゃ、またね」
 と、席を立った。
「元気でね」
 と、猛はちょっと手を上げて見せた。
 電車を降りて、ホームを歩きながら、充代は、走り出した電車の中に、弟の姿を追った。
「本当にもう……」
 どこでどうしているのか、さっぱり分らなくなって、もう二年近くになる。
 高校を中退して、付合っていたグループの誰かの所へ転り込んだりしているということは分っていたが、充代も自分の生活で手一杯だ。
 宮里と暮すようになってからは、なおさら時間がなかった。
 しかし──宮里との生活は、充代にとって貴重な「家族」の安心感を与えてくれるものだった……。

 眠っているように見えた。
 宮里は妻のベッドにそっと近付いてみた。
 ひさ……。宮里は妻の顔を覗き込んだ。
 そして、一瞬ゾッとした。妻が呼吸していないように見えたのである。
 まさか! 血の気がひいた。
 しかし、そのとき、妻の胸がゆっくりと上下して、かすかな吐息が漏れた。
 宮里はホッとした。
 すると、気配を感じたのか、久子が目を開けたのである。
「あなた……。来てたの」
 と、ささやくような声を出す。
「今来たところさ」
 宮里はベッドの傍の椅子にかけて、「時間がなくて、何も買って来られなかった。何か欲しいものがあるか? 買って来るぞ」
「別に……」
 と、枕の上で、小さく顔を左右に動かした。
「眠ってたのか? 起こしたかな」
「眠ってるような、起きてるような……。このところ、こういう時間が多いの」
「そうか。そういうときは夢を見たりするのか?」
「そうね。あなたが昔のようにスラリとやせて、髪もフサフサになって現われたりするわ」
 と言って、久子はちょっと口元に笑みを浮かべた。
「タイムマシンでもなくちゃ、それは無理だろうな」
「いいのよ。夢だもの」
 と、久子は言った。「それより、お仕事の方は? 順調なの?」
「ああ。今夜も、たぶん徹夜でビデオの編集をしなきゃならない」
「じゃあ……いいの、こんな所に来てて」
「ああ。お前の顔を見るのが、エネルギーのもとさ」
「無理をしないでね」
 と、久子は言った。「今は何のお仕事を?」
「企業のPR用ビデオだ。ほら、大学生なんかに就職説明会とかで見せるビデオだ」
「分るわ」
「ああいうのは、企業の方も経費で落ちるからな。手間の割には払いがいいんだ」
「しっかりやってね」
「うん。安心してろ。──何かおやつでも買って来るか?」
「いいわよ」
 と言ってから、久子は思い直したように、「──じゃあ、シュークリームみたいなものが欲しいわ」
「シュークリームか。よし。その辺を捜して見付けてやる」
「エクレアでもいいわ」
「分った。待ってろ」
 宮里は立ち上って、「眠らないで待っててくれ。一緒に食べよう」
「そうね……」
 病室を出て、宮里はエレベーターへと向かったが……。
「宮里さん」
 と、ナースステーションから声がかかった。
「あ、どうも。いつも家内が……」
「先生がお目にかかりたいと。──ちょっとお待ち下さいね」
 看護師は医師へ連絡を入れて、「──すぐここへ参りますので」
「分りました」
 担当の医師とも、なかなか会う機会がなかった。五分ほどして、小太りな医師がやって来て、
「宮里さん、お会いできて良かった。ちょっと座りましょう」
 エレベーターの手前の休憩所で、
「実は、昨日奥さんが発作を起こされて」
 という医師の言葉に、宮里は一瞬青ざめた。
「それで……」
「ご連絡しようとしたんですが、ケータイが通じなくて。その内、奥さんの具合も良くなったので、それきり……」
「申し訳ありません。仕事中で切っていたので……」
「まあ、今回の発作は大したことはなかったのですが、こういうことは一度起ると、これからも起ると思った方がいいのです。そしてたまたま大きな発作が来ると、心臓が弱っていますのでね、危険な場合が……」
 宮里は座り直して、
「先生。手術とかの方法は──」
「それは賭けですね。手術が長引くと、心臓がもたないこともあります」
「しかし、うまく行けば、助かる可能性も」
「それは確かです。奥さんともよく相談なさって下さい」
「うまく行く可能性は、どれくらいでしょうか」
「そうはっきりとは……」
 医師は口ごもっていたが、「五分五分、と言いたいところですが、うまく行く確率は三割ぐらいでしょうか」
「──そうですか」
 と、宮里は目を伏せた。
「手術を選択されるなら、早い方がいいと思います。発作がくり返されたら、抵抗力も落ちますからね」
「分りました」
 宮里は肯いて、「数日中にお話しをさせて下さい」
「分りました。ナースステーションの方に言って、アポを取って下さい」
 宮里は、
「よろしくお願いします」
 と立ち上って、深々と頭を下げた。

▶#2-4へつづく
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