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連載

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」 vol.17

【連載小説】天本家に居候中の香は、ぽつぽつと不思議な身の上を語り始めて……。 赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」#5-1

赤川次郎「三世代探偵団4 春風にめざめて」

※本記事は連載小説です。



前回までのあらすじ

天本有里が映画のプレミア会場で出会った矢ノ内香は、恩師・宮里を頼りに上京したところ、宮里がAVを撮影しているのを目撃したという。病気の妻のためAVを撮る宮里と暮らす太田充代は、飲みすぎた翌日ホテルで裸で目覚めると、真田という男の死体を見付け、慌ててホテルを後にするが、弟の猛から姿を隠さないといけなくなった、と電話がかかって来る。一方、有里は村上刑事から、香のカバンに入れられていた指が、真田のものだと聞かされる。

詳しくは 「この連載の一覧
または 電子書籍「カドブンノベル」へ

7 検討(つづき)

 アトリエに紅茶とクッキーの香りが漂った。
 ふみはテーブルにお盆ごと置くと、
「終ったら、知らせて」
 と、うちかおりに言った。「さげに来るから」
「私、持って行きます」
 と、香は言ったが、文乃が何か言いたげにしているのに気付いて、「──はい、お知らせします」
 と、言い直した。
 文乃がアトリエを出て行くと、
「愛想が悪くてね」
 と、さちが微笑んで、「あなただからってわけじゃないの。いつもあんな風なのよ。気にしないで」
「いえ……」
「さ、飲んで。クッキー、つまんでね」
「いただきます」
 香はティーカップを取り上げて、「──すごくいいカップなんでしょうね」
 と言った。
「それで、私が運ぶのを──」
「まあ、いくらかはね」
 と、幸代はうなずいて、「アウガルテンの、とても文乃が気に入ってるカップなの。でも、本当に気に入らない相手には、もっと安物のカップを使うから、大丈夫」
 まだ温いクッキーをつまんで、
「香ばしいですね! ──おいしい!」
 と、香はため息をついた。「家でこんなにおいしく作れるんですね!」
「良かったら、文乃に作り方をくといいわ。喜んで教えてくれるわよ」
「はい。でも……」
 と、香は紅茶をひと口飲んで、「作ってあげる人もいません」
 幸代は肯いて、
「そのようね」
 と言った。
 幸代は「もと調査」のようなことは訊かない。話せるものなら、自分から話すだろうというのが幸代の考えだ。
「──文乃さんが気を悪くされるのも当然です」
 と、香は言った。「どこの誰とも分らないのに、転り込んで……」
が連れて来たんだから。あなたはのんびりしてていいのよ」
「そういうわけにも……」
「有里から聞いただけじゃ、どんな事情か分らないわね。気が向いたら話してちょうだい」
「ありがとうございます。でも、これ以上ご迷惑かけるわけには……」
「うちはそういうことに慣れてるの」
 と、幸代は紅茶を飲みながら言った。「文乃の紅茶のいれ方は立派なものだわ」
「すてきですね。そうやって、誰からも認めてもらえる才能があるってこと」
「あなたにだって、きっと何かあるわよ」
「私はちっとも……。『あんたには、一つもいいところがない』って言われました」
「誰がそんなことを?」
「──母です」
 と、少しためらってから言うと、「亡くなりましたけど」
みやざと先生っていう人が、あなたを認めてくれたということね?」
「認めてくれた、というほどのことでも……。ただ、私が本を読むことが好きなのを、とてもほめてくれました」
「その先生を頼って上京して来たのは、お母様が亡くなられたからなの?」
 香はクッキーを一つ二つつまむと、
「母も──父も亡くなったんです」
 と言った。「三か月前。──家が火事で焼けて、そのときに」
「まあ、そうだったの」
「私は──一人っ子で、家には私と両親しかいなかったのですけど、私一人が無事で」
「逃げられたのね?」
「よくおぼえていないんです」
 と、香は眉を寄せて、「ふしぎなんですけど……」
「ふしぎ?」
「ええ。──眠っていて、私、気が付くと、火に囲まれていたんです。唯一、玄関の戸が目に入って、そっちへ逃げて、外に出ました。父も母も、捜しに戻ることはできなくて……」
「それはそうね」
「家は古い木造で、すぐに火に包まれてしまいました。近所の人たちが駆けつけて来たとき、私は一人で道に立って、燃えている家を眺めていたんです」
 と、香は言った。
「それで一人ぼっちに?」
「はい。──でも、近所の人は、私が家に火をつけたんじゃないかと……」
「どうしてそんな……」
「私一人が無傷で助かったからです。実際、あんな火の中から出て来たのに、火傷やけど一つしていなかったんです」
「でも、警察が調べたんでしょう、もちろん?」
「はい。でも、結局火事の原因はよく分らなかったんです。ただ、私一人が生き残ったので……」
「それで、近所の人たちが疑っていて、あなたは町にいられなくなったのね」
「住む所もなくて。親戚もありませんでしたし、私を置いてくれるようなお宅もなくて……。私は、しばらくお寺に厄介になっていました」
「そう」
「でも、いつまでも、というわけにも……。それで、思い立って……」
 と、香は言った。「私、焼け出されたときはパジャマ姿だったんですけど、あの先生のハガキだけは、寝るときもパジャマの胸ポケットに入れていたんです。──親に見付かったら、取り上げられてしまうかもしれない、と思っていて」
「じゃあ、帰る所もないわけね」
 と、幸代は言った。「ここでのんびりしていればいいわ。モデルのアルバイトをしてるってことで」
「すみません」
 香は謝るしかない様子だった。
「その宮里先生と、一度ゆっくり話した方がいいでしょうね」
「もちろん、そうできれば……。でも、きっと先生も迷惑だと思っておられると……」
「生きていくってことは、多かれ少なかれ、他人に迷惑をかけることよ。お互いさま、と思っていればいいのよ」
 幸代はクッキーをつまんで、「あと一つよ。食べてしまいなさい」
「はい!」
 香は、若い娘らしい、うれしそうな声を出して、最後のクッキーを口へ入れた。

▶#5-2へつづく
◎第 5 回全文は「カドブンノベル」2020年10月号でお楽しみいただけます!


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