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連載

早見和真「八月の母」 vol.28

【連載小説】エリカとの距離は一向に縮まらない。自分がエリカの何に惹かれるのか、それさえよくわからなかった。早見和真「八月の母」#4-4

早見和真「八月の母」

※本記事は連載小説です。

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 あいかわらず連絡はマメに取り合ったが、エリカとの距離は一向に縮まらなかった。勇気を振り絞って、八月十五日、彼女の誕生日に食事に行こうと誘ったものの、「その日は家族との予定が入っている」と呆気なく断られた。
 エリカの考えていることがもう一つ理解できず、祐介にだけは相談した。やはり普段のやり取りから嫌悪感を抱かれているとは思えず、ただの客であるという気はしない。
 そんなことを率直に打ち明けた博人に、祐介はあっけらかんと言い放った。
「そんなん普通に彼氏がおるってことやん。誕生日を家族で過ごすって、何時代の話なん?」
 その直截的な物言いは、博人の胸をえぐるのに充分な力があった。よほど呆然とした顔をしていたに違いない。
 祐介の方がむしろ呆気に取られたように口をすぼめ、しばらくすると無遠慮に笑い出した。
「え、マジなん? 博ちゃん、あの子にそんなに夢中?」
「べつに夢中とかそういうわけじゃないけど」と、ムッとした博人に、祐介はさらにバカにしたように言ってくる。
「いやいや、それ思いっきり本気のときの反応やん。そうなんや。いやぁ、でも、なんかちょっと意外やな」
「何が意外?」
「博ちゃんが好きになる女の人って、もっとムリ目な女って気がするやんか。俺たちが会ったらビビってしゃべれんなるような。エリカちゃんって、どう言うたらええんかな、なんかリアリティがあるんよね。俺たちの誰かの彼女っていうふうに言われた方がしっくり来る。とりあえず博ちゃんの恋人っていう感じは全然せん」
 仲間を「博人」と「俺たち」でわけるのは祐介の悪いクセだ。
「それは何? ラウンジのホステスなんかとっていう意味?」
 声がとがるのが自分でもわかった。
「うーん。まぁ、ほうやね。それもあるんやけど、元ヤンのことの方が大きいんかな」
「え、元ヤンなの?」
「そりゃほうやろ」
「なんで祐介が知ってるんだよ」
「知っとるっていうか、そんなん雰囲気でわかるやん。俺らと同じ匂いがしとるもん。あれは絶対に昔ヤンキーやったで」と、祐介は大笑いしながら言い放つ。周囲から見た目で判断されるのを極端に嫌うくせに、自分たちは同じことを平気でする。
 祐介には悪気がなさそうで、それもなおさらタチが悪い。
「あの子、たしか伊予市って言いよったよね? 後輩のを辿っていけば何か割り出せると思うよ。探らせてみよか?」
「いいよ、そんなこと」
「へぇ、でもそうなんや。博ちゃん、ホントにあの子がタイプなんやね。じゃあ、もうビビってないで思い切って行けばええやん。どうせ世界はあと半年で終わるんよ? 大丈夫よ、博ちゃんよりええ男なんてそうそうおらんのやし」
 最初はなんのことかわからなかったが、すぐに思い至った。小学生のときに仲間たちで夢中になったノストラダムスの大予言だ。
 そういえば大人になって出会った中にも、それをかたくなに信じている女が一人いた。
「だって世界はあと何年かで終わるんでしょ? だったらいまを楽しまなきゃ。やりたいことをやれないなんて私はごめんだ」
 そうした軽薄な言葉に背中を押されたつもりはなかったが、ほんの少しだけ腹が据わった気はした。
 べつに本気で入れあげているわけじゃない。
 ただ少し気になるだけ。
 そう、もう少し彼女を知りたいだけだ。
 自分自身にそう言い聞かせ、久しぶりに一人で足を運んだ〈都〉で、博人はエリカにいつもより強く二人で会いたいと申し入れた。これで断られたら潔く身を引こうという気持ちが心のどこかにあった。
 その胸の内が伝わったのか、エリカは間違いなくしゆんじゆんする素振りを見せた。博人は一気に畳みかける。
「二人で東京に行けないかって思ってる」
「え、東京?」
「うん、一泊で。エリカちゃん、なんだか知らないけど東京への憧れが強いでしょ? 俺が案内したいと思うんだ」
「いや、さすがにそれは……」
「誕生日をきちんと祝ってあげたくて。いい思い出があまりないっていう言葉、ずっと引っかかってるから」
 エリカの頰がほんのりと紅潮するのがわかった。何度か二人で食事をしたとき、どれだけ話が盛り上がっていても、エリカは零時までに帰りたがった。「母親に怒られるから」というその理由に、二十二歳にもなって何を言っているのかという苛立ちを覚えたものの、それを言葉にはしなかった。
 だったら前もって約束しておけばいいのだろう。そう思っての誘いだったが、エリカはやはり申し訳なさそうに首を振った。
「すみません、七森さん。気持ちはうれしいんですけど、私は行けません」
「なんで? っていうか、俺ってなんなの? エリカちゃんにとってただの客? それならそれでべつにいいから、鬱陶しいならちゃんと言って」
 エリカは悲しそうに顔を歪ませる。
「違うんです。本当にうれしいんです。でも、私にはどうしても行けない理由があって」
「それは何? またお母さん?」
「それもあります」
「なんなの、マジで。お母さんって何者なの?」と、自分でも思っている以上にトゲのある言い方になってしまう。
 エリカはそれには答えなかった。カウンターのどこか一点を食い入るように見つめ、力なく唇をみしめる。
 少しの間、店全体に静寂が立ち込めた。ようやく目を瞬かせたかと思うと、エリカはゆっくり博人のグラスに手を伸ばし、水滴を拭いながら一度だけうなずいた。
「やっぱり東京には行けません」
「いや、だから──」
「でも、どこかに連れていってくれませんか」
「え……?」
「泊まることはできないけど、私もどこかに行きたい」
「どこかって?」
「どこでもいいですよ。ああ、でも愛媛じゃないところがいいかな。どこか遠く。一日だけでも連れ出してもらえたら、私はまたがんばれる気がします」
 そう言ったときのエリカの笑顔は、はじめて見るように澄んでいた。博人は一瞬、言葉に詰まった。そして出てきたのは「いや、あの……。ありがとう。なんかワガママ言ってごめん」というひどく間の抜けた謝罪だった。
 エリカは「なんですか、それ。急に」と声に出して笑った。そして何かを嚙みしめるように真顔になって、上目遣いに博人を見た。
「でも、それは私のセリフです。七森さん、本当にありがとうございます。土曜日、楽しみにしています」

 思うように仲が深まっていかないことに熱くなっているだけなのか。それとも、本当にエリカを好きになりかけているのだろうか。
 自分がエリカの何に惹かれるのか、それさえよくわかっていない。自分自身の気持ちを正しく見極めることができるのなら、きちんと告白してつき合おうという気持ちもある。
 客とホステスというスタートであることなど関係ない。祐介の見立て通り、かつて不良だったとしてもかまわない。大切なのはいまだけだ。いまの相手を素晴らしいと思えるなら、その過去はすべて肯定すべきだという持論が博人にはある。
 逆にどれだけ輝かしい学歴や経歴の持ち主であったとしても、いまのその人に魅力を感じないのならば、その過去は否定されるべきとも思うのだ。
 そう教えてくれたのも美恵だった。美恵には他人には言えない秘密があった。まだ物心がつく前、一歳の頃、実の母親に捨てられるという経験をしていた。
 博人がそれを教えられたのは、つき合って二年が過ぎた頃だった。何がきっかけだったかも覚えていないが、その日の美恵は大荒れだった。泣き叫び、あらん限りの罵声をぶつけられ、それでも懸命に肩を抱き続けた博人に向けて、最後にざんするように言ったのだ。
「たまにどうしても自分の感情を抑えきれないとき、いつも会ったこともない母親という人の影がちらつく。本当に気分が悪い。結局、自分は逃れられない鎖に縛られているんじゃないかっていう気持ちにさせられて、死にたくなる」
 博人は深くうなずきながらその告白を聞いていた。美恵という人間が、まさにその呪縛を必死に振り払おうとしているのを誰よりも近くで見ていたからだ。
 施設の仲間と一緒になって中学で荒れていたことも、疑問もなく高校を中退したことも、美恵は「おしつけられた何かを勝手に自分から背負いにいっていた。反抗するフリして、従順だった自分がいまは本当に恥ずかしい」と、心の底から悔いていた。
 その後悔が仲間と縁を切って挑んだアルバイトと大検の取得、誰もが名前を知っている大学への入学、そして「実は小さい頃から憧れていた」という一部上場企業への就職という道へと美恵をいざなったのだ。
 だとすれば、その過去は絶対に否定されるべきものではない。直視すべきは過去ではなく現在であり、その現在こそが過去をポジティブにもネガティブにも変えるのだ。
 もし母親が美恵を置いて去らなければ、もっと言えばこの世に産み落としていなければ、博人は彼女と出会うことができなかった。その過去の否定は、美恵という人間自身への否定にも通じるはずだ。
「自分を物語のヒロインのように悲劇的に語る女が大嫌い」
 美恵が言ったのはその直後だった。ようやく少し呼吸が落ち着いてきて、冗談めかして博人を拒絶する仕草を見せたあと、美恵はひどく恥ずかしそうに続けた。
「ヒロちゃんはそういう女に引っかかりやすいタイプだから気をつけてね。俺が守ってやるみたいな男に平気でつけ込む女は多いよ。私みたいにね」

#4-5へつづく
◎第4回全文は「小説 野性時代」第208号 2021年3月号でお楽しみいただけます!


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小説 野性時代 第208号 2021年3月号


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